インターンシップ

お知らせ

6月6日、7日、8日の3日間、
本年度卒業予定の学生さん2名の
インターンシップ受け入れを行いました。

初日は、あいにくの雨でしたが、
社内にて弊社ならびに測量・建設コンサルタント業界の紹介、
測量、調査、設計など業務の内容について理解を深めてました。
また、夕方には天候が回復してきたので、天竜川にて災害現場などを視察しました。

2日は、現場での作業。
基準点測量を実際に行いました。

最終日は、午前中はUAVの飛行操作などを実際に体験しました。
午後は、前日の基準点測量の計算を社内にて行いました。

学生さんには3日間、みっちりと様々な体験をしていただきました。
ありがとうございました。


弊社では、今後も随時、インターンシップを受け付けております。
1dayから可能ですので、ご希望する方は下記の連絡先までお気軽にお問い合わせください。

株式会社ゼンシン 採用担当
    TEL 0265-83-4865
    FAX 0265-83-9728
    E-mail : info@k-zensin.co.jp

【増井 博明 森林紀行No.8 中国編】 No.4_魚鱗抗による植林

森林紀行

筆者紹介




2006年7月26日(水)

朝食
 朝7時半に朝食。朝の食事時間が毎日30分ずつ早くなる。県知事も来て一緒に食事をする。8時過ぎからすぐにタクロク県の果樹展示園に行く。
 この日の予定はビッシリ詰まっているので、相当な駆け足である。車で園内を回り、これが、モモ、アンズ、ブドウ、ナシと説明してくれる。ここでも昨日のような農薬噴霧をしているのだろうが、それを見なかっただけでもほっとした。

ぶどう園
モモ
ナシ

承徳市へ
 それから承徳市の植林計画が進行中の現場に向かう。時間がかなりかかるとのことだ。9時頃ここを出発する。ここで張家口市のKoさんとは分かれた。
 承徳市まで高速道路を使うが、9時半頃、高速道路上で車が完全にストップしてしまう。渋滞とも呼びがたく、全く車が動かない。ここは3車線もあるのだが、この先で道が1車線になり、そこが詰まって止まっているとのことだった。そうはいうもののこの動かなさは事故ではないかと思った。隣の車線は大型トラックのみだが、全く動かないので、運転手が車から降りてきてぶらぶらしている。我々も車から降りてぶらぶらした。

高速道路上の物売り
 そのうち、自転車に乗って食べ物や飲み物の物売りが来た。どこから高速道路上に入ってくるか不思議だが、高速道路上で商売が成り立つのは面白くさすが中国だ。道路上から周辺の民家をみると、皆焼きレンガ作りの家である。

高速道路上の物売りのおじさん

 ようやく動き出して、高速道路を下り、普通道に戻ったが、やはり道は素晴らしい。問題は高速道路で渋滞が起きないように、コントロールができないことだ。ハードでなくソフトの問題のようだ。

高速道路を降りてからの普通道

ガソリンスタンドのトイレ
 ようやく高速道路から下りたので、自然の呼び声に従って、一般道沿いのガソリンスタンドのトイレに行く。尾籠な話で申しわけない。当然ながらトイレは中国式だった。ドアなどはない。入ったら2人の男がこちら側を向いてしゃがんで、おしゃべりをしながら連れで用をたしているのであった。肥溜め式で用をたす部分が20cmくらいの幅で線状に空いており、そこを跨いで用をたすのである。小さいのは男達が用をたしている前に細い溝があり、そこで私はしたが、後から入ってきた男は2人が用をたしている間で小用をたしたので2人の目の前に一物を出すのだった。この辺はお互いに全然気にしていなくおおらかなものだった。大きいのをしていた人達は、お尻を拭かずに、そのままパンツを引き上げていた。犬のように乾いてコロコロなら良いが、柔らかい時は困るだろうと思った。それよりも清潔であることが重要である。

道路の両側にポプラが並木道として植えられている

承徳市の現場へ
 承徳市の現地へ急いでいるのだが、腹が減って来たので先に昼食を取ることにする。

昼食
 承徳市の人と一緒に昼飯を取ろうということだったが、高速道路の渋滞で予定が遅れ、また、雨が激しくなってきたので、途中のレストランで昼食を取りながら雨宿りをすることとした。ここでも不味いビールと白酒を勧められる。

承徳市の関係者と落ち合う
 だいぶ遅くなり午後4時頃、現場に近い高速道路を降りる料金所で、承徳市の関係者の方が待ってくれていた。ここから現場が近いのですぐに現地に向かった。

植林地への登り口。雨が上がり、ドロドロの道を上がり始める

 最初に植林後2年目の場所と今年植林する場所を見る。等高線に沿って地拵えをしている。魚鱗坑といって、丁寧に植穴を堀り、周りを石積みにし、雨水が溜まりやすくして保護している。

魚鱗坑

 上の写真はこれから植林をするところであるが、既に雨期に入っているので、できるだけ早く植えるように促した。
 それから、2年前に植栽したところを見に行く。高速道路の下の道を歩く。少し前まで降っていた雨で靴がドロドロになる。かなりの粘土質な土壌だ。高速道路に沿って上に登る。そこが2年前の植林地だったが、植林木は草に隠れてどれだけ活着しているか良く分からなかった。しかし、一部の生存木は良くわかり、一旦活着すれば、順調に成長すると思われた。

活着した植林木

承徳市に
 それから山を下り、車で承徳市まで行く。時間も遅いのでホテルに入る前に、承徳市の避暑山荘の前にあるレストランで食事をすることになった。ここには承徳市の林業局の幹部が集まっていた。靴がどろどろで悪かったが、入る前に泥を払いきれいにはした。

酔っぱらったふりして話逸らし作戦
 こんなに沢山の承徳市の林業局の幹部が集まっているとは思わなかったが、最初はわきあいあいと世間話でなごやかだった。
 しかし、白酒の乾杯攻勢が激しかった。多くの人が乾杯、乾杯とくるのでピッチが非常に早くてやばいと感じで沢山食べ、お茶も飲んだ。しかし、こちらがかなり酔っぱらってきたなあと感じたあたりで、仕事の話を始めたのだ。これは中国の作戦にまんまとはめられたと思ったが、既に酔っぱらっていた。
 要するに援助を引き出したいのだが、私には権限もないし、そんな話を日本に帰国したら伝えると言っただけでも日本が援助をしてくれるということになったと喧伝されるに違いない。仕方がないので、酔っぱらったふりと話しそらし作戦を取った。
 グデングデンで呂律の回らない口調で、援助の話は技術の話にすり替え、「もっと自分たちで植林して見本林で植林成功例を作り、日本以外の他の国の援助も引き出してみてはどうだろうか?今の活着率をもっと引き上げる技術を考えてみてはどうだろうか?」といった話を長引かせていたら、時間がきて、ピタッと宴会も終了となり、ここでもほっとした。

山荘賓館
 実際に、すっかり酔っ払ってしまい、この日の宿泊先のホテルがレンストランの前の山荘賓館で良かった。床や壁には大理石がはめ込まれ、立派なホテルだった。部屋も素晴らしかった。部屋はいつもShuさんと廊下を挟み対面である。スニーカーがあまりにドロドロなのできれいに洗って、できるだけ水分を取り、壁に立てかけ乾かした。しかし、外は雨模様で湿気ているので明朝は、湿気たスニーカーを履かなければならない。
 ここでメールを試みると通じそうでなかなか通じなかったが、ニフティーのローミングサービスで北京に繋いでみると通じたが、途中で切れてしまい諦めた。

山荘賓館


つづく

最近始めたこと。

ゼンシンの日々

ずっとやってみたかった刺繍を始めてみました。

始めてみたはいいものの、何の知識もないので動画を見ながら悪戦苦闘💦

こんなに難しいものなのかとめげそうになりながらも少しずつ進めております。

完成したらどこにどんな風に飾るかを考えるのも楽しい時間です🌼

6月の駒ケ岳

社窓
2022年6月の駒ケ岳

そろそろ梅雨の足音が聞こえてきそうです。

最近は、世界情勢の不安定化に伴い、
食品などの値上げが続いており、6月以降さらに拡大するとのこと。
また、変わらずの半導体不足で、
エアコンの品不足や、自動車は新車の納期が見通せないとのこと。

コロナウィルスの感染拡大は徐々に終息している雰囲気があるので、
これから楽しい話題が増えることを期待したいです。

2022年6月の南アルプス

【採用情報】2023年新卒採用 エントリー受付中

お知らせ
長野県企業オンラインセミナー(4月配信)

👩🏻‍💼マイナビ2023にてエントリーを受け付けております👨🏻‍💼

マイナビ2023

お待ちしております。🤗

趣味の話

ゼンシンの日々

仕事はもちろん大切ですが皆それぞれ趣味があり、息抜きやストレス発散をしているんじゃないかなと思います。
当社でも色々な趣味を持った人がいますが、ゴルフが多いのかな?、中にはバイクが趣味の人もいたと思います。
自分はと言うと、昔から車が好きでたまにサーキットを走りに行ったりして楽しんでいます。
一般道路と違い、気を遣わずに思いっきりアクセルを全開にすることが出来るので爽快感が素晴らしいです。
速く走りたいとかは別として、ある程度の装備は安全のために必要ですが、だれでも興味があれば走りに行くことが出来ます。その中でも自分はなるべくお金をかけず、楽しく安全にちょっと速く走ることをモットーとしています。
これからもあと何年走れるか分かりませんがボケ防止? のために頑張って楽しく走りたいと思っています。

追伸:当社の新社長も車が好きなのでよく話しをしますが、最近の若者は車に興味のある人が少なくて少し寂しい気がします。なのでサーキットに行って若者と車の話をするのも一つの楽しみです。結構向こうから話しかけられたりしますよ。サーキットに行くとおじいと若者と半々位ですが。



【増井 博明 森林紀行No.8 中国編】 No.3_凄い禿山、裸山で激しい侵食

森林紀行

筆者紹介




2006年7月25日(火)

現地へ
 この日の朝は、8時に朝食。昨日と同じ感じだ。朝食後、打ち合わせをした後に現場に行く。曇っていて、またしても雨が降りそうであるが、幸いにも霧雨程度で済んだ。現場までは車で約1時間くらいだった。

現地の山に近づく

現地の山(森林)
 道路際は畑になっており、畑から緩傾斜の山が続いている。山には木がない。森林がないのだ。びっくりした。どこもかしこも禿山、裸山で、草だらけである。だから物凄い土壌侵食だ。

土壌侵食
 この土壌侵食の凄さといったらどうにも表現のしようがない。アンデス山脈でも大規模な土壌侵食を見たが、原因も全く同じで、昔あった樹木を根こそぎ伐採してしまったためである。
 山の源頭部あたりの谷間から徐々に侵食が始まり、下流になるほど侵食の規模は大きくなり、平地になっても、まだかなりの侵食が見られる。扇状地から盆地になり、侵食された土砂が堆積して、ようやく侵食が収まるのである。次からの写真を見てもらえば良くわかるだろう。

道のどんつき。道を作ったので、より侵食が激しい
尾根付近の谷頭から侵食が始まり、
麓に向けて侵食が激しくなっている。
途中の二次谷、三次谷の侵食も激しい。
表層の土壌が流れてしまっているので、
斜面には石が多い。
本流の谷でも凄い侵食

 斜面を登って尾根上に出る。一面の草地で禿山である。雨期のため草地になっているが、乾期には一面茶色の斜面だそうだ。ここに茶色に広がる斜面は容易に想像できた。
 私は、半袖の上に薄いジャンバーを羽織っていたが、風が強く冷えてきて夏なのに手がかじかんで来た。

扇状地から盆地となった平地には畑が広がる
同上

植林地
 植林地域を確認する。針葉樹は、油松や満州赤松、広葉樹は榎などを植えているが、生存木が少なく、活着率は非常に悪い。
 5月~10月にかけて雨が降り、7月、8月は雨期で月に100㎜程度雨が降るとのことである。11月~4月までは乾期で雨はほとんど降らず、年間の降雨量は400㎜程度とのことだ。これでは、乾燥に強い樹種を植林したり、植林後、数年間は灌水するといった何らかの対策を考えないと活着率向上は難しいと思った。

禿山、裸山となった原因
 禿山となった原因を聞けば、はっきりとは言わないものの、これは、毛沢東の大躍進政策の中で採られた製鉄増産運動に起因しているとのことだった。当時(1950年代後半)、製鉄のために一般人も薪を用いて製鉄を行ったとのことだ。そのため、ほとんどの森林が伐採されてしまったのだ。
 想像すれば、その頃までは多少の高木の森林があっただろう。しかし、中国では古代から人口は多かっただろうし、焼きレンガが建築材に使われたということなので、レンガを焼くためにも森林は徐々に伐採されて失われて行き、そこへ毛沢東の製鉄増産運動での燃料としての薪採取により残っていた森林の伐採に拍車がかけられ、根こそぎ森林が伐採されてしまったのだと想像した。
 そのため、この時は既に、「退耕還林」政策が採られていたが、まだ十分には進行しておらず、その効果は、ほとんど見えない状態だった。この中国のスローガンは読んで字の如し、素晴らしいと思うが、皆が「右向け右」といった号令の下に一斉にやらされるのは、それにはそぐわない人もいるだろうし、これは空恐ろしい。森林の伐採も回復も科学的根拠に基づいて行われるべきと思ったものだった。

植林の可能性
 そうは言いながら、植林が成功する可能性は十分にあると思った。というのは、表層の土壌は侵食され流されてはいるが、樹木の根を支えるその下層のかなり柔らかい土壌は十分にあるので、樹木の根は十分に支えられるからだ。
 ただし、この周辺は日本の東北地方くらいの緯度で、やや寒く、雨量は夏の7月8月が100㎜前後で、年間400㎜くらいしかないので、この雨量が少ないことが厳しい条件となる。5月から10月までは雨が降るが、11月から4月くらいまでは植林した当初は、灌水できれば良いが、手間が大変なので、別な方法も考えなければならない。
 樹種は、既存の植林樹種に加えて乾燥に強い郷土種を選ぶことになろう。とにかく低木でも森林を作り、天然更新して自然に樹木が増えるようになるまで、植林を行うことである。
 今にして、この後に私がかかわったドミニカ共和国でのプロジェクトのように、単に緑化だけでなく、中腹あたりに貯水池なども作り、果樹などを植え、点滴灌漑などを行ない、何らかの収入も上がるアグロフォレストリー的な方法を取り入れることも一計ではないだろうか、と思ったものである。
 植林は森林を伐採した後に、伐採した樹種が天然更新かクヌギ、コナラ林のように萌芽更新で元の森林に戻れば、費用がかからずに最良の方法となる。しかし、苗木作り、植え付け、灌水と手間と費用がかかれば、植林もなかなか進まないだろう。中国の土地所有は国か農民集団ということなので、国が費用を支援してくれれば良いが、農民集団の土地であれば、果樹の植林で農民が収入を上げられその一部を植林費用に回すような仕組み作りが必要であろう。

農民のトラクターがエンコ
 帰路の途中、道路で多少傾斜のあるところで農民のトラクターが雨で地盤が緩んだためそこを登れず、道路を塞いでいる。我々の車の前にいるものだから我々もストップ。近くで道路工事をしていたブルドーザーがいたので、頼んで引っ張ってもらう。最初は引っ張るために付けたナイロンロープが切れてしまった。それで、ワイヤーに付け直すと、すぐに引っ張ることができ、農民のトラクターは横にどいてもらい、我々はホテルに戻ることができた。

農民のトラクターを工事中のブルドーザーで
引っ張ってもらう
近隣の焼きレンガの家

昼食
 ホテルに戻り昼飯である。体が冷えたので、この時は乾杯を勧められるままに白酒を飲む。少し飲んで、体が温まってきてほっとした。こういう時にアルコール度の高い酒は元気も出るし、実に良いものだと思ったものである。しかし、それで中国の寒い地方やロシアにはアル中が多いのではないだろうか?ここで河北省のRiさんは戻っていった。

タクロク県に行く
 食事後、豚鹿県(豚ではなく月片がサンズイ、タクロク県と言う)に行く。途中でタクロク県の町で県庁に立ち寄り県知事に挨拶をする。それから公安と書いた車(警察権をもった林業局の車)が先導してくれる。町はやはり立派である。幅広の道路は、片側が2車線ずつあり、その外側に街路樹植林用のスペースが広がり、それとビルとの間にはもう1車線ある。ビルは7~8階の大きなビルが余裕を持って建てられている。どうみても日本の市役所所在地などよりもはるかに余裕がある。しかし、このビルの耐震構造を考えると外見のきれいさだけでは判断できないところがあろうと思えた。

ぶどう園
 そこから30分くらい未舗装の道を行くと、段々畑ならぬ段々ぶどう園が広がっている。
 ここは世銀のプロジェクトの援助でできたふどう畑で6年目とのことだ。6年でそれほど立派な木になるとは思われないので、既存のぶどう畑のところを拡張的に整備したのだろう。ここはワイン生産を中心に行っているそうだ。階段切りを行って、井戸を掘り、灌漑用のパイプを通し、230haのぶどう園を造成したとのことである。1,500万元(2億2千5百万円)借り、利子は0.2%で25年返しだそうだ。それ以外に800万元(1億2千万円)は無償だそうだ。
 しかし、農薬のかけ方が凄い。半端ではない。多くの人が農薬タンクを背負い、マスクもしないで一斉に農薬をかけている。手前の農地で作業している農民を見ても同様にマスクをするわけでもなく、農薬タンクを背負い、噴霧器でかけている。これを見て、中国農民や中国人自体の農薬中毒の怖れが心配になった。それに中国のワインもおいしいけれど飲むのは止めようと思ってしまった。日本で売っている中国産の野菜もできるだけ買わないようにしようとも思ったものである。
 しかし、今では中国人の農薬に対する意識に変化が見られ、クリーンな野菜を食べたいと思う人も増えているようだ。

文学館
 帰りに丁玲さんという人の文学記念館があったので立ち寄ってみた。丁玲さんの銅像が入り口に立っていた。
 丁玲さんは中国の女流作家で、左翼作家連盟に属し、夫の刑死後、共産党に入党し、解放区で文化宣伝工作に従事し、1954年頃から批判を受け第一線から退いたが、1979年に名誉を回復した方とのことだった。
 面白いものとは感じなかった。ただ、そこで遊んでいた子供達が元気で、日本の子供と同じようで心が和んだ。

丁玲さんの銅像

タクロク県のホテル
 この日は、豚鹿県のホテルに泊まった。ホテルの概観は病院のようである。中は普通のホテルといった感じだった。ツインの部屋を一人で使いかなり広いが、ここでも赤城県のホテルと同様にバスタブの排水が悪かった。

夜の接待攻勢
 夜は、また接待攻勢である。このタクロク県の県知事よりも偉いと思われる方の隣に座らされた。この方は随分と態度が大きかった。年は私より少し若いくらいに思われたが、非常に尊大で高慢のような感じを受けた。今まで様々な国の偉い人達とも会食をしたことがあるが、常識的で尊大と感じたことはなかった。接待受けるのも仕事の一部と思っていたが、お客さんである私に対してまるで自分の部下であるかのような物言いだ。こんなひどい目にあう接待は受けたくもない。このような態度は、中国の政治体制が影響しているのだろうと思わざるを得なかった。
 ここでも随分と白酒を飲まされた。ビールは相変わらずまずい。相手が悪いからよけいに不味く感じたのであろう。しかし、ここでも夕食は2時間くらいでピタッとお開きとなり、ほっとした。

街中
 少し余裕ができたので町に出た。Shuさんが大きな瀬戸物の金魚蜂を以前に買って、明日行く承徳市の事務所に置いてあるとのことである。今回、それを日本に持ち帰りたく、機内持ち込みにしたいとのことだった。そのために布でくるんで割れないよう、大きな布袋を作ってもらうため、布屋に入った。私も中国風の布を少し買う。
 そのあと中国式のマッサージ屋に行き、体をほぐしてもらった。45分で70元(約千円)だった。男の人だったのでかなりきつくもんで貰った。


つづく

5月の駒ケ岳

社窓
2022年5月の駒ケ岳

「3年ぶりの行動制限のない大型連休」ということで、
各地で多くの人出があったとのこと。
とはいえ、長野県の各地の警戒レベル4あるいは5がほとんど。
まだまだ、”どんどん出かけよう”とはならないところが、
なんとももどかしい限りです。

大型連休明けの感染者が増加しないことを祈りつつ、
今年は、コロナ禍前の生活に近づくことを期待しています。

2022年4月の南アルプス

環境美化活動

お知らせ

社屋、社員駐車場ならびに周辺道路の環境美化活動を実施しました。

小さな取り組みではありますが、今後も継続してまいります。

長野県SDGs_02-01山岳高原横

【増井 博明 森林紀行No.8 中国編】 No.2_山に樹木がなく少雨で道路が浸水

森林紀行

筆者紹介




7月24日(月)
ホテルでの朝食
 朝8時半ぴったりに関係者全員で、ホテルのレストランの小部屋で食事をした。食事用の部屋が何部屋かある。おかゆ、肉まん、あんまん、ゆで卵、肉類やスープ類など、色々な種類の食事が出てくる。丸テーブルの上の台を回転させ好きなものを好きなだけ食べれば良い。さすがに朝からアルコールはでなかったのでほっとした。張家口市の林業局の担当者も朝早くから来てくれた。Koさんといった。

会議
 食事の後、会議室に移動して、会議が始まる。中国側から最初になにか挨拶があって始まるのだろうと思っていたら、なにもかしこまった挨拶なしに、自然発生的に会議が始まってしまった。これが中国式なのか。進行が良くわからなく、これはまずいと思い、まず、成り行き任せの会議をストップさせた。それから私が挨拶をして、自己紹介や今までのお礼や経緯を述べ、今回の仕事の目的や調査内容などを説明した。

泊まったホテル 温泉賓館の会議室

 中国側は河北省のRiさんが責任者であるのだが、会議の司会もしないし、ほとんど発言もしない。そこで私がほとんど仕切ってしまった。
 河北省では、ここにきている中ではNo.3の位置にいたFonさんがだいたいしゃべり、後は赤城県の担当者に説明させている。私は、初めてでわからないこともあるので、沢山質問をした。それから今回の調査が終わった後に提出してもらいたい書類などを頼んだ。そしてお互いが納得して、最後にまた私がまとめを述べて、このときの会議は終わった。
 この時の中国側の関係者の年代は40代後半~50代前半で、私よりも少し若いくらいだった。

温泉源へ
 午後から現地に行く予定となっていて、少し時間があるので、近くの温泉源を見に行こうということになり、皆で、徒歩で見に行った。道路に水が流れているのでどうしたのかなと思っていたが、先ほど降った雨が流出して道路を流れているのであった。大した雨でもないのにこれほど流出するとは、山に保水力がないか道路の側溝や下水道など排水施設が整ってないからだろう。ホテルから歩いて5分くらいのところにお寺があり、そこが温泉源となっている。

近隣のホテル
雨が降ると道路に雨水が集まる。側溝がない。

 温泉の近くには、何やら怪しげな看板もある。怪しげな看板は、どうやらカラオケ屋と按摩屋のようだ。

怪しげな看板

温泉の成分
 温泉源には、温泉の成分が書かれた石板が沢山あった。中国も日本と同じように温泉の成分の薬理的効果により、病気治療などに利用している。

説明文「平泉。1分に0.05ⅿ3出水。36℃。pH5.1~7.8。この温泉には微量元素が多く含まれている。」

説明文「胃泉。1分間に0.083ⅿ3出水。58℃。pH4.9~7.8。温泉の成分から消化器系統の慢性胃炎や腸炎、神経性胃腸潰瘍等に効果がある。」

説明文「ゾングアン(主温泉)。1分に0.516ⅿ3出水。68℃。pH4.9~8.0。30種類以上の化学的成分と放射性物質を含む。Na,K,Ca等。100年の治療経験や最近の研究によりリュウマチ関節炎、神経性皮膚炎、脂漏性皮膚炎等に効果がある。治療効果は80%。」

お寺への登り口
 温泉源の上にはお寺があり、山の中腹のお寺まで登る。

お寺への登り口
同上
中腹のお寺から下を見る
お寺の中の像

 上の写真はちゃんとした像であるが、他の像をみて大ショックを受けた。多くの像は首が刎ねられていたのだ。文化大革命の負の遺産だ。政治闘争ではあるが、既成の一切の価値を変革するというところから文化遺産も破壊されたのだ。像とはいえ、その姿は無惨で、とても見られたものではなかった。

お寺の前の占い師
 お寺への参道の途中に、占い師のおじさんがいた。しきりに占ってやると言うので、20元(約300円)を払い、占ってもらった。雨が少し降り出だしたので、少し上に登り、寺の軒下で占ってもらう。誕生日と生まれた時刻を聞かれ、筮竹を3本引く。それには数字が書いてあって、占い師のおじさんは数字と本と見比べている。そして左手の手相をじっと見る。Shuさんが通訳してくれているのだが、過去のことを言われると良く当たっている。「あなたは今年の春までここ何年か体調が悪かったが、これからは良くなり、快調になる。」と言われる。実際に49才の時にジンバブエで罹った肝炎で、その後5年くらいはずっと調子が悪く、ようやく良くなり酒も少し飲めるようになってきたくらいの時だったので、まあ、この言葉を信じようと思ったものである。
 未来のことは、「今後6年間の間に事業を起こしても上手く行くし、今のままでも上手く行くし、全て上手く行く。あなたは管理職で、皆に尊敬される管理職となる。金運も付いてくるし、あなたの歳でも女性運も良くなる。全てが順調となり、幸福な人生で、88歳までは十分に生きられる。」と調子が良いことを占われる。本当かねと思ったけれど、良いことを言われれば気分は良くなるものである。私は簡単に騙されてしまう方でもある。
 当たってなかったことは、「あなたの妻は私を中心に生きていて良く面倒をみてくれている。」と言われたが、実際は非常に独立心が強く、私の存在など必要なく、自分中心に生きていると思われる女性なので当たってない部分もあった。

占い師のおじさん

 私は、この時56才だったので、今思うと勤めを辞めて何か事業を起こした方が良かったのだろうかなとも思うが、そんなことはできなかっただろう。ちょうど、この6年後に今の会社(株)ゼンシンに入社させてもらい、とても感謝しているので、そのままで上手くいったということだろう。
 金運や女性運は意識できるほど良いとは思えないので、当たったとは言えないが、普通なのであろう。
 また、この時、88才までだとまだ32年もあり、結構長生きできるなあと思ったが、今72才になってみると、あとたった16年しかないなあと感じる。父は90才まで生き、母は96才でまだ健在だから二人とも長生きである。だから今思えば、百寿まで生きられると言ってくれれば良かったのになあと思う。それに全て良いという6年間はあっというまに過ぎ去ってしまった。欲張りであろうか?

帰国してから勤め先の中国人に聞いてみた
 この時、帰国して、同じ勤めに中国出身の技術者がいたので、その方に中国の占い事情を聞いてみた。すると、中国の古いお寺の占い師は90%くらい良くあたると言われているとのことだった。占い師のおじさんの写真を見せたら、「こんな感じの人は良く当たるよ。」と言われて、我ながら単純すぎるが、改めて気を良くした。
 まあ結構楽しませてくれた占い師で、旅にアクセントを付けてくれて感謝した。

昼食
 それからホテルに戻り昼食となる。早くもビールと白酒を勧められる。例によって乾杯攻勢で、飲まないわけにはいかないので、少しは飲む。白酒はアルコール度が高いのでとてもおいしいが酔うので、できるだけ随意にし、飲む量は控えた。

現地へ
 午後2時過ぎに現場に、これから植林を進めるという現場に行くという時に、少し雨が降ってきた。これはかなりの雨になりそうだとこちらの人が言っている。私は早く山を見たいので、それでも現場に行こうと、皆を連れ出し、車で出発する。


 しかし、雨は激しくなってきた。少し走って、未舗装の道路に出ると、山からどんどん水が流れて来て、道路が川のようになって来た。道に少し段差があるところを車で越えるのは難しいし、水かさが増してくると危ないので引き返すことにした。

道路は川のようになる

 すると帰り道では舗装道路は、未舗装道路よりも、もっと川のようになり10cmも越えるような深さで水が流れているところもある。とは言え、ようやくホテルに戻りつくことができた。戻る決断が少し遅れていれば帰るのが難しかっただろう。
 山に木がないので保水力がなく、すぐに雨が流出してしまうのである。それで現場に行くのは明日の午前中にしようと予定を遅らせた。空いた時間で、植林の計画作りを皆で練り上げるにはちょうどよかった。

夕食
 夜の酒は、今度は茅台酒(マオタイ)である。昼はそれほど勧められなかったが、夕食時の乾杯、乾杯の攻勢はかなりのものだった。相当に飲まされ、少し酔った感じがした。マオタイも50度くらいあり、とても美味い。
 しかし、1時間半くらい食事をしてパッと止むのが良い。その後、酒は全く飲まないのでそれも良い。

温泉プールへ
 午後8時過ぎになり、近くの温泉プールに行こうと誘われた。ほとんど雨は止んでいる。男全員で行く。入り口で靴を預けてサンダルをもらい、海水パンツも新品のをもらい中に入る。たぶん誰かが買ってくれていたのだろう。タオル、シャンプーが入ったビニール袋をくれ、着替える。
 「メガネを取ると良く見えないよ。」と言ったら新品の度付の水中メガネを誰かがもってきてくれた。少し度が強過ぎるけれど見えないよりは良い。水中メガネを付け、左側の長さを調節しようとするとゴムが切れてしまった。さすがに中国製で粗悪だと思ったが、幸い余っているゴムひもを少し伸ばして使うことができた。
 中には3つほどプールがあり、2つは普通の水温に近く、1つは温水プールであった。ここは標高1,000mくらいで寒いので温水プールで温まる。温泉に入っている感じだ。奥の方へ行くと少しぬるぬるしている。
 それから普通のプールに行き泳ぐ。長さは25mくらいだ。Koさんが片道の競争をしようというので、競争したら私が勝った。次に運転手が挑戦してきて、私は負けてしまった。勝ったり負けたり引き分けで良かった。
 皆、腹がぽっこりと出ていて、私だけが年でも締まっていて腹筋が割れて見えるのに皆、驚いていた。この頃は、ジンバブエで陥った肝炎からの体力の回復のため、腕立て伏せと腹筋運動を毎日100回くらいやっていたのだ。
 上がってシャワーでシャンプーをしながら、頭を洗ったが、皆、人前で裸になるのは平気だし、まったく隠したりしない。これは中国のトイレ事情など考えれば、恥ずかしいという感情などないからなのだろうと思った。
 プール代は誰が払ったかわからなかったが、私が自分の分は払うと言っても、私には払わせない。かなり飲んだ後だったが、十分な運動をしたので、二日酔いにはならなかった。


つづく

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