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【増井 博明 森林紀行No.8 中国編】 No.6_紫禁城

森林紀行

筆者紹介




2006年7月28日(金)


 朝は昨日スーパーで買ったパンやヨーグルトを食べ、8時半にRiさんが迎えに来てくれ、万里の長城や故宮博物館を案内してくれる。しかし、また天気が悪い。朝から雨が降っている。Shuさんはもう何回も行っているのと、強行軍だったので疲れており休養することとした。

万里の長城
 万里の長城の北京の入り口まで高速道路で1時間以上かかった。ここは森林公園となっていて北京市林業局が管轄している。

北京市の万里の長城入り口の森林公園事務所

万里の長城にて
 公園の事務室に行き、Riさんが手続きして、我々は森林の視察ということで万里の長城に登ることができた。登って東側の城壁はあまりに人が多く、列をなしているので西側を行く。結構急な坂もある。一頻り歩くと色々なお土産屋があり、また押し売りが沢山いる。金属のプレートでできた登頂記念板に名前を彫ってあげると押し売りにきたものが、150元(2,250円)で良いという。10倍くらいは吹っ掛けているだろうと思ったが、それより少し高い20元から交渉すると、あっさり30元で(約450円)で折り合ってしまった。

万里の長城
案内板
万里の長城

 次におばさんがTシャツの押し売りに来た。このTシャツも100元から始まり20元(約300円)で折り合った。次の押し売りのおじさんは万里の長城の写真案内本を売り付けに来た。これも100元から始まり20元で折り合った。相場がわからないが、20元だと300円だから私には安く買えたのかなあと思っていた。Riさんに聞くとどれも非常に安い良い買い物だったと言う。

降りる
 もう降りる時間だとのことで、1時間くらい散歩したところで、同じ道を戻る。途中、日本人のように見えた若い女性がいて、英語をしゃべっているので、英語で話しかけたらインドネシアの女性であった。姉妹で観光にきており、妹が中国に住んでおり、姉がオーストラリアから遊びに来たということであった。姉はオーストラリアの大学を卒業したとのことで、若いRiさんと話が合いそうであったが、時間がきたのでそこで分かれ万里の長城を降りることにした。

昼食
 昼は北京林業局のShuさんと若い女性のKakさんが待っていてくれた。勧め上手でまた、生ビールを2杯飲んでしまった。生ビールはビンの燕京ビールよりははるかに美味かった。

故宮博物館
 昼食が終わり、故宮博物館まで車で送ってもらった。Riさんは引き続き故宮博物館を案内してくれた。紫禁城とも言われる。
 私は台湾の故宮には行ったことがあり、台湾の故宮の方が貴重なものが多いと聞いていたが、確かに展示物はそうであろうが、北京の故宮の建物の大きさと多さには圧倒された。
 明王朝の永楽帝が建設したとのことだが、清朝最後の皇帝、溥儀まで500年余りも皇帝の居城だったところだ。私もラストエンペラーのように、紫禁城の階段の上に立ち、天安門方面を眺め皇帝の気分を味わった。とてつもなく大きく、素晴らしいものを作ったものだと思った。

故宮博物館
万春亭
故宮にあったコノテガシワの説明板。
「このヒノキ科の外来種は、伝統的な庭園、中庭、寺などに植えられる。長寿で美しく皇帝の建築に使われるだけでなくその姿が特別である。」
白皮松の説明
「中国に生育する貴重な樹種である。樹皮がレイスバーグ(網のような皮)になっているこの樹種は皇帝の住居、庭に完全に調和する。まだらでミルクのような樹皮、“将軍の白い衣服”は長寿の特徴である。突き出た根は龍が這う如くである。」
ライオンか犬か、霊獣
Qian qing gong-乾清宮:明の永楽18年に建立。
高さ20m。殿内には「正大光明」の額がある。明代は、皇帝と皇后の寝宮、清代以降は、皇帝の寝宮と執務室のこと。
紫禁城
天安門広場

天安門広場の前の警官
 天安門広場も巨大である。その前の道路の幅も広い。その道路の信号で、交通整理をしている警官がいた。ときどき幅広い道の信号を無視して渡る人もいた。しかし、警官は怖そうで信号を無視して渡り、捕まったら大変なことになりそうだったので、おとなしく交通整理に従っていた。

天安門広場
天安門

王府井(ワンフーチン)に行く
 その後、王府井まで歩いて行った。王府井は北京の繁華街だ。天安門からかなりの距離を歩いたようだったが、それほどでもなかったかもしれない。おりから足のかかとが痛くなったためで歩くほどその痛みが激しくなり、距離を感じたからかも知れない。
 王府井に着き、くたびれたので、路上の青空レストランでまずビールを飲む。それから本屋に入ると地方の地図も沢山揃っており、ここで求めていた河北省の地図も買えた。
 王府井は金曜の午後だからか歩行者天国で道幅が広いにもかかわらず、歩行者でごったがえしていた。横道の店の窓口で串焼きなどを売っている通りに入ると通りが狭いのでもっとごったがえしているが、活気を感じた。それからRiさんと少し余裕のあるレストランに入り、またビールを飲みながら食事をした。そこでRiさんと分かれ、タクシーでホテルに戻った。かなりのスピードで走ったタクシーが、ホテルまで30分以上もかかり、この時も北京市の巨大さを感じた。

天安門広場から王府井に向かう
王府井
王府井
王府井
王府井

小さな金魚鉢を買ってくる
 ホテルに戻るとShuさんは別な小型、小型といってもサッカーボールよりも少し大きいくらいのガラス製の金魚鉢を買って来ていた。機内持ち込みで持って帰るとのことだ。
 それからShuさんとスーパーへ買い物に行き、帰りにShuさんが、「お腹がすいた。」と言うので近くのレストランに入り、ラーメンを食べた。あまり美味しくないが、北京にしてはまあまあか。小さい瓶で50度の白酒を取るが安かったせいかまずいので、飲むのは止めた。それからホテルに帰って荷物をまとめた。

7月29日(土)

帰国へ
 朝、6時にMaさんが来てくれた。ホテルをチェックアウトして空港へ。途中Shuさんが昨日頼んでいた資料をMaさんが持ってくるのを忘れたので、北京林業局へ戻り、書類を受け取る。それから空港へ。空港へは3車線の立派な高速道路であるが、近づくに従って渋滞となる。7時過ぎに空港に着く。ここでMaさんと別れる。
 出発は9時40分である。広い空港なのに人、人、人でごったがえしている。搭乗手続きをして中にはいろうとするが、持ち物の申告書はただ紙を集めるだけで、見るわけでもなく、全く意味をなさず、なんで書かせるのだと思ったが、何かあった時に確認するために書かせているのだろう。荷物のレントゲン検査で、お土産でもらってリックサックに入れていた白酒が引っかかった。外にでて別梱包で成田に送らなければならないと言われる。もう一回外に出て手続きしないならば、これは置いていけと言われる。面倒だから置いて言っても良いと思ったが、Shuさんが外に出て手続きをしてくれた。
 それからラウンジに入り、朝飯を食べ、残りの元でお土産を買った。帰りの飛行時間は日本まで2時間半くらいであった。偏西風に乗るので行きと帰りで1時間くらい飛行時間が違い速かった。仕事だからだろうか、久々に様々なカルチャーショックを受けたが、中国人に対する親近感はずっと抱いたままだった。楽しい旅であった。

帰国後
 1週間ばかりの出張の旅だったが、毎日、昼と夜には白酒やマオタイといった40度~60度くらいの強い酒を飲まされたので、体が悲鳴を上げたようだ。しかし、美味しかったことは間違いない。その後、ビールを一杯飲むだけで、蕁麻疹がでてまいった。数か月後には治ったが、アルコールアレルギーになるとは思いもよらなかった。

おわりに
 2022年となりこの紀行文当時から16年後の今では、白酒のようなあのような強い酒は私の体は、受け付けなくなっていると思うが、多少でも飲めたらさぞ美味しいだろうなと思う今日この頃である。
 さて、本文に書いたように中国は、GDPで2011年に日本を追い越した。中国はその後も日進月歩で成長をし続け、日本はそのまま低迷しているので、2006年当時は日本が中国の2倍程度だったGDPが、2021年には中国が日本の3倍程度になった。16年間で実に6倍もの成長である。

 GDPの成長とともに環境改善も進んでいるようで、2022年の冬季オリンピックを、テレビを通して見ただけだが、中国の大気汚染も相当に改善したように見えた。ガスっていた大気が澄んでいるように見える。一部の地域が改善しただけかもしれないし、まだまだ環境対策は必要であろうが、PM2.5も日本まで飛来する量は減って来ているのではないだろうか。色々な意味で中国が良いお手本を示してくれるように望むものである。
 さて、今回の紀行文は観光旅行的な感じもあり、接待も多く、読者の方には何か分かりにくかった部分があったのではないかと推測する。そのあたりは行間を読んでいただくこととし、この紀行文を終わることとしたい。

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