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【森林紀行No.2 インドネシア編】 No.2

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出発から到着まで

 

空港での第一印象

 ジャカルタに到着。空港のビルの内部に入ると、一種独特のタバコの匂いが鼻についた。グダンガラム(インドネシアのタバコ)である。それにすえたような熱帯のフルーツの匂いが混じりあったインドネシア独特の匂い。湿っぽい空気、それでいて日本の梅雨とは違う。ここは確実に日本ではないと、全身が感じていた。

 

出発前準備

 ここジャカルタに着くまで、なんともせわしなかった。インドネシアには、スマトラ島のムシ河上流域の調査地域に、どれだけの森林資源量があるかを調査し、流域の管理計画を作成する仕事の1人のメンバーとして行くこととなった。

 私にとっては初めての海外だ。観光旅行では絶対に行くことがない、熱帯多雨林を調査するのだ。ハリマオ(トラ)も生息する地域をライフジャケットなども着て、ボートで遡ったりして調査するのだ。ワクワクし、胸はずむ思いであった。

 メンバーに選ばれてから出発まで準備期間はわずか2ヵ月であった。あわててインドネシア語の参考書を買い、往復の電車の中で勉強した。職場ではその時抱えていた仕事を片付けるとともにインドネシアでの調査方法などを頭にいれるのに大忙しであった。

  

出発

 出発前日の1978年11月13日は朝から雨が降っていた。出発が午前中であったのと私は新婚だったので、妻と成田に宿泊した。相当に興奮していたのか、雨に打たれたかのせいで、頭に電気がかかっているようでボッーとし、あまり頭が働かない感じであった。成田空港は開港したてで、警戒が物々しかった。既に、身重になっていた妻が出発まで見送ってくれた。

  

機内

 航空会社はキャセイパシフィックで、香港、シンガポールと途中立ち寄り、ジャカルタに向かった。機内で隣の席だった団長は、もともとおしゃべり(失礼)ではあるのだが、興奮もしているせいか、ひっきりなしにしゃべっていて、あらゆることを講釈してくれた。その講釈が面白く、ずっと笑いころげていた。

  

当時の搭乗券 カードにタイプされたものだった.jpg

当時の搭乗券 カードにタイプされたものだった

 

 途中経由した香港の旧空港。2時間ほど待機していた。.jpg

途中経由した香港の旧空港。2時間ほど待機していた。

 

ジャカルタ着

 深夜11時過ぎにジャカルタ空港に到着した。インドネシアでは役人の権力が、想像以上に強そうだ。税関の通過時に出迎えた方が、検査官に何やら話して便宜を図ってくれている。するとそこのボスらしき人が出てきて、我々のトランクの一つを開けさせ、一瞥し、「オーケー」と叫ぶと、その後全員フリーパスとなった。当時パスポートがオフィシャルで緑色だったということもあろうが、赤色のパスポートの民間人はしつこく調べられていた。

 当時商社からインドネシアに派遣されていた友人は、「少し掴ませれば、税関はすぐに通してくれるよ。」と言っていたが、早くも退廃した部分を見たような気がした。

 

空港を出て

 手続きを終わり、空港の外に出たとたん、ポーター達がドッと集まり、人の荷物をどんどん勝手に運んで行こうとする。そして金をくれと手を差し出す。慣れていないせいもあり、また、荷物を持っていかれないようにしっかりと荷物から手を離さず、相当に緊張していた。

 

ホテル

 ジャカルタでは、当時JALと提携していたプレジテントホテルに向かう。夜の闇で周りの景色ははっきりとは見えないが、相当に緑が多そうだ。

 

1978年当時のジャカルタ。プレジデントホテルから.jpg

1978年当時のジャカルタ。プレジデントホテルから

 

 仕事にせよ観光にせよ、何しろ始めての海外旅行である。見るもの聴くもの何でも珍しい思いがして興奮していたが、夜中であったがホテルに入ってようやく緊張感も取れて来て、明日からの仕事が楽しみであった。  続く。

 

 

 

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