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【増井 博明 森林紀行No.7 アラカルト編】 No.35_エクアドル

森林紀行

筆者紹介




南米6ヵ国訪問(エクアドル)

 コロンビアの調査が終えてからエクアドルに向かった。1987年3月19日(木)の午後15時15分にコロンビアの首都ボゴタを立ち、午後16時30分にエクアドルの首都キトーに着いた。隣国で距離は約700kmと近く、たった1時間15分のフライトだった。そしてキトーを立ったのが2日後の3月21日(土)の朝だったから、仕事をしたのは3月20日(金)の実質1日だったので大忙しだった。
 エクアドルでは1985年の7月から調査を始めており、1986年の夏の調査時に、調査地域の入植農民や先住民によるエクアドル政府が行っていたアマゾン地域の国有林設定事業に反対する調査反対運動が起こった。そして、我々の調査もその一旦を担いでいるではないかと言う疑いから、飛び火して調査反対運動も起こった。我々の調査用の機材なども壊され身の危険にもさらされたので、一旦調査を中断し、私は日本に帰国していた。 そして、この調査の出発の1週間前の3月5日にエクアドルで地震が発生し、調査地域も多大な被害を受けたという情報が入ったため、どの程度の地震の被害の影響があるのか、また支援している農牧省の森林局側の調査の継続意思があるかなどを確認するために、農牧省の森林局を訪問したのだった。

キトー市内のホテルエンバシーの前にて。
キトーは標高2,800mと高地にあるためいつも乾燥しており、
また赤道無風帯にあり、風がないので、常に快適な天候である。
後ろの山はピチンチャ(4,696m)
キトー市内の中心街。アマリーナ通り。
同。キトーの中心地

地震の震央など
 当時入手した在エクアドル日本大使館の資料からの情報をまとめると地震は次のようだった。1987年3月5日にエクアドルのアンデス山脈の東に位置するレベンタドール火山付近でM(マグニチュード)6.9の地震が起こった。正確には南緯6分、西経77度50分が震央である。
 地震は、3月5日午後8時54分にM=6.1の地震が、午後11時9分にM=6.9の地震が引き続いて起った。2度目の地震の方が大きいと言うのは、日本の熊本地震の例もあるが珍しいだろう。地震の原因は、火山の噴火によるものではなく、地殻構造上のものとのことだった。その後、5日の夜から6日の午後6時までの間に約700回以上の微震、うち10回の軽震があったとのことである。東日本大震災でもそうであったように、その後の余震は長く続いたとのことである。

地震の被害
①人的被害
死者300名、行方不明4,000名と推定された。被災者は15万人で、そのうち家屋損傷による屋外生活者、州道の遮断による孤立状態の者が夫々7,500人と推定された。
当時のエクアドルでは、この周辺の正確な状況を把握することは極めて困難だったと思われるので誤差の大きい推定値だと思われた。

②物的被害
家屋全壊 2,000戸
家屋損傷20,000戸
  (ユネスコの文化遺産指定地域のキトー旧市街の40%がこれとは別に損傷を受けた。)
道路の損傷
  (45kmが全壊、15kmが部分的損傷)
石油パイプラインの切断
  (震源付近のレベンタドール火山の山腹崩壊による)
橋梁の崩壊7か所
  (崩壊土砂が河を堰き止め自然ダムが形成され、それが数時間後に破れ、大洪水が発生し、それにより落橋)

 この地域では簡易なバラック作りの家が多く、たいした揺れでなくとも簡単に壊れてしまうような家が多かった。入植農民や先住民の家が多かったからだ。壊れやすかったが、物も少ないし、修理も簡単だったと思われる。 この地震の後、すぐには調査は再開できなかったが、それは落橋した橋の改修や再建が出来なかったことが原因だった。地震や地滑りなど自然現象により形成されるダムは堰止湖や天然ダムと呼ばれ、日本でも地震の後に形成されることがかなりある。規模が大きくなるほど危険は増す。

地震の震源地。震源地のやや右上が調査地域
アマゾン川源流域に向かうこの橋も落下してしまい、
復旧に時間がかかった。

メルカリ震度
 日本の気象庁の地震震度に相当するメルカリ震度というものをエクアドルでは使っていたが、それによると最初の地震の震度は4.5であり、2回目の震度は6.5だった。これを日本の気象庁の震度に置き換えると最初は震度4、2度目の地震は震度5程度に相当する。だから日本で感じる地震からすれば、強いけれどもそれほど被害がでるほどの地震ではない。しかし、エクアドルでは地震対策が弱いのと地すべりが起きたこととそれによる天然ダムが形成され、その決壊による被害が大きかったのである。

我々の調査への影響
 調査地域のかなり近隣で発生した地震のため、アマゾン川源流域に向かう道路が損傷し、また、橋梁が落下したため、現地へ向かうことはできなくなった。政府自体が緊急事態に陥ったため、調査どころではなくなり、森林局としては調査を再開したいという意向だったが、すぐには無理とのことで、半年間延長となった。再開するには、日本への事務手続きなど行うべきことが沢山あったので、森林局の尻をたたいて、色々後押しをした。そして、私はボリビアヘ向かったのだった。

エクアドルからボリビアへ。機内で撮ったコトパクシ山(5,897m)
真ん中あたりに雲の上に雪をいだいた頂上を出している
機内からキトーの市街。郊外へ住宅が広がっていく
同上

この訪問の感想
 結局キトーに滞在したのはたった2晩だったが、エクアドル農牧省森林局の職員とは旧知の仲で家に呼んでくれ歓待してくれた。アンデス山脈の上の方に位置するキトーでは、上に述べたようにユネスコの世界遺産になっている旧市街で被害があったものの新市街では家の作りもしっかりしていて被害はなかった。また、エクドルの方と結婚され通訳してくれた方にも世話にもなった。道路、橋梁、石油パイプラインが被害を受け、アマゾン方面には行けなかったが、キトーの新市街では被害がなかったため、どこか他人事のような雰囲気を感じた。森林局はのんびりとしていたので、上で述べたように、私はその他の関係機関も回り、再会に向けてバックアップをし、一日かけまわったことを思い出す。




つづく

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