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【森林紀行No.4 パラグアイ – 北東部編】No.14

森林紀行

悩まされた車

調査途中でエンコ

 ランドローバーは最初の予備調査の時は、新車で非常に強く、山の中をまるで戦車のように走った。道路からはずれても樹木が少ない所は林内でも小灌木をなぎ倒しながら、ゆっくりと進むことができた。しかし、それが良くなかったのだろう、やたらにギアを入れ替え、無理して走ったからすぐに故障気味となった。その後ずっと故障続きであったが、パラグアイでは中古車が多かったため、故障を直し直し使うのはむしろ得意であった。

 

川を渡るランドローバー.jpg

川を渡るランドローバー

 

 1982年9月23日(木)のことであった。普通は朝7時頃出発していたのであるが、この日はその時間には雨だったため、出発をためらい、しばらく様子を見ることにした。

 私はこの日は団長とカブラルと次に調査をするプロットのアプローチを探る仕事であった。30分ほど様子を見ていると雨は小降りになったので、カブラルの運転で7時半頃に出発した。10時頃まで車は順調に動いており、次に調査する起点をいくつか調べることができた。その後別な点を調べ終えてからエンジンをかけようとするとかからない。

  「いやいや、まいったぞ。」山中の草道であったが、多少の傾斜があったのが幸いした。カブラルが運転席に座り、バックにギアを入れ、車の前から団長と私の2人で押した。傾斜があったから動いたので、エンジンがうまくかかった。

 

 ほっとして次の点を捜しに行く。次の点でエンジンを止めて、しばらく調査をした後に、出発しようとするとエンジンは、またかからない。車が重いから相当に焦った。しかし、幸いなことに同じように多少の傾斜があったので、押しがけでエンジンがかかった。それからその日はカブラルにもうエンジンは止めるなとずっと動かしぱっなしで、帰りに国道沿いの修理屋で修理してもらい、何とかキャンプに帰ることができた。

 

 しかし、これが呼び水となったのであろうか。車の故障は完全には直っていなかった。これに続いてもっと恐ろしいことが起こったのである。

 

私のグループの車がエンコ、他のメンバーに助けてもらう

 翌々日の1982年9月25日 (土) にキャンプから車で3時間以上も離れたプロット61と62の偵察に他のメンバーとカブラルとの3人で朝7時に出発する。出発前に各チームは、今日はどのあたりに行くと150万haの調査地域全体をまとめたモザイク写真上に印をして出発するのであった。私は、いつものように、この日の調査地をモザイク写真に示し、他のメンバーに口頭でも伝えておいた。いくつかのグループが分散して夫々の調査プロットに向かった。

 

  目指すところはキャンプからは大分遠いところで、国道5号線から、1号線(ペドロ・ファン・カバジェーロとコンセプシオンを繋ぐ)に入り、1号線から途中行き止まりとなるが、森林に向かう道路があり、その道を約20Km 入ったところであった。そのあたりで、周囲を見ようと止まって観察してから、再度出発しようとしたところ、ランドローバのエンジンがかからない。その時、午前11時半であった。周囲は全く人の気配がなく、車も全く通らない。むしろこのようなところで人にあったら不思議なくらいであった。

 

車がエンコした近くの道路.jpg

車がエンコした近くの道路

 

 その後雨が降ってきて、しばらくすると土砂降りとなる。3人で車の中で雨が上がるのを待った。雨が上がった後、不思議なことにどこからともなくブラジル人2人が現れた。カブラルも彼らが何者かわからず、かなり警戒していて不安そうだった。しかし、彼らはこのあたりに侵入してきた土地なし農民だったようで、親切だった。彼らがポルトガル語で話し、カブラルがスペイン語で話して、よどみなく話が通じるのが、不安を感じつつも面白かった。彼らが車を押してくれ、4人で押した。しかし、平らな砂地では車が重く、エンジンがかからない。そして残念ながら彼らは帰っていった。

 

 しかたなく我々だけではどうすることもできず、車の中で他の車が通るのを待った。他の車が通れば引っ張ってもらい、エンジンをかけるのだ。しかし、他の車は全く通らない。午後4時になった。その時わずかに太陽が顔を見せた。するとさっきのブラジル人が他に3人連れてきてくれ合計5人のブラジル人が現れた。我々はまったく人気のないところから現れる彼らに警戒心を抱いたが、どうも親切そうだ。

 

 もう一度車を押してくれた。今度は全員で7名で押したのだ。しかし、砂地の道路では車は重くやはり、エンジンはかからなかった。1時間くらい奮闘したが、再度雨が降り出し、急に激しくなった。そしてブラジル人は再びどこかへ帰っていった。そして夜の闇が迫ってきた。腹も減って来たが食べるものがない。午後8時には真っ暗になった。「困ったな。誰か助けにきてくれるだろうか。明日になれば車は通るだろうか?」

 

 しかし、午後9時頃になると車のエンジンの音がはるかかなたから聞こえるようになった。ひょっとして別のグループが助けに来てくれたのかもしれない。そしてエンジンの音からはっきりともう1台のランドローバーのものだと分かった。音は徐々に徐々に大きくなり近づいて来る。我々は確信を持った。我々の仲間だと。助かったと。そして約1時間後の午後10時、別のランドローバーで他のメンバーと通訳、それにクエバス、オルテガが助けに来てくれたのだった。

 

  そのランドローバーでエンコしていたランドローバーを引っ張るとエンジンはいとも簡単にかかった。この助けに来てくれたメンバーによると、今朝、印をつけたモザイク写真をみれば、このあたりは一本道なので、この辺にいるだろうとあたりをつけて来てくれたとのことだった。我々は本当にうれしかった。

 

検問所での仮眠

 それから来た道を引き返したが、また、また一苦労である。途中の検問所で止められた。夜中の1時であった。夜中は車を通さないとのことだったので、仕方がない。朝、関門が開くまで車の中で仮眠を取った。朝6時に関門が開き、キャンプには翌日の朝7時に戻ることができた。

 

 幸いというかその日9月26日は日曜日で雨だったので、調査は中止にした。翌9月27日(月)も終日もの凄い雨だったので調査は中止にした。キャンプのテントの中にいたが浸水するテントも出る始末であった。

  それから南風が吹きだし、ようやく天気が良くなった。しかし南風はここでは寒くなる証拠だ。南風は南極から吹いてくるとのことで極端に寒くなる。しかし、我々には暑いよりは寒い方がずっと楽で、仕事がはかどることになる。

 

 

つづく

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