パレンバンからラハットへ
パレンバン到着
さあ、いよいよスマトラだ。ジャカルタに到着したのは夜だったから上空からの景色は、見えなかったが、今大きく眼下にスマトラ島が広がっている。大きな河が蛇行を繰り返し、流れている。ムシ河の河口だろう。緑一色だ。河口では茶色の水が相当遠くまで海を汚している。
パレンバンの空港には、団長が迎えに来てくれた。パレンバンではここでの最高級ホテルサンジャヤに泊まった。ホテルまでの道の両側にはココナツをつけたヤシの木が、沢山植わっている。
団長が、「増井君、ここはもう水だよ。」と言う。何のことかと思っていると、ホテルのバスルームに入ると紙がないのである。「ははーん。そうか。」ここでは、早くも水と左手である。そして、シャワーもお湯もでない。一体最高級とは?
ホテルサンジャヤにて。ラハットへ出発時。
ラハットへ出発
翌日の11月21日、パレンバンからラハットに向かう。ホテルの前で荷物をジープに積み込んでいると、どこからともなく子供達が集まってくる。
「アパナマニャ?(名前はなんていうの?)」と聞いてみる。5才くらいの子供が一丁前にタバコを吹かしている。それが板についている。指輪をしている子供に「アパイニ?(これは何?)」と尋ねると「イニチンチン(これは指輪だ)」と答える。チンチンは日本ではここだよと指さすと、キャーキャー騒いで笑っている。この子等は、半ズボンにビーチサンダル、有り合わせの着物だ。
パレンバンからの同行者
パレンバンからは、ここの営林局の部長のSad氏、C/PのJyo氏、運転手のローカニが加わった。ボゴールの林業総局からC/PのSag氏とFo氏、ジープの運転手のヒダヤとナナを入れると総勢14名の大部隊となった。ラハットまでの192Kmをジープは簡易舗装の道を進んだ。
途中で見えた景色。先端が槍のように尖った山
同上。近景
道路際の家で裁縫の商売をしている人。ミシンで裁縫をしているのは男性が多かった
途中の標識
途中からジャリ道に変わり、揺れが一段と激しくなった。ところどころぬかるんだ悪路にも苦労した。
パレンバンからラハットへ。途中ぬかるんだ悪路
横転しているトラックもあった
C/PのFo氏とSag氏
Fo氏はインドネシア人には珍しく、太って下腹が突き出ていて大柄である。横柄で、顔つきはいかにも怠け者といった小役人と見てとれた。これでも技官なのかと疑いたくなる体形である。
全員がある程度の距離を走った後に、ジープの席を前後に入れ替わるのに、この男は一番座り心地の良い助手席にデンと構えて決して動こうとはしない。
一方、Sag氏は非常に良く気が付く男である。悪い発音の英語でひっきりなしに良くしゃべる。「あそこに見える草原はラダンと言って、焼畑の結果、草原になったのだ。昔は森林だったのだ。」あるいは「あの牛は、セブウシだ。」とか、言わなくとも、だいたい分る周りの風景でも一々説明してくれる。しかし、わからないこともあり、いろいろ説明してくれるのは、退屈しのぎにもなり、ありがたかった。
ドリアン
途中、道端で果物を売っている露店が沢山ある。Sad氏がドリアンを買いに行った。ドリアンはキングオブフルーツである。私は、これを食べるのを大いに楽しみにしていた。ところがSad氏が買って戻ってくると、ジープ一台の後ろの荷台のスペース分どっさりとドリアンだ。ここにも2人が座っていたのだ。このおかげで、前の座席を詰めて座らなければなくなり、一人分のスペースが益々狭くなった。インドネシア人は一体に適度といったことや車のスペースというものを知っているのだろうか。
露店で売っているドリアン
ドリアンは強烈な匂いがする。「最初は、臭くて食べにくいが、食べる程、中毒的に美味くなる。」というのがSag氏の説明である。最初は臭くて私は期待はずれであったが、なるほど食べる程に美味くなり、やめられなくなるのを感じた。同僚のI氏などは、最初から「美味い。美味い。」と言って食べている。皆もの凄い量を食べるので、ジープ一杯買って来たのも頷ける。数日してドリアンが減って来ると、Sag氏は、「このドリアンは熟れ過ぎたようで、不味くなって来た。増井は食べない方が良いよ。」と言うのだ。と言いつつ「お前が食べないから、不味いドリアンを俺が食べてやる。」と言って相変わらずドリアンを食べるのである。なかなか面白い男だ。
パレンバンから出発したこの日は、悪路に悪戦苦闘の上、宿泊予定地ラハトに着いた。
バリサン山脈最高峰のデンポ火山(3,173m)と思われる
バリサン山脈
つづく