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森林紀行No.4 パラグアイ – 北東部編】No.13

森林紀行

第3回目の調査

旅行

 これまで2回の調査が終わり、第3回目の出発日は1982年9月13日(月)であった。この時は勤め先に午前11時に集合し、昼食後にメンバー6名全員で箱崎へ向かった

 

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成田17:45発ロスアンゼルス行きに乗る

 

 東京駅からリムジンバスで成田空港へ向かい午後2時半に着いた。午後4時半にチェックイン。待合室にいた外人を相手に英会話の慣らしをしようと近くにいた人に話かけるとイギリス人であった。こちらの話に、きさくに乗ってくれて話がはずみ、ちょうど良い練習となった。ロスアンゼルス行きの定刻は17時45分であったが、出発は18時半くらいだった。

 

ロスアンゼルスでスーツケースの行き先のタグがはずれていたこと

 最初にパラグアイに行った時に荷物が着かなかったことから、それ以降は荷物には、より慎重になり、トランジットの時に荷物を受け取って再度預けるような時には、荷物のタグがちゃんと行き先宛に付いているかどうか確かめるようにしていた。

  ロスアンゼルスではペルー行きへのトランジットであるが、荷物は、一旦受け取ってから、もう一度荷物専用のボックスに入れるのであった。その時、受け取った荷物を確認すると機材を入れたジュラルミンのスーツケースのアスンシオン行きのタグがはずれて無くなっていた。こんなことは信じられないが、空港の係員を呼んで、再度付けさせた。信じられなかったが、このようなことがあるのだ。いや、実際にあったのだ。これでは荷物は無くなるのも当たり前だと、再度思ったものである。本当に、航空会社のタグ付けにはよくよく気をつけていないと危ないと思ったものだった。今から35年ほども前のことなので、今ではもっとシステムやタグの付け方が良くなっているだろうから、このようなことは相当に少なくなってきてはいるだろうとは思う。今では積み残しの荷物が到着便とともに着かず、翌日とか数日先に着くようなことが、たまにあるが、ほとんど着くようなので、タグはきちんと付いているのだろう。

 

バレーボールの選手と同じ便

 ロスアンゼルスから日本のバレーボールの選手と近くの席だった。有名選手で大きい人ばかり。南、花輪など当時の有名選手である。女子も有名選手がいた。日本から持ってきた雑誌を見せてくれませんかと選手が言ってきたので、貸したりした。エコノミークラスにいたので、折り曲げた膝が前の座席にくっついてしまい、大きな選手がエコノミークラスにいるのがかわいそうであった。彼らはペルーで降りた。ペルーで試合があったのだろう。

 

森林調査(第3次本格調査)

 既に我々もパラグアイのカウンターパートも調査には慣れていたので、アスンシオン到着後すぐに調査に入った。

 

キャンプ生活

 予備調査の時からキャンプ生活をしたが、1981年と1982年の本格調査の時はそれぞれ1カ月半ずつくらいテントでのキャンプ生活をし、合計3カ月もキャンプ生活で過ごした。

 キャンプは川沿いできれいな水が流れている場所を選んだ。移動も慣れて来るとテキパキとできた。キャンプを中心に森林調査をし、終わると移動するのであるが、概ね1週間から10日程度で移動していった。

 

 おおむね30人の大部隊であり、長期であることからテントは4人用のものに2人ずつ入り、15張りくらい張った。キャンピングカーには団長と副団長が入り、航空写真など重要物を保管した。

 パラグアイの技術者達は、私のチームが来る前に第2次本格調査で、別なチームと既にキャンプ生活を長期にしているので慣れたものだった。移動時には大活躍であった。

 

  自分のテントを張るのは、皆それぞれ自分で行い、簡単であった。共同の休み場所なども大きなシートで屋根を作り、ジーゼル発電機を持って行ったので、それから電気をとるためのコードを張るのであった。また、木の枝の二股のところに横木を渡せるように3mくらいの長さに適当に伐ってきて、それを柱のように4本立て、そこに横木を渡し、その上にシートをかけ天井を作り、雨よけとした。その下には、同様な方法で、簡易なベンチを作り、皆が座れるようにした。この作業が楽しく、たいした時間がかからずでき、すぐに快適とはいかないまでも、その場で最善といったような住処ができるのであった。

 

キャンプ.jpgキャンプ

 

 穴を掘ってトイレも作り、発電機で電気を起こした。トイレは用を足したあとに土をかけて、次の人が使い易いようにしていたが、そうは言っても虫の量がもの凄いので、早技でするのであった。もたもたしていると大量のハエに悩まされ、また大量のブヨにさされてしまうのであった。

 

  食事は炊事係のおばさんを雇い、作業員と夫婦で雇った。炊事おばさんは、まだ若くなかなかかわいい人で、化粧でもすれば随分と美人になるだろうと思われた。小ざっぱりした格好で、朝からずっと料理の準備であったが、キャンプ生活も楽しいようで、旦那と一つのテントで過ごしていた。

 

キャンプでの炊事おばさん.jpg

キャンプでの炊事おばさん

 

まるでテレビ番組の「ローハイド」

 仕事が終わり、夕方帰って来ると、明るいうちは虫が多いので、暗くなってから食事である。それまで皆サッカーを楽しんだ。

 食事時間になるとサラとスプーンを持って順番に並び、炊事おばさんから料理をよそってもらう。30人分の食事は一日中準備が必要だが、献立は毎日似たようなものだった。だいたいが肉でもスパゲッティでも全部一緒に煮込んだものがほとんどであったが、疲れて腹が減っていたせいもあるが、とてもうまかった。この場面は、昔のアメリカのテレビ番組の「ローハイド」で、カウボーイ達がキャンプで食事をする場面とまったく同じであった。

  肉はすぐに腐ってしまうが、炊事おばさんは干し肉にして、保存するのであった。肉を細く切って物干し用のひもにぶら下げて作るのだ。干し肉がこんなにもおいしいものだとは、それまで私は知らなかった。干し肉にするときっとうまみ成分がにじみでるのだろう。

 

買い出し

 キャンプから近くの商店といっても、国道沿いにたまにある店屋に買いにいくのであるが、キャンプ地から国道まで20Kmも30kmも離れており、買い出しも買い出し係りが行うのであった。肉やその他の食糧やビールなどを大量に買ってくるのだったが、かなりの頻度で買い出しに行かなければならなかった。

 

つづく

 

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