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【森林紀行No.7 アラカルト編】 No.21_ジンバブエ

森林紀行

ジンバブエで罹ったA型肝炎 -上-

【A型肝炎への感染がわかる】
「ミスターマスイ。病名が分かった。A型肝炎だ。これで助かるぞ。でもここは救急病院なので24時間しか置いてやれない。ずっと面倒みるわけにいかないから、入院できる病院をすぐに捜す。」と医者が言った。私も妙に納得がいった。私はB型肝炎の予防注射は受けていたが、A型肝炎の予防注射は受けておらず、知識もなかったからA型肝炎とは気が付かなかった。もしその知識があれば自分でもっと早く気付いたはずなのに、わからなかったために危うく命を落とすところだった。

【感染の原因】
1999年9月のことだった。ジンバブエでの仕事のことは既に数回書いた。A型肝炎は、ここで森林調査をしている時に、発症した。この国第2の都市ブラワーヨからビクトリアの滝へ向かって20kmくらいに位置するホテルの一軒家を数軒借りて、同僚や雇っていた南アの技術者達と住んでいた。家のトイレは水洗だったが土への自然浸透で、広大だった庭の中に井戸があったから感染したのだろうと思う。しかし同居の後輩の同僚にも他のチームメンバーには感染しなかった。私のように昭和20年代生まれは子供の頃には肥料は人糞だったので、ほとんどの人はA型肝炎に感染し抗体を持っているはずだが、世の中が清潔になり抗体率が落ちてきたのだろう。話は違うが、南アの白人技術者の人種差別発言についても書きたいが、あまりにひどいので今後も書くことができないだろう。

ビクトリアフォールズ道路沿いの森林

【発症するまで】
それはそれとして、森林調査をしている時に一日毎に段々体がだるくなり、数日休んで横になっていた。ブラワーヨの病院に行き調べてもらったが、マラリアでもなく、何だかわからなかった。それでまた森林調査に行き、営林署でコーヒー色に近い尿がでた。この時に気が付くべきだった。このコーヒー色の尿がA型肝炎の特徴である。私は、疲れた時に出ると言われる血尿と思い、これくらいなら大したことはないと思った。そしてまた木金と横になっていた。まだ大丈夫だった。ところが土日になると益々具合が悪くなってきた。土日は病院が休みだった。食事は家政婦が作ってくれていたが食べられず4日間ジュースだけで過ごしていた。月曜になると起きるのもつらく、すぐにブラワーヨの救急病院に行った。車の中では普通に座っておられずに横になって車に揺られ、この30分が非常につらかった。チームには英語と日本語が完璧な外国人の同僚がいたので、付き添ってもらい病院では、すぐに点滴をしてくれるように頼んだ。

【救急病院】
私はしゃべるのもつらかったがすぐに点滴を始めてもらい助かった。点滴でかなり元気を回復した。ここで血液検査をしたが、まだ病名はわからなかった。ジンバブエで見てもらった医者は、当然ながら皆黒人であるが、イギリスに留学しており、腕も良さそうだし、日本の医者と決定的に違うのは親身で、まず人の体を丁寧に観察することだと感じた。ただ、最初の医者は血液検査でほんのわずかだがサルモネラに反応があったとのことで、点滴の中に抗生物質を入れた。親身ではあるがいかにも自信たっぷりで、これが誤診だったので余計に体を弱めたかもしれない。 この病院の施設は大層立派に思えたが、大部屋にいて、網戸を潜り抜けた蚊がかなりいたのが嫌だった。マラリアになるのではないかと不安になったりした。そして夜になり、別の医者が来て、「ミスターマスイ。わかったぞ。A型肝炎だ。」と冒頭の言葉となったのだった。この医者は大柄だが、こんなに優しく親身な人はいないと思われるくらいに親身で、大きな手で触診をしてくれ、これまで黄疸がはっきりと出ていなかったのだが、このころから黄疸が出始め、はっきりと肝炎とわかった。この肝炎への触診は転院するハラレの病院の医者も帰国して日本の医者も全く同じで、全世界共通なのだと妙な安心感を持った。その後、感染症なので受け入れてくれる病院がないからもう少し捜すからと言われ、感染症だから病院は受け入れなければならないはずだのに受け入れてくれなければ皆死んでしまうだろうと妙に腹が立った。結局、翌日になり入院して24時間ぎりぎりになるところで転院先の病院が決まった。

【転院したブラワーヨの病院】
次の病院は同じブラワーヨの市内であるが、かなり大きな病院で施設も素晴らしかった。ここには4日いた。A型肝炎の治療薬はなく、ただ横になって体力が回復するのを待つだけである。この時は本当につらかった。チームメンバーが見舞いにきてくれるのだが、自分の意識ははっきりしているのだが、人の気配を感じるだけでつらかった。雇っていた運転手が、とても良い人で運転手だから、同僚を連れてきて部屋の片隅に座っているのだが、時々喉がいがらっぽいのか喉を鳴らす音さえ、ダンゴ虫のように丸く横になっている私の気分に響くので折角だが、皆さんにはすぐに退室してもらっていた。 病院食も少し食べられるようになり、点滴で少しずつ回復はしているようだった。シャワーの時間になるとジンバブエの若い女性の看護士がシャワーに入れてくれた。その時私はやせ細り、黄疸が出て黄色い体で、私のソノモノも極端に縮こまり、裸になったときに日本の男子とはこのように弱々しいものかと思われるのが妙に恥ずかしかった。相手は見慣れているしテキパキときちんと仕事をしてくれた。

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