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【増井 博明 森林紀行No.7 アラカルト編】 No.28_ボツワナ共和国

森林紀行

筆者紹介




ボツワナでゾウに脅かされた話

【ボツワナへ】
 ボツワナへ行ったのは、2003年の9月下旬から10月初旬にかけてのことだった。目的は、ボツワナの林業と森林状態を調べ、どのような協力ができるのかを調べることだった。それはそれとして今回の話はチョベ国立公園でゾウに脅かされた話だ。

アフリカ大陸の南部に位置するボツワナ共和国

 成田から香港で乗り換え、南アのヨハネスブルクに向かった。飛行機の隣席はイギリス人の若い女性で、私がいろいろ話かけても最初は静かだったが、話すうちにだんだんと打ち解けてきて、会話がはずみ、南アにいる恋人に休暇を利用して会いに行くのだと、当てられっぱなしだったが、良い思い出だ。隣席に誰が座るかわからないが、私は誰とでも良く話したものだった。 ヨハネスブルクの空港で、別の国から飛んできた同僚と落ち合い、ボツワナの首都ハバローネに向かった。ボツワナの仕事が終わった後はハバローネの空港で、その同僚は別な国の調査へと向かい、私はヨハネスブルクに戻り、そこで、また別な国から来た他の同僚と落ち合い、次に調査するザンビアに向かったのだった。

【私の状態】
 私の状態と言えば、ボツワナの東の国ジンバブエで肝炎を患い、回復してから約3年が経っていた。まだアルコールは全く飲めなかったが、普通に活発に活動できる状態だった。このころは世界中を股にかけて飛び回っていたような感じだったが、ジンバブエで肝炎を患う前の怖いものなしの状態から、健康と治安には相当に気を使うようになり、慎重に行動するようになっていた。

【首都ハバローネ (Gaborone)の森林局】
 首都のハバローネのスペルの最初にGが付くのが面白い。ツワナ語と言う現地語だそうだ。「悪くはないんじゃない」くらいの意味のようだ。 ボツワナの森林局を訪ねた。森林局の地図部門には、「CUSTOMERS WE DON’T GIVE INFORMATION IN MAP SALES BUT INSTEAD, WE SELL THE INFORMATION.」(お客さんへ 我々は地図を売って情報を与えているのではなくて、我々は情報を売っているのだ。)としゃれたことを書いてあった。つまり、地図は単なる図形ではなく、様々な情報を読み取れるのだよと言っているのだった。

農業省の下にある森林局
地図局の入り口の文言

【何となくクリーンな印象】
 私が調査したことがあるジンバブエ、ザンビア、モザンビークなどボツワナの周辺の国の森林局の上層部には相当に、うさんくささが漂っていたが、ボツワナではその匂いを感じなかった。アフリカ諸国は援助付けでもあるし、これは先進国にも問題があるのではあるが、構造的に汚職を生む土台がそろっているので、この問題を取っ払うのは難しいだろう。
 ボツワナはダイアモンドが産出され、国家財政が豊かであるということから道路などのインフラ整備も進んでいたし、そのために職員の給料も良くクリーンな感じを受けたのだろう。

【チョベ国立公園へ】
 森林局から二人の技術者についてもらい、森林と森林の管理状況を調べながら、南の首都ハバローネから北のチョベ国立公園まで、国を縦断するように往復した。ハバローネから車で1,000㎞以上もある。ついてくれた技術者の一人の名前はセックゴポさんと言った。

 ボツワナの地図、北部のZAMBIAと書いてあるあたりのボツワナ側にチョベ国立公園があり、国境は、ボツワナ側がカサネ、ザンビア側がカズングラという町である 。

【途中のNataで一泊】
 チョベ国立公園は、何万頭ものゾウがおり、世界最多のゾウが集まっているという。一日ではチョベ国立公園にはつけないので、途中のナタという町で一泊した。ナタには良いロッジがあった。

ハバローネを出発。道路は整っている
途中の街路樹の花と実
しゃれたロッジの室内
ナタ周辺にはダチョウも沢山いる
ナタの国有林の営林署
営林署の火の見やぐら
火の見やぐらから。乾季で葉が落ちている。
樹種などはジンバブエで調査した森林とほとんどかわらない。
ナタの営林署の近くにもゾウがいる

【ナタの営林署】
 ナタ営林署を訪ねるが、周辺にはダチョウやゾウも見られ、林相はジンバブエの森林とほとんど同じだ。このあたりはミオンボ林と呼ばれ、モパネやムクワという樹種などが目立つ。しかし、乾季でみな葉を落としているので、ゾウは剥いだ幹の皮も食べている。
 営林署には火の見やぐらがある。乾季は山火事が多いのである。もちろん登ってみるが、たかが20mくらいであるが、上の段に着くまでの階段では上に上がるにつれ足が震える。多かれ少なかれ高所恐怖症だ。慣れれば大丈夫だろう。 林内は砂地で近くのカラハリ砂漠から飛んできた砂が何万年もの間に積もったものだ。養分が少ないせいもあろう。上層の樹高は15mくらいだ。

【チョベ国立公園】
 翌日、カサネの町に着き、営林署に挨拶した後に、早速チョベ国立公園のゾウを観察に行く。遠方に沢山のゾウをみることができる。大型動物を見るだけでワクワクするというのは誰しも持つ感情であろう。双眼鏡で見ているだけでも飽きずにずっとみていたい。公園内にいくつか走っている道路を進んで行くが、車の前をキリンが横切ったりする。ライオンもいるはずだが、ライオンを見ることはできなかった。

遠方に見えた沢山のゾウ
キリンが車の前を走っていく

【ゾウがねぐらに帰る】
 夕方になると水辺にいた全部のゾウが一斉に移動を始めた。何百、何千ものゾウが10頭ずつぐらいのグループになり、グループ毎に移動していく。グループはファミリー単位だろう。それぞれのねぐらへ戻っていくのだろう。
 ゾウのグループのリーダーはメスだとのことだ。そうすると体高が2m強くらいの体が2番目くらいに大きく、先頭でグループを引っ張っているゾウがリーダーなのだろう。グループの最後にいる大きくキバ(象牙)が長いゾウはオスだと思われる。ただし、ここのゾウは他の地区のゾウに比べてキバが短いとのことだ。それはここの土地が砂地で養分が少ないことが関係しているとのことだ。

【車がスタック】
 運が悪いことに、ゾウが移動している通り道の近くで車がスタック(タイヤが空回りして前にも後ろにも動かせない)状態になってしまった。砂地だからだ。エンジンをふかすたびに砂地にめりこんでいく。ゾウの通り道のすぐそばだ。30mくらいしか離れていない。 次から次へとグループが通り過ぎていく。観察するにはもってこいだ。先頭のゾウの後にはそれより小さなゾウや子供のゾウがいて、最後に一番大きなゾウがファミリーを守るようにやってくる。体高が3m以上もあるような巨大なゾウだ。これはオスに違いない。ゾウの移動速度は結構早い。大きいから遅く見えるが、人間が歩くよりはかなり早く、時速10km近く出ているのではないかと思われる。

【巨大なゾウに脅かされ車から逃げる】
 スタックしてしまった車はなかなか砂地から出られない。大きなエンジン音を吹かしたら、あるグループの癇に障ったか、グループを守るように最後にいた巨大なゾウがこちらへ前足を上げたかとおもうといきなり走りながら近づいてきた。
 これはやばいと運転手含めて5人乗っていた全員が「Get away(逃げろ)」とドアを開けて飛び降りるやいなやゾウと反対方向に50mほど猛ダッシュで逃げた。私は昔、陸上部にいたおかげで、このような時の逃げ足はいつも一番早い。昔の間隔を足が覚えていて反応する。しかし、筋肉が衰えているので、全力で走ってしまうと怪我をする恐れがある。そうは言っても全力で走らなければならない。砂地なので、我々が逃げてもせいぜい時速25kmくらいだっただろう。ゾウは本気になれば時速40km以上で走れるということだから、あの巨体で人間より早いのだ。ゾウが本気なら逃げても無駄と言うことになる。

【運よく助かる】
 しかし、人慣れしているせいもあろう、運よく、巨ゾウは車の2~3m手前で止まり、大きな声を発して、くるりと翻り、グループに戻り、また、一番最後からグループを守るように帰っていった。 危うく車を踏みつぶされるところだった。誰かが車の中に残っていたら確実に踏みつぶされただろう。一瞬のことだったが、全員逃げて助かった。それから皆で車を押し、ようやく砂地から脱することができた。

足が見えているのがグループの先頭の2番目に大きなゾウ。
次に子供や中くらいのゾウが続く
最後に一番巨大なゾウがグループを守っている
去っていくグループ

【カサネの苗畑】
 カサネには営林署の苗畑もあり、何種類もの苗木を生産していた。ここで働いていたおばさん達は体も大きく、力もありそうだったが、とても陽気だった。

カサネの苗畑
苗畑から見えるチョベ川

【カズングラのフェリー】
 カサネはボツワナ側の町で対岸のカズングラはザンビアの町である。川はここで、北側のザンベジ川と西側のチョベ川が合流する。ビクトリアの滝のあるリビングストンの町より約70km上流にある。ジンバブエで仕事をしていた時には、ジンバブエ側からリビングストンまで、ビクトリアの滝を見に来たことがある。
 カサネの町からカズングラの町までの川幅は広く、700m以上はありそうに見えた。このザンベジ川をわたるフェリーが運航していた。このフェリーは、ここでは最も大きな水上交通手段である。
 この後、この場所に、日本の協力で橋が建設されているそうで、長さは約930mとのことである。計画よりも若干遅れているようだが、今年(2020)あたりに完成するもようである。

「ガズングラのフェリーを清潔に保て」という看板
カズングラのフェリー

【その後】
 私がボツワナを訪れたのは2003年だったが、その後、約10年経って、ボツワナでの森林調査の協力が始まった。その時、私は既に、この時の勤め先は退職していたが、この時一緒についてくれた技術者のセックゴポさんが、日本に研修に来た。そして私に会いたいと前の勤め先に私を呼んでくれた。前の勤め先で会ったのが2013年12月5日だったからちょうど10年経って会ったのだった。お互いにこの時のことを鮮明に覚えていて、あの時は命拾いをしたなあと抱き合って旧交を温めたのであった。


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