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【森林紀行No.7 アラカルト編】 No.16_ホンジュラス

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 最近のホンジュラスは、人口当たりの殺人事件の発生件数が世界一のため、世界一治安の悪い国と言われている。それはホンジュラスにギャングの拠点があることらしいが、警察も政府も脆弱のためギャングを強く取り締まることができないため、犯罪が起きているとのことだ。私が仕事をしていた時も治安は悪いと言われていたが、差し迫った危険は感じなかった。また、ドミニカ共和国で一緒に仕事をしていた職員が、数年前に青少年教育のためホンジュラスのグラシアス・レンピーラという町に2年ほど滞在していたが、高官達の別荘が多い地域なので、治安は悪くはなかったとのことである。

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ホンジュラスの位置

 それはさておき、ホンジュラスでは奇遇とも言えるような出会いがいくつかあった。一つは大使館付きの医者が兄の友人だったことである。私が目にものもらいができ、その医者の世話になったことがあったが、その方はホンジュラスに来る前はタンザニアの大使館付きの医者だった。私の兄がタンザニアでチンパンジーの研究をしている時に兄と友人となっていた方だった。

  また、私の娘の友人にも会った。娘が高校生の時に家の近くの教会のバイブルクラスに通っていて、そのクラスにいた男子が、たまたまホンジュラスに留学し、テグシガルパの下宿を訪ねて励ましたことがあった。

  今回の話は、私の友人夫婦の奥さんがホンジュラスのある子どものフォスターマザー(養母という意味であるが、日本の支援団体を通じて発展途上国の貧しい子 供に援助金を送るシステムで、たまたまホンジュラスの子となった)になっていたので、私がその子の家を訪ねて行った時の話である。

 さて、クリスマスも近づいた1995年の12月16日の土曜日に、一緒に仕事をしていたホンジュラスの林野庁の技術者にお願いし、そのフォスターチルドレンの家に同行してもらった。ダンリから首都のテグシガルパを通過し、そこからその子の住んでいる家に向かったので車で片道3時間くらいかかった。

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訪ねた家族が住んでいた家の周り

 お土産には何がいいか相談すると、貧しいだろうから米とか食料品がいいだろうというので、それらとチョコレートなどクリスマスプレゼントを大量に買って持って行った。

その村につくと目的の家はすぐに見つかり、子供と母親に会うことができた。

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家の中

   子供は小学校高学年、お母さんは30代半ばに見えた。やはり貧しかった。雑木林を切り開いたような所の掘立小屋に住んでいた。と言ってもブロック積みの家であったが。クリスマスプレゼントを渡したら一番喜んだのは母親だった。多少の生活のたしになると思ったからだろう。家の中にはハンモックがあり、小さな子供が寝ていた。部屋の仕切りは汚れた薄いカーテンだった。調理には薪を用いていた。子供は5人ほどおり、旦那とは離婚したばかりだと言っていたが、実際は良く分からなかった。

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訪ねた家族とホンジュラスの技術者と私

  この辺の主食のトルティージャ(水でこねたトウモロコシの粉を、鉄板の上焼いたもの)とフリホーレス(ペースト状にした豆)は十分に食べて行けるように思え安心した。貧しいながらもラテン系の例にもれず母親の性質は明るく、また子供の目もキラキラ輝いていたのが救いだった。とても賢そうに見えた子供で、よく勉強するよう励ました。今は35歳くらいになっているはずである。

 アメリカへ向かってのキャラバンの参加者は、町の治安の悪さから町に住む人々が中心と思うが、このように田舎に住んでいた人たちはどうなっているか、とても気になっているところである

 以前に書いたように、1998年ハリケーンミッチーに襲われ甚大な被害を蒙り,多くの国の援助が入り焼け太りし,建物も近代化し,2001年に訪問した時には,随分とアメリカナイズされたなと思わされたものだが、発展したと見せかけられたのはほんの一瞬だったのだろうか?

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