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[増井 博明 森林紀行 番外編 地域探訪の小さな旅]No.10 金毘羅山~御岳山

森林紀行

秋の山歩き
 2023年10月28日(土)に、奥多摩の金毘羅山を目的に登った。物足りなかったので、その奥の日出山、御岳山まで登り、御岳駅に降りた。

金毘羅山
 奥多摩の金比羅山は、東京都西多摩郡日の出町にある標高468mの山である。山頂付近には金比羅公園展望台があり、武蔵五日市の街並みや奥多摩の山々を眺めることができる。山頂の南側には琴平神社があり、その奥には「金比羅山の天狗岩」と呼ばれる大岩がある。金比羅山には、武蔵五日市駅から徒歩で登ることができ、そこから御岳山や日の出山などを縦走するコースもある。今回はこの縦走コースを歩いた。

武蔵五日市駅から御岳山駅へ

家を出発
 朝、家を出発する時になり、空では雷がやたらとなり始めた。上空で暖気に寒気が入り始めたのだ。近くには雨雲はないが、遠くに暗雲が不気味に見える。先月に続いて、また雨かと思ったが、天気予防では午前中は晴れ、午後3時くらいから雷の鳴る恐れがあるとのことだったので、いつものように楽観的に大丈夫だろうと出発することにした。ただし、念のために折り畳み傘に加えゴアテックスの雨具も持っていくことにした。ところが今回は杖を忘れてしまった。杖は登り始めてすぐに山中で杖に適したスギの枝を拾い、適当な長さに切って使っていたので、杖は特には、いらなかった。駅近くのコンビニでおにぎりを買ったらペットボトルのお茶をくれたので、その分リックが重くなった。

集合
 集合は武蔵五日市駅9時25分だった。時間通りに着いた。すっかり晴れて秋の行楽日和となった。

武蔵五日市駅に着く直前の電車の中からの景色

 多くのメンバーが集まると思ったが、集まったのはいつものリーダーのフランス人のレオさんと、あとは日本人の女性が4人と私を加え計6名だった。日本の女性はフランス人と結婚したり、フランス語圏に長く住んでいたりしてフランス語が堪能な方ばかりだ。

武蔵五日市駅

はっきりしない行先
 レオさんに武蔵五日市から金毘羅山に登ってから、どこに向かいどこに降りるのか聞くと、「決めてない。適当、その時の気分次第。」とまたいいかげんな返事。前回のメンバーバラバラ、道迷い登山のこともあり、行程はきちんと決めておくべきだが、こりていない。
 この質問で気分を害したようで、あまり突っ込むことはしなかった。同じスタイルを貫くフランス人らしい頑固さがでていると思った。私はきっと途中で、皆とは分かれて歩くことになるだろうと思った。そして天気も良くなったので、私は、金毘羅山に登ったら、皆が付いてこなくとも一人で、その奥の日出山と御岳山を登り、御岳山からケーブルで降りようと思っていた。

登り口に向かう
 武蔵五日市駅から金毘羅山の登り口に向かって舗装道路を歩く。大通りの北にある車の通行量の少ない細い道を行く。しばらく歩くと登り口に近い所に五日市会館と五日市中学校があり、その間の道を歩く。会館ではあきる野市の文化祭を催していた。

あきる野市五日市会館
あきる野市立五日市中学校

秋の東京の田舎の景色
 秋の東京の田舎の景色も良いものである。都心と違って大きな庭がある家も多く、柿の木やいろいろな樹木が植わっていて、松や真木などよく手入れがされている家も多い。しばらく歩くと鳥獣保護区となる。

鳥獣保護区の看板
登り口付近の道標。金毘羅山、日出山、御岳山へ
クマザサ
登り口の神社
ヤマザクラ
山道を登り始める

上層の優占種
 この周辺の自然林の上層の優占種は、コナラとヤマザクサである。前回行った神奈川県と山梨県の県境と同様である。

おチビちゃんとお父さん
 登り始めて、間もなく小さな女の子と男の子を連れたお父さんを追い抜いた。後で聞いたところでは女の子が8才、男の子が5才ということだった。このかわいいおチビちゃん達が御岳山まで頑張って一人で歩くのだった。

大きなモミの木
金毘羅と書かれた石像

金毘羅の石像
 登山道沿いに、小さな石像が沢山あった。これには金毘羅と書かれていた。金毘羅とは、インドのガンジス川に住むワニを神格化した仏教の守護神で、航海や漁業の守り神とのことである。香川県の金刀比羅宮を中心に全国には約六百もの金毘羅神社があるとのことである。
 武蔵五日市の金毘羅神社は、江戸時代に建立されたもので、金刀比羅宮の分霊を勧請(かんじょう:仏教や神道において、神仏の来臨や神託を請い願い、神仏の分身や分霊を他の地に移して祭ること)したと言われているとのことである。

シラキ

シラキ
 この辺りにはシラキの木も沢山あった。シラキはトウダイグサ科で、日本以外には中国や朝鮮半島に分布し、樹高は8-9mに達する。学名はNeoshirakia japonicaで、Neoshirakiaはシラキ属を表し、japonicaは日本産のという意味である。英名はjapanese tarrow treeで、tarrowはトウダイグサの一種を指す言葉だそうだ。

テイカカズラ
 写真の長い実はテイカカズラの実である。長さ20㎝くらいの鞘を垂らしている。マングローブのリゾフォーラ(八重山ヒルギ)の長い種子に似ている。しかし、テイカカズラはこの長い袋の中に種子が約10~20個ほど入っていて、白く長い綿毛が付いていて風に乗って遠くまで飛ばし増えていく。藤原定家が慕った式子内親王の塚に生えたことからテイカカズラと名付けられたとのことである。

テイカカズラの実

 学名は Trachelospermum asiaticum。ギリシャ語の trachelos(首)と sperma(種子)に由来し、長い鞘に入った種子の形を表し、英名は Yellow star jasmine、黄色く星形のジャスミンに似た花を咲かせることに由来している。
 また、面白いことにテイカカズラは気根を出すのである。テイカカズラの気根は、他の物体に付着して植物体を支える働きをしているとのことである。
 マングローブのほんとんどの樹種には気根があるが、これらの機能とは異なっている。マングローブは、水中や泥の中で酸素が不足する環境に適応するために、空気中から酸素を取り入れているのである。

テイカカズラの葉

琴平神社の手前の見晴らし台から
 遠くあきる野市の町が望め、見晴らし台の下にはガマズミの実が見えたり、ツバキが沢山あった。琴平神社はこの上にあり、着いたのは、10時40分だった。武蔵五日市駅から約1時間だった。

見晴らし台から武蔵五日市方面を望む
ガマズミの実
ツバキの花
琴平神社
琴平神社の鳥居

仲間の韓国人男性が合流
 ここから金毘羅さんの頂上まではすぐであったが、途中で反対方向から来た、若い男性に出会った。「だれだれさんをご存じですか?今日金毘羅山に登るという連絡が来たので、別ルートをたどり、ここまで来ました。」と言う。そのだれだれさんと言う方が、我々の山仲間だったので、「では、御一緒に行きましょう。」とその彼が仲間に加わった。この方は、数年で日本語も完璧にマスターし、大変に優秀そうなので、何をしているのか聞くと東京大学の大学院に留学し、政治学を学んでいるとのことだった。有名な教授のもとで学んでおり、勉強が大変そうに思えた。

金毘羅山へ
 金毘羅山の頂上はまもなくだった。ただし、道がわかりにくく、登山コースからわずかに右に入ったところだった。分かりにくい道標があり、私はほんのすぐそばが頂上と分かった。樹木に覆われ頂上があるとも思えないような所である。
 皆に道を右に上がり金毘羅山の頂上へ行こうと言ったのに、どうしたことかレオさんが、「真っすぐいきましょう。」という。「えっ。何?金毘羅山に登りに来て、金毘羅山の頂上に行かないはないでしょう?」と私。レオさんは真っすぐいってしまい、一人の女性を除いて皆付いて行ってしまった。
 一人の女性だけが、駆け足で金毘羅山の頂上まで行き、すぐに元の道を戻り、レオさんを追って走って行った。私は一人でゆっくりと金毘羅山の頂上を味わった。平坦で樹木に囲まれていて、とても頂上とは言えないような頂上であった。金毘羅山の頂上からは皆の行った方向に道があったので、私はそちらの道を下り、皆を追うことにした。しかし、一人になってしまったので、ゆっくりと回りの植物や生き物を観察しながら行くことにした。

徒然草の教訓
 まるで徒然草の仁和寺参りのようなことが、起こるとは。しかし、よくある話であろう。レオさんも私が朝、行先を聞いてはっきりしない返事をしたことにシコリを持っていて、私の言うことは聞きたくなかったのであろう。ここでもフランス人の頑固さを感じた。
 徒然草の52段の仁和寺参りの話は、仁和寺にいる僧が石清水八幡宮に参拝しに行く話である。僧は山のふもとの極楽寺や高良社だけを見て、本殿が山の上にあることに気づかずに帰ってしまう。その後、仁和寺に戻って同僚に自慢するという滑稽な話である。兼好法師は、ちょっとしたことでも気を付けてみたり、人の意見を聞いたり、案内役が必要だといっている。

金毘羅山頂上
途中にあった小さな池

 金毘羅山の頂上からしばらく傾斜が緩い道を歩いていくと小さな作った池がある。鯉でも養殖しているのかなと思ったが。この道沿いは様々な花が咲いていた。

ヤマゼリ(山芹)
オニタビラコ(鬼田平子)
ヨメナ(嫁菜)
ムカゴ(零余子、珠芽)
シラヤマギク(白山菊)
植林地

植林地
 しばらく歩くと伐採の後、植林された開けた場所がある。植林団体は「森林認証促進協議会」である。また、その反対側は森林再生間伐事業で間伐された森林である。

間伐の看板
チョウセンゴミシの実(朝鮮五味子)
植林地が終り再び山に入る

散歩の人に追い抜かれる
 この後も傾斜の少ない、歩きやすい道が続いていた。そこで追い抜かれた人とひとしきり話す。地元あきる野市の人で、ほとんど数日おきにこのあたりを散歩しているとのこと。散歩なので荷物も持っていなく、かなりの速足だ。前期高齢者になってしばらく経っているとのことだったが、非常に元気そうに見える。自慢そうに66才というので、私は73才だと言ったらびっくりしていた。

タヌキのため糞
同上

タヌキのため糞
 しばらく歩くとタヌキのため糞が道の上にあった。手前に親指大の糞粒がいくつも見え、この時期大好きなギンナンの実を沢山食べているのでタヌキの糞とわかる。
今年はツキノワグマの被害が多いので、皆クマではないかと心配していたが、ツキノワグマの糞は、食べたものによって色や形が変わり、握りこぶし以上の大きさで、食べたものをそのまますりつぶしたような状態だから、この糞とは違う。ドングリを食べれば黄土色、リンゴを食べれば、リンゴの香りがするなど、食べ物の特徴がわかりやすく残るとのことである。ツキノワグマの糞は臭くなく、食べたものそのままの匂いがするとのこと。
 タヌキの糞は、タメフンでフンを一か所に溜めていくことで、タヌキの縄張りや家族の存在を示す行動とのこと。タヌキの糞は、ころころと転がり、匂いはとても臭い。実際ここにあった糞はとても嫌な臭いが強くタヌキの糞だった。

ヤマザクラ

皆に追いつく
 しばらく歩くと皆が昼飯を食べているところに追いついた。そして私も加わり、昼飯を食べた。さっき追い抜いて行った66才の方が73才の方が一人で歩いていたからまもなくここへ来るだろうと伝えてくれたそうだ。

また、皆と別れる
 昼飯を終わり、日出山方面に向かって歩き始めてしばらくして、レオさんが突如、ここから今まで歩いてきた道を引き返そうと言う。なぜかわからなかったが、前のしこりが残っているのだろうか。レオさんの気まぐれにはまいる。私はなぜか同じ道を引き返すのは、撤退するような気がして前に進みたかった。そこで、「私は、引き返す気がないので、日出山から御岳山まで行く。」と言った。皆はレオさんに従って同じ道を引き返していった。皆さんは、帰りも金毘羅山に登ることはなく、帰ったとのことなので、徒然草に書かれているように、何と残念なことをしたのだろうと思った。

日出山へ
 一人日出山へ向かう。皆と別れたのは12時40分くらいだった。御岳山まではだいたい3時間くらいかかるだろうから16時前には御岳山に着くだろうと予想した。できれば15時半くらいに着ければ良いと思った。そうすれば余裕を持って帰れる。
 ここからはすれ違う人が少なくなったが、日出山までの間に約10人ほど出会った。単独行か二人連れだった。しばらくして出会った人がランニング登山をしており、御岳山からどれくらいかかったか聞いたところ1時間2分だとのことだった。そこから私は約3時間で御岳山に着いたので、私の歩くスピードの3倍という速さだ。
 皆と別れてから13時半くらいになると雷が遠くでゴロゴロと音を立てているのが盛んに聞こえてきて、気が気ではなく、歩くスピードを少し速めた。雷に巻き込まれたらやばいなと思っていた。途中麻生山への分岐があったが、麻生山は登らずに下の巻道を巻いて行った。2時半頃になってくると、逆に晴れ間がでてきて雷は遠ざかっているようでラッキーだった。

雷雲が去り、晴れ間も見えてきた
途中の道標
下界を望む

日出山とつるつる温泉の分岐
 日出山とつるつる温泉の分岐に近づくにつれて、沢山の人々の声が聞こえてくる。ここには日出山から下ってくる人が沢山いるようだ。幸い空も晴れて、雷も遠ざかったようだ。晴れてきて、ここまでくれば途中で暗くなっても御岳山のケーブルカーの駅までは楽に行ける。

日出山とつるつる温泉の分岐

日出山
 日出山の頂上へは、頂上の下に着いて、もうすぐ上が頂上だと思ってから最後の登りが10分くらいかかり、案外にきつかった。頂上には15時少し前に着いた。御岳山から来る人が多く、かなりの人がいた。ここは以前に何回か登ったことがある頂上だ。
 ここでも最初に一緒だった小さな子供さんを歩かせていた親子と一緒だった。

日出山頂上902m
日出山頂上

御岳山へ
 日出山から御岳山に向かった。この間は緩やかなアップダウンで楽な歩きだった。この間もおチビさん達と抜きつ抜かれつであった。この間、約1時間ほどかかり、時刻が15時半くらいになるとかなり暗くなってきた。それでも御岳山から日出山に向かてくる人と沢山出会ったのは驚いた。この時、御岳山天空紅葉祭りというのをやっており、御岳山に泊まれば、遅くとも大丈夫だろうと思った。あるいはケーブルカーの最終は18時30分で余裕があるから大丈夫だったのであろう。
 御岳山への参道沿いには沢山の旅館があり、にぎわっていたので、また、御岳山には何回も登っているので、登らずにケーブルの駅に向かった。

御岳山の下の神代ケヤキの石柱
御岳の神代ケヤキの看板

ケーブルカーの駅から御岳駅へ
 御岳のケーブルカーの駅にはちょうど16時に着いた。次のケーブルカーは御岳発16時10分だった。降りたらバスが16時22分にあり、御岳駅には16時半に着いた。

帰宅
 御岳駅にバスが着いたとたんに雨が降り始め、私は、16時41分発の電車に乗れ、かなり強く降り始めたが濡れることはなかった。また最寄り駅に着いたときには雨は止んでいて、全く濡れずにラッキーだった。3万歩以上歩いたが、ほとんど疲れは感じなかった。
 他のメンバーも同じ道を帰り、無事武蔵五日市駅に着き、地ビールを飲んで帰ったそうである。


つづく


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