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【森林紀行No.1 8/18】「ラゴ・アグリオにて」

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ホテル エル・コファン

 ラゴ・アグリオに着いてすぐにホテルエル・コファン(El Cofan:コファンとは先住民の一部族名)にチェック・インした。荷物を部屋に入れてすぐ隣りの電話局へ電話をかけに行った。

 当時このホテルはできたばかりで新しかったが、床やドアが歪んでいて建て付けが悪く、また部屋も狭くて居心地は良いとはいえなかった。しかし、ここが最良でここより良いホテルはなく、シャワーもトイレも付いているし、キャンプに比べれば天国と思ったものである。

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ホテル エル・コファンの部屋(増井が最初に泊まった部屋。

部屋が狭かったのでベッドにいろいろ広げて整理)

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ホテル エル・コファンの経営者の家族達と(長逗留するうちに家族とも親しくなった)

団長に電話

 当時ラゴ・アグリオから電話回線はキトーに2回線しかなく、電話局へ行かなければなかった。幸い電話局がホテルの隣だったので、夜は待っている人がいなくて、閉局少し前の夜9時にキトーにいる団長に電話が繋がり、無事ラゴ・アグリオに到着したことを報告した。

印象に残った傲慢なアメリカ人

 ホテルエル・コファンに泊まっていたアメリカ人がここの電圧はいくらかと聞いてきた。私は「one hundred ten volt」と言うとアメリカ人は「お前はそんなことの言い方も知らないのか。教えてやる。それはone tenと言うのだ。」と非常に感じ悪く、人が親切に教えてやったのに威張っていて、いかにも普通に傲慢なアメリカ人で、感じが悪かった。

 

ラゴ・アグリオの町の印象

 調査基地とした町はこのラゴ・アグリオとコカの2つであり、どちらも同じくらいの期間滞在したが、コカの方がより生活条件が悪かったので、印象はコカの方が強い。とは言うもののこの当時のラゴ・アグリオも生活条件は相当悪かった。

 ラゴ・アグリオは1970年台に石油開発で開かれたということで、まだできて新しい町だった。町は碁盤の目のように道路が通っていたが、まだ舗装もされていなく、砂利道で車が通ると砂ぼこりがひどかった。空き地も相当あり、徐々に建物が建てられつつあった。そのため、まだまだ整った町ではなく、西部劇でみるような荒くれ者が流れて来るような非常にガサツで汚いという印象を持った。治安は悪いといわれていたが、実際に相当悪かったのだろう。

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最初に石油が発見された最初の井戸の記録を書いた看板

(1967年2月16日?1967年3月29日)

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ラゴ・アグリオの町(未舗装で、建築中の建物も多かった。)

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ラゴ・アグリオを走るバス(トラックの荷台に座席を作り改造)

食堂や店屋

 ホテル以外にもいくつか食堂があり、よく外の食堂に夕食を食べに行った。印象に残っているのは野外で屋台のような場所があったが、カルド・デ・ガジーナ(Caldo de gallina)といって鶏肉を煮込んだスープがとても美味しかった。しかし、4本指の鶏足が、そのまま入っていて、それもおいしいのだが形を見てしまうと鶏足だけは何となく進んで食べにくかった。中華料理屋も1軒あった。こんな奥地にもさすがに中国人。そして町はずれに韓国人が雑貨屋を開いていた。そこで良く買い物をしたが、そこの主人は私が帰国してまた来る時にいろいろ必要物を買ってきてくれるよう私に頼んだ。適当に生返事で、お茶を濁していたが、だめもとで知らない人にでも頼みごとをするだけ彼らは生命力が強いのだろう。

飲屋

 ラゴ・アグリオにも何軒かの飲屋があった。そのうち一番きれいな飲屋にヒメネスとモリーナがよく連れて行ってくれた。ビール以外にはロン(ラム酒)があり、ロン・カスティージョ(Ron Castillo:城のロン)というのが、結構いけた。

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左からモリーナ、増井、ヒメネス。彼らは長時間飲むのが好きだった

 

打合せ

ヒメネスの事務所へ

 翌日早速ヒメネスの事務所に行き、調査について打ち合わせた。

 最初は改めて何を調査するかについての打合せである。つまり今回の調査の材積表作りのためのデータを集める仕事であり、標本木として150本を伐採するのをどのあたりで行うかが中心であった。この他にペンタプリズマ(簡易に直径を測ることができる器具。器具の中にプリズムが入っていて樹木までの距離に関係なく、カメラのファインダーのようなものを覗くと、樹木の幹の左端と右端を直線で合わせられるようになっていて、それを合わすと、バーが幹の直径と同じ長さにスライドし、幹の直径が測れるもの)で200本ほどのデータを取ることであった。

 これは次に述べるように、この周囲でアクセスができる5つの地域から概ね30本ずつ、木の胸高直径(太さ)をバラつかせて取ることにした。

 次は日程で、どの辺りをいつ頃調査するか、そして調査の前に全体の概況調査をするなどであった。

 そして調査メンバーをどういうグループにするか、作業員と森の案内人、チェンソーマンなど何人くらい必要かなどを打ち合わせた。

 必要な作業員達はヒメネスが手配してくれることになった。このことは後述するが、最初に雇った作業員がいろいろ要求してくるので結局クビにしたけれど、この地域の生活の厳しさを感じた。

ヒメネス

 ヒメネスは赤ら顔のスペイン系で、非常に調子が良くて、何でもオーケー、オーケーというタイプなので大分迷惑を蒙らされた。ラゴ・アグリオからキトーに仕事に行った時も月曜日に行き、木曜日に戻って来ると言って出かける。3日後に帰ってくるのだなと思っていると、帰ってくるのは必ず1週間後か2週間後の木曜日なのであった。本当にいいかげんであった。

調査地域

 標本木を採取するのに、この地域全体に適用できるようにするため、5つの地域から採取することとした。概ね集落がある。ラゴ・アグリオとコカが比較的大きな町で、その他小さな集落で、そこまでアクセスできる道路があった。

 ダユマは石油開発のために道路を作設中の最先端で、貧しい作業員だけのいる場所である。

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標本木を選んだ地域

上の図に示す所である。

                               1      ラゴ・アグリオ周辺

                               2      テテテス周辺

                               3      シュシュフィンディ周辺

                               4       パヤミーノ周辺

                               5       ダユマ周辺

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