2024年6月22日(土)に青梅市霞丘陵を歩いた。梅雨の合間の晴天に恵まれ、コースはなだらかで歩きやすく、樹林の間を涼しい風が抜け、景色も良く、下山後は温泉で疲れを取り、とても楽しめたハイキングだった。
飯能駅から、都バスで岩蔵温泉入り口まで行き、そこから歩き始め、尾根道を歩いてから立正佼成会の桜並木遊歩道を歩き塩船観音を通り、河辺駅まで歩き、河辺駅近くの温泉に入ってから、帰宅した。
岩蔵温泉入り口で降りる
飯能南口から東青梅行の都バスに乗り、約15分くらい乗った後に、岩蔵温泉入り口で降りた。バスが通ってきた道の周囲の風景は、田園地帯という感じで、埼玉や東京の都市部からは遠く離れた場所という感じだった。
岩蔵温泉は、東京都青梅市にある温泉で、都内唯一の温泉郷とされている。日本武尊(ヤマトタケル)がこの温泉に入湯し、戦いの傷を癒やし身を清めたとされている。その際、岩でできた蔵に鎧を収めたことが「岩蔵」の名前の由来となったそうだ。約1200年前に開湯され、温泉街はかつて5軒の旅館があったものの、現在は1軒のみが営業しているそうである。今回はこの温泉に来たわけではないので、まずは山道に入る道を捜す。
歩き始める
このバス亭から歩き始めた。まず、七国峠がある尾根道に上がろうと進むが、道標があるわけではないので、どの道かはっきりしない。しばらくウロウロした後、1/25,000の地図を見て、この道だろうと薮の中の道を登って行くと尾根上の道に行きついた。
この尾根上の道は緩やかで歩道幅も2m近くと広くとても歩きやすい。
しばらく歩くと富士見ポイントがある。梅雨の合間であったが、この日は薄曇りで富士山が良く見え、道幅が広いので風通しも良く、通る風が心地よく、それほど暑くもない絶好の登山日和である。
富士見ポイントから同じように歩きやすい道を七国峠に向かって歩く。周囲はほとんどが、スギかヒノキの人工林である。
七国峠で昼食
11時半頃に七国峠に着き、そこに広場があったので、昼食とする。実に気持ちの良い時間であった。昼食後は笹仁田峠に向かって下って行った。七国峠は立正佼成会の森林内にあり、鎌倉古道山ノ道(秩父道)の一部であり、奈良時代から使用されていたとされている。七国とは、甲斐国、上総国、駿河国、伊豆国、安房国、武蔵国、相模国だそうだ。今はスギ、ヒノキの人工林が大きく成長して、展望できる場所はないが、かつては背丈の低い広葉樹の森で開けて展望できる場所もあったのだろう。
ずっと立正佼成会の森が続いている。法人名または個人名が記されているので、立正佼成会が会員に分譲したものだろう。スギ、ヒノキの人工林が多いので、分収林になっているのかもしれない。つまり、立正佼成会が森林全体を買い、その森林を会員に分譲し、森林を買った会員の資金で森林を管理していて、伐採収穫した時の収入を会と会員とで、契約した割合で受け取るのかもしれない。
笹仁田峠
笹仁田峠に着くとそこはもう一般道だった。笹仁田峠は、標高179メートルの古い峠である。江戸時代には上流域の、成木地区で生産された石灰を運び出すために利用されたとのことである。幕末の動乱の際には官軍や幕府軍も通った、歴史的な峠で、「笹仁田」の名前は、湿地を表す「ニタ」が転訛したものだそうだ。昔は草が一面に生い茂る湿地だったことから、その名前が付けられたとされているとのことだが、今ではここが湿地とは信じられないような場所である。
立正佼成会の桜並木遊歩道
その道路を渡り、立正佼成会の桜並木遊歩道に入る。ここは舗装道路で歩きやすかったが、どちらかと言えば土の山道の方が、ずっと気持ちが良い。道路の両側には桜が延々と植栽されており、春にはさぞ多くのサクラが咲いていて美しい道だろうと想像できる。
並木道の両側には、今は、アジサイがきれいに咲いている場所もあり、そのような場所はアジサイ道と言っても良いくらいである。また、しばらく歩くといくつか花が咲いている場所もあった。
再び山道となる
しばらくあるくと再び山道となり、立正佼成会の青梅成練成道場が見えてきた。青梅練成道場は、立正佼成会会員の研修施設として1966(昭和41)年に開設されたそうだ。付帯する陸上競技場、野球場、芝生広場と施設建物の一部は地域社会にも開放されており、スポーツ行事や各種コミュニティー活動の場としても活用されているとのことである。
塩船観音手前のアカマツ
塩船観音に着く手前の尾根上にとても見栄えのするアカマツがある、陽に映えて赤く輝きまさにアカマツである。近くにゴルフ場も見える。おそらくこのアカマツはある程度の本数が固まって生えているが、整然とはしていないので、天然性であろう。アカマツは乾燥に耐えるので尾根上に多いのである。
塩船観音
アカマツのすぐ近くに塩船観音があった。塩船観音寺は、真言宗醍醐派の別格本山とのことである。伝説によれば、大化年間(645年~650年)に若狭国の八百比丘尼が、紫金の千手観音像を安置したことに始まるとされている。また、「塩船」の名前は、天平年間(729年~749年)に行基がこの地を訪れた際、周囲が小丘に囲まれて船の形に似ているところから、仏が衆生を救おうとする大きな願いの船である「弘誓の舟」になぞらえて名付けられたものと伝えられているとのことである。
ツツジが立派
この寺に春にきた仲間は、春はつつじ祭りが開催されていて、ここを通るのに入場料を取られたとのことだったが、この日はツツジの季節ではなかったので、ただで通過することができた。それにしてもきれいに丸く刈り込まれたツツジが無数と言っても過言ではないほど植栽され、春はさぞ綺麗なことと想像できた。
河辺駅まで歩く
ここから河辺駅まで歩いた。やはり舗装道路は歩きにくく、暑さも感じた。
河辺温泉に入る
駅前のビルの屋上に梅の湯という温泉があったので、そこに入り、疲れをいやしてから帰った。この湯はアルカリ性単純温泉で、神経痛や筋肉痛、関節痛などに効能があるとのことである。
つづく