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【森林紀行No.3 ブルキナ・ファソ編】 No.8

森林紀行

危機差し迫る状況

市場分析ワークショップ

 2011年3月30日(水)と31日(木)に森林官を集めて市場分析のワークッショプをプロジェクト事務所がある州局の会議室で開催した。参加者は皆、相当真剣に聴いている。講師はプロジェクト側で捜し、契約した専門家である。

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出席者は各地の森林官

 

 コーヒーブレイクや昼食もプロジェクト側で全て用意する。この頭休めの時間には各地の森林官と話が弾み楽しい時間である。シデラドゥグの森林官は、ガーナで勉強をし、その後ガーナ国境の営林署に長くいたとのことで、英語が上手でこの辺りの事情をいろいろと聞くことができた。

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ワークショップでのコーヒーブレイク

 

終了書を渡す

 終了書を渡すのはキニーである。これを受取るときは、皆ニコニコ顔である。こうした証明書で彼らの経歴にまた一つ箔が付くのである。

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ワークショップ終了後。全員で修了証を掲げて

 

運営委員会(Comité Pilotqge)

 4月8日(金)に、プロジェクト運営委員会を先日市場分析ワークショップを行った州局の同じ会議室で開催した。ワガドゥグから環境省の女性次官も出席した。この方は今回の内閣の組閣では変わらなかったので、それはプロジェクトにとっては良かったのだろう。その他の出席者は関係市町村長や各村落の住民管理組織の委員長達である。ブルキナ側の参加者にはプロジェクトから参加費が支払われるので、彼らはもっと沢山会議を開いてもらいたいと思っている。

 会議では最終的に何が結論づけられるかというと結局資金がない、物資がないというところに落ち着くのである。これらについては、我々日本チームは何度も何度も口を酸っぱくして説明し、もうこの点については持ち出さないという約束になっていたのに、また持ち出されてしまうのである。資金についてはどこにどう援助するかはほとんどブルキナ側の言い分が通る形で落ち着いているので、もうほとんど要求しなくなったが、物資については依然として持ち出してくるのだった。物資の援助については我々プロジェクト側が援助するのは、村落の森林管理組織が回転資金を得られるまでの必要最低限の物資で、その後は村落の自助努力で行っていくことになっているのだ。ところが住民よりも環境省側がそういった話を持ち出すのであった。特に次官などはわかっているはずなのにいつも同じことを持ち出すということは、だめもとで、言えばまた物資の援助もされると思っているのであろう。援助の負の側面が染みついてしまっている。

 この点について、我々はいつも憤慨させられている。この日はこの問題は既に片付いているはずなのにまた持ち出され、怒り心頭に発するが、再度同じ説明をせざるを得なかった。

  我々は口をすっぱくし、「自分達でプロジェクトを運営していくというオーナーシップを持ちなさい。プロジェクトは外部者が行っているのではなく、森林官や村人自身が行っているのだ。必要最低限の物質の援助はしているのだから物質的な援助が無ければできないというのではない。もっと自助努力しなさい。」と意識の向上を盛んに訴えるのであるが、………。

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プロジェクト運営委員会

 

 

バンフォラでの軍の蜂起

2011年3月30日の出来事

 また3月30日(水)に話は少し戻るが、その日の午後、ワークッショプが終わったころにJICA事務所から「政府から夜間外出禁止令が出たので、今日から夜間は絶対に外出しないように。またバンフォラの隣の都市ボボデュラッソでも威嚇発砲があったので、バンフォラでもその可能性があるので十分に注意するように。」と電話で連絡があった。

 そしてその晩にバンフォラでも軍の蜂起が実際に起こった。ここバンフォラには軍の駐屯地があるのだ。夜9時頃、遠くに機関銃を発砲する音が聞こえた。するとそれが連続するようになる。段々とこちらに近づいてくるようだ。私と団長とで手分けし、協力隊の隊員達に電話をして励ます。私が電話した協力隊の女性の一人は「怖い!」と言って震えているようだった。「落ち着いて。冷静に行動せよ。」と人には言えるが、自分ではどうだっただろうかと思い直す。「静かにしていて窓際には絶対に近づくな。家の中にどこか隠れる場所を捜せ。」とかいろいろ言ったが、幸いこの日はどこにも被害はなかった。しかし、ほとんどの隊員は機関銃の銃声を聞くのも初めてで相当なショックを受けたようである。

 私は1週間前のワガドゥグでの兵士の反乱事件がトラウマになっており、銃声を聞くのはとても耐えられないと思ったので、このような時のために持って来ていた精神安定剤を飲んだ。するとそれには睡眠導入作用があるため、簡単に寝行ってしまった。翌日団長に聞くと、軍隊はホテルの前を機関銃を打ちながら行進していき、発砲は1時間以上続き、とても恐ろしかったとのことだった。

  我々も相当に浮き足だち、仕事どころではないといった思いで、国外に脱出したい気持だった。ホテルのオーナーのフランス人と話すが、彼も相当に緊張感を高めており、脱出体制を整えていた方が良いと言った口ぶりであった。フランスでは万一の場合、フランス人観光客などをボボジュラッソから飛行機で脱出させる体制を整えつつあるとのことだった。

 

危機差し迫る状況

 我々は自らの生命の安全に非常に危機感を持ち、できればブルキナから一刻も早く脱出したくなった。そのため我々はいろいろな情報を集め万一の時の脱出のための危機管理体制をJICAに提案した。その時ダウダからの情報を要約したものが下記のものである。

 

 運転手のダウダはかつて軍隊の車両兵站部門にいたことがあり、ブルキナの軍人たちの気質についてもよく知っている。彼の言っていることがすべて正しいとは限らないが、はっきりしているのは、必ずしも司法側が正しく、兵士たちが100%間違っているとは言えず、他のいろいろな要素がからんでいるということである。

 

1.ブルキナの司法機関は必ずしも公正でない

 ブルキナの司法機関は、一般に「金持ち」には甘く、「貧しいもの」に厳しいとのこと。言い換えれば、金持ちは「カネ」で裁判結果を左右できる。

 次に、警察も含め司法機関側は、「兵隊」を嫌っており、なにかことがあってそれに兵士がからんでいると、「兵士だから」という理由だけでぶち込むことがあるとのこと。

 例えば、ファダングルマ(地名)のケースでは、ある兵士が女性を強姦したとして逮捕され、裁判で有罪となったが、「その兵士が本当に強姦をしたなら仲間が彼を支援するようなことはしない。仲間が彼を支援しようとしたのは、やってもいない罪で裁かれたからだ。」とダウダは言う。この言い分が正しいかどうかは分からないが、そういうことも可能性としてはある、ということである。

 軍人の司法に対する日ごろからのこうした不満も背景にはある。

 

2.軍の上層部は下級兵士を今のところはコントロール可能

 「軍の上層部はもう下級兵士の動きをコントロールできなくなっているのではないか」とダウダに聞いたところ、「今のところはまだできている。なぜなら、示威行動は1日だけで、後はキャンプに戻っている。むしろ、軍の幹部はそうした行動を黙認しているだけのこと。」という返答である。

 

3.ファダングルマの例はワガドゥグの示威行動に触発されたもの

 ワガドゥグに引き続いて、ファダングルマで同様のことが発生したのは、ワガドゥグで示威行動の結果、当該兵士が釈放されたので、ファダングルマでもそれが可能だということになり、やってみた。その結果、ファダングルマでも問題の兵士の釈放を勝ち取った、ということである。

 ファダングルマがワガドゥグより重大なのは、ファダングルマでは単に銃火器だけでなく、軍用車両(装甲車などを含む)なども奪って街に出ていることである。ファダングルマだけでなく、テンコドゴ(地名)あたりまで展開したとのことである。

 しかし、こうした例が続けば、どのキャンプでも同様のことが起こり得るということで、事態は一層深刻である。

 

  上述の見方の成否は分からないが、一連の発端の事件の処理そのものの真偽も実は必ずしも分からないということである。今回の一連の出来事は逆にそれだけ根が深い問題の発現とも考えられることから、我々の「司法は正しい」という“常識”だけで判断していると見通しを誤ることにもなるかも知れない。ただ、客観的に見て、どのような理由にせよ、軍隊があのような示威行動にでることが許されるものではないし、それがエスカレートする危険性は非常に高くなっている。

 

危機管理体制の提案

 非常事態として我々が緊急に出国しなければならない事態も想定されるようになったので、JICAもいろいろと安全対策マニュアルを持っているが、我々独自で個別具体的にバンフォラでの体制を検討し、危機管理体制を構築する案を作成し、JICA事務所へ提出した。特に、携帯電話も繋ながらなくなった場合や協力隊を含めたバンフォラでの在留邦人の脱出方法などである。

 

つづく

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