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【増井 博明 森林紀行No.7 アラカルト編】 No.40_ドミニカ共和国

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筆者紹介




旅行-成田空港からサント・ドミンゴヘ(ドミニカ共和国)

はじめに
 現在(2022年1月)、世界は依然としてコロナ禍にあり、自由に観光旅行はできない状況にある。昨年末には、デルタ株は一旦収まったかに見えたが、新たにオミクロン株が出現し、今後どのような状況になるか予断は許さないところである。現在でもビジネスなどで許可証持っている方は、旅行はできるだろうが、一般人の観光旅行は当分難しいであろう。私は仕事で海外に行っていたので、今では観光旅行を楽しみたい気分であるが、上に述べたようにいつになったら再開できるかは見通せない。そこで今回は、何回も往復した成田空港からドミニカ共和国の首都サント・ドミンゴヘの旅行を思い出し、旅行の楽しみ感や緊張感を書いてみたい。(カリブ海の国にはドミニカ共和国とドミニカ国があるが、以下ドミニカ共和国はドミニカと記す。)
 今回書くのは、ドミニカへ2回目に行った時のことで、2007年6月2日(土)~3日(日)である。2011年の東日本大震災の4年前のことである。

ドミニカ共和国の位置

経緯
 ドミニカでのプロジェクトの団長をしていた同僚が、ドミニカの現地、パドレ・ラス・カサスという町の奥のペリーキート村という場所で、突然、不幸にも心不全で亡くなったため、急遽、私が派遣され、同僚をサント・ドミンゴで荼毘に付し、遺骨を持ち帰ったのが5月19日(土)だった。その後日本での葬儀を5月26日(土)に行った。プロジェクトの団長は、私が引き継ぐことになり、葬儀の手配や団長交代の手続きなどで、2週間があっという間に過ぎ去った。そして、早くもドミニカへの出発の日の6月2日(土)となったのである。このころはしょっちゅう海外出張だったので、海外用の荷物は、帰国したら衣類は洗濯をして、海外用の荷物として保管していた。そのため、同僚が亡くなった時も、翌日にドミニカに飛ばなければならなかったが、いつでも準備はできていたので、用意は楽だった。

成田空港へ
 6月2日は、朝食後7時15分に家を出た。私の娘は勤めていたが、土曜日なので仕事が休みで、自転車の荷台に私のショルダーバッグを乗せて、自転車を押しながら歩いて駅まで見送ってくれた。そして最寄り駅から南浦和駅、上野駅を経て、京成上野駅からスカイライナーに乗り成田空港へ向かった。JALでニューヨークまで向かうので成田空港の第2ターミナルで降りた。着いたのは8時40分くらいだった。
 前日家から送ってあった荷物を宅配のABCのカウンターで受け取り、すぐにチェックインした。大きなスーツケースを2つも持って行った。1つは自分のもの、もう1つは仕事用である。2週間前に行った時より空港は、大分すいていた。前回はできるだけ早くサント・ドミンゴに行くため、アメリカで一泊しなくとも行けるシカゴ経由で行ったが、今回はニューヨーク周りで行く。ニューヨーク周りだとニューヨークで一泊でき休めるので、体への負担は少なくなり、翌日から仕事をする上でも一泊していったほうが効率的で、楽だった。
 成田空港の土産物売り場で、ドニニカの仕事先のお偉いさんやカウンターパート(共同作業技術者)用に沢山のお土産を買いこんだ。それで空のリックサックが一杯になった。通関してアメリカンエアラインのラウンジに入った。この時は、JALのラウンジがリニューアルの最中で使えなかったため、アメリカンエアラインのラウンジが代わりに使えたのだ。なにしろこの頃は、沢山の仕事を持っていたので、ラウンジに入ってすぐに勤め先に電話し打ち合わせをしたり、家族に電話をかけているうちに11時半になってしまい、飛行機に乗るようにとのアナウンスがあった。
 ラウンジでコーヒーを飲んだり雑誌を見たりする暇がなく、あわただしく、観光旅行とはかなり違うかなというところだった。ただし、わずか2週間前であるが、前回行ったときは、亡くなった同僚の家族を引率しての重い気持ちを引きずりながらの旅だったので、その大変さを思い出すと、この時のフライトは、かなり落ち着いて行くことができた。

成田空港
成田空港 荷物を運ぶ車両

機内
 飛行機は定刻の12時15分に飛び立った。ニューヨークには時差の関係で同日の11時半に着く。約13時間のフライトだ。出発した時刻よりも早い時刻に着くので、時差がなければ過去への旅となる。帰りは偏西風の関係で約14時間半かかる。これは未来の1日を失う旅だ。この路線がフライト時間は一番長いであろう。この機内での半日の間は仕事を忘れて一番リラックスできる時間だった。ニューヨークから先のフライトは、目的地が近づくので、つい仕事を考えてしまうからだ。
 乗ってしばらくすると飲み物のサービスがあり、それから食事となる。缶ビールを1本か2本飲んで、ワインを飲みながら食事をする。昔は和食を食べていたが、この頃はだいたい洋食で魚よりも肉系を好んで食べていた。それは色々食べて肉系が私には一番おいしく感じられたからだった。
 その昔は、映画も大きなスクリーンで皆で見ていたので食事の時は、隣の人との会話も楽しんだものだが、映画も個別に見るようになってからは、イヤホーンをしている人が多く、話しかけられなくなり、会話も楽しめず、フライトでの面白みが一つ減った。
 機内を前から後ろまで、エコノミークラス症候群にならないように、時々歩き回った。ジュースやスナックなどが置いてある場所では、そこにいる人と良く話をした。アメリカへ向かうのでアメリカ人も多く、英語慣らしに良い準備ともなり、頭は日本語から英語もOKに切り替わる。英語の客室乗務員には、休んでいる時に、水やビールをもらう時の英語も、最初のころは「Water, please.」と言っていたが、だんだん丁寧になり、「Can I have water?」とか「May I have another beer?」とか言うようになっていった。
 13時間のフライトはかなり長く、映画を見たり本を読んだりだった。最初の食事をとった後にすぐに眠れて、次の着陸前の食事の時に起こされるくらいの時はとても調子が良いが、眠れないと着いてから余計に眠いので、できるだけ眠れるのが良かった。

ニューヨークへ到着
 さてこの時は、ニューヨークにも予定どおりに同日の11時半に着いた。この時は、降りてからはラッキーだった。前の便の到着客がいなく、すぐに通関できた。到着便が多いと入国審査でパスポートチェックなどに手間取り、多くの人が列をなして待っており、ひどいと2時間も待たされることがあったからだ。荷物を取って、予約してあるホテル・ヒルトンニューガーデンへ行く。ここへ行くには空港内を回る電車で二駅くらい乗ったところにホテルのシャトルバスが付く場所があり、そこで待っていると15分~30分おきくらいにシャトルバスが来る。
 ここは前回泊まったホテルと同じだったから気が楽だったが、一人で旅をしていると、時々これで良いのか不安になったりする。それに大きなスーツケースを2つも持っていて一人だと、トイレに行くのにも容易ではない。この時は昼間だったから良いが、夜で真っ暗であたりが見えなく、初めての場所だと、シャトルバスがちゃんとくるかなとか不安になる。幸いにも何のトラブルもなくホテルに着いた。

JFK空港からホテルに向かう

ホテルにて
 前回の帰りに泊まったホテルである。ホテルには午後1時くらいにチェックインできた。同僚と一緒に来ていればマンハッタンあたりまで行って、見学しても良いが、一人で行って何かあると嫌だし、日本から出発して徹夜状態なので、眠いけれどビールを飲んでからぐっすり眠ろうと、ホテルの売店で小瓶のビールを1本買ったら7ドル(840円:この当時の円ドルレートは120円)もし、あまりに高いのでびっくりした。
 それでビールを飲んで、うつらうつらしながらベッドに横になったら、ブレザーもズボンのそのままで眠ってしまい、気が付いたらもう午後の8時だった。起きていた方が良かったかもしれなかったが、それからレストランに行き食事して、戻ってからまた眠ってしまった。時差で気持ち良く眠れた。出発前の2週間が、ずっと忙しかったので、これで疲れも取れるだろうと思った。

JFK空港へ
 翌6月3日(日)は、午前6時に朝食を取った。12時間くらい寝たので、目覚めはばっちりだった。7時30分のシャトルバスで空港ヘ向かう。バスに乗ってからスーツケースに巻くベルトをホテルに忘れたことに気がついた。前回、帰国時に同じホテルに泊まり、ホテルからJALの乗り場まではシャトルバスで5分ほどと近かったので取りに戻ろうと思ったが、今回はJALの乗り場も過ぎ、次々と色々な国のエアラインの乗り場を止まって行く。アメリカン航空までシャトルバスで30分もかかったので、取りに行ったら乗り遅れる可能性もあるので、取りに行くのはあきらめた。

JFK 空港のjetBlue アメリカの格安航空会社

チェックイン
 8時過ぎに直ぐにチェックインできた。大きなスーツケースを2つ持っていても規定内の大きさと重さで超過料金も取られることはなかった。アメリカはこういう点は厳しくチェックされる。ここでもアメリカンエアラインのラウンジで休むことができた。ここに入っていれば何かと安心で、リラックスできた。

機内にて
 飛行機は午前10時前に離陸した。飛行時間は3時間半ほどだった。機内はスペイン語が飛び交いすっかりドミニカの雰囲気だ。スペイン語慣らしに隣の席の人話をする。頭は英語からスペイン語もOKに切り替わる。
 ここでもしばらくして食事がでる。いつも中継地から目的の国までの飛行の時は、アルコールは飲まない。到着した時に、何かトラブルがあった場合に頭が働かないと困るからだ。数え上げれば切りがない。荷物が着かなかったこと、日本から持ってきた機器が通関できず保税倉庫行きになったこと、お土産も取り上げられたことなどだ。その都度、どうやって取り戻すか頭を悩ましながら交渉しなくてはならない。
 食事が終われば、自然と頭は仕事で、一杯になってしまう。明日のアポイント先の面会予定者ごとに話す内容を反芻し、こういう質問にはこう返すと言った想定問答も繰り返している。その後の予定はどうなっているか資料を引っ張りだし、読み返す。資料は日本語だが、それを訳したスペイン語も読んでいる。段々とプレッシャーがかかってくる。いや、自分でプレッシャーをかけ過ぎていたのだろう。
 さて、飛行中、今までも何回も上空を横切り、降りたことはないキューバを見た。南米に行くときは、続いて、今回の目的地のドミニカやハイチを見ることもあった。午後1時半に予定通りサント・ドミンゴの空港へ着陸した。

到着
 やっとサント・ドミンゴの空港だ。日本を出発してから丸1日以上経過しているからかなり長時間のフライトだった。幸いこの時は何のトラブルもなく通関できた。荷物を持って外に出るとプロジェクトのメンバーと運転手との2人が出迎えてくれた。

サント・ドミンゴの空港

海岸線の通り
 強烈な太陽だった。空港から街中のホテルまでは約30分かかり、海岸線を走った。夜は、治安が悪い場所だと言われているが、昼間は大丈夫だ。前回は余裕がなかったが、今回は、周りをよく見れば、強烈な太陽の下、真っ青の海が見え、とても風光明媚で、カリブ海の景色は素晴らしいところだなと思った。

カリブ海 海の色が美しい
サント・ドミンゴに近いボカ・チカの海岸 強烈な太陽
サント・ドミンゴの街に近い場所にある海岸沿いのレストラン
別な時期の夕方

ホテルや街
 サント・ドミンゴの街に入り、この辺りでは、やや高級なホテル・サント・ドミンゴへチェックインする。前回も泊まったホテルで、その後もサント・ドミンゴでは常泊としていたホテルだ。建物は古いが、一人でいるには部屋はかなり広く居心地が良い。

ホテル・サント・ドミンゴの入り口
ホテル・サント・ドミンゴの部屋
サント・ドミンゴの市内

 この日は、日曜日。ホテルで落ち着いてからしばらくして、近くのスーパーマーケットに買い物に出かけた。暑くて外に出ると汗が噴き出る感じだった。ただし、ホテルの周りでも治安が悪いので、出かける時はいつも車だ。もちろん運転手が待っている。行った先は、巨大なショッピングセンターで、ここで必要なものは何でも手に入るのだった。ホテルに戻ってから、同僚に仕事の状況はどうなっているか、ずっと説明を受け、明日の月曜日からの仕事に備え、急ピッチで準備を進めるのであった。

 観光旅行気分を味わおうと往きの旅行時のことを書いてみたが、書いてみるとやはり仕事の旅行になってしまい、開放感が味わえないなあと思ったが、致し方がなくご容赦願いたい。


つづく 

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