村での活動 トゥムセニ(Toumousseni)村
私が訪ねた村をいくつか紹介したい。最初はトゥムセニ村である。訪問した村では、どの村でも老若男女、皆生き生きとしている。特に子供の目はキラキラと輝いている。現代にあっては物質文明とは最も対極に住んでいる人々と思われるが、幸福そうである。幸福度は、物質文明と反比例するのではないかとさえ思わされ、物質の豊かさでは幸福度は測れないということを証明しているようでもある。
そういった村人ではあるが、彼らもより多くの資金や物資を援助してくれと頼んでくる。徐々に物質文明に汚染されているのであろう。つまりは、幸福とは反対の方向に行きたいと言っているということになるが、それも我々の援助がそうさせているのではないかと、そう思うとある種の矛盾を感じるのである。
トゥムセニ村までの道
トゥムセニ村はトゥムセニ指定林周辺の村で、バンフォラの西約30kmに位置し、車で40分程である。この村は、私がこのプロジェクトに参加して始めて訪れた村なので印象深い。2011年3月29日(火)、スタッフのドゥニーズと一緒に訪れた。途中見るもの皆珍しい。乾期であるため舗装されていない道路からは車やバイクが通るともの凄い埃がまき上がる。所々にフランスの植民地時代に植えられたカイセドラ(Khaya senegalensis)の並木も美しい。
埃がまい上がる道路
カイセドラ(Khaya senegalensis)の並木
村の雰囲気
バンフォラに近いためプロジェクトを行っている村の中では比較的進んでいるように見える。進んでいるというのは物質文明の度合いで、日干しレンガ作りではあるが、倉庫など大きな建物があったり、村人が着ている着物も小ざっぱりしているといったところから受けた印象である。家と同じ作りで小さな建物が沢山ある。これは穀物などの倉庫として使っているとのことである。
日干しレンガ製の小さな建物は、穀物などの倉庫
トゥムセニ村には、ヤシの木が多い。ヤシの木は、葉を屋根に葺いたり、樹液からヤシ酒を作ったり、ココナツオイルなどいろいろと利用されている。
ヤシの木が多いトゥムセニ村
私は3月11日の日本の大地震と3月22日のワガドゥグでの兵士の反乱事件と2度も強い緊張をしいられてからあまり日にちが経っていなかったので、この村のゆったりした雰囲気に癒される思いであった。
歓迎を受ける
初めて訪れ、ドゥニーズが私を紹介してくれると、そこで待っていた住民森林管理組織の委員会のメンバー達がアダンセ(ようこそ)と言って、大歓迎してくれる。私が自己紹介をし、ブルキナに来た経緯などを話すとドゥニーズが現地語のジュラ語に通訳してくれる。
村人にいろいろ聞きこんでいる時には、遠くに粉ひき機の規則的な音が聞こえてきて、それがのんびりとしたその場の雰囲気にピッタリと合っていてとれも気持ちが良かった。聞きこんでいる周囲には豚や鶏が飛び交い、幼い姉が弟の面倒をみている子供もいる。日本でも戦後のしばらくの時期までの田舎では同じような雰囲気だったのだろうと思う。
聞き込みをしている周りにいた子ブタ。ブタを飼っている人は少
ないので、ここの人はイスラム教でなくキリスト教かもしれない
どの村にも鶏は多い
幼い姉が弟の面倒をみている子供
仕事
ドゥニーズがプロジェクトの進行状況やプロジェクトへの資金の出入状況などを予め模造紙に作っておいた表を見せ、住民と共にそこに書きながら確認していく。
あらかじめ用意した模造紙でドゥニーズが説明
プロジェクトの進行状況を記入した模造紙を持つ住民森林管理組織のメンバー
つづく