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【森林紀行No.3 ブルキナ・ファソ編】 No.6

森林紀行

クーデター未遂事件

若い兵士の反乱

しばらくして、隣室の団長がノックする。「これは大変だぞ。銃撃戦だ。」と言う。すぐにJICAの担当のKさんに電話する。するとJICA事務所周辺やKさん宅周辺でも銃声音がするとのことである。

Kさんによると若い兵士が、国連PKOに出兵し、ブルキナ政府はその見返りの資金をもらっているのに、出兵した若い兵士には一銭も支給されていないということで、金をよこせと反乱を起こしたとのことである。空に向かって発砲している威嚇射撃なので銃撃戦ではないが、十分に注意をするようにとのこと。しかし、町中に反乱兵士があふれているようで、もうワガドゥグの中心街は逃げるにもどこにも逃げようがない。ホテルの外の方が危険だ。部屋に隠れているしかない。しばらく団長の部屋で、二人で窓側から離れ、壁際に避難するような形で座っていたが、一向に銃声は止む様子はなく、むしろ段々とひどくなってきた。これはまずい。どこにも隠れる場所がない。私は取り敢えず、自分の部屋に戻り、どこが一番安全か屋根裏に入れないかなどを調べたが、どこにも隠れる場所がない。

ブルキナ・ファソ6-1.jpgホテルの部屋の入り口。自動ロックではなく体当たりくらいで簡単に開きそうな鍵

腹に響き、ガラスも震わせるロケット砲

日付が変わり3月23日の午前1時くらいだった。まだ発砲音は間近ではないが、町のそこいら中で聞こえるようになった。機関銃に混じって時々、バズガー砲かロケット砲のようなものが発砲される音がし、腹にズーンと響く。そのうちホテルの従業員が回ってきた。「別に大丈夫だから安心しろ。」という。何の保証もないのに安心しろと言うのも無責任極まりないが、客を安心させるためにホテルの従業員達もそう言わざるを得ない。私も団長もこの時ばかりは、気が動転していて頭が全く働かず、道路に面した部屋から内側の中庭に面した部屋が空いていれば変えてくれ、ということも思いつかなかった。たぶん内側の部屋もいくつかは開いていたのではなかったろうかと後になり思った。ホテル内に踏み込まれたら終わりだが、内側の部屋の方が恐怖度は少なかっただろう。

真夜中の午前2時くらいからとうとうホテルの正面の大通りに兵士達がやって来た。まずは大通りで機関銃を「ドッ、ドッ、ドッ、ドッ」と、やたらに発射するので、窓際には怖くて近づけない。それからホテルの入口がある横道にも兵士が入ってきて、横道でも発砲する。私の部屋は横道に面していたから、部屋の真下だ。ときどき発砲する「ズーン」という音のロケット砲でガラスがビリビリビリと震える。実距離だと10mも離れていない。これはまずい。どこにも逃げ場がない。外に出れば危ない。踏み込まれれば終わりだ。

喉が渇き、1.5リットル入りの水をやたら飲む。万一流れ弾が部屋に入ってきても大丈夫なように部屋の隅に隠れるようにしている。団長ももうどうしているかわからない。もう怖くて部屋の外にも出ることができない。

午前3時くらいからである。階下のカフェテリアをハンマーでたたいて壊すような音がする。それから横道の正面に店屋が沢山並んでいるが、その全てをハンマーで叩く音がする。機関銃やロケット砲の発砲音も激しく鳴りやむことなくずっと続いている。鍵も機関銃で打ち壊したのだろう。これは大変だ。ホテル内に踏み込まれたら銃を突きつけられ、抵抗したら、打たれるかもしれないと思い、抵抗しないよう、見せ金を用意した。逃げるのは無理だろうと思ったが、重要物はすぐに持ち出せるようにリュックサックにまとめ、自分の荷物はすべてスーツケースに入れた。心臓はバクバクである。その時思いついて、日本の勤め先にメールを打ち、またスカイプで静かな声で電話し、状況を説明したが、どうしようもない。日本は午後1時くらいだ。ワガドゥグの知り合いのブルキナ人にも(電話番号を知らなかったので)、可能性はほとんどないが、もしかしてメールをみてくれるかもしれないと藁をもつかむ思いでメールを入れるが、夜中なのでどうしようもない。翌日返事が来たが、郊外に住んでいるのでどうっていうことないよということで、この現場の緊迫感が全くわかっていなかった。

幸いホテル内に踏み込まれることはなかったが、機関銃とロケット砲の発砲、それに店から略奪する音が朝の6時まで続き、生きた心地はしなかった。

この時、隣室の団長の部屋では外からサーチライトが部屋内を何回も照らし、本当にロケット砲でも打ちこまれるのではないかと、彼もまた生きた心地はしなかったとのことだ。

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ホテルのロビー。幸い兵士に踏み込まれなかった

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ホテルのロビーと道路を挟み対面にある店屋。すべてハンマーで壊され金品を強奪された

被害や反省

翌日

翌日と言っても既に日付が変わっている2011年3月23日(水)は、一応街は平穏になっているが、各地で兵士による略奪、強奪で大被害である。ワガドゥグ中、機能停止状態であった。JICAも機能停止で仕事はできなかった。

私は朝まで一睡もできず、6時頃に兵士達が去っていったので、一安心であった。階下のカフェテリアや周辺の店はハンマーでたたかれ、強奪にあい、無残な状態であった。しかし、レバノン人のホテルのオーナーはカフェテリアのガラス張りの外側に、あっというまにかなり頑丈な金網を設置した。中東の人はこういった危機には敏感であろうし、今後に備えたのである。

ホテルのロビーでは他のプロジェクトで宿泊している日本人も少なからずいて、皆昨日の出来事の話で持ち切りである。私もその人達と話すと危機に対する捉え方は半々くらいで、かなり危ない状況だと言う人とこれくらいはまだたいしたことがないと言う人とがいた。ただ危ないと思っている人も昨日の危機は過ぎたので案外に落ち着いている。またたいしたことはないと言っている人でも強がりで言っているようなところも見受けられた。私は、これは大変な危機だと感じていた。30年以上の長期に亘り、海外の仕事をしてきたが、治安上の危機はこれが今までで最も危険であった。

私は緊張して夜中に1.5リットル入りの水を3本も飲んでしまった。それから疲れがどっと出た。いずれにせよ同じことが起きれば大変であるし、昨晩ホテルの客室内には踏み込まれなかったのは、ラッキーというしかないと思った。事実約3週間後に、また同じ様な事件が起きるのだが、その時は別のホテルだが、客室内にも踏み込まれ強奪、強姦と大変なことになったのである。

事件に巻き込まれなくて幸いだった女性達

そして夕方、明後日、日本に帰国するMさんもバンフォラからワガドゥグに上がって来て、北部に出張していたSさんもホテル・クルバに戻った。

その晩は危機に対する反省会も兼ねて、Sさんの部屋に4人が集まり、夕食を取ったが、女性達がこの場に遭遇していなくて本当によかったと改めて思ったものである。私もようやく落ち着いてきた。

大変な被害

後での情報では、兵士達はここがホテルとは知らず、客室までは踏み込まれなかったとのことである。一階のカフェテリアだけが踏み込まれたのであった。もし、ホテルと知っていて上階まで踏み込まれていたらと、その後のことを考えるのは恐ろしい。

ブルキナ・ファソ6-4.jpg

ワガドゥグの町

同じ事件の再発

その後、Mさんは3月24日(木)に帰国し、私と団長はバンフォラでの仕事に向かった。そしてバンフォラでも我々は、同じ様な兵士の反乱に遭遇した。それについては後述する。

ワガドゥグでは4月14日(土)に再度同様なことが起き、我々はバンフォラにいたため再度の被害には合わなかったが、Sさんはホテルにいた。しかし、兵士達はこの時は、我々のホテルの方面には来ず、別な方面に行って助かった。この時は、兵士の向かった周辺のホテルでは軒並み踏み込まれ、金品の強奪、女性達は強姦されたとのことだった。JICAのGさん宅は兵士に踏み込まれ4発銃を発砲されたとのことだった。

この時のことをバンフォラのホテルの主人であるフランス人の方から聞いたが、反乱軍は大統領を追い詰めたとのこと。クーデターである。しかし、大統領に代わってこの国を治められる者が軍の中におらず、結局現大統領に元の鞘に納まってもらったとのことである。何ともお粗末なクーデター未遂事件であった。

つづく

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