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【森林紀行No.7 アラカルト編】 No.14_ドミニカ共和国

森林紀行

ドミニカ共和国での灌漑用パイプラインの敷設

ドミニカ共和国(以下ドミニカと記す)の森林は、はげ山だらけと前回に書いた。あまりのはげ山のため植林により植生を回復し、土砂災害などを防止することと住民の生活向上を目的にプロジェクトを行っていた。住民に植林をしてもらう動機づけに、灌漑用パイプラインの敷設の支援やアグロフォレストリーを導入し、農産物や果樹の増産を目指していた。このパイプラインの敷設を住民参加型で、人力で行ったために苦労した。私がこのプロジェクトに参加したのは開始1年後だったので、その時にはほとんどパイプが敷設されていた。ところがこのプロジェクトを指導していたリーダーが現地で突然死(悲しい出来事だったがいつか書きたい)したため、交代で私がリーダーとして派遣されたので、参加が遅れたのである。

一旦は完成し落成式

4村を対象に灌漑施設の敷設を行っていたが、デルンバード村(Derrumbado)とラスラグーナス(Las Lagunas)の2村は水源からの距離が短かったためパイプの敷設はうまくいったが、ナランホス村(Naranjos:オレンジ村)とペリキート村(Periquito:小オーム村)という二つの村では、急峻な山中に約8kmと長距離のパイプラインを敷設したことと、途中何カ所か長い水管橋(空中渡し)を敷設し、特に最長の150mの水管橋で漏水すると修理が大変で、なかなか完成しなかった。

話は違うが、大変な名前がついている村があるものだ。デルンバードとは「断崖、絶壁」と言う意味だ。実際には断崖に位置するわけではないが、川沿いの段丘に広がるといっても狭い河原に位置する村だったので、私が赴任中に大型ハリケーンに襲われた時は、川岸から侵食され、数軒が流され、対岸へ移住ということも起こった。その他、プロジェクトの対象村にデスエーチョ村(Desecho)があった。Desechoとは、「くず、廃品、不要物、役立たず、人間のくず」という意味だから何という意味の村だろうかと思ったものである。しかし、辞書を見るとラ米では、「迂回路、近道」という意味があるからその意味かもしれないが、現地にいるときは見捨てられた村のように言われていた。

さて、私が赴任した時には既に水管橋ができていたので、水管橋を取り外して、尾根上を回すわけにもいかなかった。理論的には問題がなく、2008年の7月に落成式を行うことになっていたので完成を急ぎ、落成式には何とか間に合った。敷設開始後約1年半である。ドミニカの環境省、財団、その他関係者などを招待し、大々的な落成式を行った。


漏水箇所の修理。手前100m、後150mの水管橋


2008年7月25日の落成式

その後故障し完成までさらに1年半を要す

しかし、その後150mの水管橋部分で漏水し、住民も何回もの修理に嫌気がさし、完成するまでにさらに1年半を要した。


漏水した150mの水管橋

何といっても1本のパイプは内径6インチ(15cm)、長さ6m、重さは80Kgもあり、150mの水管橋部分では26本も繋ぎ合わせたものだった。漏水すると漏水箇所でパイプを外し、だいたい中点付近で漏水するので、パイプ12~13本、約1トンもの重さのものを綱引きのように引っ張り、漏水箇所を再度接着し、ネジで固定することを行なうのだった。漏水が度重なるといくら力のあるドミニカの農民でも嫌気がさし、説得しても修理をしなくなった。以下修理時の写真だ。


水管橋の修理 水管橋を途中で外し、何人もの村人で引っ張る


外した水管橋から流れる水


村のおばさんも食事作りで参加


上から見た150mの水管橋

ドミニカの敷設専門の技術者を何人も雇い、施工監督をさせたが、実際にパイプを接着したのは、しろうとの農民達だったのも影響しているだろう。しかし、原因としてはドミニカの技術者やそれを管理する財団が、150mもの水管橋を、他の関係者に誇示したかったということが影響していたと思う。

水管橋を外し尾根を回すルートに付け替え

そのままでは私の任期中に完成しないので、私も焦り、最後に私は、水管橋を外し、尾根上を回させることを決断した。その施工は、地元業者に行わせ、予算は、関係機関と粘り強く交渉し、説得でき確保できた。それにより小型のバックホー(パイプを埋めるショベル機)など機械も用いることができ、専門業者の確実な施工でパイプも安定でき、短期で2010年の2月に完成した。その後10年近く経つが、現在でも順調に水は村に届いているとのことであり、苦労が重なったパイプ敷設だったが、それが一番の協力の成果だと安堵を感じている。

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