森林紀行travel

【森林紀行No.4 パラグアイ – 北東部編】No.1

森林紀行

パラグアイ北東部の森林の印象

はじめに

今回から新たに南米パラグアイの森林について書く予定である。パラグアイに私が最初に行ったのは1980年、今から35年前のことである。信じられないくらい巨大な森林破壊が起こった場所であるが、それらや森林調査を中心に書いて行くつもりである。

 

 

巨大な森林破壊

「思ったよりずっと伐採されているな。樹海が一面に広がっていると思っていたが、伐採地が沢山見えるぞ。それでも広大な森林が広がっているな。」

「あそこの煙が上がっている伐採地に近づいてもらえるかな。」

もの凄いプロペラの騒音の中、軽飛行機のパイロットは大きな伐採地の上空まで来て、低空飛行をする。

「まだ燃えている木もある。くすぶっている木も沢山ある。いや、これは大変な森林破壊だ。それにしても焼け焦げた巨大木が立っている姿は、森林の墓場みたいだ。」

我々は軽飛行機に乗り、上空から森林の偵察飛行を行っていた。森林は期待に反して伐採が激しかった。期待していたのは広大な森林が地平線まで広がって見えることだった。

 

森林を燃やした後の光景。まるで森林の墓場。.jpg森林を燃やした後の光景。まるで森林の墓場。


「ここはまずは牧場にするのだろうな。焼いている一片の長さはどれくらいある?」

「そうだな。少なくとも5?以上はあるだろう。」

「すると少なくとも25平方キロ以上、つまり2,500ha以上の森林を一遍に焼いてしまったということか。信じられない巨大さだな。森林破壊もいいところだ。これじゃあ、調査地の森林が150万haあっても、すぐに無くなってしまうのではないか?」

(注 2,500haというと東京都の中央区と千代田区を合わせた面積よりも大きい。150万haというと岩手県と同程度の面積で、長野県の面積よりもやや大きい。)

「他の伐採地もこれほどの面積はないにしても1平方キロ以上を焼いている森林は沢山あるなあ。」

期待していた見渡す限り地平線まで森林が続いている場所はどこにもなく、森林は、虫食い状態になり始め、どこかに必ず伐採跡地が現れてがっかりした。

出発前の日本国内での準備作業で、航空写真を判読していて、およその森林の状況はわかっていた。しかし、航空写真のように一部を切り出して見るのではなく、軽飛行機からは地域全体を見ることができるので思ったよりも森林伐採が激しく、航空写真撮影後も伐採がかなり進んでいる様子がわかった。

 

森林を伐採後、牧場などに転換した土地.jpg

森林を伐採後、牧場などに転換した土地

 

機内では、あそこが見たい、ここが見たいと我々がパイロットに要求するものだから軽飛行機は左右にターンとアップダウンを繰り返えし、途中で飛行機酔いをした。

我々は、森林破壊の巨大さに驚きながら3時間もの偵察飛行を終え、ペドロ・ファン・カバジェーロ(紳士のペドロ・ファンという意味)市の空港に降りたった。

パラグアイは地形が平坦なので、簡単に道路が作れ、トラックなどが入り易く、森林は伐採されやすい。日本のように山あり、谷ありで、物理的に開発が不可能な場所があるわけではなく、伐採に歯止めがきかない。

我々の調査の後の20年後、2000年前後に調査したチームによれば、1980年当時大森林であった地域の森林はほとんど無くなっていたとのことだった。

2015年の現在、グーグルアースの衛星写真で見ても当時大森林だった地域は、ほとんど森林が無いのに驚かされる。我々の調査した広大な森林は一体どこに行ってしまったのだろうか?

パラグアイ北東部の森林調査で強烈に残っている印象は、森林破壊の巨大さであった。

 

 

パラグアイや調査対象地の地図

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南米

 

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パラグアイ

 

調査対象地の位置(斜線部).jpg

調査対象地の位置(斜線部)

 

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