森林紀行travel

【増井 博明 森林紀行No.7 アラカルト編】 No.30_コロンビア

森林紀行

筆者紹介




不思議な夢の中の世界(コロンビア-アンデス)

 コロンビアのアンデス山脈上は、はげ山が多く崩壊地が多いことなど、この地における調査については、何回か書いた。その調査をしていたペンシルバニアという村の状況についても書いた。今回はそのペンシルバニア村で経験した不思議な夢の中の世界だったような話だ。

【ペンシルバニア村】
 ペンシルバニアの村名はまるでアメリカであるが,小さな村だった。カルダス州の州都マニサレスからペンシルバニアまで、山道の道路に沿って100㎞くらいの距離ではあるが、くねくねと曲がりくねる上にアップダウンを繰り返すので、車の時速は20kmも出せず、ペンシルバニアまでは6時間くらいかかる。その間に見る景色は、山の斜面に牧場が広がり、牛もころげ落ちるという急斜面だ。車に揺られてペンシルバニアに着くとくたくたで、本当に山奥に来たという思いになる。
 しかし、そこペンシルバニアの若い女性は美人しかいないと思われるほどの美人だらけである。それで疲れも吹っ飛ぶのである。日本でも山奥の平家の落人の集落がそうであったりするのと似ている。カルダス州の州都マニサレス自体がコロンビアでも有名な美人の土地ということもあろう。この辺りまでは以前に書いたとおりである。

アンデス山脈中の集落ペンシルバニア
はげ山が多い。手前はマツの人工林

【ペンシルバニア】
 ペンシルバニアは標高2,100mくらいにあり、山の中の比較的平らな場所にぽつんとある集落である。街の広さはほぼ700m~800m四方くらいで、一つの通りの幅が約100mである。真ん中の東西に通る道路が中心の道路でその道路の周辺にいくつか店があった。最初は、清潔ではあるが、古いホテルを宿舎としていた。かなりの人が馬を利用しており、18~19世紀の世界に来たような感じを持った。街の真ん中にプラサ(広場、公園)があり、その西側には大きな教会があり、東側には、街の皆が利用する大きなカフェー(喫茶店)があった。数年後に街はずれにロッジ風のしゃれたホテルができたので、その後はそこを宿舎としていた。

【アレハンドロ】
 アレハンドロはコロンビア環境省の共同作業技術者グループの主査だった。非常に優秀で、呑み込みが早く、行動力があり、我々が要求する資料もすぐに提出してくるし、アポイントもすぐに取るし、行動力もあった。我々も非常に助かったし、林業や林産業関係の会社を調査するのも彼ら自身では予算がないので、我々と一緒に回れて調査ができ、非常に勉強になったと感謝もされたりした。この調査が終わった後は、大学教授に転身した。
 そして、彼がまた優れているのは、よくもてることだった。黙っていてもてるというのではなく、柔らかい人当り、巧みな話術で、老若男女誰に対しても優しかった。女性に対しては、女性の喜びそうなことを何のためらいもなく自然と口から出てくるし、まあ南米の男はほとんどそうであるが、生まれ持った天性かもしれないが、うらやましいこと限りがなかった。

【カフェー】
 街中のカフェーは、村人の情報交換場所はここしかないといった社交場であり、前に書いたアデリータと最初に会ったのもこのカフェーである。パトリッシアは、最初にペンシルバニアに来たときにカフェーで見かけた美人である。私はこの世の中にこんな整った顔をした女性は今までに見たことがないと思うくらい美人だった。だからと言って私が心を動かされたということはなかった。アレハンドロは早速話しかけ、すぐに仲良くなっている。何回かカフェーに行くうちに私もパトリッシアと話してみたが、何となく話がずれる感じを受けた。彼女は独身で21~22歳くらいに見えたが、もっと若かったのかもしれない。まるで高校生と話しているような純粋さを感じるのだった。パトリッシアに限らず、ここの若い女性は、生まれた時から人間に育てられた猫のようで、誰に対しても警戒心がないように感じた。それに外から来たもの珍しい日本人には、よけいに興味を持ったようでなついてくるようにも思えた。教会の裏あたりには、アトスという名のこの村では唯一のディスコがあり、我々も金曜や土曜の夜には時々踊りに行ったが、パトリッシアはそこには来なかったので、夜の外出は禁じられていたのだろう。

【土曜日の集まりに誘われる】
 1990年7月14日、土曜日のことだった。アレハンドロから、数日前に土曜日の夜に飲みに行こうと誘われていた。「マスイ、今度の土曜日の夜に、村はずれの牧場に招待されているので、一緒に行こう。招待されているのは私とマスイだけだから、他の者には秘密だよ。この村の名士達が集まるのだ。パトリッシアも来るから行こうよ。」と言われた。こんな山の中で、どのような人達が集まるかわからないので気が引け、また他のメンバーには悪いという思いがあったが、まあ何事も経験だし、パトリッシアも来るならいいだろうと思い、「OK。行くよ。」と返事しておいた。
 アレハンドロは、その性質から誰とでもすぐに友達になるのですぐに顔が広くなるし、市役所に報告に行った時に、週末の名士達の集まりを聞いたのだろう。そこで、アレハンドロと私が行くことを頼み、パトリッシアも誘ったのだろう。

【山中の一軒家へ】
 土曜日ではあるが午後までナナフシの被害状況やマツ林を調査していた。午後5時過ぎにアレハンドロの車で出発した。急斜面の山道ではあるが、道路は山の斜面に平行的に作って有り、ペンシルバニアの町から数キロ、10分ほどですぐに着いた。山と言ってもアンデス山脈は大きいので、日本のように急な侵食された崖のようなところというよりも大きな山海のうねりが続いているといった感じである。

近隣のマツの人工林

 着いた先は大きな牧場の中の一軒家だった。平らな所を選んで木造2階建ての大きな家が建っている。午後5時半頃だった。まだ、日が沈まず外には明るさがあった。早速家の中に入ると広い居間には既に、20人くらい集まっていた。男が10人、女が10人くらいだ。後から3人来たから、集まったのは全員で23人だった。中には部屋が7~8つもありそうだった。小作人に牧場を管理させ、所有者は週末に遊びに来るのだ。

【参加者】
 私は、家の中に入った途端、来なければよかったと後悔した。何となく私の来る場所ではないと感じたからだ。男は知らない人だらけだったが、女性は街中で私でも目が付くほどの美人の若い女性が数人いるのがわかった。パトリッシアがいるのも分かった。しかし、何しろ私だけが異質な日本人で、他は皆コロンビア人だからということもあるが、庶民ではないという雰囲気が漂っていたからだろう。それに日本語ではなくスペイン語だけで、彼らどうしで話す早口のスペイン語には、とてもついていけなかったこともあった。しかし、私の引っ込み思案的な性質からくる思いはすぐに杞憂に終わった。

 中に司会がいて、毎週末でもこのようなパーティをしているのだろう。とても上手に皆を紹介していく。私だけが異質なので、アレハンドロが自己紹介した後、私の紹介も簡単にしてくれたが、その後私自身で、自己紹介をさせられた。自己紹介の挨拶はスペイン語でも数えきれないくらいやっているので、コツがわっていたので、若干笑わせたりスムーズに行ってやや打ち解けた。彼らも簡単に自己紹介をしてくれた。この家の持ち主はこの村の医者だとわかる。その他の参加者は弁護士や先生達で、男の参加者は40代~50代くらいで、やや中年と見えた。南米の人は年寄り上に見えるので、実際はもっと若かったかもしれない。私もアレハンドロも40前後だったので、われわれはどちらかというと少し若い方だった。しかし、女性達は20~25才くらいで、男達よりもずっと若い。全員超がつくくらい美人でスタイルも良くびっくりだ。世の中にはこんな世界もあるのだと改めて世界の不公平さを感じた。中に夫婦が3人いるとのことだったから、若い女性を奥さんにした幸せな男も少なくとも3人はいるということだ。

【キャンプファイアーにバーベキュー】
 しばらくして、作男が、用意ができたと言ってきたので、全員で外に出るとロマンティクな黄昏時である。キャンプファイアーが焚かれ、近くではバーベキューで大量に大きな牛肉の塊が焼かれており、美味しそうな香ばしい肉汁の香りが漂っている。その周りには椅子や切株や木の幹の長椅子が用意されていて、それぞれ好き勝手なところに座る。アレハンドロはパトリッシアの隣に座り早速くどいている。
 赤道周辺は、日本のように北緯35度に比べて地球の回転速度が速いから、黄昏時間が短くて、すぐに暗くなってしまうことを感じていた。6時半くらいにはもう暗くなっていた。夏の赤道上とは言え、標高は2,100m程度なので、気温は15℃くらいと気持ちが良く、乾燥していて、赤道無風帯でもあり、そよ風が気持ち良い。

はげ山だらけのアンデス山脈

 キャンプファイアーの周りで、ビールやコーラやアグアルディエンテが回ってきた。アグアレディエンテは、コロンビアの地酒でサトウキビで作られアニスなどが含まれていて独特の味があり、透明で30度くらいの強さがある。皆それぞれ好きなものをグラスに注ぎ、乾杯である。乾杯はスペイン語ではsalud(サルー)だ。
 アグアルディエンテを飲みすぎると必ず酔っぱらうから、私はビールで乾杯し、酔っ払わないように二日酔いにならないよう、飲み過ぎないように気をつけていた。アレハンドロも最初はビールだったがピッチが速くぐいぐい飲んで、もともと陽気の上にさらに陽気になっている。若い美人の女性達に囲まれているせいもあろう。私は雰囲気に呑まれないように冷静にしていた。肉とジャガイモもどんどんと回ってくる。だんだんと打ち解けてきて、最初は合わないかなと思っていたが、南米人特有のオープンな心で歓待され、私も来て良かったと思うようになった。皆席を入れ替わり色々な人と話していたが、アレハンドロは若い女性を誰彼となく口説いている。

【ゲーム】
 そのうち司会がゲームをやろうと言い出し、全員でハンケチ落としをやって楽しむ。皆必死になって子供の様に楽しんでいる。いい大人が童心に戻って遊ぶのも楽しい。色んな遊びを楽しんだ後、段々と皆酔っぱらってきて、借り物ゲームとなった。最初は男にシャツを持ってこいというと、お互いにシャツを交換した。下着を着ているのは私だけで、全員裸の上にシャツを着ていたのにはビックリした。次に女性達にシャツを持って来いというと、全員がキャアキャア騒いで何事かと思う。女性達はジャンバーのような上着を持ち、全員家の中に一目散に駆け込み、シャツを取り換えっこし手に持ち、ジャンバーを引っ掛けて出てきた。かなりキワドイなあと思っていた。皆真剣に遊んでいる。

【歌】
 遊びも飽きて、次は歌である。真っ暗であるが、キャンプファイアーの火があたりを明るくし、皆益々酔っぱらって乗ってくる。だれかがギターを持ってきて、歌い始める。何曲か歌った後に私も歌わされる。スペイン語で歌った方が受けるので、パラグアイで覚えた「イパカライ湖の思い出」と「シエリートリンド」と日本の「コモエスタ赤坂」を「コモエスタペンシルバニア」として歌ったら大喝采を浴びた。

【ダンス】
 歌が飽きて、次は定番のダンスである。コロンビアと言えばクンビアである。女性達が盛んに踊ろうと手を取り誘ってくれる。酔いも回って皆益々活発になってくる。どちらかというとこのダンスが始まるとほとんど飲まなくなるので、二日酔いにならないで済むことが多いのだ。中南米のいろいろな国で踊ったことがあるが、男女の密着度はコロンビアが一番強いと感じた。パラグアイなどは男女が離れて踊っていることも多く、エクアドルやドミニカ共和国などは日本の社交ダンスくらいであるが、コロンビアは抱き合って踊っているようなカップルも多い。
 
 先生と話していると、ここは田舎だから男女間の中は厳しく節度があるのだとのことだった。「若い女性達もああやって奔放であるが、皆最後は節度があるのだ。節度を破ればマスイもこの村に一生住まなくてはならない。だからマスイも日本に帰りたければ、節度を守らなければならない。」と忠告をしてくれる。
 
 そうこうしているうちに雨がポツポツと降って来たので、全員家の中に入り飲みなおしだ。家の中でもすぐにクンビアのダンスだ。この独特の調子のよいリズムのクンビア、コロンビア人はお腹の中にいるときからクンビアを聞き、ダンスをしているからリズム感が良くダンスがうまいのだと言われるが、さもあろう。

【雨で泥だらけに】
 しばらくして、10時ごろからポツポツと人が帰りだす。雨がだんだん強くなり、土砂降りとなった。一人の女性が車がぬかるみにはまって動けないという。雨の中、皆で車の後ろを押したら、タイヤが空回りして全員泥だらけになった。しかし、幸い車は動き、その女性は帰って行った。我々は家の中でシャワーを浴び汚れを取った。

 さて、夜中のスコールも止み11時くらいになったので、帰ろうとアレハンドロにいうと、酔っぱらっていて、もっと飲みたくて、まだ帰りたくないという。アグアルディエンテをロックでぐいぐいとまだ飲んで、残っているパトリッシアを盛んにくどいているが、パトリッシアもあきれるほどの酔っぱらいになっている。パトリッシアも帰りたがっているが、アレハンドロが引き留めている。実際にアレハンドロの酒癖は悪くて、だいたい土曜日に飲みだすと朝まで飲んでいるのが、定番のようだった。

【アレハンドロに絡まれる】
 残っている女性達と私はしばらく話をしていた。12時くらいになったので、もう帰ろうとアレハンドを連れ出す。この時パトリッシアとサンドラをいう女性も一緒に車に乗り、ペンシルバニアまで帰ることになった。街までわずか10分ほどだが、山道の酔っぱらい運転は危険だった。アレハンドロが酔っぱらっているから、酔っぱらい運転はだめだから私が運転するのでアレハンドロは助手席に来いと私が彼に言った。

はげ山になり侵食が激しいアンデス山脈

 すると酔っぱらいのアレハンドロが豹変し、私に絡んできた。「何い。マスイ。お前は外人だろ。コロンビア人ではないだろう。コロンビアの運転免許書を持っているわけはないだろう。免許書も持ってないのに、お前が運転できるわけはない。黙って座ってろ。」と大変な剣幕である。

 すると後ろの席に座っているパトリッシアとサンドラにも絡み始めた。何と言っているのかはわからなかったが、パトリッシアまで罵倒するとは思わなかった。すると二人は怒って車を降り、歩きだしてしまった。私はあわてて車を降り、二人を連れ戻そうとした。こんな真っ暗な山道を歩いて帰ったら何があるかわからず、車より危険だ。アレハンドロをなだめるから、こんな真っ暗な山道は危険だから車に乗れと説得する。パトリッシアはすぐに車に戻った。しかし、サンドラはズンズンと歩いて行く。私はサンドラに追いつき必死で説得し、ようやくサンドラも納得して車に戻った。サンドラは、この山の家で初めて会ったが、端正な顔立ちで背も高く、知的な美人に見える。怒った顔も美しく、なんでこんなに美人なんだろうと真っ暗な中で不思議に思った。

【街に戻る】
 それから車の中でアレハンドロをなだめすかしてようやく街に戻る。街で、パトリッシアとサンドラを下ろし、街ではカフェーがまだ開いていたので、アレハンドロとそこに入り水を飲ますとアグアルディエンテをくれと言う。一体、酔っぱらいとはいつまで飲むのだろう。
 
 泊まっていたホテルは、街はずれにできたばかりのコッテッジで、帰ると入り口の鉄柵が閉められていて車が入れない。真っ暗な山道を200mほどコッテッジまで歩いた。

 アレハンドロはパトリシアに気があったのにこれでは、もうだめだろうと思っていたところ翌日の日曜日にカフェーに行くとアレハンドロとパトリッシアが仲良くコロンビアコーヒーを飲んでいるのでびっくりした。まあ、酔っぱらいの酔狂は水に流されるということであろうか?

 コロンビアの大田舎の中の特権階級の人々の週末の遊びを経験したのだが、オープンな心で多様性を認めるような、また、お話、ゲーム、歌、ダンスと様々に楽しみ男女の仲が近くうらやましいような、何か不思議な夢の中の世界を経験したような強い印象が、30年も経った今でも鮮明に残っているので、それを書いてみた。

Page Top