入社して

ゼンシンの日々

入社してから2か月と半分が過ぎました。

新入社員は3日、3ヶ月、3年といいますが、その節目の3か月になろうとしています。

まだわからないことも多く大変ですが、仕事に資格の勉強と頑張って行きたいと思います。

 

 

最後に私の出身地の紹介を軽くしたいと思います。

 

出身は朝日村、特にこれといったもの無く、畑や山ばかりの土地です。

夏は野菜等が作られていて見ると面白いかもしれません。(春、秋は砂埃がすごいですが…)

 

人口は約4000人です。(すごい少ないと調べて感じました。)

 

最近できた新しい新庁舎ができたそうなので紹介します。

外装はこんな感じ。

 

20180616sinntyousya.png

内装はこんな感じ
20180616sinntyousya2.png

実は庁舎が新しくなる前にこちらに引っ越してきたのでいまだに行っていません。

近いうちに行ってみたいと思います。


もし興味があったら朝日村に遊びに行ってみてください。

 

6月の駒ケ岳

社窓

梅雨入り前のアルプスの姿です。
九州から梅雨入りが始まり、関東甲信越も近々梅雨入りしそうな気配です。
平年が6月 8日ごろのようですから、今年は平年並のスタートとなりそうです。

さて、来年4月30日の天皇陛下の退位、5月1日の皇太子さまの天皇即位に伴い、
これで、平成最後の5月が終わったことになります。

なんとなくですが、新しい元号も気になるところです。
とはいうものの、ま行、た行、さ行、は行から始まるものでは無いだろうな、
ぐらいしか想像つきませんが・・・。

これから、なにかと ”平成最後の” というフレーズが使われるのでしょう。


[南アルプス]
180604minamiP.jpg

 

【森林紀行No.6 セネガル,マングローブ林調査編】 No.15

森林紀行

ムンデ(Mounde)村

ムンデ村の位置

 ムンデ村は,No.12で書いたジルンダ村に入る水路をもっと奥へ(南へ)3?4kmほど進み,そこから細い水路を西へ約1kmほど行ったところにある村である。ジルンダ村へはフンジュンからボートで1時間半くらいサルーム川を河口方面に下った場所にあり,ムンデ村はそこから約30分である。

 

ムンデ村周辺の地図.jpgムンデ村周辺の地図


ムンデ村周辺の航空写真.jpgムンデ村周辺の航空写真

 

 

ムンデ村の印象

 この当時ムンデ村の人口は約1,300人で,ジルンダ村とほぼ同じくらいの人口があり,島の中にある村ではやや大きな村だった。ムンデ村への入り口は二つあり,一つは船を降りてから村まで1kmほど歩くのだが,村の入り口に別の小さな集落があった。小さな集落なのでムンデ村に合併させてもらえば良いのにと思ったが,やはり村の来歴などが異なるので独立して生活せざるを得なかったのであろう。ムンデ村には,厚く貝が積もった貝塚などもあり,今から千年くらい前,あるいはもっと以前から人が住んでいたのだろう。

 

ムンデ村の入り口にあった.jpg

ムンデ村の入り口にあった小さな集落にて

 

 

桟橋

 村の手前に桟橋があり,水路の上に足場を組み,幅2mほどで約200mの長さに板を並べたものだった。これが老朽化しており,ところどころ板が浮いたりしていたので,この調査が終わった後に行ったプロジェクトの時に,大使館に草の根無償で援助してもらい,桟橋を付け替え,村人には随分と喜ばれた。

 

ムンデ村の入り口にある桟橋.jpg

ムンデ村の入り口にある桟橋

 

 

水路に突き出したトイレ群

 水路沿いにはトイレが突き出して並んでいた。それは魚のエサになったりで合理的ではあったが,不潔でもあった。また,その周囲はゴミ捨て場になっていてポリ袋が散乱していて,とてもきたなく見えた。ここもまた,この調査の後に行ったプロジェクトで,エコツーリズムで人を迎えるには汚くてはダメということで,掃除日を設け掃除をすることにより,きれいになった。

 

ゴミ捨て場となり汚く,桟橋.jpg

ゴミ捨て場となり汚く,桟橋の横の水路に突き出したトイレ群

 

 

村によく泊めてもらった

 村全体としては落ち着いて見え,人々も我々を大歓迎してくれた。パイロットプロジェクトが始まってからはよく,民家に泊めてもらったが,蚊が多くマラリアを心配しながらも沢山の蚊に刺されざるを得なかった。民家の人が使っているベッドを空けて泊めてくれるということが多く,すごいもてなしをしてくれたのだった。全体にどの村も朝が遅いので困ったが,ムンデ村は特に遅かった。私の感覚だと田舎の人は早起きで明るくなったら起きるのだろうと思っていた。特に赤道近くなのですぐに暑くなるので,朝涼しいうちに働くのだろうと思っていたが,起きるのが遅く朝食が終わるのが9時くらいになってしまうのだった。急かせても仕方がないのでのまあ郷に入っては郷に従っていた。

 

 

お互いのいびきがうるさい

 また,ある時,民家の土間にマットレスをひかせてもらい,泊めてもらった時があった。この時は,同僚2人と私と3人でごろ寝をした。良く寝たのだが,疲れていたせいか,皆いびきがうるさく,お互いのいびきで目が覚めてしまうのだった。朝起きて,「お前のいびきすごかったよ。」,「いやお前の方がすごかった。」と3人が3人とも他の二人に向かって言い合ったのだった。

 

 

ムンデ村で焚火

 泊めてもらった朝など寒い時があった。アフリカで焚火をするとは思わなかったが,北緯11度くらいに位置しているので,冬にあたる1月でも日中は35℃くらいにはなり,かなり暑いのだが,朝晩は10℃近くまで気温が下がることもあり,焚火で暖をとったこともあった。

 

ムンデ村で焚火.jpg

ムンデ村で焚火(2004年1月22日)

 

 

村長

 村長は温厚な方で,60代後半くらいに見えた。イスラム教で奥さんを4人まで持てるので,同年代くらいの方からとても若い方までそろっていた。それらの女性達がとても仲良く,協同で働いていた。特に貝取りやカキ取りで協力体制が必要なので,必要がそうさせているのだろうと思わされた。

 

村にあるイスラム寺院.jpg

村にあるイスラム寺院

 

 

プロジェクト活動

 プロジェクト活動は4つの分野で行った。森林分野では養蜂支援活動を行った。村では伝統的な手法で養蜂活動を行っていたから近代養蜂で生産力を上げようとしたのである。水産分野では貝を加工する際に付加価値をつけてより収入を上げるという活動を行った。観光分野ではエコツーリズムの導入である。それから普及啓発と環境教育でこの村をモデル村として他の村からの住民を見学させ,いろいろな活動の普及を図ったのである。

 

 

養蜂活動の支援

 ハチミツ生産はすでに村内や周辺村で伝統的方法やUICN(世界自然保護連合,ここも委託先として活用していた)が支援して,養蜂箱が配られたりして養蜂活動をしていたのだが,面布など防護服が不足していたので,養蜂用保護面布の作成活動を村人がワークショップで選定したのである。

  そこで,養蜂用保護面布作成講習会を年に4回行い,その都度,村落の住民を10人選んで行ったのである。村では村落開発委員会の下に地下足袋・手袋・面布作成委員会が作られた。

 

 

講習会

 面布作成の講習会は1年目も2年目も4回行った。参加者は最初、地下足袋・手袋・保護面製作委員会のメンバーが中心であったが、徐々に一般村民も参加するようになった。講習会参加者の技術吸収度は高く、面布作りは、住民が帽子の下を2段蛇腹にし、息苦しさを減じたり、野球帽と組み合わせたり工夫し、独自の改良を加えるようになった。住民の能力の高さはあなどれないと思ったものである。

 何かを行うというきっかけとかアイデアが自分で最初に浮かぶかどうかの差があるが,アイデアを与えれば様々に発展していくものだと思わされた。アイデアが浮かばないのはいろいろなものを見たり経験がないから知らないだけで,知識が集積すれば彼らも我々と同じ様に色々なアイデアは浮かんでくるのだろうと思った。

  研修会を4回実施して,その結果を受けて村民達は自発的にいくつかの改善策を提案するなど,活動は自発的に進められるようになったのは我々としても最もうれしいことの一つであった。

 

 

活動の結果

 養蜂用の保護面布と貝類採取の手袋・地下足袋を製作する講習会では、1年目,2年目とも約20個の保護面布が製作されたが、実際には住民が自発的にさらに多くの面布を製作、活用していた。当初製作された保護面布で蜂に刺された経験から、面を防護服(地下足袋、手袋付き)に一体化させた“ムンデモデル”まで考案するに至った。

  住民達は面布作りをマスターし、住民自身で製作を継続していくことが可能となり,その製作技術をマスターした住民は他村民への普及も可能になるまで成長したのである。

 

ムンデモデルの養蜂用防護服.jpg

ムンデモデルの養蜂用防護服

 

 

ワークショップ.jpg

ワークショップ

 

 

改良型の面布.jpg

改良型の面布

 

 

貝類の加工製品の付加価値を向上させる活動

 これは水産分野の活動であるが,前にも記したようにマングローブ地帯では,海や川にマングローブの葉が落ち,分解し,栄養分となりプランクトンが増えると魚も増え,また貝類も増え,それを食べる鳥も増え,生態系の頂点に立つワシ,タカ類も増えるのである。このあたりでは,サルボウガイ、マングローブガキ、ミュレックス、シンビウムなどと言われる貝類が多く繁殖している。

 島内の女性達は,これらの貝類を採取し、加工し、販売している。これらは住民達の重要な収入源となる経済活動となっている。女性達は貝類を採取した後に、煮沸あるいは発酵過程の後に乾燥させて販売している。この煮汁はただ捨てているのでもったいないと思うものの,煮汁を捨てるのはそのままにしておいた。

 加工した貝は重さ単位で売買されており、加工のための労力が投入されているにも関わらず、販売単価は低かったので,これらの加工の工程の改善を図り、品質の高い商品を生産し,新規な商品開発と新たな流通ルートを開拓することで,貝類製品の付加価値を高め、住民の収益を増やし,生活の改善を目指したのである。

 貝製品の生産を量から質へ転換を図ることで、女性の労力を軽減し,同時に貝類資源への採取圧力を抑制することを目指したのである。採取圧力ということでは,貝を取る籠の網目を大きくし,小さいものは取らないようにもした。

  さらに,将来はこの 販売収入の一部を環境基金として積み立て、これを用いて村落林を造成することなど貝加工用の薪をマングローブ薪から植林木への転換をも意図したのだった。

 

 

活動の実施

 活動統括組織としては村落開発委員会が設けられ、その下に水産物加工委員会が設置され,この委員会が主体となり活動した。

 活動として加工用設備の整備、貝加工の改善と開発商品の生産と販売を行った。貝加工設備の設置場所は村内のニンドールといわれる場所にすることが村民総会で決定され、浄化台、乾燥台、簡易燻製かまどが2004年1?2月に設置された。これらの設備を利用して、サルボウガイを加工する前に浄化することで、サルボウガイが体内に含んでいる泥を除くことにしたのである。それに、従来のものより背の高い乾燥台を作り,日干し乾燥中に風で運ばれる砂ぼこりの混入を防いだのだった。これは少し作業性が悪くなったかもしれないが,砂ぼこりの混入は相当に防いだ。

  カキ燻製品は同じように浄化したマングローブガキを燻製装置に入れて加工することで、薫り、見た目、味 の三拍子がそろった新商品を開発することとしたのである。

 

 

活動の結果

 サルボウガイの浄化製品は、25g、50g、100g毎に包装し、ラベルをつけてダカールの市場に女性達が行き,販売した。日本でも落花生売りのおばさんがかごを担いで都会まで売りに来て売るような感じであるが,ダカールでは市場である。

 ここでは従来の販売価格より40%ほど高く売ることができて製品の付加価値付けが実現できた。加工方法など製品の質の高さをもっと宣伝できれば,もっと高く売ることも可能だと思われた。新しい製品は砂と泥が取り除かれた商品に仕上がっており、購買者の評価も上々だった。しかし,この辺りの人はそのあたりの価値がはっきりわかるまでは,もっと多くの販売をしてからのことだと思われた。私もこの貝を買っていつも食べていた。

  住民達は加工改善と商品開発のための加工技術を習得することはできたが,販売のための包装資材やラベルの手配、販売プロモーションや流通ルートの開拓は、住民だけではできなかったので,やはりこの村でこの仕事を担当したUICNなどの支援が依然必要だと思われた。

 

貝類を網に入れて砂・泥.jpg

貝類を網に入れて砂・泥抜きをする

 

 

ニンドールの水路に網をつける.jpg

ニンドールの水路に網をつける

 

 

砂が混入しないように貝の干し台を高くした.jpg

砂が混入しないように貝の干し台を高くした

 

 

完成した干し貝の新製品.jpg

完成した干し貝の新製品

 

 

ムンデ村周辺で採取.jpg

ムンデ村周辺で採取したカキ

 

 

町の鉄工所で作らせた鉄製.jpg

町の鉄工所で作らせた鉄製のカキ燻製用カマド

 

 

 

貝類採取用防具の自給(地下足袋・手袋製作)活動

 島に在る多くの村で、女性達はカキ採取に従事している。このとき、カキ殻の端先が鋭いため、これでひっかき女性の手足には怪我が絶えない。これまでは手に古布を巻き、足にはソックスを二重にはいて紐で固定していた。しかし、カキの鋭い端先から手足を完全に守ることはできなかったので,マングローブの根から伐ることでカキを採取していた。それがマングローブ資源の減少に一役かっていたのである。

 そこで、手袋・地下足袋をつけることによりマングローブの根を伐らないで済むようにしたのである。手袋や地下足袋を身の回りの素材で安価に製作できる方法を考案し、それらを村で自給することとした。

 手袋は容易なミトンタイプ(親指だけが分かれているもの)とし、手のひらの部分に厚手の布地を用い,地下足袋は、安価な古着生地や米サックをブーツ状に縫製し、ゴムサンダルを足袋底に貼り付け、締め付け用の組紐を装着することで製作することにした。

  これにより、マングローブの根を直接伐採しなくともカキが採取できるようになり、さらにマングローブ林を保全することができるようになった。

 

 

活動の実施

 ムンデ村では手袋・地下足袋の製作講習会を1年目に4回、2年目に4回実施し、この時に約100の手袋と地下足袋が製作された。実際に住民が自発的に製作したものを含めるともっと多く相当数に上る。

 

 

活動の結果

 ムンデ村では、泥の深い場所でも地下足袋が泥にとられないような地下足袋とズボンの一体型、地下足袋の底を強化するタイヤや木板を使用したり、手袋ではミトンタイプから5本指手袋への変更など、住民自らの多彩な改良がみられた。住民は自ら資材を購入し、独自の手袋や地下足袋を作り始めた。そして用途も貝類採集ばかりでなく、農作業など多岐に広がり,地下足袋・手袋の使用は住民の実生活に定着し始めたのだった。別な効果として,子供達も地下足袋を履くようになり,遊んでいる時の怪我も減ったという効果も見られた。

 

ムンデ村での地下足袋。.jpg

ムンデ村での地下足袋。手袋作成講習会

 

 

改良型地下足袋.jpg

改良型地下足袋

 

 

エコツーリズム導入

 ムンデ村にもダシラメ・セレール村で記したのと同様のエコツーリズムを導入した。村落開発委員会の下にエコツーリズム委員会が設置された。

 

 

エコルートの設定

 ムンデでは、いくつかの候補ルートがあったが、所要時間や安全性を考慮して、村の発祥地→村の歴史的な場所→貝塚→昔の会議開催地→入江の小さな乗船場→(水路)→村の船着場、というコースをエコルートとしたのである。エコルート探索後は,近辺の水路でカヤック遊びもできるようにした。

  村の歴史を聞いていると面白く,何百年も前のことだが,最初の住民がここにきて住み始め,後に来た人達との争いになり,後から来て負けた人達が隣の島に住み着いたといったことだが,こういったことが口承されているというのは世界中どこにでもあることなのであろう。

 

 

活動の結果

 ダシラメ・セレール村で記したように,馬車はフンジュン市で、カヤックはそれぞれの村の船大工が製作し、装備した。ライフジャケットは、別のパイロットプロジェクト村で製作している製品を配備した。土産物品も試作品を製作した。エコルート代金は,この当時の金額で5,000FCFA (約8ユーロ),約1,000円くらいを想定していた。実際にはこのプロジェクトの期間ではあとわずかで開業できるという段階までだった。うまくいけば将来はエコヴィレッジという構想も持っていた。

 

村で作製したカヤック.jpg

村で作製したカヤック

 

 

導入した馬車と馬.jpg

導入した馬車と馬

 

 

普及啓発・環境教育

 ムンデ村が,簡易に手作りでできる「保護用面布・地下足袋・手袋」などを作製していることから,この技術を周辺の村に普及して,住民がマングローブを中心に自然資源を自ら管理し,また様々な生活を支える生産活動をバランスよく行われるようになることを目的として行ったものである。

 

 

普及活動の実施

 我々の活動期間中にムンデ村では2回ではあるが,周辺の村の住民の受入れ研修を行った。中身は?住民によるパイロットプロジェクト活動やその他の自然資源管理活動の紹介,?マングローブ保全活動を経験する小セミナーの開催,?「家庭用改良かまど」や「保護用面布・地下足袋・手袋」の作り方の研修だった。

 ムンデ村では村落開発委員会の下に設置された「訪問受入れ委員会」が、中心になり、宿泊と食事の手配や準備、活動紹介、技術研修など異なる役割を住民間で分担し、全村をあげての実施となった。

  ムンデ村では2回の研修で,周辺の5村,計30名の住民を受入れた。「養蜂用保護面布、地下足袋、手袋作り」研修は,住民が講師となり行った。

 

 

活動の結果

 研修を通じて、村落間の情報交換が促進され,周辺の村とのつながりが強化された。受入れたムンデ村の住民にとっては、自の活動を紹介することにより、村や活動に対する誇りや自信が高まった。招待された他村の住民にとっても、マングローブの保全活動、養蜂、貝加工の改善等のマングローブ資源を活用した「新しい経済活動」を見聞し、体験する場となった。

  その後、招待した村の全部から「養蜂用保護面布、地下足袋、手袋作り」研修実施の要請があった。それでムンデ村の住民講師が4村9名にフォローアップ研修を行うというかなりの成果を得た。確かにこういった交流の機会を設けたことは,住民間の刺激になり,普及・啓発としてとても良い活動だった。

 

 

 

つづく

 

 

 

最近のこと

ゼンシンの日々

ブログに書く話題を探しても中々見つからず、結局近況や趣味の話に・・・

 

いちごについて

年間通してよく食べるものが果物

今の時期は 「いちご」 ????

とあるお店に行くと大きめパックに不揃いのいちごがたくさん入ってお買い得です!!

いちごの季節になるとひたすら通い、買い占めます

いくらでも食べられてしまういちご(糖分過多に注意)

いちごはビタミンが多く含まれ、手軽に摂取できて便利ですが、余分な熱を取り除く効果もあるそうです

最近はまだ5月だというのに天気予報からは夏日という言葉が出てきております…

水分も同時に摂れて熱も下げてくれる、いちご  便利!万能!!

胃腸やのどの痛み、口内炎も助けるそうですよ

 

そろそろサクランボの季節か、、、?  でももう少し楽しみたいなぁ…

 

 

 

収集について

何かと収集癖があり良くないと思いつつもつい見てしまう、手に取ってしまう…

今回は鉱物について

 

鉱物とは…?石とは違う??岩石?宝石?? 違いは何なのか、とても興味深く、調べ出したらキリがない。。。

学生時代は何とも思わなかった地学に、少しのきっかけで興味が湧いてくるのは不思議で、もっと子供の時に気づければ良かったのに・・・ (´・ω・`)

大人になってから勉強したくなる、というのはこういうことでは・・・ と最近感じています

(それぞれの違いは結晶のでき方や無機物、有機物が含まれるかどうか、等で決まります)

 

 

何か絵とか写真が無いとつまらないのでほんの少し…

 

モルダ.jpgモルダバイト ローマ.jpgローマングラス

 

左は天然に算出されるガラス、チェコ産(ドイツ語でモルダウと呼ばれる川の流域で見つかる)

右側は大昔(ローマ帝国の時代)にローマ帝国内で使用されていたもの (写真の物はガラス製品の欠片)

他にもリビアングラス(隕石の衝突によりできる、とも言われている/リビア砂漠でみつかる — 写真を忘れてしまった…興味がある人は調べてみてね!)など同じ成分で見た目は様々、産地も様々、とても面白い!のです

(成分は、主に二酸化ケイ素SiO2 → 石英とも呼ばれる  ・・・石英はquartz、つまり水晶?  でも石英って岩石でも見たような・・・・・・・?   と1つのテーマでたくさん遊べる!どんどん調べる!時間も無くなる! 奥が深いです)

 

 

他にもまだまだ沢山ありますが、最後に少し。

 

op.jpg       メニラ.jpg

 

op5.jpg

 

op-hy1.jpg  → 蛍光するよ →  op-hy2.jpg


これらすべて「オパール」の仲間です。   面白いでしょ!

 

 

 

 

 

5月の駒ケ岳

社窓


5月の駒ケ岳

ゴールデンウィークはどのように過ごされましたか?

 

調べてみると、このゴールデンウィーク、

映画会社が映画館の入場者が多いこの時期に大作を上映するようになり、

この宣伝も兼ねて、

ラジオが最も聞かれるゴールデンタイム(午後7時から10時)をヒントに作り出したのが始まりで、

昭和20年後半から30年頃より一般的にも使われるようになったそうです。

ちなみにNHKの放送では原則としてゴールデンウィークは使わず、「大型連休」と表現するそうで、

新聞なども最近は「大型連休」の表現が多くなっているようです。

 

また、気分も新たに頑張りましょう。


[南アルプス]
20180501minamiA.jpg

4月の駒ケ岳

社窓


4月の駒ケ岳

3月末から暖かい陽気が続いています。

時に初夏を思わす気温もあり、最低気温と最高気温の差が20度近くになる日もあります。

このため桜が早くも満開となりました。

例年より1週間ほど、昨年よりは半月ほど早い感じです。

20180404sakura1.jpg

 20180404sakura3.jpg20180404sakura4.jpg

20180404sakura2.jpg

この時期に桜が満開になることは、伊那谷では滅多にないことなので、

満開の桜の元での入学式は、珍しいことかもしれません。



[南アルプス]
20180405minamiA.jpg

満開

ゼンシンの日々

桜にはまだ少し早いですが、福寿草・クリスマスローズ・水仙・・・いろいろ満開で綺麗です。

2018032412280002.jpg2018032412270001.jpg2018040115490001.jpg2018040115490000.jpg2018040115490002.jpg2018032911230000.jpgV(^^)V

 

【森林紀行No.6 セネガル,マングローブ林調査編】 No.14

森林紀行

マールファファコ(Mar Fafaco)村

マールファファコへの道

車で行く場合

マールファファコ村は、調査地内では北西に位置している。基地としているフンジュンから車で,この村に行く場合は次のようだった。

まず,フンジュンの渡し場のハシケでサルーム川を渡るのだ。一日数回往復するこのハシケの時間に合わせて行くのだが,川を渡るのに最低でも30分はかかってしまう。ここから北に向かいファテッィクに出て,そこから西に向かいンジオスメネから今度は南に向かいフィムラという町を過ぎ,ようやくンダンガン(Ndangane)という町まで行き,車をここに止めておき,そこからは人間だけが,また船で川を渡るのだった。ここまでフンジュンからはコの字型に走らなければならなかった。これで2時間近くも時間がかかってしまうのだ。コの字の間に沢山の水路が走っているからだ。

 

 

ンダンガンからは馬車

この水路にも昔は多くのマングローブが繁っていたということだが,この当時,北側はほとんどのマングローブが全滅状態で,南に行くにしたがって海に近くなり,塩分濃度が下がるため,マングローブが見えて来るのだった。北側の塩分濃度は6?8%,南側になると6%以下となるのだった。

ンダンガンにはペリカンというホテルがあり,時々このホテルにも泊まった。ンダンガンからボートでマールファファコのある対岸の島に渡り,そこから馬車でマールロッジという村を通り,その先のマールファファコに向かうのであった。馬に荷台を付けた馬車でのんびりと30分以上もかけて行くのであった。しかし,いつも頭の中は着いてからの仕事を反芻しており,周囲ののんびりさ加減とは違い,頭の中はいつも全力で走っているような感じだった。

 

 

船で行く場合

もう一つはフンジュンから船で直接行く方法があった。プロジェクトが始まった初期のころは陸路でンダンガンまで行く方法を採っていたがが,サルームデルタを色々と調べるようになって,船で行った方が時間的に少しは速いことが分り,船で行くようになった。

しかし,サルーム川本流からマールファファコ村へ行く水路に入るのはわかりにくく,船頭もこの水路に入るのを見逃し,通り過ぎてしまってから戻るということも何回かあった。しかし,慣れるにつれ間違いはなくなった。

 

 

 

マールファファコ村の地図.jpg

 

マールファファコ村の地図

 

 

 

ワークショップで使.jpg

 

ワークショップで使っていた見取り図

 

 

 

サルーム川から.jpg

 

サルーム川からマールファファコ村へ

 

 

 

ンダンガンの村,.jpg

 

ンダンガンの村,ここからマールファファコ村の島にボートで渡る

 

 

 

リゾートといったニュアンス.jpg

 

リゾートといったニュアンスのンダンガンにあるホテルペリカン

 

 

 

ホテルペリカンの農場.jpg

 

ホテルペリカンの農場ツアーの馬車料金

 

 

 

途中で通過する.jpg

 

途中で通過するマールロッジ村の建物

 

 

マールファファコ村の印象

調査時点でのこの村の人口は2,000人程もいるかなり大きな村だった。しかし,平らなデルタ地帯に村が広がっていて余裕があり,一軒ずつの面積は広く,それほどの人口がいるようには感じられなかった。

我々の調査団は,歓迎的に受け入れられて,調査後ワークショップを重ねてどのような活動を行っていくか決めたのだった。

 

 

ワークショップ

人口が多いだけ,ワークショップにも沢山の住民が集まった。野外の大きなバオバブの木の下でワークショップを行うことが多かった。村長の力は強そうだったが,ワークショップでは誰でも自由に意見を述べ合い,直接民主主義が根付いているような印象だった。

 

 

意見を述べる村長.jpg

 

ワークショップで意見を述べる村長

 

 

 

ワークショップ0.jpg

 

ワークショップ

 

 

 

ワークショップ.jpg

 

ワークショップ

 

 

村でよく泊めてもらう

ワークショップは,いつも半日以上はかかることが多かったので,その時は村の民家に泊めてもらった。よく泊めてもらった家の方は,セネガル相撲で3位になったことがあるとのことだった。セネガルでは,テレビでこの相撲を中継するくらい人気のスポーツである。その方は,背は180cmには届かないくらいで,それほど高くはなかったけれど,がっちりとした筋肉質でいかにも強そうだった。セネガル相撲の土俵は大きく,相手の背中を土に付けないと勝ちにならないので,試合時間は非常に長いが,村の代表として入賞でもすれば大きな名誉となるのだった。

 

 

子供の井戸汲み

村に宿泊していたある朝,起きると小さな女の子,130cmくらいだろうか,小学校4?5年生くらいにみえたが,井戸からつるべ落としで水を汲んでいた。井戸の深さは10mよりやや深いくらいだったが,そのロープを持って全身を使った動きがしなやかで早く,全く力を使っていないようにも見え,素晴らしい運動能力を持っていると見えた。私も汲んでみたが,単に力だけでなくタイミングが必要で,組む速さは全くかなわなかった。

この天性の運動能力をどこか先進国で開花させれば,オリンピックの何かの種目で金メダルを獲得するのはそれほど難しくはないのではなかろうかと思わされた。この子だけではなく,アフリカ人の多くはそのような素質を持っているのだろうが,開花させられることはなく一生を過ごすのだろうなと思った。

 

 

マールファファコ村での井戸の中.jpg

 

マールファファコ村での井戸の中

 

 

キビの脱穀

こちらではミルとかミレットとか言っていたが,アワやキビのことである。ほとんどの家ではこれが主食となっているようだったが,粉にして蒸して食べていた。我々も随分とこれを食べた。米も主食としている家も多かったが,米はタイあたりからのくず米を我々は食べることが多かった。キビの脱穀の機械はどうしたのだろう。思い出せないが,他の国の援助だったような気がする。

 

 

キビの脱穀.jpg

 

キビの脱穀

 

 

村での活動

マールファファコ村で行う活動は,リゾフォーラの植林,それに普及啓発・環境教育だった。マールファファコ村では村落開発委員会が作られた。

 

 

リゾフォーラの植林

この村落開発委員会の下にリゾフォーラ植林委員会が設置された。1年目は、計画策定ワークショップで決定された植林地に2003年8月下旬、リゾフォーラ林で胎生種子を採取し、直ちに計画どおり植栽した。しかし,胎生種子採取には船で村から遠い場所に採取にいかなければならず,住民達は苦労した。20,000本の種子採取及び50cm×50cmと25cm×25cmの密植は住民にはかなりの重労働となった。

2年目も1年目と同様に植林を実施した。植林参加人者は植林委員会のメンバーを中心として1年目は男性10 数名、女性約100名で,女性の参加の方が圧倒的に多かった。しかし,2年目は男性の参加者が上回り、男女で約200人もの大人数が参加した。次に書くように男性の意識が向上したのであろう。

 

 

リゾフォーラの状態

マールファファコでの1年目の植林木の生存率は、2004年9月に90%近くあり,同じ様に植林したジルンダ村と同様に既に樹木間の競争が始まっていて,うっ閉状態近くまで成長していた。

今まで何でうまく行かなかったかというとマールファファコでは,それまでの種子は,浮遊していた胎生種子を使用していたからである。それを我々が技術指導をして、木になって熟した胎生種子を採取し,その後直ちに植栽することとし,また,植栽時期が適切であったことがある。また,冠水時間が適切な泥土の適地を選定し,密植により海水温の高温化を避けることができたことが植林の成功に繋がったのである。

密植は水面に緑が広がり生存率、成長率ともに高いとの印象を与え、植林地は村に近いことから村民に対する展示効果が高く、そのため村民が枯れた場所には自発的に補植するなどマングローブ植林地を守っていく姿勢が広がった。

 

 

リゾフォーラの植林0.jpg

 

マールファファコ村のリゾフォーラの植林

 

 

 

リゾフォーラの植林.jpg

 

マールファファコ村のリゾフォーラの植林

 

 

 

マールファファコ村の.jpg

 

マールファファコ村のリゾフォーラの植林

 

 

普及啓発・環境教育

多くの住民が参加

環境を保護し,その意識を高めるという意味で,村落の住民に対して少ない費用で,効果的な啓発を行うことができる手段を考えた。そこで,「地域のイベントと連携した活動」や「民族芸能を活用した活動」を組み合わせて普及啓発・環境教育を行うという案に固まった。

具体的に行ったのは,マールファファコ村ではスポーツ大会として相撲大会やサッカー大会である。そのスポーツ大会自体もセネガルで大人気のもので多くの住民が参加した。そして大会後の表彰式で環境保護,特にマングローブ林の保護の重要性を村の住民が行う劇、唄、踊りを通じて訴えた。この劇,唄,踊りは娯楽が少ない住民にとっては,本当に楽しいものだった。

参加者の中には,マールファファコ村の住民だけでなく周辺の村からも多くの住民が参加しており,どの活動にも500人?600人程度とかなりの多くの住民が参加した。

 

 

すぐに活動の成果が見られた

参加者の数や地域的な広がりから、参加者は老若男女,つまりは幼児から老人に渡っていた。啓発活動後も村で,同じような啓発テーマに関する話題が日常的に取り上げられるようになり,この活動は大成功だった。マールファファコでは、啓発活動以降、住民は、環境保全活動,特にマングローブの植林への若者の参加者数が格段に増えた。上に書いたように1年目にくらべ2年目のマングローブ植林に男性の多くが参加したのはこの啓発活動の効果である。

 

この後,周辺の村でマングローブ植林や村落林造成が、自主的な活動として行われるようになった例もある。また、周辺村住民からリゾフォーラの植林技術に関してマールファファコ村に問い合わせがいくつかあったことは我々としてもうれしいことだった。

 

 

 

つづく

 

 

3月の駒ケ岳

社窓


3月の駒ケ岳

厳しかった寒さも峠を越えて、徐々に春が近づいているのが感じられる季節になります。
まさに、「三寒四温」。
(「三寒四温」については、2015年3月の社窓をご覧ください)

今年の冬は、各地で豪雪の被害に見舞われましたが、
こと信州に関しては、北部の一部を除いて、今のところ平年並みか平年以下の降雪量のようです。
強い寒気の流れ込みの影響で、気温は全国的に低く、
日本海側は降雪が多くなり、太平洋側では日照時間が長くなったようです。

例年、3月になっても南岸低気圧の影響で長野県の中南部で降雪となることがあります。
信州の方言で言うところの「上雪(カミユキ)」です。
まだ油断は禁物かもしれませんね。


[南アルプス]
20180302minamiA.jpg

 

【森林紀行No.6 セネガル,マングローブ林調査編】 No.13

森林紀行

ダシラメセレール(Dassilame Serere)村

 

ダシラメセレール村の位置

 ダシラメセレール村は、調査地の南に位置している。調査地の南はガンビアに接しているため、この村は、セネガルでも南に位置している。調査地内の大きな町のトゥバクータよりやや南にある。この村はセレール族の村のため村名にセレールが付くのだろう。このあたりは、まだ人口は密ではないので、集落が固まっている場所が一つの村となっていて、他の村とは距離が離れている。村間に家が続いていて、繋がっているような村はほとんどなかった。それは土地生産力が低いということも関係しているだろう。漁業はあるものの、多くの人口を養えないといった面も関係していると思われた。

 

村の航空写真.jpg

ダシラメセレール村の航空写真

 

 

村の位置.jpg

ダシラメセレール村の位置

 

 

 

ダシラメセレール村の印象

 調査時点でのこの村の人口は350人程度だった。ボロン(水路)も流れ、マングローブも多く存在し、そして村では村の存在を知らしめるような特徴的な染め物をしたり、UICN(世界自然保護連合)の支援でハチミツ生産をしたり、また、トゥバクータに近く、そこにあるヨーロッパ人向けのホテルで働く者もいたり、何かにつけて活動的な村だった。また、南に位置するほど雨量も多く、この村の雨量も年間800mm程度はあり、チークも800mm以上の雨量があれば、その植林もうまくいくのではないかと思われた。さらに、若者のなかにロシアに留学し、外部の考えを持ち込み、村の発展に尽力すると見られる者もいた。だからこの村でパイロットプロジェクトを行えば、成功する可能性が高いと思われ、パイロットプロジェクトを実施することになったのである。

 

ダシラメセレール村.jpg

ダシラメセレール村の景観

(雨量も800mm以上はあり、セネガルでは南部ほど緑が多くなる)

 

 

雨量はある程度あるが.jpg

雨量はある程度あるが、乾燥地の特徴である太いトゲのある珍しい植物もある

 

 

近くのボロン(水路).jpg

近くのボロン(水路)では小魚が沢山採れる

 

 

UICNの支援の養蜂箱.jpg

UICNの支援の養蜂箱(同じものを我々も他の村で導入)

 

 

村では特徴的な染め物.jpg

村では特徴的な染め物もしている

 

 

ダシラメセレール村の.jpg

ダシラメセレール村の太鼓

(この辺りの村はどこでもひょうたんの実をくりぬき太鼓にする)

 

 

 

ワークショップ

 パイロットプロジェクトを行った村はどの村もそうだが、数えきれないくらい通った。そしてその都度ワークショップを行っていた。小学校の教室を借りて行うことが多かったが、7月?8月の雨期ではほぼ毎日30分くらいの間スコールが降り、その間はトタン屋根に打ちつける雨音が物凄く、しゃべっている声が全く聞こえなくなり、中断せざるを得なった。しかし、雨が降っている時間が短いので、30分もすれば、また、ワークショップを再開できるのであった。

 

学校の教室を借りてのワークショップ.jpg

学校の教室を借りてのワークショップ

 

 

村人の意見を貼り付け.jpg

村人の意見を貼り付けて行く

 

 

野外でもワークショップ.jpg

野外でもワークショップ

 

 

繰り返しワークショップ.jpg

繰り返しワークショップ

 

 

 

村のリーダーと思われた若者が選挙で落ちる

 初期のころのワークショップで、プロジェクトの活動内容を決めたり、それぞれの村の責任者を決めるワークショップを行った時に、調査時に村の若者でリーダー的に活動していた若者が当然プロジェクトの委員会の重要ポストを占めるだろうと我々は思っていた。そして活動委員会の委員長や委員を決める時に、その若者も立候補したが、選挙を行った結果、落選してしまった。

  わからないものである。その若者は村の女性達から総好かんを食っていたのだった。我々は村の外部の人間であるから、やはり外からみていただけでは、村人の内部の問題はわからないものであると思ったものである。他の村でもプロジェクトの活動委員会のメンバー全員が途中で入れ替わった村もあり、村内に内部抗争的なものがあり、やはり人間が住むところには、いろいろドロドロした部分があるものだと思わされたものである。

 インタビュー調査でも、親しくなった村人からばかり村の様子を聞いていると、別の対立グループがあったりして、偏った情報しか得られていないこともあるこということも分かった。

 

 

村での活動

 この村ではパイロットプロジェクトとしてアヴィセニアの植林、村落林の造成、エコツーリズムの導入を行った。

 

 

アヴィセニアの植林

 ダシラメセレール村は、サルーム川の河口にもそれほど遠くはないため河川の塩分濃度はそれほど高くはなかった。ということは、マングローブが、繁茂することはあっても衰退することは考えにくいのであるが、塩分濃度以外に、上流域でマングローブの枯死が進んでいるため、河川水の中の土壌の含水率が上がったり、水流が変化したりする影響があったのだろう、このあたりの周辺の村にもアヴィセニアの枯死が見られるようになっていたのだ。そのため村人がアヴィセニアの植林を望んだのでアヴィセニアの植林を行うことになった。

  我々のプロジェクト全体を統括するため村には、村落開発委員会が設置された。その下に環境委員会が設置され、アヴィセニアの植林を担当したのである。

 

 

種子の採取

 前にも書いたように、アヴィセニアは7月?9月にかけて、そら豆のような形の種子を大量につけるので、それを簡単に採取することができた。7月に多くの村人が採取し、その後すぐにポットへ播種した。

 

 

苗畑の設置

 苗畑は、大きさ5m×60cm×20cmくらいの木枠を作り、河川の中に設置した。その中にポットを置き、ポットの中に種子を埋めた。しかし、2003年の雨季にあたる8月は雨が多かったため、大雨と大潮が重なった時に、木枠が浮き少し流されてしまい、ポットも流され、最初に播種した種子は皆流されてしまった。

 そのため、もう一度種子を採取し播種したが、それも同じ様に流されてしまった。村周辺のアヴィセニアの種子は、もうほとんど採取してしまったので、なくなってしまい、住民は仕方なく船をだし、苦労しながらも別な地域から種子を採取してきた。

  そこで、次には木枠を紐で周辺のマングローブに固定することにより、雨と潮汐の流れによる被害を防いだ。それにより種子が順調に成長するようになった。

 

アヴィセニアの苗畑.jpg

アヴィセニアの苗畑

 

 

同じくアヴィセニアの苗畑.jpg

同じくアヴィセニアの苗畑。塩分濃度が低いと初期成長が良い

 

 

苗畑の前にて.jpg

苗畑の前にて

 

 

 

成長が良かった苗木

 この木枠の周囲に網を設置して魚の食害を防ぎ、日覆いをかけたことと、2003年は雨が多かったため塩分濃度が下がり、成長が良かった。播種後、2ヵ月程度で苗高は50cmを越えるものも多数あり、すぐに植林をしたのである。

 

 

植林

 成長が予想以上に良かったため植栽時期を早め、2003年11月末から12月半ばにかけ約5,900本を 1m×1mの間隔で移植した。河川沿い1年目は1m×1mで植林した。

 

植林後のアヴィセニア.jpg

植林後のアヴィセニア

 

 

 

2年目の植林

 2年目も1年目と同様に6,000本の苗木生産を行った。アヴィセニアの育苗・植林試験から1.5ヵ月苗を移植するのが良いことが判明したので、2 年目は7月下旬に種子を採取して、2004年9月中旬に50cm×50cm 間隔で移植した。こういった作業には環境委員会のメンバーを中心として1年目、2年目とも男女約100名が参加して行ったのである。

 

 

植林後

 ダシラメセレール村の1年目の植林木の1年後の生存本数は合計で約3,400本あり、生存率は58%(3,400/5,900本)だった。2年目は植林後に魚の食害にあい、生存率は20%程度だった。

  やはり、村人が6,000本の苗木を生産するのは、かなりの量だったので、相当の負担となった。アヴィセニアが塩分濃度に強いといっても、やはり塩分濃度が薄い方が成長が良いのであり、植林地の選定が難しかった。また、植林はリゾフォーラと同じように密植が良かった。50cm×50cmの密植か、より密に25cm×25cmの密植によって生存木を確保していくことが良い方法とわかった。それは一度基盤ができれば天然更新によりアヴィセニアが増殖していくことが期待できるからだった。

 

 

村落林の造成

 サルームデルタではマングローブ材の利用が盛んなため、マングローブ林保全にはマングローブ材の利用を少なくし、他の造林木などの代替材で供給することが必要だった。ことから村落林の造成を計画したのである。2年間で約1haの植林地を造成し、植栽密度は1,111本/ha、植栽間隔は 3m×3mとすることにした。ダシラメセレール村ではアヴィセニアの植林と同じく村落開発委員会の下の環境委員会が村落林の造成を担当した。

 

 

植林樹種と植栽

 実際の植林は住民達が行うのであるが、成長の早く、セネガルでよく植林に用いられている樹種を選んだ。

 1年目は、マメ科のカシア・シアメア(Cassia siamea)、プロソピス(Prosopis)、アカシア・メリフェラ(Acacia mellifera)のほかに、今はシソ科に分類されるようであるが、試験的にチーク(Tectona grandis)とメリーナ・アルボレア(Gmelina arborea)を2003年 8月に植栽した。

  チークは雨量がないと難しいといわれ、セネガルでは南ほど雨量が多く、その雨量の多い南部のカザマンス地方でしか植林が行われていなかったため、苗木は森林局がカザマンスに持つ苗畑から入手したのである。植栽本数はそれぞれの樹種120本ずつ合計600本を植栽した。

 

村落内に作った苗畑.jpg

村落内に作った苗畑

 

 

灌水(水やり)用の水溜.jpg灌水(水やり)用の水溜も作る

 

 

 2年目はチーク、メリーナ・アルボレア、プロソピス・ジュリルローラ、カシア・シアメア、ユーカリプトゥス・カマルドゥレンシスの5 種類をそれぞれ 120 本合計600本を2004年8月に植栽した。

 

 

植林後

 このダシラメセレール村での植林は、これまでセネガル南部のカザマンス地方 でしか植林していなかったチークを試験的に植林したことに先駆的な意味があった。1年目に植栽した樹種は、丸1年経った地点で、チーク89本(74%)、メリーナ・アルボレア105本(88%)、プロソピス・ジュリフローラ90本(75%)、 アカシア・メリーナ45本(38%)、カシア・シアメアが85本(71%)生存していた。チークの成長の良いものは1年で2m50cmを超えるものもあった。

 

成長の良いチーク.jpg

成長の良いチーク

 

 

 

エコツーリズムの導入

 サルームデルタのマングローブ林は生物多様性を維持する貴重な生態系で、近隣に観光ホテルもあり、観光の対象ともなっていた。マングローブ林を保全することと住民生活の向上がプロジェクトの目的で、そのため林業と水産業を振興し、さらに、観光の振興も目指したのである。それがエコツーリズムの導入だった。

 

 エコツーリズムの振興には、宿泊施設の建設も考えられたが、それには相当の初期投資を必要として、またその後の経営やマーケティング、施設維持には専門的な管理者が必要で、また施設の建設は自然破壊につながりかねないため、それらは行わず、現存する観光資源を組み合わせたエコルートを設定することとしたのである。

 

 村落内のエコルートでは、排気ガスを発生するエンジン駆動の輸送手段を避けて、馬車などの伝統的な輸送手段を中心に使用し、また、使用する機器類は、地元生産のものを活用することを原則とし、輸入機器利用を最小限にした。つまりは環境にやさしいエコツーリズムである。

 

 更に、エコルートでは各村の伝統的な物産を土産品としてセットし、地元出身のエコガイドが案内し、エコツーリズムからの収益金の一部を環境保全のために備蓄することとしたのである。デルタ地帯の村落が保有している観光資源はほとんど認識されていなかったので、村の存在を認識してもらうためにも非常に良い機会だったのである。

 

  ターゲットとしたのは、ヨーロッパからのある程度の期間ホテルなどに滞在している滞在型の観光客だった。値段は日本円にして約千円程度とし、パンフレットを作り村では土産物の生産も行った。

 

 

ダシラメセレール村のエコルート

 ダシラメセレール村のエコルートは、ツーリストが安全に観光できることを前提にして、村の広場→馬車での移動(道路から砂地へ)→浅瀬での乗船→大きなボロン(水路)→小さなボロン(水路)→サルの群生地見学→村の船着場で下船という単一ルートにした。サルの群生地が目玉ではあるが、ルートを巡る間に、村の歴史や村の特徴など様々なことをガイドがツーリストの紹介するのである。

 

 

エコガイドの養成

 我々が、この仕事を委託していたUICN(世界自然保護連合)が約2週間のエコガイド養成集中講座を行った。私は、日本の竹富島で牛車に乗り、島巡りをしたときに、ガイドが島の歴史を語ってくれるのはもちろんのこと、その上三味線を弾いて歌も歌ってくれ、それが素晴らしかったので、ここでも同じ様にギターの様なセネガルの伝統的楽器、コラを弾きながらガイドをするのはどうかと提案したが、コラの演奏は世襲制となっていて、一般人は弾けないのだとのことで唖然とし、却下されてしまった。

 

 

必要資材

 エコツーリズム実施のために最低限必要な機器は、馬車と馬、手漕ぎピローグ1隻、一人乗りカヤック4隻、および連絡用の携帯電話1台だった。この他、ツーリストの安全に対する万全の配慮として、別のパイロットプロジェクト対象村で生産したライフジャッケトと同じく別のパイロットプロジェクト対象村で製作するカキ採取用の足袋をダシラメセレール村でも生産し、ツーリストに付けてもらうこととした。

 

 

活動の結果

 実際的には、観光客を呼び込む前にプロジェクトが終了してしまったような形ではあったが、ネットでダシラメセレール村を見ると、今でも様々な国際機関が援助を行っているようで、何らかの形で動いているようだ。

 

プロジェクトで導入した.jpg

プロジェクトで導入した馬車と馬

 

 

エコ・ルートの試走.jpg

エコ・ルートの試走(大使館の方々も視察にこられた)

 

 

緊張の面持ちでの.jpg

緊張の面持ちでのダシラメセレール村のエコガイドの説明

 

 

 

 

つづく

 

 

 

Page Top