森林紀行travel

森林紀行No.4 パラグアイ – 北東部編】No.7

森林紀行

調査対象地域とペドロ・ファン・カバジェーロの町

 

アマンバイ出張所に挨拶

 ペドロ・フアン・カバジェーロの町に着くとまず、アマンバイ出張所の所長を伺い、所長に到着の報告に行った。

 

1980年当時のアマンバイ出張所.jpg

1980年当時のアマンバイ出張所

 

 所長が一人で事務所を運営している。あいにく、所長は留守だったので奥さんに挨拶し、予約してあったブラジル側の町ポンタ・ポラのホテル・エル・ボスケに向かう。

 

ホテル・エル・ボスケに泊まる

 ペドロ・フアン・カバジェーロ側には小奇麗なホテルがなく、ポンタ・ポラ側にはいくつか良いホテルがあった。エル・ボスケは森林という意味で、これまた、この辺には森林が多かったことを伺わせた。町はずれに位置するが、この町では最高級ホテルで実際かなり高級なホテルに見えた。

 

 しかし、夜、部屋の冷蔵庫のブラマという名のブラジルの缶ビールを飲むと、何だか古い味である。きっと部屋のビールは高いので長いあいだ宿泊客が部屋でビールを飲んだことがなかったのだろう。

 それに翌日は腹の周りがムシに刺されたようでいくつかポツポツ赤くなっている。きっとダニか南京虫がいたのだろう。高級なホテルなのになんていうことだろう。すぐに部屋を変えてもらう。

 

 ホテル・エル・ボスケの食事は高級で高い。量がもの凄く多い。1人前頼むと普通の日本人が食べる4人分くらいの量があり、最初はほとんど残してしまった。1人前を4人で分けるのもみっともないから、次から1人前の量を少なくしてもらった。

  外のレストランもだいたい量が多い。ピザも大中小あるが、大で日本の10人前くらい、中で5人前、小で2人前くらいである。

 エル・ボスケはこの予備調査の時のみ使い、その後は、手ごろの値段でかつ清潔でいごこちも良く、ポンタ・ポラの町中にあるバルセロナ・ホテルに泊まるようになった。名前はスペインだ。

 

所長がいろいろと便宜を図ってくれる

 12月1日(月)の朝、所長がエル・ボスケに来てくれ、いろいろと便宜を図ってくれる。この日は、ペドロ・フアン・カバジェーロが市制80周年のお祭りで、カンビオ(両替商)が休みで、所長の紹介で、個人の店で当面必要な分だけグアラニー(パラグアイの通貨)からクルゼイロ(ブラジルの通貨)に替える。

  所長がポンタ・ポラ側の町を案内してくれ午前中、20人分の鍋や釜などキャンプ道具やキャンプ時の食糧の調達をする。

 

所長は囲碁が大好き

 所長は、しばらくし、仕事の準備が一段落した時に、「誰か碁を打つ人はいませんか?」とたずねられた。それで私が「一応打ちますが。」というと、「じゃあ今晩家に来て下さい。」という。何だか分からないが、囲碁は囲碁として、仕事の話ももう少し詳しく話した方が良いと思っていた。そんなことで夕食後、所長宅に伺うと囲碁を何番も打たされ、こちらが根負けした。負ければもう一番、勝てば勝ったで、うれしくてもう一番、実力は似たようなものだった。私が碁を打つようになったのは、勤め先に碁を打つ人が沢山いて、それから始めたようなもので、当時の私の腕はたいしたことはなかったが、碁の面白さに引き込まれ始めていたところだった。

 

  次の2回目の調査の時にはメンバーの副団長が、碁が大好きで、私よりもかなり強かったので、次回の調査の時は私よりも強い人が来ますと言っておいた。それで所長は次に副団長が来るのを手ぐすねを引いて待っているような感じであった。我々が到着した晩から「今晩夕食にどうぞ。」と誘われる。「できるだけ早く来て下さい。」と言われる。そうすると碁である。山から下りてきても同様であった。しかし、我々は奥さんにはどうも大迷惑をかけていたようである。ペドロ・ファン・カバジェーロでは強い相手がいなかったのであろうが、これほど碁が好きな方も珍しいと思ったものだった。

 

アマンバイ県知事に挨拶

 午前中キャンプ道具の不足品をすべてそろえる。ペドロ・ファン・カバジェーロにはアマンバイ営林署がある。ここの営林署長はミルシアール・バルデスといった。バルデスが選んでくれていた5人ほどの作業員に面接して全員雇うことにした。その日の午後、雇う作業員の傷害保険を掛けに行った。バルデスもウエスペ等と同じくらいの年で若かった。後に50才近くになって森林局長官になった。

 

調査対象地

 改めて述べると、調査対象地はパラグアイの北東部で面積は150万haであった。150万haというと日本の県で最大の面積を持つ岩手県と同じくらいの面積である。東京都の約7倍の面積もあり、調べるのはかなり広大であった。

  調査対象地はパラグアイの行政区分のうち4県にまたがっていて、アマンバイ県というのが全域含まれていた。その北東部にある比較的大きな町がペドロ・フアン・カバジェーロ市でアマンバイ県の県庁所在地で、調査基地としたのだった。

 

1980年当時のペドロ・フアン・カバジェーロ市.jpg

1980年当時のペドロ・フアン・カバジェーロ市

 

ペドロ・ファン・カバジェーロとポンタ・ポラの町

 ペドロ・フアン・カバジェーロはパラグアイ側の町で、ブラジル側のポンタ・ポラ(ポンタは先端とか岬、ポラというのはグアラニー語で美しいで、美しい岬という意味)という町と隣接しており、ポンタ・ポラはマット・グロッソ・ド・スール州(南の大森林)にあり、ポルトガル語の意味からして、かつてはこのあたりは大森林であったことが伺える。

 ペドロ・フアン・カバジェーロ市とポンタ・ポラ市とは実態上一体化して機能していた。両市の境を走る道路が国境となっており、道路の中心部には分離帯があったが、人も車も自由に往来できた。

  ブラジル側のポンタ・ポラ側の道路はきちんと舗装され、町並みも美しく整っていて近代都市の雰囲気を醸し出していた。一方、パラグアイ側のペドロ・フアン・カバジェーロは石畳になっており、街中を少しはずれると未舗装で国力の差をまざまざと感じた。

 

ペドロ・ファン・カバジェーロ市.jpg

ペドロ・ファン・カバジェーロ市とポンタ・ポラ市の境界に立つ

 

 ポンタ・ポラは貿易で栄えていると聞いたが、どうもこれはパラグアイ側からの木材の密輸や麻薬関係だったのかも知れない。

 ペドロ・フアン・カバジェーロは、軍隊の駐屯地があり、兵隊がやたら銃を打つから危ない、ブラジル側もマフィアがいるから危ないが、ブラジル品が自由に買えるので良い町だとか聞いたが、一体流れ玉やマフィアをどのように避けるのであろうか?

 

 雇った作業員の中には流れ玉にあたって腹に弾が貫通し、その手術跡を見せてくれた者もおり、治安の悪さを感じさせられた。

 

  それはそれとして、ポンタ・ポラ側には、手ごろな値段でとてもおいしいシュラスコ屋(牛の様々な部分の肉塊を大串に刺して焼き、焼けたところから皿に切り取ってくれる)があり、山から下りて来た時などは良く食べに行った。

 

つづく

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