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【森林紀行No.5 パラグアイ – 造林計画調査編】 No.10

森林紀行

財務・経済分析など

チームがまとまる

 私が長年仕事をしてきた中でも、かなり大変なことがあった。それは、この仕事の団長をしていた方が体調不良で、団長を交代することになり、また、交代した新しい団長が、交代後しばらくして、またまた体調不良に陥ったことである。交代の間、私に負担がかかったり、また、新しい団長に体調不良のまま、無理をして仕事を継続してもらったことからチームメンバー全員が心配するなど余計な負担がかかったことなどがある。やはり、肉体的に健全でなければ、フィールドワークを伴う仕事はもちろんのこと報告書をまとめるような精神的な活動もできない。責任感が強いとどうしても無理をすることになるし、自分の命との引き換えになってしまう恐れもある。

 

 さて、団長の交代の間は、仕事は私が補い、実質的に私を中心に現地調査の結果を分析し、まとめを行うようになったのだが、仕事量が増え過ぎ、日本にいる時は残業が続いた。ただ、私は若かったのとこの仕事を大変に面白いと感じていたので、疲れは感じなかった。今、働き方、電通の新入社員の自殺問題など、残業が問題となっているが、本当に残業などないが良いに決まっている。しかし、私の場合、楽しいとつい仕事をし過ぎてしまい、家族もおろそかにしてしまったのが問題である。

 

 交代する前の団長は、非常に優れていたが、団を指揮するというよりもむしろ研究者のような方だった。交代後の団長も非常にすぐれており、この方は研究者でもあるし、技術者でもあるし、厳しい指揮もできる素晴らしい方だった。年頃は、二人ともこのころ還暦を過ぎたころだったろう。

 この二人の団長は、共著で森林調査方法や測樹方法に関する教科書のような本を書いていた。出版されたのは今から50年以上も前のことだが、私はこの本を学生時代からずっと愛用しており、今でも参考にしている。森林調査関係の本でこれが最もすぐれているのではないかと思っている。こういった優れた人と一緒に仕事をできたことは本当に私の財産になっている。

 

 ところで、仕事を引き継いだ、今度の団長は頑張り、今までの経緯をすべて吸収しようとメンバー全員に様々に質問ぜめにし、改めてメンバー一人一人の計画作りの分担を決め、指示し、全員がまとまり計画作りに励むようになった。これで私の負担は正常になった。この方は、パラグアイ北東部の紀行文でも書いたが、北東部の調査を取りまとめたばかりで、パラグアイの林業事情は詳しかったのだ。しかし、頑張り過ぎたのだろう。好事魔多し。

 

  ようやくチームがまとまり始めて2週間ほど経った9月の半ばのある日、いつものように仕事をしていた団長が、気分がすぐれないと早退した。翌日軽い脳梗塞であるとのことが判明し、数日間入院することになった。軽かったので1週間程度で仕事に復帰した。1ヵ月半後の現地検証の調査には、大丈夫だから行くと言う。行くのはやめた方が良いと私は思ったが、責任感が強い方で、どうしても行くと頑張った。他のメンバーにまかせれば良かったのだろうが、まかせられなかったのだろう。とにかくチームは、普通の状態には戻った。

 

 

財務・経済分析の委託

 仕事の中身としては、造林技術上確実に実行できる方法を示さなければならず、またどこの機関からでも良いから融資が受けることができる計画を作らなければならなかった。我々は森林の技術者であるから財務や経済分析は、その道の専門家にまかすことにした。そして林業政策や林業経済を研究している機関を探り、そこの専門家に財務や経済分析を委託することにした。

 

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近隣のエリオッティマツ造林地

 

 

国内での関係機関も調査

 そこで、日本でも融資してもらえるかどうか当時のODA関係の融資をしている銀行などで、融資条件などを調査した。また、我々と同じように別な国で、似たような造林計画を作成し、そこで財務分析や経済分析を行った機関も訪ね、その方法などをいろいろ調査した。勤め先内でも関係する研究員を集めて、何回も検討会を開き、いろいろな意見を聴取した。

 

 

またまた危機

 結局、我々は財務や経済の専門家ではなかったから、この計画の財務分析と経済分析を上述した研究所に頼むことにした。この研究所の担当者とは何度も打合せ、最終的なデータは現地検証後に渡すとして、それまで積み上げてきたデータを渡した。しかし、この研究員がひどく無責任で、結局我々が求めるものを全くだせなかったのだ。高い金を払って仕事を頼んだのに一体どうなっているんだ、責任の所在はどうなっているのだといくら言ったところで、締め切りの期限までには結果を出さなければならない。私はかなり焦った。

 

  当時、エクセルやロータスなどのソフトは無く、小さなパソコンが出た当初とはいえ、研究員が使っていたその小さなパソコンでは、十分に分析ができなかった。一応何らかの形を出したものを提出してきたが、結果はひどく、全く使えなかった。その方が持っていたのが、当時のパソコンだったから、こんな大量にあるデータをそんな小さなパソコンで、できるのかと私は最初から疑っていたのだが、後の祭りだった。いくらこういう結果を出せと言ったところで、そのパソコンではできないことは分かり切っていた。

 

 私は、勤め先に当時導入したスーパーコンピュータを使えば、できると思っていた。ただ、自分がやるしかないのだが、誰かにやらせるか再度どこかに頼むか決断がすぐできなかった。しかし、締めきりが近づいているので、自分がやらなければできないと思い、やることにした。スーパーコンピュータの言語は、フォートランで、当時私は、フォートランもベーシックもプログラミングは自由自在に扱えるようになっていたので自信があったのだ。

 

  資金計画では、チーム内の担当者がデータを積み上げていたので、最終的にはそのデータを用いて、財務分析や経済分析の方法も頼んだ研究員と多くの参考書から学び、スーパーコンンピュータで計算できたのだった。当時データはパンチ屋といって、データ専門に打ち込んでいる会社があり、そのようなところで、データを打ってもらい、プログラミングでは、ときどきプログラムが通らないときは、勤め内の専門の者やコンピュータ会社の者を助っ人として頼んだのだった。

 

牛の行進.jpg

牛の行進

 

 

内部収益率

 この時作る計画は、50年計画で、事業計画と共に資金計画を作らなければならなかった。造林でいくら費用がかかるか支出計算をし、天然林の材を売った収入や生産材の販売収入などの収入計算をするのである。その上、それらのデータを用いて、内部収益率などを計算することになっていた。

  内部収益率というのは、現在投資する額と将来得られるキャッシュフロー(年ごとの収入?支出で算出される資金の流れ)の現在価値とがちょうど等しくなるように計算される収益率のことである。分かっている人には簡単であろうが、素人には理解するのは難しいであろう。

 

 例えばプロジェクトの初期と終期の頃の収益が同じ額であったとしたら、現在価値に換算すれば初期のほうの額の方が、終期の額より価値が高いだろうというようなことは予想されるであろう。それは物価上昇などがあれば、同じ額ならば現在価値に換算すれば将来の額の方が価値は低いということである。そういうことでインフレ率なども推定し、計画期間が50年のキャッシュフローを現在価値に換算し、投資額と等しくなるような割引率を求めるのである。

 

 この式が複雑で解くのはやっかいであった。そこで、現在価値と将来のキャッシュフローの現在価値を等しくなるようにコンピュータにこの式を入れて、割引率を目安で入れて、収束させて行った。これなら式を解かなくとも解が得られるのである。いろいろ調べて行くとそのように解くのが簡易な方法であると書いてある参考書もあった。

 

 これを純粋に資金の流れで求める財務分析とシャドープライスやシャドー為替レートなどを用いて求める経済内部収益率も出すことになっていた。シャドープライスというのは競争市場によってなされる最適な資源配分を計画経済などで競争によらずに達成させるための計算上の価格である。

 

  この部分は仕事の中身で、難しい話が多いのでここでやめるが、技術的な計画でも実行するには予算がいくらかかるか、その後の管理運営にかかる収入や支出の計算で、事業が独立採算できるかなどの経済分析は重要なことだろう。林業で儲かるということは今の日本では、なかなか難しいが、樹木の成長が早く、需要があり、材が高く売れれば経営は十分に成り立つということである。

 

つづく

 

 

 

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