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【増井 博明 森林紀行No.8 中国編】 No.2_山に樹木がなく少雨で道路が浸水

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筆者紹介




7月24日(月)
ホテルでの朝食
 朝8時半ぴったりに関係者全員で、ホテルのレストランの小部屋で食事をした。食事用の部屋が何部屋かある。おかゆ、肉まん、あんまん、ゆで卵、肉類やスープ類など、色々な種類の食事が出てくる。丸テーブルの上の台を回転させ好きなものを好きなだけ食べれば良い。さすがに朝からアルコールはでなかったのでほっとした。張家口市の林業局の担当者も朝早くから来てくれた。Koさんといった。

会議
 食事の後、会議室に移動して、会議が始まる。中国側から最初になにか挨拶があって始まるのだろうと思っていたら、なにもかしこまった挨拶なしに、自然発生的に会議が始まってしまった。これが中国式なのか。進行が良くわからなく、これはまずいと思い、まず、成り行き任せの会議をストップさせた。それから私が挨拶をして、自己紹介や今までのお礼や経緯を述べ、今回の仕事の目的や調査内容などを説明した。

泊まったホテル 温泉賓館の会議室

 中国側は河北省のRiさんが責任者であるのだが、会議の司会もしないし、ほとんど発言もしない。そこで私がほとんど仕切ってしまった。
 河北省では、ここにきている中ではNo.3の位置にいたFonさんがだいたいしゃべり、後は赤城県の担当者に説明させている。私は、初めてでわからないこともあるので、沢山質問をした。それから今回の調査が終わった後に提出してもらいたい書類などを頼んだ。そしてお互いが納得して、最後にまた私がまとめを述べて、このときの会議は終わった。
 この時の中国側の関係者の年代は40代後半~50代前半で、私よりも少し若いくらいだった。

温泉源へ
 午後から現地に行く予定となっていて、少し時間があるので、近くの温泉源を見に行こうということになり、皆で、徒歩で見に行った。道路に水が流れているのでどうしたのかなと思っていたが、先ほど降った雨が流出して道路を流れているのであった。大した雨でもないのにこれほど流出するとは、山に保水力がないか道路の側溝や下水道など排水施設が整ってないからだろう。ホテルから歩いて5分くらいのところにお寺があり、そこが温泉源となっている。

近隣のホテル
雨が降ると道路に雨水が集まる。側溝がない。

 温泉の近くには、何やら怪しげな看板もある。怪しげな看板は、どうやらカラオケ屋と按摩屋のようだ。

怪しげな看板

温泉の成分
 温泉源には、温泉の成分が書かれた石板が沢山あった。中国も日本と同じように温泉の成分の薬理的効果により、病気治療などに利用している。

説明文「平泉。1分に0.05ⅿ3出水。36℃。pH5.1~7.8。この温泉には微量元素が多く含まれている。」

説明文「胃泉。1分間に0.083ⅿ3出水。58℃。pH4.9~7.8。温泉の成分から消化器系統の慢性胃炎や腸炎、神経性胃腸潰瘍等に効果がある。」

説明文「ゾングアン(主温泉)。1分に0.516ⅿ3出水。68℃。pH4.9~8.0。30種類以上の化学的成分と放射性物質を含む。Na,K,Ca等。100年の治療経験や最近の研究によりリュウマチ関節炎、神経性皮膚炎、脂漏性皮膚炎等に効果がある。治療効果は80%。」

お寺への登り口
 温泉源の上にはお寺があり、山の中腹のお寺まで登る。

お寺への登り口
同上
中腹のお寺から下を見る
お寺の中の像

 上の写真はちゃんとした像であるが、他の像をみて大ショックを受けた。多くの像は首が刎ねられていたのだ。文化大革命の負の遺産だ。政治闘争ではあるが、既成の一切の価値を変革するというところから文化遺産も破壊されたのだ。像とはいえ、その姿は無惨で、とても見られたものではなかった。

お寺の前の占い師
 お寺への参道の途中に、占い師のおじさんがいた。しきりに占ってやると言うので、20元(約300円)を払い、占ってもらった。雨が少し降り出だしたので、少し上に登り、寺の軒下で占ってもらう。誕生日と生まれた時刻を聞かれ、筮竹を3本引く。それには数字が書いてあって、占い師のおじさんは数字と本と見比べている。そして左手の手相をじっと見る。Shuさんが通訳してくれているのだが、過去のことを言われると良く当たっている。「あなたは今年の春までここ何年か体調が悪かったが、これからは良くなり、快調になる。」と言われる。実際に49才の時にジンバブエで罹った肝炎で、その後5年くらいはずっと調子が悪く、ようやく良くなり酒も少し飲めるようになってきたくらいの時だったので、まあ、この言葉を信じようと思ったものである。
 未来のことは、「今後6年間の間に事業を起こしても上手く行くし、今のままでも上手く行くし、全て上手く行く。あなたは管理職で、皆に尊敬される管理職となる。金運も付いてくるし、あなたの歳でも女性運も良くなる。全てが順調となり、幸福な人生で、88歳までは十分に生きられる。」と調子が良いことを占われる。本当かねと思ったけれど、良いことを言われれば気分は良くなるものである。私は簡単に騙されてしまう方でもある。
 当たってなかったことは、「あなたの妻は私を中心に生きていて良く面倒をみてくれている。」と言われたが、実際は非常に独立心が強く、私の存在など必要なく、自分中心に生きていると思われる女性なので当たってない部分もあった。

占い師のおじさん

 私は、この時56才だったので、今思うと勤めを辞めて何か事業を起こした方が良かったのだろうかなとも思うが、そんなことはできなかっただろう。ちょうど、この6年後に今の会社(株)ゼンシンに入社させてもらい、とても感謝しているので、そのままで上手くいったということだろう。
 金運や女性運は意識できるほど良いとは思えないので、当たったとは言えないが、普通なのであろう。
 また、この時、88才までだとまだ32年もあり、結構長生きできるなあと思ったが、今72才になってみると、あとたった16年しかないなあと感じる。父は90才まで生き、母は96才でまだ健在だから二人とも長生きである。だから今思えば、百寿まで生きられると言ってくれれば良かったのになあと思う。それに全て良いという6年間はあっというまに過ぎ去ってしまった。欲張りであろうか?

帰国してから勤め先の中国人に聞いてみた
 この時、帰国して、同じ勤めに中国出身の技術者がいたので、その方に中国の占い事情を聞いてみた。すると、中国の古いお寺の占い師は90%くらい良くあたると言われているとのことだった。占い師のおじさんの写真を見せたら、「こんな感じの人は良く当たるよ。」と言われて、我ながら単純すぎるが、改めて気を良くした。
 まあ結構楽しませてくれた占い師で、旅にアクセントを付けてくれて感謝した。

昼食
 それからホテルに戻り昼食となる。早くもビールと白酒を勧められる。例によって乾杯攻勢で、飲まないわけにはいかないので、少しは飲む。白酒はアルコール度が高いのでとてもおいしいが酔うので、できるだけ随意にし、飲む量は控えた。

現地へ
 午後2時過ぎに現場に、これから植林を進めるという現場に行くという時に、少し雨が降ってきた。これはかなりの雨になりそうだとこちらの人が言っている。私は早く山を見たいので、それでも現場に行こうと、皆を連れ出し、車で出発する。


 しかし、雨は激しくなってきた。少し走って、未舗装の道路に出ると、山からどんどん水が流れて来て、道路が川のようになって来た。道に少し段差があるところを車で越えるのは難しいし、水かさが増してくると危ないので引き返すことにした。

道路は川のようになる

 すると帰り道では舗装道路は、未舗装道路よりも、もっと川のようになり10cmも越えるような深さで水が流れているところもある。とは言え、ようやくホテルに戻りつくことができた。戻る決断が少し遅れていれば帰るのが難しかっただろう。
 山に木がないので保水力がなく、すぐに雨が流出してしまうのである。それで現場に行くのは明日の午前中にしようと予定を遅らせた。空いた時間で、植林の計画作りを皆で練り上げるにはちょうどよかった。

夕食
 夜の酒は、今度は茅台酒(マオタイ)である。昼はそれほど勧められなかったが、夕食時の乾杯、乾杯の攻勢はかなりのものだった。相当に飲まされ、少し酔った感じがした。マオタイも50度くらいあり、とても美味い。
 しかし、1時間半くらい食事をしてパッと止むのが良い。その後、酒は全く飲まないのでそれも良い。

温泉プールへ
 午後8時過ぎになり、近くの温泉プールに行こうと誘われた。ほとんど雨は止んでいる。男全員で行く。入り口で靴を預けてサンダルをもらい、海水パンツも新品のをもらい中に入る。たぶん誰かが買ってくれていたのだろう。タオル、シャンプーが入ったビニール袋をくれ、着替える。
 「メガネを取ると良く見えないよ。」と言ったら新品の度付の水中メガネを誰かがもってきてくれた。少し度が強過ぎるけれど見えないよりは良い。水中メガネを付け、左側の長さを調節しようとするとゴムが切れてしまった。さすがに中国製で粗悪だと思ったが、幸い余っているゴムひもを少し伸ばして使うことができた。
 中には3つほどプールがあり、2つは普通の水温に近く、1つは温水プールであった。ここは標高1,000mくらいで寒いので温水プールで温まる。温泉に入っている感じだ。奥の方へ行くと少しぬるぬるしている。
 それから普通のプールに行き泳ぐ。長さは25mくらいだ。Koさんが片道の競争をしようというので、競争したら私が勝った。次に運転手が挑戦してきて、私は負けてしまった。勝ったり負けたり引き分けで良かった。
 皆、腹がぽっこりと出ていて、私だけが年でも締まっていて腹筋が割れて見えるのに皆、驚いていた。この頃は、ジンバブエで陥った肝炎からの体力の回復のため、腕立て伏せと腹筋運動を毎日100回くらいやっていたのだ。
 上がってシャワーでシャンプーをしながら、頭を洗ったが、皆、人前で裸になるのは平気だし、まったく隠したりしない。これは中国のトイレ事情など考えれば、恥ずかしいという感情などないからなのだろうと思った。
 プール代は誰が払ったかわからなかったが、私が自分の分は払うと言っても、私には払わせない。かなり飲んだ後だったが、十分な運動をしたので、二日酔いにはならなかった。


つづく

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