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【森林紀行No.6 セネガル,マングローブ林調査編】 No.15

森林紀行

ムンデ(Mounde)村

ムンデ村の位置

 ムンデ村は,No.12で書いたジルンダ村に入る水路をもっと奥へ(南へ)3?4kmほど進み,そこから細い水路を西へ約1kmほど行ったところにある村である。ジルンダ村へはフンジュンからボートで1時間半くらいサルーム川を河口方面に下った場所にあり,ムンデ村はそこから約30分である。

 

ムンデ村周辺の地図.jpgムンデ村周辺の地図


ムンデ村周辺の航空写真.jpgムンデ村周辺の航空写真

 

 

ムンデ村の印象

 この当時ムンデ村の人口は約1,300人で,ジルンダ村とほぼ同じくらいの人口があり,島の中にある村ではやや大きな村だった。ムンデ村への入り口は二つあり,一つは船を降りてから村まで1kmほど歩くのだが,村の入り口に別の小さな集落があった。小さな集落なのでムンデ村に合併させてもらえば良いのにと思ったが,やはり村の来歴などが異なるので独立して生活せざるを得なかったのであろう。ムンデ村には,厚く貝が積もった貝塚などもあり,今から千年くらい前,あるいはもっと以前から人が住んでいたのだろう。

 

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ムンデ村の入り口にあった小さな集落にて

 

 

桟橋

 村の手前に桟橋があり,水路の上に足場を組み,幅2mほどで約200mの長さに板を並べたものだった。これが老朽化しており,ところどころ板が浮いたりしていたので,この調査が終わった後に行ったプロジェクトの時に,大使館に草の根無償で援助してもらい,桟橋を付け替え,村人には随分と喜ばれた。

 

ムンデ村の入り口にある桟橋.jpg

ムンデ村の入り口にある桟橋

 

 

水路に突き出したトイレ群

 水路沿いにはトイレが突き出して並んでいた。それは魚のエサになったりで合理的ではあったが,不潔でもあった。また,その周囲はゴミ捨て場になっていてポリ袋が散乱していて,とてもきたなく見えた。ここもまた,この調査の後に行ったプロジェクトで,エコツーリズムで人を迎えるには汚くてはダメということで,掃除日を設け掃除をすることにより,きれいになった。

 

ゴミ捨て場となり汚く,桟橋.jpg

ゴミ捨て場となり汚く,桟橋の横の水路に突き出したトイレ群

 

 

村によく泊めてもらった

 村全体としては落ち着いて見え,人々も我々を大歓迎してくれた。パイロットプロジェクトが始まってからはよく,民家に泊めてもらったが,蚊が多くマラリアを心配しながらも沢山の蚊に刺されざるを得なかった。民家の人が使っているベッドを空けて泊めてくれるということが多く,すごいもてなしをしてくれたのだった。全体にどの村も朝が遅いので困ったが,ムンデ村は特に遅かった。私の感覚だと田舎の人は早起きで明るくなったら起きるのだろうと思っていた。特に赤道近くなのですぐに暑くなるので,朝涼しいうちに働くのだろうと思っていたが,起きるのが遅く朝食が終わるのが9時くらいになってしまうのだった。急かせても仕方がないのでのまあ郷に入っては郷に従っていた。

 

 

お互いのいびきがうるさい

 また,ある時,民家の土間にマットレスをひかせてもらい,泊めてもらった時があった。この時は,同僚2人と私と3人でごろ寝をした。良く寝たのだが,疲れていたせいか,皆いびきがうるさく,お互いのいびきで目が覚めてしまうのだった。朝起きて,「お前のいびきすごかったよ。」,「いやお前の方がすごかった。」と3人が3人とも他の二人に向かって言い合ったのだった。

 

 

ムンデ村で焚火

 泊めてもらった朝など寒い時があった。アフリカで焚火をするとは思わなかったが,北緯11度くらいに位置しているので,冬にあたる1月でも日中は35℃くらいにはなり,かなり暑いのだが,朝晩は10℃近くまで気温が下がることもあり,焚火で暖をとったこともあった。

 

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ムンデ村で焚火(2004年1月22日)

 

 

村長

 村長は温厚な方で,60代後半くらいに見えた。イスラム教で奥さんを4人まで持てるので,同年代くらいの方からとても若い方までそろっていた。それらの女性達がとても仲良く,協同で働いていた。特に貝取りやカキ取りで協力体制が必要なので,必要がそうさせているのだろうと思わされた。

 

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村にあるイスラム寺院

 

 

プロジェクト活動

 プロジェクト活動は4つの分野で行った。森林分野では養蜂支援活動を行った。村では伝統的な手法で養蜂活動を行っていたから近代養蜂で生産力を上げようとしたのである。水産分野では貝を加工する際に付加価値をつけてより収入を上げるという活動を行った。観光分野ではエコツーリズムの導入である。それから普及啓発と環境教育でこの村をモデル村として他の村からの住民を見学させ,いろいろな活動の普及を図ったのである。

 

 

養蜂活動の支援

 ハチミツ生産はすでに村内や周辺村で伝統的方法やUICN(世界自然保護連合,ここも委託先として活用していた)が支援して,養蜂箱が配られたりして養蜂活動をしていたのだが,面布など防護服が不足していたので,養蜂用保護面布の作成活動を村人がワークショップで選定したのである。

  そこで,養蜂用保護面布作成講習会を年に4回行い,その都度,村落の住民を10人選んで行ったのである。村では村落開発委員会の下に地下足袋・手袋・面布作成委員会が作られた。

 

 

講習会

 面布作成の講習会は1年目も2年目も4回行った。参加者は最初、地下足袋・手袋・保護面製作委員会のメンバーが中心であったが、徐々に一般村民も参加するようになった。講習会参加者の技術吸収度は高く、面布作りは、住民が帽子の下を2段蛇腹にし、息苦しさを減じたり、野球帽と組み合わせたり工夫し、独自の改良を加えるようになった。住民の能力の高さはあなどれないと思ったものである。

 何かを行うというきっかけとかアイデアが自分で最初に浮かぶかどうかの差があるが,アイデアを与えれば様々に発展していくものだと思わされた。アイデアが浮かばないのはいろいろなものを見たり経験がないから知らないだけで,知識が集積すれば彼らも我々と同じ様に色々なアイデアは浮かんでくるのだろうと思った。

  研修会を4回実施して,その結果を受けて村民達は自発的にいくつかの改善策を提案するなど,活動は自発的に進められるようになったのは我々としても最もうれしいことの一つであった。

 

 

活動の結果

 養蜂用の保護面布と貝類採取の手袋・地下足袋を製作する講習会では、1年目,2年目とも約20個の保護面布が製作されたが、実際には住民が自発的にさらに多くの面布を製作、活用していた。当初製作された保護面布で蜂に刺された経験から、面を防護服(地下足袋、手袋付き)に一体化させた“ムンデモデル”まで考案するに至った。

  住民達は面布作りをマスターし、住民自身で製作を継続していくことが可能となり,その製作技術をマスターした住民は他村民への普及も可能になるまで成長したのである。

 

ムンデモデルの養蜂用防護服.jpg

ムンデモデルの養蜂用防護服

 

 

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ワークショップ

 

 

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改良型の面布

 

 

貝類の加工製品の付加価値を向上させる活動

 これは水産分野の活動であるが,前にも記したようにマングローブ地帯では,海や川にマングローブの葉が落ち,分解し,栄養分となりプランクトンが増えると魚も増え,また貝類も増え,それを食べる鳥も増え,生態系の頂点に立つワシ,タカ類も増えるのである。このあたりでは,サルボウガイ、マングローブガキ、ミュレックス、シンビウムなどと言われる貝類が多く繁殖している。

 島内の女性達は,これらの貝類を採取し、加工し、販売している。これらは住民達の重要な収入源となる経済活動となっている。女性達は貝類を採取した後に、煮沸あるいは発酵過程の後に乾燥させて販売している。この煮汁はただ捨てているのでもったいないと思うものの,煮汁を捨てるのはそのままにしておいた。

 加工した貝は重さ単位で売買されており、加工のための労力が投入されているにも関わらず、販売単価は低かったので,これらの加工の工程の改善を図り、品質の高い商品を生産し,新規な商品開発と新たな流通ルートを開拓することで,貝類製品の付加価値を高め、住民の収益を増やし,生活の改善を目指したのである。

 貝製品の生産を量から質へ転換を図ることで、女性の労力を軽減し,同時に貝類資源への採取圧力を抑制することを目指したのである。採取圧力ということでは,貝を取る籠の網目を大きくし,小さいものは取らないようにもした。

  さらに,将来はこの 販売収入の一部を環境基金として積み立て、これを用いて村落林を造成することなど貝加工用の薪をマングローブ薪から植林木への転換をも意図したのだった。

 

 

活動の実施

 活動統括組織としては村落開発委員会が設けられ、その下に水産物加工委員会が設置され,この委員会が主体となり活動した。

 活動として加工用設備の整備、貝加工の改善と開発商品の生産と販売を行った。貝加工設備の設置場所は村内のニンドールといわれる場所にすることが村民総会で決定され、浄化台、乾燥台、簡易燻製かまどが2004年1?2月に設置された。これらの設備を利用して、サルボウガイを加工する前に浄化することで、サルボウガイが体内に含んでいる泥を除くことにしたのである。それに、従来のものより背の高い乾燥台を作り,日干し乾燥中に風で運ばれる砂ぼこりの混入を防いだのだった。これは少し作業性が悪くなったかもしれないが,砂ぼこりの混入は相当に防いだ。

  カキ燻製品は同じように浄化したマングローブガキを燻製装置に入れて加工することで、薫り、見た目、味 の三拍子がそろった新商品を開発することとしたのである。

 

 

活動の結果

 サルボウガイの浄化製品は、25g、50g、100g毎に包装し、ラベルをつけてダカールの市場に女性達が行き,販売した。日本でも落花生売りのおばさんがかごを担いで都会まで売りに来て売るような感じであるが,ダカールでは市場である。

 ここでは従来の販売価格より40%ほど高く売ることができて製品の付加価値付けが実現できた。加工方法など製品の質の高さをもっと宣伝できれば,もっと高く売ることも可能だと思われた。新しい製品は砂と泥が取り除かれた商品に仕上がっており、購買者の評価も上々だった。しかし,この辺りの人はそのあたりの価値がはっきりわかるまでは,もっと多くの販売をしてからのことだと思われた。私もこの貝を買っていつも食べていた。

  住民達は加工改善と商品開発のための加工技術を習得することはできたが,販売のための包装資材やラベルの手配、販売プロモーションや流通ルートの開拓は、住民だけではできなかったので,やはりこの村でこの仕事を担当したUICNなどの支援が依然必要だと思われた。

 

貝類を網に入れて砂・泥.jpg

貝類を網に入れて砂・泥抜きをする

 

 

ニンドールの水路に網をつける.jpg

ニンドールの水路に網をつける

 

 

砂が混入しないように貝の干し台を高くした.jpg

砂が混入しないように貝の干し台を高くした

 

 

完成した干し貝の新製品.jpg

完成した干し貝の新製品

 

 

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ムンデ村周辺で採取したカキ

 

 

町の鉄工所で作らせた鉄製.jpg

町の鉄工所で作らせた鉄製のカキ燻製用カマド

 

 

 

貝類採取用防具の自給(地下足袋・手袋製作)活動

 島に在る多くの村で、女性達はカキ採取に従事している。このとき、カキ殻の端先が鋭いため、これでひっかき女性の手足には怪我が絶えない。これまでは手に古布を巻き、足にはソックスを二重にはいて紐で固定していた。しかし、カキの鋭い端先から手足を完全に守ることはできなかったので,マングローブの根から伐ることでカキを採取していた。それがマングローブ資源の減少に一役かっていたのである。

 そこで、手袋・地下足袋をつけることによりマングローブの根を伐らないで済むようにしたのである。手袋や地下足袋を身の回りの素材で安価に製作できる方法を考案し、それらを村で自給することとした。

 手袋は容易なミトンタイプ(親指だけが分かれているもの)とし、手のひらの部分に厚手の布地を用い,地下足袋は、安価な古着生地や米サックをブーツ状に縫製し、ゴムサンダルを足袋底に貼り付け、締め付け用の組紐を装着することで製作することにした。

  これにより、マングローブの根を直接伐採しなくともカキが採取できるようになり、さらにマングローブ林を保全することができるようになった。

 

 

活動の実施

 ムンデ村では手袋・地下足袋の製作講習会を1年目に4回、2年目に4回実施し、この時に約100の手袋と地下足袋が製作された。実際に住民が自発的に製作したものを含めるともっと多く相当数に上る。

 

 

活動の結果

 ムンデ村では、泥の深い場所でも地下足袋が泥にとられないような地下足袋とズボンの一体型、地下足袋の底を強化するタイヤや木板を使用したり、手袋ではミトンタイプから5本指手袋への変更など、住民自らの多彩な改良がみられた。住民は自ら資材を購入し、独自の手袋や地下足袋を作り始めた。そして用途も貝類採集ばかりでなく、農作業など多岐に広がり,地下足袋・手袋の使用は住民の実生活に定着し始めたのだった。別な効果として,子供達も地下足袋を履くようになり,遊んでいる時の怪我も減ったという効果も見られた。

 

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ムンデ村での地下足袋。手袋作成講習会

 

 

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改良型地下足袋

 

 

エコツーリズム導入

 ムンデ村にもダシラメ・セレール村で記したのと同様のエコツーリズムを導入した。村落開発委員会の下にエコツーリズム委員会が設置された。

 

 

エコルートの設定

 ムンデでは、いくつかの候補ルートがあったが、所要時間や安全性を考慮して、村の発祥地→村の歴史的な場所→貝塚→昔の会議開催地→入江の小さな乗船場→(水路)→村の船着場、というコースをエコルートとしたのである。エコルート探索後は,近辺の水路でカヤック遊びもできるようにした。

  村の歴史を聞いていると面白く,何百年も前のことだが,最初の住民がここにきて住み始め,後に来た人達との争いになり,後から来て負けた人達が隣の島に住み着いたといったことだが,こういったことが口承されているというのは世界中どこにでもあることなのであろう。

 

 

活動の結果

 ダシラメ・セレール村で記したように,馬車はフンジュン市で、カヤックはそれぞれの村の船大工が製作し、装備した。ライフジャケットは、別のパイロットプロジェクト村で製作している製品を配備した。土産物品も試作品を製作した。エコルート代金は,この当時の金額で5,000FCFA (約8ユーロ),約1,000円くらいを想定していた。実際にはこのプロジェクトの期間ではあとわずかで開業できるという段階までだった。うまくいけば将来はエコヴィレッジという構想も持っていた。

 

村で作製したカヤック.jpg

村で作製したカヤック

 

 

導入した馬車と馬.jpg

導入した馬車と馬

 

 

普及啓発・環境教育

 ムンデ村が,簡易に手作りでできる「保護用面布・地下足袋・手袋」などを作製していることから,この技術を周辺の村に普及して,住民がマングローブを中心に自然資源を自ら管理し,また様々な生活を支える生産活動をバランスよく行われるようになることを目的として行ったものである。

 

 

普及活動の実施

 我々の活動期間中にムンデ村では2回ではあるが,周辺の村の住民の受入れ研修を行った。中身は?住民によるパイロットプロジェクト活動やその他の自然資源管理活動の紹介,?マングローブ保全活動を経験する小セミナーの開催,?「家庭用改良かまど」や「保護用面布・地下足袋・手袋」の作り方の研修だった。

 ムンデ村では村落開発委員会の下に設置された「訪問受入れ委員会」が、中心になり、宿泊と食事の手配や準備、活動紹介、技術研修など異なる役割を住民間で分担し、全村をあげての実施となった。

  ムンデ村では2回の研修で,周辺の5村,計30名の住民を受入れた。「養蜂用保護面布、地下足袋、手袋作り」研修は,住民が講師となり行った。

 

 

活動の結果

 研修を通じて、村落間の情報交換が促進され,周辺の村とのつながりが強化された。受入れたムンデ村の住民にとっては、自の活動を紹介することにより、村や活動に対する誇りや自信が高まった。招待された他村の住民にとっても、マングローブの保全活動、養蜂、貝加工の改善等のマングローブ資源を活用した「新しい経済活動」を見聞し、体験する場となった。

  その後、招待した村の全部から「養蜂用保護面布、地下足袋、手袋作り」研修実施の要請があった。それでムンデ村の住民講師が4村9名にフォローアップ研修を行うというかなりの成果を得た。確かにこういった交流の機会を設けたことは,住民間の刺激になり,普及・啓発としてとても良い活動だった。

 

 

 

つづく

 

 

 

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