増井博明の森林紀行エッセイ

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【森林紀行No.6 セネガル,マングローブ林調査編】 No.10

サルーム・デルタの塩分濃度など

海水より塩分濃度が高く,上流域ほど塩分濃度が高いサルーム・デルタ

 サルーム・デルタで面白いと思ったのは,まず塩分濃度が海水よりも高いということと,次に海に近い河口よりも上流域の方が,塩分濃度が高いということだった。一般的には,マングローブ林が形成されるのは,海水と淡水が混じり合う汽水域であり,上流から淡水の流入があるため下流域より上流域の方が塩分濃度は低いのであるが,ここでは淡水の流入がないため海水が煮詰まった状態にあり,塩分濃度が海水よりも高く,下流域よりも上流域の方が,塩分濃度は高いのだ。

 

サルーム・デルタの形成

 サルーム・デルタを形成するサルーム川の長さは河口から最上流のカオラックの町まで約110kmほどであり,流域面積は50万haほどである。海抜高度は1~2mほどで,5mまで達しないほど平坦である。このデルタの形成は,海面の上昇が続き,海が陸地に入り込んで来る海進により,河口の末端部が沈水し,エスチュアリー(河口)になったとのことだ。もともと海抜標高が低かったので,デルタになったのだ。一般的にはデルタは,上流の大河が運ぶ堆積物でデルタとなるが,このサルーム・デルタは一般的なデルタとは異なる原因でデルタとなったのである。

  今後地球温暖化で海水面がもっと上昇すれば,このデルタも消滅してしまうだろう。この中の多くの島に住む住民にとっては,大変な死活問題である。

 

海水が河川を逆流

 さて,このデルタは上流から淡水の流入がないといっても,雨が降れば当然それは河川に流入する。上流域には河川がないので,そういった雨水だけの淡水流入に頼っているが,それだけでは塩分濃度はほとんど低くならないのである。なぜ上流域の塩分濃度が高いかと言えば,干満により毎日2度ほど河川水は下流に流れたり,上流に流れたりしているが,その河川水は15kmほどの間を行き来しているに過ぎないので,上流部の海水は蒸発により段々と塩分濃度が高くなってくるのである。そのため内陸部の河川水の蒸発を補うために,海水が海から内陸部に向かう逆流があるが,それは目で見えるものではない。いずれにせよ,上流部の10%の塩分濃度というのは相当な高さであり,そのためカオラックには塩田さえもあった。しかし,そのように塩分濃度が高い場所にも魚は泳いでおり,不思議な感じがした。海水魚は何%の塩分濃度まで生きられるのだろうか?

 

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カオラック付近で塩が溜まったタン地帯

 

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サルーム・デルタを行く

 

 

海況調査

 そこで,河川の塩分濃度や海水の流動などがサルーム・デルタで植林されるマングローブの活着率や生育速度にどのように影響を及ぼすか,またマングローブカキの養殖に際して仔貝の発生や生育にどのように影響を及ぼすかなどを調べるために海況調査を行ったのである。

 

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マングローブの足に沢山付くカキ

 

 

流速

 流速は潮位の変化に伴って,つまり月の引力に引っ張られて,最大の時が,1.2m/秒ほどで,満潮から干潮,あるいは干潮から満潮に変わるときには0m/秒であった。1秒に1.2mと言えば時速に直すと4.3km/時である。最も流速が早い時は,ほぼ歩く速さに匹敵して動いているから上げ潮の時はかなりの速さで満ちて来るという感じを持った。大雑把に6時間同じ方向に流れるとし,平均時速を最大時の流速の半分とすると一日の間に約13kmの間を行ったり来たりしているということになる。それで,ざっと15km/時と前述したのだ。多少は河口と上流域の水の混じり合いもあるだろうが,全体的にはそれくらいの距離の間の移動なので,河川水は13kmの間で停留していると言っても良く,強烈な太陽光にさらされ多量の水分が蒸発するので,上流域では塩分濃度が高くなるのである。

 

塩分濃度

 海水の塩分濃度は3.5%であり,これはどの海洋でも変わらない。日本の周りの海水の塩分濃度も3.5%である。乾期では,サルーム川の河口から約20km上流の地点で4.0%,河口から約110kmと最上流のカオラックでは10.3%,北の支流にあるファテッィクでは河口から約 80kmではあるが13.1%だった。雨期の塩分濃度は,乾期に比べると当然ながらどの地点でも低く,サルーム川の河口から約40km地点で4.0%,カオラックで7.0%,ファティックで6.5%に下がるのだった。

 この時ランドサットの衛星画像も用いて解析したが,乾期で塩分濃度の平均値が7.0%を越す地域ではマングローブの生育は確認が出来なかった。地上調査した結果もあわせると,概ね塩分濃度6%が,マングローブの生育限界だった。

 しかし,既に書いたように,村の古老というほどでもないが,住人に聴き込んだところでは河口から約90㎞上流のクール・ヨロ村では,今では塩分濃度は7.0%以上であるが,1970年代までは相当にマングローブが繁っていたというし,カオラックまでマングローブが繁っていたというから,クール・ヨロ村あたりでは5%以下,カオラックあたりでも乾期雨期平均で塩分濃度は5%程度だったろうと推定される。

 雨量データによれば,この地域の雨量は,1970年以前は700mm~900mm程度だったものが,その後400mm~600mm程度までに減少している。年間300mmの減少が,デルタ地帯上流部の塩分濃度をかなり引き上げ,マングローブの大消失を引き起こしたのである。地球温暖化の影響は既に1970年くらいから現れていると推測するべきであろう。

  本当にこの辺りに住む住民は,マングローブ林が消失したことにより,資源だけでなく,マングローブを利用した文化の継承もできなくなり,多大な迷惑を蒙っているのである。

 

海岸浸食

 前にも書いたように調査対象地域のムブールからサルーム川河口にかけての海岸線での海岸の浸食の状況について,ランドサットの衛星画像や航空写真を判読して,長期間の海岸地形の変化も調査した。それによるとアヴィセニアの植林試験を行った北部にあたるソモンから南部のポアント・サレンヌにかけては海砂を採取していたという人為的な要因によって海岸浸食が多く起こっていた。家屋の崩壊や田畑の消失等の被害も見うけられ,このような国では補償問題などどうなっているのか,おそらく被害を受けた人達は泣き寝入りだろうと思われた。

  一方,南部では波浪や強風による海岸侵食のため村落・樹林・田畑の消失等の被害が発生していた。また,パルマランからニョジョールの海岸線は全体的に30年間で100m以上後退し,半島は途中でちぎれて分離してしまったのである。

 

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サルーム・デルタ内にある村,バスール

 

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サルーム・デルタの村,ムンデの近くの水路

 

 

 

つづく

 

 

【森林紀行No.6 セネガル,マングローブ林調査編】 No.9

アヴィセニアの育苗と植林試験

 前述したように,この地域の主なマングローブの種類はリゾフォーラで,次に多く生育しているのがアヴィセニアだった。アヴィセニアはリゾフォーラよりも塩分濃度の高い地域でも生育が可能と言われており,このアヴィセニアの植林地の拡大を目指し,植林技術を確立しようと育苗と植林試験を行ったのである。

 

 

場所決めには決断力が必要

 何と言っても大変だったのは,試験地の場所の決定だ。これには決断力がいる。試験方法の決定なども大変と言えば大変であるが,他の試験方法なども参考にして,考えることにより決めることができるので多少は気が楽である。試験結果を左右すると思われる場所決めは,数ある候補地の中から,もちろん考えて条件を決めるが,条件に合うものの中から最後は決断力をもって選定しなければならない。

 そのため,調査地域内を隈なく調べ,といっても住民が住んでいる集落の近くで,マングローブ林が減少していて回復が必要な場所や試験調査が確保できる場所,人間や家畜の侵入がない土地でモニタリングのデータが取れる場所など,そういったことを条件にして,試験地を探った。

 候補地は多数あったが,植林を対象地内の広い範囲に拡大するために,対象地を西と東に分け西ではソモン,東ではサジョーガとンバムいう村を選んで試験をすることにした。

 

 

アヴィセニアの種子の発芽

 アヴィセニアにはソラマメのような種子が沢山できるので,自分で種子を採取し,私自身で発芽状況を調べた。

 種子を半日ほど水に浸すと種皮がはがれ,数日で子葉が開き,根が成長し始めることがわかった。私が採取した種子は全て発芽したため発芽率は相当に高いと思われ,かなり安堵した。

 その後,成長するかどうかはわからなかったが,発芽処理は必要ないし,発芽率も高いので植林試験も直播かポット苗を作って移植するか,また,その後の成長をモニタリングすれば良いので,試験方法も試験区の設定や植栽密度などを考慮すれば良く,うまく行くのではないかという予感を持った。

 

 

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天然のアヴィセニア(サジョーガ村)

 

 

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母樹(種子を採取)としたアヴィセニア(ソモン)

 

 

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アヴィセニアの花(ハチミツに非常に良い)

 

 

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アヴィセニアの種子。ソラマメのような形で多量にできる

 

 

 

試験を委託

 実際の試験は,西側をUICN(世界自然保護連合のセネガル事務所)と東側をWAAME(西アフリカ海洋環境協会)に委託して行った。

 

UICN

 UICNでの担当者は,誠実,几帳面で,寡黙ではあるが,緻密な試験を行うのにぴったりの人物だった。私はこの仕事を通じて,アフリカのセネガルにも日本人の研究者にも勝るとも劣らない優れた人間はいるものだと実際に驚いた。おそらく個人では人種が違っても能力は変わらないのであろう。社会や政治体制,歴史や文化といったものが,社会の発展段階に影響しているので,個人の能力が社会の発展段階により決められている訳ではないということは分かったが,能力が開花できるかどうかは社会の発展段階により制限されるだろうというようなことを感じた。

 UICNのこの時のセネガル事務所の所長が,以前に森林局の局長をしており,メンバーの中には,この調査の前からセネガルの別の仕事に携わっていたものもおり,彼らは旧知の中であり,仕事を委託し易く,信頼がおけた。また,この所長が私にはとてもしっかりし,誠実な人物に見え,時々細かな齟齬はあったが,良くやってくれた。

 ただし,事務所の次長は,かなり自己主張が強く,実質的にこの人が,我々の仕事の責任者になったので,かなり意見がぶつかった。とはいえ,最終的にはいつもどこかで合意に至ったが,議論に多くの時間をついやさなければならなかった。

 

 

優れていたUICNの担当者

 担当者は30才前後だったろう。とにかく,きちんと仕事をしてくれた。仕様書通りに,植栽後は毎週,苗が根付いてからは毎月報告を義務付けていたが,きちんきちんと正確に報告してくるのだった。というのも我々は,日本とセネガルを何回も往復していたので,セネガルにいる時は試験地を見ることができたが,日本にいるときは見ることができなかったからである。

 ある時,彼に聞いてみた。「あなたは,子供の時にはものすごく成績がよかったのではないか?もしかしたら神童といわれていたのではないかな?」「その通り。小学校の時にはいつも一番で,確かに神童と呼ばれていた。でも大学に入ったら普通の成績だった。」そんなものかなあと思ったが,それでは「十で神童,十五で才子,二十過ぎれば只の人」そのものではないかと思ったが,十で神童の片鱗を感じさせるほど良くできる人だと思った。この担当者の出身は,我々の対象地内で,基地としているフンジュンからも近いガーゲ・モディという村だった。

 

 

WAAME

 一方WAAMEは,フンジュンに事務所を持ち,この地域の発展を願い,我々の仕事の始まる数年前に立ち上げられたNGOだった。実際この辺りには,少人数のNGOが沢山立ち上げられており,さながらNGO産業林立地帯だった。それだけ海外からの援助が多かったのである。

 

 

英雄も地に落ちた

 さて,WAAMEの所長は最初,この地域の発展を思っているという熱い志をひしひしと我々も感じることができ,この地域の人々からも人望が厚く,さながら英雄のように見えた。しかし,前述したように多くの援助機関からの仕事でNGO産業が盛んというように,WAAMEも,他の援助機関からの仕事を引き受けていた。

 特に大きな仕事は,我々よりも先行して,同じ様に住民参加型のプロジェクトを行っていたEUのプロジェクトだった。EUのプロジェクトとはお互い活動する村がダブらないように調整を行った。また,EUの援助がWAAMEに車やコンピュータなどかなりの機材供与をもたらし,それらの機材を用いてWAAMEが活動していたので,我々の仕事もそれらの機材によりはかどるという恩恵ももたらした。

 そんなことでEUや日本からの援助でWAAMEは潤ったのである。そして所長は社長でもあり,何を勘違いしたか,自分が潤ったものだと思ったのだろう。イスラム教では4人まで結婚できるので,何人目の奥さんかはわからなかったが,新たに結婚をして,新婚旅行にガンビアに行ったりした。ガンビアは,セネガルに入り込んでいるような隣国で,我々の対象地域から近く,仕事に支障をきたすことがなかったのは幸いだった。また,ダカールに一軒家を借りて事務所を開いたりした。これで仕事はよりやり易くなり,WAAMEも発展していったのは良かった。

 しかし,技術者である社員たちが彼らの窮状を我々に訴えてきた。所長は,仕事が増えたのに技術者の数も増やさず,給料も据え置いているので,これではきつくて生活できず,仕事もできないので,技術者を増やし給料をあげてくれるように働きかけてくれといったようなことを訴えてきた。

 実際に技術者達のパフォーマンスも落ちてきて,技術者を増やす必要があった。それで,社内事情に首を突っ込むようだったが,我々としても契約通りに技術者を当てがい,契約通りの仕事が行われなければ,仕事がはかどらず大変なことになるので,所長には,我々の仕事は契約で行っているのだから,契約通りに仕事をするように再三申し入れ,なかなか改善されなかったが,技術者をスカウトしてきて徐々に増えて,パフォーマンスも良くなったが,給料は内部事情なので,はっきりわからなかった。しかし,雇った技術者への契約金が未払いで裁判を起こされるということも聴き,所長の周辺での評判も地に落ちてきたのであった。

 また,EUの担当者も多額の援助に見合う成果が得られないので,頭を抱えて困っており,我々と良く,意見交換,情報交換をした。

  UICNのところでも書いたが,社会状況が変わっても個人の能力は変わらないのだろうが,潤うと純粋だった人間も濁ってしまうというあからさまな例を見た。

 

 

好感が持てたWAAMEの担当者

 また,この仕事のWAAMEの担当者は,UICNの担当者と同じく30才前後だったろう。腰が軽く,現場にはすぐに行き,非常にタフで,良く活動し,とても好感が持てたが,デスクワークはあまり得意ではないようだった。しかし,人懐っこくとても善良な人間に思えた。試験を始めた当初は,きちんと報告されないことが多く,報告が遅れがちだった。これはオーバーワークの影響もあったが,中身が正確でないこともあったので,かなり注意した。

 どちらかと言えば所長に責任があるので,能力のある技術者の配置や,社業の改善を促すために所長と度々談判し,時にはつるし上げてしまったこともあった。それでも,所長は屁に河童という態度だった。

 そんなことから担当者には,報告のスタイルを,UICNのものをモデルにしたものを作ってやり,このように報告しなさいとそのモデルを渡してからパフォーマンスは良くなった。そして自分達で工夫し,試験地の看板を付けたり,より積極的にもなり,問題なく仕事をこなせるようになった。

  私は森林局の職員よりも一番技術的に力がついたのは,我々が仕事を委託し,技術的な指導を直接行ったUICNやWAAMEの職員だったなあと感じた。

 

 

 

試験地ソモン

 ソモンは前の紀行文で述べたようにダカールからも近い場所にあった。

 

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アヴィセニア試験地 ソモーヌと書いてある場所である

 

 

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ソモン試験地の近隣のアヴィセニア

 

 

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試験地

 

 

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ポット苗(何カ月苗が,活着率が良いかなどを比較した)

 

 

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ポット苗から移植

 

 

成長量を測る.jpg

成長量を測る

 

 

 

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ポットの中の根

 

 

 

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成長状況

 

 

 

アヴィセニア試験地

サジョーガ

 サジョーガは,フンジュンから舗装が剥がれた悪路をジロールに向かい,ジロールから未舗装の村へ通じる道路を約10?行ったところにある小さな村である。

 

 

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サジョーガの位置

 

 

 

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サジョーガの試験地

 

 

 

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サジョーガの苗畑

 

 

 

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塩分濃度を測る

 

 

 

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アヴィセニアの試験地の看板

 

 

 

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地上での苗木

 

 

 

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試験地

 

 

 

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苗木

 

 

 

試験地 ンバム

 ンバムは基地としたフンジュンから3kmほどと非常に近い村だった。この村はパイロットプロジェクトでもライフジャケットの製作販売(別に記す)をすることになった村である。

 

 

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試験地

 

 

 

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苗畑

 

 

 

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苗木(塩分濃度が高く,生育が困難)

 

 

 

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直播した試験地

 

 

 


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苗木を8ヵ月育てて移植した試験地

 

 

 

最終的な結果

 アヴィセニアの植林試験は約2年ほど行い,育苗方法や植林方法を確立した。直播かポット苗か,植栽地の地盤高や植栽時期,植栽密度や水流との関係,あるいは塩分濃度との関係などを明らかにすることができた。

 

 

つづく

 

 

【森林紀行No.6 セネガル,マングローブ林調査編】 No.8

マングローブ林調査(リゾフォーラ)

マングローブの文献を調査

 この地域にはマングローブは6種類あり,そのうち主要なものは,リゾフォーラとアヴィセニアという2種類だった。

 村での様々な活動計画を作成する前には,マングローブ林の現状を把握していなければならない。それには当然,マングローブ林の面積や資源量を把握する必要がある。

 アヴィセニアについては前に書いたように,資料も少なく,試験植林をして植林方法を確立することにしていた。一方,マングローブ林の大半を占めるリゾフォーラについては,分布面積や資源量は既に調べられているのではないかと思い,まずは文献を集めた。

 セネガル国内の森林局や大学,UICN(英語でIUCN:世界自然保護連合)などを調査してみるとどの機関でもマングローブ林の分布や面積を示した資料はあるが,材積を示す,つまり資源量を示す資料はどこにも見つからなかった。

 

 

ダカール大学を訪問

 調査では,マングローブ林の社会経済的な価値も算出することにしていた。つまり,マングローブ林の木材としての価値や海岸浸食を防止したり,水産資源をかん養したり,生態系を保護したり,二酸化炭素を吸収するといった目に見えない環境保全の価値を貨幣換算して算出することにしていた。

 そのため,資源量の資料なども含めて,環境の価値について,どのような考えを持っているかダカール大学の環境保護専門の教授を訪ねて意見交換をした。

 

 

教授に馬鹿にされ笑われる

 最初にマングローブ林の資源量のデータを尋ねたが,それらのデータはないということが分った。次に,マングローブ林が環境を保護している価値を貨幣換算する研究をしているか,あるいはその様な資料があるかを訪ねたところ,「何?環境の価値を貨幣換算?一体全体目に見えないものを推定できるわけはないだろう。」と一笑に付され,馬鹿にされてしまった。

 当時,日本では林野庁では既に森林の持つ水源かん養機能や土砂流出防止機能などを貨幣換算し,推定していた。

 この時のダカール大学の教授から受けた印象は,古いタイプの研究者ではないかということだった。つまり,象牙の塔に閉じこもり,自分の権威だけで生きているような人ではないのかなということだった。環境分野を専門とするなら当然フィールドにでて,調査をするものだが,どうもそのような印象は受けなかった。おそらく文献だけで,研究しているのだろう。それに自分が知らないことは,できないと片づけてしまえばそれでその先には進まない。

 

 

教授に落胆

 まあ,ダカール大学の教授に対してはひどく落胆した思いを思い出す。環境の価値だって貨幣換算ができるし,今はそのためのいろいろな方法が開発されている。そもそも森林では,そこに立っている木の材木の価値は,市場からいくらというはっきりとした価値が換算できる。しかし,立っている木が土壌を守ったり,水や空気を浄化する価値をいくらであると貨幣換算するのは,市場価値がないので換算するのは難しいが,大きな価値があるのである。

 例えば土壌を保護するのに治山ダムや砂防ダムの建設費に置き換えて推定もできるだろう。水なら水道料金に置き換えて推定できるかもしれない。マングローブ林の海岸浸食防止機能なら防潮堤を作ったとしたらいくらかかると置き換えることもできるであろう。実際には別な方法で換算したのであるが。

 ともかく,森林の環境を保護する価値などはすぐにはわからないから,その価値はただだと思われて開発されてしまうのである。これがいくらであると金銭価値で分ればもっと保護されるだろう。

 それはそれとして,マングローブ林の防潮効果,海岸浸食を防止する役目,魚介類を増やし,鳥を増やし,生態系を維持するのにどれだけ貢献しているか,本当に巨大な価値を持っているのである。

 ダカール大学の教授と話していて,偉そうにふるまっているだけで,何も知らないのではないかと当時,怒りがこみあげてくるのを感じていた。

 

 

マングローブ林を調査する

 資源量を示した文献はないことが分った。それじゃあ,自分で調べるしかない。限られた時間の中で,それを能率的に推定できる方法を考え,チーム(日本人調査団員とセネガル森林局職員)で協力し,調査することにした。

 

 

専用のボートが手に入る

 ちょうどその頃,最初の予備調査が終わった2002年の6月頃ではあるが,我々調査団専用のボートが手に入った。グラスファイバー製で長さ7mである。エンジンは40馬力の船外機である。エンジンは走るときのみ付け,係留時には取り外し,倉庫にしまっておくのである。これが調査におおいに威力を発揮した。

 

 

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専用のグラスファイバー製ボート。7m

 

 

出発前の心配は杞憂

 日本を出発前には,私はボートの係留はどこにするのか,係留場所があっても管理費にかなり出費しなければならないのではないかと心配していた。必要なら予算化しておかなければならない。何で心配したかというと,それは日本でのボートの管理には,係留しておくだけで,相当な管理費がかかるからだ。

 ところがセネガルに行ってみるとそれは全くの杞憂だった。最終的にはフンジュンのホテルを拠点に動くことになったが,このホテルには,ボートの発着用に50m程度はあるかなり長い桟橋も持っており,何台かのボートも浜に上げ,管理し,エンジン保管用の倉庫も持っているのであった。ボートの管理を頼んだところ,全くのただでしてくれることとなり,ホテルで専用のボート運転手も抱えており,我々専用に雇うこともできたのである。日本のように,狭い土地に集中して管理しているわけではなく,土地もあるので,だいたいが大雑把に物事は進んでいくので,いい面も悪い面もあるが,この時は非常に気が楽になった。

 

 

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ホテルフンジュンの浜でボート,倉庫でエンジンを保管

 

 

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ホテルフンジュンの桟橋

 

 

マングローブ林の調査

 そんなに時間があるわけではないので,標準的な箇所を数10カ所えらび,標本地を設定し,毎木調査をした。これがリゾフォーラの実態を知るのに大いに役立った。リゾフォーラの幹には節があり,1年に一つづつ増え,低木では林齢もわかり,樹高,胸高直径,材積,バイオマス量,成長量まで推定することができた。

 

 

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ボートでマングローブ林の調査へ

 

 

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樹高4-5mのマングローブ林

 

 

ドロドロの底なし沼

 場所によっては,川底が,ドロドロで,一歩入るとずぶずぶと腿まで入り込んでしまう場所もあった。一旦はまってしまうと抜け出すのが大変だった。また,そのようなところは悪臭もして,メタンが発生しているのではないかと思われた。実際にマングローブ林はメタンの生成能力があると推定されているが,その実態はあまり明らかではない。

 そうはいっても底なし沼の様な場所を歩くには体重が少なく足の裏が大きいものが,沈み方が少ないので圧倒的に有利である。一緒に行ったセネガルのフンジュンの営林署長は大きく体重は100Kg以上は,あったと思われる。我々が沈まない場所でも,彼だけがズブズブと沈んでしまい,手をかして引き上げることもあり,歩くのに苦労していた。

 

 

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川底がドロドロで体重が重いとズブズブと沈んでしまう

 

 

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いつもびしょ濡れになり調査

 

 

地下足袋

 我々はマングローブ林内を歩くのに日本の地下足袋を持って行ったが,これが非常に重宝した。セネガルの技術者用にも沢山用意し,持ち込んだ。彼らに地下足袋を配ったが,体型が違うので,ぴったり合わせるのが難しかった。というのは,セネガル人は足が長く我々のふくらはぎが彼らのアキレス腱にあたるくらいだったからだ。

 平均的にセネガル人は背が高かった。我々と仕事をしていた人の平均身長を180cmとし,我々日本人の平均身長を170cmとすると10cmは背が高かった。実際はもう少し差があったと思う。しかし,彼らが座ると座高は我々より低いくらいで,足の長さとしては,15cmくらい彼らの方が長かった。だから日本人のスネは彼らのアキレス腱くらいで,地下足袋をフックで止める場合,フックの位置を一番狭いところにしてもまだ,ゆるゆるの場合が多かったのだ。それでも彼らもマングローブ林を歩くときの地下足袋の素晴らしさを満喫していた。

 

 

大きなマングローブ林を調査

 リゾフォーラの樹高は,平均的には4?5mくらいであったが,人為の影響がなく,リゾフォーラが広く分布する海に近い河口などは,水が湧き出ているところもあり,そのようなところには,ジュゴンもいると言われていたが,大きなリゾフォーラがあった。

 大きなリゾフォーラは樹高が18mもあり,条件が違うと随分と成長が違うものだと思った。この大きなマングローブのある場所の塩分濃度は,海と同じで3.5%であった。サルーム・デルタでは淡水の流入がないため海水より塩分濃度が薄い場所はないのである。しかし,ジュゴンのいるような場所では湧き水が湧いていて,ひょっとするとその部分だけは塩分濃度が薄かったかも知れない。

 

 

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樹高の高いマングローブ林を調査。最高樹高は18m

 

 

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同上

 

 

樹高の高いマングローブ 同上2.jpg

 

同上

 

 

海に落ちる

 ある日大きなマングローブを調査している時に,行く時は干潮で,水深は1mくらいだった。ボートでマングローブ林に近づいて,マングローブの足に飛び乗り調査をしていた。かなりの時間を調査して帰るときに,へまをしてマングローブの足の上で自分の足をすべらせ海に落ちてしまったことがある。すると水深が2mほどもあり,全身が海の中にもぐってしまい,少し驚いたことがある。調査をしているうちに潮が満ちてきて水深が深くなったのだ。

 

 

歩くリゾフォーラ

 また,面白いことにリゾフォーラは歩くことができるのである。歩くといってもせいぜい数mであるが,そんなことも分かった。

 普通,鉛筆のような種子が浜や川底に刺さると,それが成長して主要な幹となる。しかし,多数の枝が出てきて,その先に乳首のように黒いポッチがついている枝と何もついてない枝が伸び,何もついてない枝は普通の枝となり,黒いポッチがついているものは下に向かって伸び,それが土に着くと足になり,根となるのである。その根がどうも自分が好む方向,だいたい塩分が薄い方向に向かって伸びて行き,主幹の位置もそれに合わせて変わっていくので,歩くことが分った。

 

 そんなことで,リゾフォーラの調査も無事終わり,マングローブ林の資源量が推定できたのである。それとともにリゾフォーラやサルーム・デルタの実態が分ってきて,調査は非常に役立った。やはり,調査は自ら経験し,体で覚え込むことが大切である。調査対象とするそのものや地域の実態を把握するためには,文献だけで分かるということは本当に分かるということではなく,自ら調査することが絶対に必要なことだと改めて思ったものである。百聞は一見にしかずということである。

 

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リゾフォーラの種子

 

リゾフォーラの種子 同上.jpg

同上

 

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リゾフォーラの種子の帽子。しばらくすると帽子が落ちる

 

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リゾフォーラの花。ミツバチが集まる

 

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リゾフォーラの花。プロジェクトでも蜂蜜生産活動を取り入れる

 

 

つづく

 

 

【森林紀行No.6 セネガル,マングローブ林調査編】 No.7

村での調査

 この調査ではサルーム・デルタ内の島と陸側に存在する多くの村,およそ100村くらいを調査した。一般的な社会経済状況はもちろんのこと,村での村民組織や主な生産活動は何かなど,今後のパイロットプロジェクトを行う村を選定したり,そのプロジェクトで行う活動を決めるため,村長などを中心に聞き取り調査をした。

 その中では,本当に孤立した村もあった。例えば,この辺りの村での使用言語は主にセレール語かウォルフ語であるが,それさえ通じない村もあり,村の言葉→セレール語→フランス語→日本語と私がインタビューする場合,三人の通訳を通さないと言葉が通じない場合もあった。ただ,セネガル人の同行者が英語ができる場合は,その人だけか,もう一つ,村の言語→セレール語→英語と二人に減る場合もあった。

  そんなことも最初は強く印象に残った。それにどの村であっても最初に訪ねた時が一番印象に残るものなので,そのうちのDiogaye(ジョウガイ)村とKour Yoro村(クール・ヨロ)を最初に訪ねた時のことを取り上げてみる。これらの村はパイロットプロジェクトで選んだわけではなかったが,とても印象に残っているからだ。そして今改めてまとめてみると,この仕事で作成した報告書では現れなかった,村人の生の声が聞こえてくるようで私自身が驚いている。また,私自身同じ人生を二度目に歩いているような気がしてならない。

 

 

ジョウガイ村

 ジョウガイ村を訪問したのは2002年2月9日(土)のことである。トゥバクータでボートを運転手付きで借りた。長さは15m程で,水路を上(北)に登り,幅が2?以上もあるジオンボスというサルーム川の支流に出てから,ジオンボス支流を下り,ジョウガイ村に着いた。トゥバクータから距離にして約20?。ボートは,時速20km程度はでるので,約1時間で島に着く。島に上陸し,しばらくタン(塩分が集積し,植生の侵入が困難な土地)を歩き集落に着く。

 

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サルーム・デルタの中でジョウガイ村の位置

 

 

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トゥバクータから上流へ向かうボロン(水路)

 

 

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ジョウガイ村のある島に到着して集落まで歩く

 

 

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集落に到着

 

 

 村に到着した後に,村長宅を捜し,村長に挨拶し,調査の目的など説明し,打ち解けたあとで,いろいろと質問した。

 

 

村長に質問

私 :村の沿革を教えてくれますか?

村長:この村はバスールの漁民用のキャンプ地だ。(バスールというのは大きな島にある大きな村で,村落共同体(郡のようなもの)の事務所もある。後にパイロットプロジェクトを行う村)

ここでは,ひい爺さんのころから魚を捕ったり貝を採ったりして,このような生活をずっと続けてきた。ひょっとするともっともっと長い間,この様な生活をしてきたのかも知れない。この出先の漁民キャンプで10ヵ月間過ごし、タバスキ(羊犠牲祭)の前後2ヵ月くらいはバスールに帰って過ごす。

 

私 :それではここの生業は漁業ですね。

村長:そうだ。魚,貝,エビを採っている。

 

私 :それらは自家用だけでなく,売ったりもするのですか?

村長:そうだ。ここに住んでいる者は少ないからほとんどの魚をソコン(調査地域の陸側の大きな町)に売りに行く。魚介類をソコンに売りに行ったついでに、ソコンから米とかミル(キビ)とかを買ってくる。ここで一番困っているのは水で、ソコンから買ってきている。

 

(注:この辺りの土地の標高は概ね1m?2mで,川(海水である)の水面よりも少し高いくらいである。後に別な村で,水がでるかと土を掘ってみたことがあるが,海水面よりも深く掘ると水が出て来るが,塩分濃度は低く0.1%くらいであった。しかし,0.1%くらいでも塩分があると,飲めるがとてもまずく,コーヒーを入れてもコーヒーがまずくなる。因みに海水の塩分濃度は3.5%である。掘った場所の周りが海水で,何で塩分濃度が高くないかは不思議であるが,雨水などが溜まる層があるのであろう。調査では塩分濃度をいつも計っていて,精密な塩分濃度測定器を持っていた。調査では‰を使うが,分かり易いように%で示す。)

 

私 :ソコン以外に売りに行く場所はありますか?

村長:ソコンに売るのは,塩干しした魚だ。鮮魚はアイスボックスに入れ,この辺りでは,ここからジフェールの間くらいに売り,ガンビア(サルームデルタの隣接する隣国)にも売っている。ここで取ったら,そのまま持って行って売る。取れたものは良く売れる。

 

私 :漁獲高は変化していますか?

村長:昔は,魚が多かったが、今は少なくなった。以前は村の入り口のボロン(水路)でよく取れたが、今は取れなくなった。

 

私 :マングローブ林が多いと魚が取れ,マングローブ林が少ないと魚が取れないという関係がありますか?

村長:漁獲高とマングローブ林との関係があるとは思わない。マングローブ林は増えていると思うが、漁獲高はむしろ落ちている。

 

私 :それではマングローブ林の状況はどうなのか教えて下さい。

村長:マングローブ林は,干ばつがあった時に減った。ここ6年間は雨量が増えているので、ボロンの水量も増え、マングローブ林も増えてきた。ここからみて川には中洲があるが段々と狭くなってきている。私が小さかった時は中州はもっと広かったのだ。それでマングローブ林が増えてこちら陸側に押し寄せてきているのだ。

 

私 :中州が小さくなって来ているから水量は増えてきていると思いますが,水量が増えたことによる影響が,村にありますか?

村長:村の土地の位置だが,昔は大潮でも浸からなかったが、今は大潮のときは水に浸かる様になった。

 

私 :それは困りましたね。住居には影響があるのですか?

村長:住居まで水に浸ることはないが,以前水田があった場所が水に浸かるようになり稲作ができなくなった。

 

私 :このあたりに見えるのはリゾフォーラですが,アヴィセニアもありましたか?

村長:アヴィセニアは昔もっとあったが,最近はリゾフォーラが増えた。

 

私 :マングローブの材は何に利用していますか?

村長:家の柱や屋根の梁だ。その他枯れ木を薪で使っている。アヴィセニアの根は魚網直しの道具として使っている。リゾフォーラの幹を伐ると横に枝が張り出し、途中からそれがまた上に伸び幹のようになる。こういう幹は使い勝手が悪い。

 

私 :村の人口はどれくらいですか?

村長:だいたい60人くらいだ。老若男女全部合わせてだ。家族は10家族くらいだ。もう少し多いかもしれない。人口は,ここ最近変化していない。

 

私 :子供達の教育はどうしているのですか?

村長:コーランの学校があり,そこで教えている。といっても学校の建物があるわけではない。家の外や軒下などで教えている。先生はジャンバンという村から来る。

 

 この様な感じで質問していき,村を見せてもらい,このジオンボスの大きな水路は塩分濃度3.7%であり,マングローブは天然性のものが多くあり,この村には植林する場所もないということが分って来た。

 

 

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ジョウガイ村の子供達

 

 

ボラを日干しにしている.jpg

ボラを日干しにしている

 

 

クール・ヨロ村

 クール・ヨロ村を訪ねたのは2002年2月20日(水)のことである。クール・ヨロはフンジュンから約20kmほど東に位置している。村の北側にサルーム川が流れており,その上流には大きな町カオラックがある。この日は,フンジュンを拠点に活動し,この後我々の活動を委託するNGOのWAAME(West African Association for Marine Environment)の技術者も同行していた。

 

 

クール・ヨロ村map.jpgのサムネール画像

クール・ヨロ村の位置。フンジュンから東に約20?。サルーム川の支流に面している。

 

 

 

インタビュー

 村につき,村長のIsmaela Saw さんと村の技師と称したSeydou Ndiayeにインタビューした。マングローブや村落林について聞いたので,答えたのはほとんどSeydouさんだった。

 

私 :川沿いにリゾフォーラの植林がわずかにみられるが,いつ植林したのでしょうか?

村人:2000年に0.5ha,2001年に2.0ha植えた。

 

私 :このあたりは塩分濃度が高く(6?7%くらいだった)リゾフォーラもようやく生きながらえている程度に見えますが,活着率はどの程度ですか?また,リゾフォーラ以外の種類も天然にありますか?

 

村人:最初に天然のマングローブだが,コノカルプス(マングローブの1種。非常に少ない。塩分にはアヴィセニアよりも強いと言われている)がわずかにだがある。大潮のときにしか海水がこない場所にある。もう一つの種類のラグンクラリアはフンジュンからこのあたりにはない。

リゾフォーラの植林木の活着率だが,川が巻いていて島状になったところでは活着率は,90%くらいある。しかし,樹高はたったの50cmくらいまでしか成長しない。こちら側の川沿いに植林した場所では全滅した。植林したのは砂地だったが,砂地はどこもだめである。

 

 その後,ずっと観察を続けていると,リゾフォーラもアヴィセニアも生育できるのは塩分濃度では6%くらいまでだとわかってきた。6%くらいが限界だとほぼフンジュンくらいまでは生育が可能でそれより上流での植林は難しいことがわかってきた。

 

塩分濃度が高く.jpg

塩分濃度が高く,リゾフォーラの植林はほとんど失敗。

白く点々と見えるのはフラミンゴ

 

 

村落林

 その後,村落林を見に行った。村落林にはユーカリが植えられていた。植えられていたユーカリは,かなりが活着していて,このように塩分濃度が高い土地にもかかわらず,素晴らしくうまく植林できたと思えた。この土地はタンであるが,タンに植えても活着しているのである。植林前はタンで,草もなかったといっているが,今では,ユーカリの周りにも草が生えているのである。植林地を有刺鉄線で囲い、1区画を200m×1Kmで区切り全部で10区画ある。よく管理されている。ほとんどがユーカリであるが、良く見るとメラリュウカとアカシア・オロもある。樹高は8?10m,胸高直径は5?10cmくらいである。メラリュウカの見た目はユーカリと似ており,同じフトモモ科でオーストラリア原産,実際そっくりな樹種である。

 

 

WAAMEの技術者の話

 ここで同行したWAAMEの技術者がタンには2種類あり、1.タンビフ(草も何も生えていないところ)と2.タンエルヴェ(草が生えているところ)と教えてくれた。また,ユーカリはカマドゥルレンシスで,ユーカリよりメラリュウカの方が塩分に強いとのことである。

 

 

以下,村長と村人の話


植林地→この土地に植林したのは,不毛のタンの土地を活用したかったからだ。ユーカリを植える前はわずかに草が生えているような土地であったが,このタンビフにもタンエルヴェにも植えた。土地は10区画に分けて植林した。

 

川は潮汐により干満差があるので,現在も水位計が埋めてあり水位を計測している。植林したのは1992年(この時2002年だから植林後10年である)で,2年間で10ha植えた。植林間隔は4m×5mで最初は75%が活着した。今は65%が活着している。何でわかるかといえば毎年数えているからだ。当初,25%は補植したが,現在は捕植しなくても大丈夫なので捕植はしていない。

 

援助→最初の年はOSDILというNGOが援助してくれ,2年目はCRAEDというNGOが援助してくれた。OSDILは内部で揉め事があり、分裂し、それでCRAEDが新しくできたのである。OSDILはAfrican Found Development(アフリカ開発基金)が基となって作られた。

 

 OSDILは最初この周辺の13村を対象にユーカリ植林を募ったが、住民参加により植林をするので,住民の合意ができない村が多く、参加したのはこのYORO村とKeur Renam (=Keur Djindak)村の2つだけだった。

 

 有刺鉄線はOSDILが専門家をつれてきて張った。

 

住民の参加→Yoro村では,子供も含めて住民の全員が植林に参加した。毎週,月曜日と木曜日に子供も参加し,植林した。Keur Rnam村は参加者が限られていたようである。

 

植林方法→最初に苗畑で苗木を作った。ポットに種を蒔いたものと、播種床に蒔き発芽したものをポットに移植したものと両方を作った。両方ともうまくいった。淡水がないので、女性達が隣村の井戸で水をもらい運んだ。植林は1992年7月12日から9月9日まで行い,50人で800本?1,000本/日を植えた。土が固くて、雨期でもつるはしを使って植えた。

 

植林後の影響→土壌が改良された。植林地の前(浜側)も後ろ(陸側)も土壌が良くなった。以前は水を得るのが難しかったが、今では井戸を2mも掘れば水が得られるようになった。

 

伐採→昨年始めて伐採した。伐採木は棒材にして村内、周辺の村に売った。売上金はわずかではあるが、銀行に預け、村で何かのために資金が必要になるまで下ろさず溜め続ける。

 

今後→ユーカリは萌芽をするので,森林局から援助される苗木には頼らない。植林を増やすときは自前で苗畑を作る。(この時,私はなぜ森林局に頼らないかよくはわからなかったが,村長は自立をなぜかこだわった。役所を信用していないような雰囲気だった。)

 

村の組織→森林管理委員会(Comite de gestion)がある。植林地の監視は,有刺鉄線の管理で15人の男性が行っている。(後の私の観察では,人や家畜の影響を避ければ,かなり早く森林の様相を呈するようになる。)

 

村落林の拡張→財政支援があればもちろん拡張したい。

 

ユーカリの薪→ほとんどとらない。時期を決めていて,その時だけ女性が枯れ木を取る。

 

 

整然と植林されたユーカリ.jpg

整然と植林されたユーカリ

 

 

植林地は有刺鉄線で囲い保護.jpg

植林地は有刺鉄線で囲い保護

 

 

白い土からタンの土地に植林.jpg

白い土からタンの土地に植林されたことがわかる

 

 

 

再びマングローブの話

 

マングローブの状態→今ここでは全くマングローブが見られなくなってしまったが,以前は水面にもぎっしりとマングローブがあった。集落から川まで達するにはマングローブを伐って通路を作らなければ行けないほどだったが,今はまったくなくなってしまった。

 今のユーカリの村落林の半分くらいまではマングローブだった。(およそ200m?300mくらいの幅)タンの一部はマングローブが生えていたしタンにも草が生えていた。

 

 (川の塩分濃度がこのあたりは,この時点では6?7%であったが,その昔は4?5%程度ではなかったかと想像される。ということは上流から淡水の流入があったか,あるいは雨量がもっとあり,塩分濃度が今より薄かったということである。こういう話を聞くと自然の気候の変遷の不思議さを感じる。)

 

干ばつ→1966年から始まった。1973年くらいからマングローブが激減した。この村の上流の町カオラックの方から徐々になくなり、1980年頃からほとんどなくなった。Rhizophoraは完全に消え,Avicenniaが少し残った。回復傾向はまったくみられない。(観察したところでは砂地では回復は無理)

 

砂地→川沿いは,昔は砂地ではなかった。粘土質であった。以前はマングローブが沢山あり、砂が流れてくることはなかったが、砂が堆積し、川が浅くなった。カオラックの方から流れてくる。それから最下流のサンゴマールが決壊して,その後それまでみられなかった魚がみられるようになった。

 

マングローブの利用→昔は棒材の材料として良く利用したが今はできない。また,マングローブの足にはカキが良く着くので,カキを採りよく食べた。今の若者はカキの味を知らない。

 

マングローブ植林の動機→年寄りから以前はマングローブが沢山あり、マングローブがあると魚も多くカキもあり良かったという話を聞いたので,実際そうだと思い、マングローブ植林を始めたのであるが,うまく育たない。

 

  このような調子で100以上もの村を調査したのであった。

 

 

つづく

 

 

 

【森林紀行No.6 セネガル,マングローブ林調査編】 No.6

伝統的病院や半島から分離した島

伝統的病院

 セネガルには伝統的病院があると聞いた。それは面白い。もしかすると魔術師がいて,祈祷や呪術を行うのかもしれない。セネガルに近いベナンに派遣されていた同僚が,ベナンでは祈祷師が魔術をかけると,その魔術はかけたその祈祷師以外は解くことができないのでやっかいだと言っていた。実際にその魔術をかけた例として,ある生き物に似た姿に変えられてしまった人の話を聞かせてくれたが,偶然が重なったのか,にわかには事実とは信じられないような話があるのだった。そんなことで,セネガルでも似たような話があるかもしれないと期待を持って,訪ねてみたが,ちゃんとした病院だったので,少し拍子外れであった。

 

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伝統的医療検査センター。PROMETRAというNGOが運営している伝統的病院。

 

病院にかかっていた説明.jpg

病院にかかっていた説明

 

 何故,伝統的病院を訪ねたかというとマングローブを漢方薬の様に利用していて,マングローブの需要が開拓できるかも知れないと思ってのことだった。訪ねたのは,2002年1月29日(火)のことである。病院は,ファティックにあり,名前はMarango(マランゴ)と言った。

 

 

医師にインタビュー

 ここでは,このセンターに勤務している現代医学を学んだ医者にインタビューをした。このセンターには伝統的治療師が13人いるとのことで,続いてセンターの沿革を聞いた。

 このセンターは,1989年にでき,エリック・ホドスーというベナン生まれのセネガル人が作ったとのことである。この周辺は4つの郡と15のコミュノテールーラル(村がいくつか集まった村落共同体)があり,そして驚くことに,その中に450人もの伝統的治療師がいるとのことだった。その中で医者としての技能が本当にあるかどうかを調査したところ,これまた驚くことに全員が医師としての能力を持っていることがわかったとのことである。

 

 

病院の実績

 この病院では,患者にはまず血液検査を行い,データを調べてから治療を開始するとのことである。なんだ,近代医学ではないかと思ったが,1989年?2000年までの12年間で,この病院の患者の96%が直り,2%が改善し,2%が悪くなったとのことで,合計でいえば98%が良くなったとのことである。

 どのような病気か病気の程度も詳しくは聞けなかったが,血液検査でマラリア原虫数を数えていることから,主にはマラリアや風邪のような軽い病気で,マラリアが軽いかどうかは一概には言えないが,相当な成果である。ここには入院設備はないとのことだった。

 

 

周辺の伝統的医師

 この周辺4つの郡に散らばっている450人の治療師は,代々治療師の家庭で育ち,専門的な知識を受けついでいるとのことで,骨折も含めあらゆる病気を見ているとのことである。例として,マラリア,のど痛,頭痛,歯痛,耳痛,かぶれ,血圧等を挙げた。

 

 

マングローブの利用

 我々の目的である,マングローブの医学的利用について聞いたところ,マングローブの根を煎じて飲めば解熱ができ,また,精神的な病にも効くとのことだった。また,タバコを止めるのには,マングローブの葉を乾かし,赤くなったところで,その葉を煎じて飲めば非常に良く効くとのことだった。また腹痛は,緑の生きた葉を煎じて飲めば良いとのことだった。

 マングローブの種子は,お湯で煮立て,そのお湯を濾して歯の治療に用いることができ,飲めば虫下しとして利用できるとのことだった。また,根は,男性には精力剤,女性には産後の回復に利用できるとのことだった。

 

 マングローブは成長が遅いため材は重く,比重は1.0以上もあり,樹皮を剥くと形成層あたりが赤く,鉄分やタンニン,それに他の薬効の成分を含んでいるだろうということは,容易に想像できる。

 

  医師達は,呪術によって直すことはなく,マングローブの漢方薬的利用による,いたって近代的な病院だったのは,少しがっかりだったが,伝統的病院への信頼性が向上した点は良かった。

 

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伝統的病院の医師達

 

 

半島が分離し島となった場所 サンゴマール

 伝統的病院を訪問する2日前の2002年1月27日(日)には,繋がっていた半島がちぎれたジフェールという村を調査した。

 

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Djifferと下のサルームデルタ国立公園と書かれている場所は繋がっていて半島だった

 

 にわかには信じがたいことだが,この村のサンゴマールという場所で,陸続きだった半島がちぎれ,島として孤立してしまったということである。おそらく潮の流れにより砂が流されたり,堆積したり,かなり長い年数の周期で分離したり,繋がったりするのだろう。

 

 

ジフェール村へ

 ジフェール村までは,この村の北にあるパルマランという村から歩いて行った。ジフェール村へくる途中の海岸線にはポツポツと大きなアヴィセニアがあった。アヴィセニアは普通,群落で存在しているものなのに,孤立して存在していたのは,潮の流れが変わったので,多くは枯死し,強いものだけが生き残っていたからであろう。

 

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パルマランからジフェールへ。ポツポツとアヴィセニアが残っている

 

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枯れて残っているアヴィセニアの根

 

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ジフェールの村。村の前の海岸線はゴミ捨て場となり,ポリ袋が散らかり汚い。

 

 

村の有力者にインタビュー

 ジフェール村に着いてこの村の有力者という人に出会ったので,インタビューをする。この人の話。

 

 「ジフェールの村ができたのは,1937年である。当時,半島は繋がっており,半島の先端まで歩いて行けた。1983年のことだが,高潮があり,半島が分断された。今は海中にあるが,あの海の下にはキャンプモン(簡易な宿泊施設,ホテル)が沈んでいる。当時は,マングローブを見た記憶はない。切れた半島から約3Km先に水産物の加工工場があった。それも1992年の2回目の高潮で,流され海に半分沈み込み,半島は完全に分離した。あそこに傾いた工場が見えるだろう。この時にはマングローブは10m幅くらいで,既にあった。」というようなことを語った。

 

 確かに沖合の海に半分ほど沈み,傾いたビルが見えたが,残念ながらこの時の写真が見つからない。

 

 

マングローブの利用を聞く

 マングローブで利用している種はリゾフォーラで,長さ3mで直径は3cmくらいの細いものを屋根の支え,梁として使っているとのことだった。また,サンゴマールの砂州が崩れて以来,サルーム川にはエトマローズ(ニシン科の魚)が大量に生息するようになったとのことである。

 

 マングローブの木は村の対岸から取ってきて,それを魚の天日干し台の支えや魚の燻製台として利用しているとのことである。魚の燻製にする薪はマングローブも混じっているが,バオバブも利用しており,バオバブはこの辺りにあって,枯れた枝を利用しているとのことである。

 

  マングローブは森林局の許可がないと伐採できないからとのことだった。村には薪を集める係りの者もいて,燻製を行うには馬車2杯分のマングローブの木がいるとのことだった。

 

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漁村にもヒツジはのんびりと過ごす

 

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採った魚をさばいている

 

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魚の天日干し

 

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エトマローズの燻製

 

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エトマローズの燻製台

 

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エトマローズの燻製に用いているマングローブ

 

 プロジェクトでは,後にエトマローズの燻製用のかまどの改良を行うことになるが,最初にここで見たことがヒントになった。魚をみると燻製というよりも単に焦がしているだけである。それでも相当の日持ちがするようになり,ギニアやギニアビサウに売りに行くことができるのだが,あまりに効率が悪いので,燻製改良かまどの導入することにしたのだ。この話はまた後に述べる。

 

 

セネガルもサッカーきちがいの国

 話は,マングローブではないが,ジフェールに来る前日の晩はソモンのクラブバオバブ(Club Baobab)というホテルに泊まった。ここはセネガルでは高級なリゾートホテルだった。内容的には高級とはいいがたいが,しかし,ダカールからも近いために,セネガル人の富裕層が多いようだったが,外国からの観光客やダカール在住の外国人らしき人も週末にリラックスしに来るようで,この晩はホテルは満室に近かった。

  この晩は,サッカーのアフリカカップの予選リーグがあり,セネガルが終了間際に1点を取り,ずっと相性の悪かったザンビアを下し,決勝トーナメントに進んだのだった。ホテル従業員は,得点をしたときに大歓声を上げ,大喜びでダンスを始めるほどだった。

 

 

 

つづく

 

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