増井博明の森林紀行エッセイ

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【森林紀行No.6 セネガル,マングローブ林調査編】 No.2

いざ,セネガルへ

 前回,最初のセネガル訪問前の準備では,大きな不安感を持っていたことを書いたが,到着してみれば,セネガルの森林局の職員達の受け入れは暖かく,今後この人達と共同で仕事を,うまくやっていけるだろうと思わされ,一安心したのであった。それもそのはず,メンバーには,マングローブの調査のだいぶ前から始まっていた北西部の海岸線の砂丘での植林の仕事に携わってきたものが半分近くもおり,この国の森林局の多くの職員等とは旧知の仲だったからである。

  さて,順に書いていくと最初は,どうしても旅行のことを書くということになってしまうが,ここでも同じように旅行から書いて行く。

 

東京からパリ間

 とりあえず,往きについて書こう。最初の出発は,2002年の1月14日(月)のことだった。昼過ぎに東京を発ち、同日の夕方18時くらいにパリに着いた。この路線は,1990年代にモロッコの仕事で,何回も往復しているので,新鮮味はなかったが安心感があった。

 冬なので,パリの日暮れは早い。暗闇の中の到着である。夏であれば,逆に22時くらいまでは明るいので、何となく安心感があるが,暗いとやや不安感が湧く。

 また,冬の出発は日本やパリでは,寒いので冬服にコート,セネガルは熱帯で暑いので,夏服と両方持っていかなければならず,また,ずっと冬服を保管しておかなければならないので,荷物は増えるわけである。

 

 飛行機はエアフラかジャルを使っていたが、エアフラの方が食事も良いし、アテンダントも洗練されているような感じがする。エアフラのアテンダントは男性も多いが,日本語も話すし,感じが良い。

 

 飛行はだいたい安定しているが,冬に行った何回目かの訪問の時は,偏西風が強く,東京からパリまでの間、ずっと小揺れが続き、時々大きく揺れ,うつらうつらすると揺れで起こされ、ほとんど眠れない時もあった。

 

 また、冬のある時は、パリが雪で空港が一時閉鎖になり、降りられず,緯度はパリと同じくらいだがフランスの東の町,ストラスブールに降りてしまい、どうなることやらと思ったことがあった。この時は,同僚とパリで待ち合わせていて,翌日一緒にダカールに行く予定だった。パリの到着が一日遅れると関係者への予定変更の連絡などであたふたしなければならないなあと思っていたところ,3時間ほどストラスブールに待機した後に,パリに向かい飛んだので事なきをえた。

 この時スチュワーデスに聞くと,「300人もストラスブールに降ろし,翌日パリに行くとなるとエアフラとしてもホテルや食事代の負担が大変だから,パリの空港も雪掻きを急いでいるはずで,きっと飛ぶわよ。」と言っていたのを思い出す。そのとおり,飛んだのでよかった。

 

有名テニス選手が同じ機内に

 また,その時東京からの機内には、当時,女子テニスで有名だったオーストラリアのドキッチ選手が乗っていた。コーチか恋人らしき人と一緒であったが、パリの空港で荷物を取る時に時間があったので,待っている間に話かけてみた。テニスのコンディションなどきさくにいろいろと話してくれた。すっかり大ファンになったが,トップへは今一歩のところだった。

 

シャルルドゴール空港

 以前にモロッコの仕事をしていた時からシャルルドゴール空港を利用しているので,空港の構造はだいたい分かっていたが,いつも案内に行って聞かないと,目的の出口に着けないのであった。たまに通過するだけなので,たぶん一時的に方向音痴になるのであろう。モロッコの時には,所々で工事をやっていたし,このころにも拡張工事をしていた。

 

同僚とも会える

 ストラスブールに降りてしまい,到着が遅れたが,夜遅く同僚とも会えた。待ち合わせ場所は,その同僚の友人がパリ市内でオーナーシェフをしているレストランとした。飛行機が遅れた関係で,私は待ち合わせ時間より遅く,そのレストランに着いたのに,その同僚がまだ来ていなかった。しばらくしてその同僚が着いたが,一体どうしたのか聞くと,地下鉄を乗り間違え,別な場所に行ってしまい,戻ってきたので,時間を食ってしまったとのことだった。その同僚はフランス語でも食べて行けるほどのフランス語の実力の持ち主で,パリにも詳しいのだが,地下鉄の路線を間違えてしまったのだ。もっともパリに住んでいるわけでもなく,たまにパリの地下鉄に乗ったのでそういうこともあろうと思った。我々でも東京の地下鉄を間違わずに最短距離で目的地に着くのは難しいくらいだから, パリの地下鉄も同じように複雑に入り組んでいるので最短で行くのは難しいのだと思ったものである。

 

パリの市内

 パリからダカールに行くには,エアフラを使っていた。東京からの便がパリに夕方着き,パリからダカールまでの便が,夕方に出発するので,同日には乗り継ぐことができないので,パリにはほぼ一日滞在することになる。だいたいは,パリ市内の中心付近のホテルに泊まり,パリ市内をいろいろ見学することができた。

  冬はすぐに暗くなるので,良さそうなレストランなどを捜し,時には予約をしておき,食事を楽しみ,夏はいつまでも明るい夜をカフェーでパリの雰囲気を味わった。パリから出発までの時間は,これから始まる大変な日々に備えて,英気を養うことができたのだ。

 

パリ市内(2002年1月).jpg

パリ市内(2002年1月)

 

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同上

 

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食事を楽しむ

 

エッフェル塔の近くで(2002年10月).jpg

エッフェル塔の近くで(2002年10月)

 

パリからダカール間

 この間の直行便はエアフラだけだったと思う。時には出発が遅れることもあったが,だいたいパリを16時半くらいに飛び立ち,ダカールに21時半くらいに着いた。時差は東京とパリ間が夏は7時間,冬は8時間。東京とダカールは一年中9時間だ。パリとダカール間の実質の飛行時間は6時間くらいだ。

  東京とパリ間ではリラックスした時間を送れるのだが,ダカールに向かってパリのシャルルドゴール空港に着いたあたりから,さあ仕事だと,あれこれ頭の中で段取りを考え,段々とプレッシャーがかかってくるのだった。自分でかけているのかもしれなかったが,また,周りのメンバーも同じような状態だったからお互いにプレッシャーを掛け合っていたのかもしれない。今はたまに観光で海外旅行に行くことがあるが,この気楽さに比べて,仕事の時は常に仕事のことばかりを考えており,余裕がなかったなあとつくづく思う。

 

ダカールの空港

 さて,ダカールの空港は,2002年に最初に到着した頃は,古い空港だったが,その後,長い間改修をし,本格的な調査が終わる2009年頃には改修が終わって,新しい空港に変身した。

  最初の頃は,空港での手荷物検査が済んで,空港の外に出ると,多くの無許可のポーター達がたむろしていて,ごった返していた。いつも到着するのは真っ暗の21時?22時くらいで,ダカール独特の生暖かい?生暑いくらいの気怠い空気が漂っていた。ダカールが海に突き出した半島なので,湿気が多く,暑さもそれほどでもない。しかし,この気怠い空気のなかでも緊張を強いられる。ポーター達は,荷物をかってに持っていってしまい,車はどこだと,金をせびるのである。彼らにはこれが生活の糧だから,それはそれとしてかまわないが,こちらは,荷物をかっぱらわれては,困るので油断もすきもあったものではなかった。空港の改修後は,この状態はかなり改善されたが,全く改善されたわけではなかった。

 

ロストバッゲッジ

 到着した人が乗っていた便で,持って行ったスーツケースが一緒に着かないのが,数日後には着くのだから,一時的なロストバッゲージというのだろうか。私もチームメンバーもこの被害には度々あった。

 

最初に同僚のスーツケースが着かなかった時

 最初にセネガルを訪問した時は,我々のチームは人数が多かったので,全部で15個くらいスーツケースを持って行ったが,全部無事着いた。それから一カ月ほどして,河川や海の塩分濃度など海峡調査をするメンバーが,着いた。その時,そのメンバーが持って来たスーツケースが着かなくて困った。毎日同じ時間に空港に通って3日目にようやく着いた。主要な機材は,最初に来た我々が持って来ていたが,その彼も他にも必要な機材を持って来ていたので,3日間心配させられたが,事なきを得て良かった。

 

  その時,分ったが,いくつかのスーツケースは着かないのが当たり前で,ダカールの空港には,スーツケースが着かなかった人のための窓口が設けられていて,日本円にして数万円程度,当座の補償金として,渡されるのであった。この当時,パリの空港ではアフリカ便の荷物を重視していなかったということなのだろう。

 

大事な書類が入ったスーツケースが着かなかった時

 チームでは東京とセネガル間を何回も往復しているので,少なからず,ロストバッゲージにあった。私も機材も含めて持って行った3個のスーツケースが着かなかったことがあり,補償金がもらえて,素早い手続きは,良かったが,翌日森林局で,協議するかなり分厚い資料を相当数持って来ていたので,大いに困った。

  その資料がなければ,仕事を進めることが難しかったため,植林の仕事で,共同で仕事を進めている会社に頼み,深夜からコピーを取らせてもらい,事なきを得た。原は手持ちで持って来ていたので助かった。結局ホテルに入ったのは朝方で,翌日は徹夜状態で会議をしたが,到着直後で,時差のため眠気はなく大丈夫であった。この時は,翌日この3個のスーツケースが着いた。日本での準備がくたびれ儲けで終わり,腹立たしかった。

 

ロストバッゲージのスーツケースが着いた時の喜び

 その後もスーツケースが着かなかったことがあった。到着翌日,夜パリからのエアフラ便が着く時間に空港に行って待機していたが,やはりその日も私のスーツケースは着かなかった。非常に腹が立ったが,どうにもならない。同じ様に昨日荷物が着かなくて,空港に荷物を取りに来ているひとが数十人いた。中には荷物が着いて,ほっとし喜び勇んで帰る人もいた。最後の荷物が出てくるのを見届け,私のスーツケースが届かなかった時は,どん底まで落とされたようで,本当に落ち込んだ。2日も着かないと,本当に無くなってしまったのだろうか?と疑心暗鬼になる。がっかりして,ホテルに戻ろうと思ったところ,空港の職員に殴りかかろうとする英語でしゃべっているアメリカ人らしき人がいた。昨日到着して荷物が着かなかったのに何で今晩も着かないのだ。どうしてくれると息巻いている。周りの職員がまあまあとなだめて,その日は,どうにかそれで収まった。私の気持ちだって同じだった。

 翌日また,夜同じ時間に行くと,昨日息巻いていた人もいた。するとこの日は,その人の荷物も私の荷物もでてきた。私はほっとした。その人を見ると,昨日殴りかかろうとした職員に抱き着き,飛び上がらんばかりに喜んでいる。そして,「Thank you. Thank you. Thank you very much.」と何事があったかと思わんばかりである。

 なるほど,人は敵から不幸のどん底に落とされたとしても,また,その敵がどん底から救ってくれるとなると,敵に対しての怒りも喜びに変わり,とてつもない感謝をするものだと思ったものである。重ねて書くが,昨日も今日も正直私の気持ちは,このアメリカ人らしき人と同じであった。

  こういった人間の心理を利用し,はるか昔から,これに似たような懐柔策を使って,人間が人間をコントロールしてきたことは多々あったなと思ったものである。

 

 

 

つづく

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