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【森林紀行No.6 セネガル,マングローブ林調査編】 No.3

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調査地域周辺の概況

ダカールでの宿泊地

 ダカールでは最初,市内の中心にある有名な名前のホテルに泊まっていた。ホテルの値段は高級だったが,何となく小汚く,設備も良いものではなかった。

 しばらくしてから,砂丘での植林のプロジェクトを行っている者が宿泊しているキッチン付のアパート形式のホテルの方が,仕事がしやすいとわかった。当時の電話回線によるインターネットの接続の具合は良かったし,部屋は清潔で広く,メンバー全員が集まっての仕事もやりやすかったので,そのホテルをダカールでの仕事の基地とした。

 ホテルの入り口ではきちんとチェックされ,治安上も安全性が高かった。アパート形式であるので,食事は外食か作るかだったが,スーパーマーケットも近くにあった。値段は高級ホテルと変わらなかったが,仕事優先でそのホテルを,その後ずっと基地として使った。

 

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ダカールのアパート形式のホテル

 

 ホテルの周辺では喧噪としていて,埃っぽく,夜になると薄暗く,実際にポリ袋のゴミが舞っている汚い場所も多々あった。その点,ホテルは清潔で,部屋はキッチンと寝室と分かれていて,居心地が良く,仕事がしやすく別天地であった。

 こんなことがあった。ホテルでは沢山のメイドさんが,掃除などで働いていた。メイドさんといえば,中年くらいの方が多いのかなと思っていたが,良く見ると若い方が多いのである。廊下で掃除しているメイドさんにすれ違った時に,「このホテルはとてもきれいだね。」と言うつもりで,「ボンジュール。セ・トレ・ジョリ(これはきれいですね。)」とホテルを抜かして言ってしまったところ,「えっ。私がきれいですって。」「ウィ,ウィ,あなたはとても美しいですね。」「ありがとう。私いつも皆からとてもきれいって言われているのよ。うれしい!」

 若い娘さんが皆から美しいと言われる言葉を待っているのは世界共通である。

 

森林局の位置

 森林局はホテルから車で渋滞がなければ15分くらいで行ける位置にあり,半島の付け根の方向にあった。土日は車がそれほどでもなくスムーズに行けたが,平日はいつも渋滞が激しかった。それも調査が始まった頃はまだましだった。その後調査の終了する数年後には,渋滞は益々激しくなった。渋滞に巻き込まれると森林局まで少なくとも30分,時には1時間もかかることがあった。

 

森林局のメンバー

 調査中は,日本とセネガル間を何回も往復した。ダカールに着いた時には,森林局の本局で,その都度,調査の進捗状況やその後の調査の方向など,何らかの会議を行った。いつでも局長か局長代理には報告をした。

 調査開始の最初の会議では,調査の全体計画について説明し,セネガル森林局の幹部や関係者と会議を行った。

 事前に全体計画を説明した報告書を送っていたので,非常に詳しく中身を読んでいる職員もおり,突っ込んだ質問をしてきて,感心した。失礼ながらその方は,体も大きく,声も大きく,表情は厳しく見え,実際はやさしい方ではあったが,怒られているような印象を受けた。私はまだフランス語が良くわからなかったが,通訳を通すと,普通にしゃべっており,もっともなことを言っているのであった。

 森林局の職員では,日本のプロジェクトに以前から関わっていた方が,セネガル側の責任者として,この仕事を動かしてくれることになっており,良くやってくれた。すぐ後に,この方に代わって責任者となる方も最初から中心的に動いてくれた。二人ともとても協力的だった。

 

セネガル森林局での最初の会議。調査の全体計画を説明.jpg

セネガル森林局での最初の会議。調査の全体計画を説明

 

最初の現地

調査地域を掲げると次の地図のとおりで,プティット・コート(小さい海岸という意味)からサルーム・デルタまで相当に広い地域で,最初に現地に向かったときはダカールから南に下り,ティエス州のムブール県あたりから海岸線を観察しながら,途中のホテルで泊まりながら徐々にサルーム・デルタに近づいて行った。

 

ダカールからファティックへ

ダカールからファティックまでの道は,海岸線を行く道路とやや内陸側の大きな町,ティエスを通り行く国道があった。どちらも舗装され,良く整備されていて,車は,かなりのスピードを出すことができた。交通事故には十分に気を付けなければならず,運転手にはいつも口を酸っぱくし,スピードを出し過ぎるなと注意していた。

 

ダカールを出たあたりの国道にて.jpg

ダカールを出たあたりの国道にて

 

ダカールからティエスに向かう途中。.jpg

ダカールからティエスに向かう途中。

タバスキ(断食明けの犠牲祭)の時期には羊が売り買いされる

 

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ダカールからファッティックへ

 

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調査地域

 

調査地域内の主な町

 調査地内には,活動の拠点となる大きな町が,東にカオラック,北にファティック,南西にトゥバクータ,北西にムブール,中心付近にフンジュンがあった。

 

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主な町はカオラック,ファティック,フンジュン,ソコン,ソコンの南にトゥバクータがある

 

 一番大きな町はカオラックで,町は縦横に道路が広がっていて,人口は2000年には17万人ほどだった。ムブールもほぼ同じくらいの規模だったが,マングローブ林が広がっているというわけではなかったので,活動の対象からは,はずした。

 ファティックは2万5千人程度,フンジュンが5千人程度,トゥバクータが千人程度の町だった。

 

活動拠点をどこに置くか

 ざっとした計画の流れでは,1年目は,全体のマングローブ林を持続的に管理する全体計画を作成し,住民の生活向上に役立つ活動を幾つか計画し,実際にその活動を始め,その後ほぼ2年間その活動を行うことだった。そのため最初に行ったときは,活動の拠点をどこに置くか,いろいろと現地調査をしなければならなかった。

 

ファティックの営林局

 森林局の拠点としてはファティックに営林局があり,ここには職員が20人ほどおり,この管内の各地区に営林署があり,そこには署長が一人と,若干の助手がいる場合があった。

 

 最初にファティックの営林局に着いた時は,とても暑いと感じた。ファティックの営林局の空いている部屋を活動の拠点にしても良いとのことをセネガルの森林局本局から言われていたし,ファティックの営林局長も提供する意向を持っていた。

 しかし,ファティックはとても暑く,クーラーは設置されてなく,部屋も狭く,机や書棚も用意されておらず,すぐに事務所として使うのは難しいので,他の場所をいろいろ見てから決めることとした。

 

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ファティックの営林局の看板

 

ファティック営林局の事務所。この右側の空き室が.jpg

ファティック営林局の事務所。この右側の空き室が

プロジェクトの事務所として提供されるはずだった

 

ファティック営林局の幹部。右の方が当時の営林局長.jpg

ファティック営林局の幹部。右の方が当時の営林局長

 

このファティックの営林局の局長は,とても親分肌で,この後もこの営林局によれば必ず食事をして行けと,引き留められた。特に覚えているのはマフェと言って,ピーナツバターをペーストにしてシチューにしたもので,食べるとあとで腹がパンパンに膨らんでくるのであった。

 

ファティックの営林局長の家のガスコンロ。これで料理.jpg

ファティックの営林局長の家のガスコンロ。これで料理

 

ファティックからフンジュンへ

ファティックからフンジュンの手前の川の渡しまでは車で30分ほどであるが,道が悪くガタガタであった。当時一旦は舗装されていたが,その舗装に穴が開き,段々と広がり既に舗装の後は見えないほどに傷んでいた。

 

ファティックからフンジュンへ.jpg

ファティックからフンジュンへ

 

 

白い土はタンと呼ばれ,マングローブ地帯.jpg

 

白い土はタンと呼ばれ,マングローブ地帯に広がる。塩分が集積し,植生の侵入は困難


 この状態はフンジュンから東の方面に向かって行き,カオラックから南に下る国道とぶつかるパッシという町までも同様だった。舗装がはがれひどい状態である。むしろ舗装がなく土がむき出しの道路の方が走りやすい状態だったので,運転手は舗装が完全にはがれた土のみの所を選んでくねくねと走るのだった。それで私は車酔い気味になるのだった。

 

フンジュンの渡し場

 ファティックからフンジュンに向かって行くとフンジュンの手前でサルーム川を渡らなければならず,ここにはしけがあり,車を10台ほど渡せるのであったが,いつも待っている車をうまく船上に収めるのだった。

 最後の渡しの時間が午後6時だったので,その時間に間に合うよう,時間が迫っている時はいつもひやひやものだった。

 この渡しは乗っている時間は10分?15分ほどだったが,車を乗せたりし,30分ほどかかるのだった。

 

フンジュンの渡し場の前で 川幅約2?.jpg

フンジュンの渡し場の前で 川幅約2?

 

ときどきフンジュンの渡しに観光船がきている.jpg

ときどきフンジュンの渡しに観光船がきている

 

フンジュンのはしけ.jpg

フンジュンのはしけ

 

植林のプロジェクトの時から長い間使っていた運転手と.jpg

植林のプロジェクトの時から長い間使っていた運転手と

 

渡し場で沈む夕陽。いつもきれいな夕陽が沈む.jpg

渡し場で沈む夕陽。いつもきれいな夕陽が沈む

 

基地としたホテ

フンジュンのホテル

 調査地内をいろいろ調査し,大きな町のホテルにもいろいろ泊まり,仕事上一番拠点となるフンジュンのホテルを仕事の基地とした。それはフンジュンからデルタ地帯に広がる島にある多くの村にボートで行くには最も適した位置にあったからである。

 だいたいどこでも部屋は,小屋作りで,一戸建ての真ん中で仕切られ,二部屋続きの長屋が多かった。

 居心地は,快適とは言えないまでも,ベッド,シャワー,音はうるさいが古いクーラーもあり,朝晩の二食付きで,仕事用のテーブルを入れてもらい,仕事をするには問題はなかった。

 どちらかと言えば,ヨーロッパからの観光客を目当てに作られたものだ。

 しかし,このフンジュン以外にも,南の村を調べにトゥバクータのクールサルームという名のホテル,北の村を調べに行くには,フィムラという町にあるペリカンという名のホテルを基地にした。

 

フンジュンのホテルへの入り口の道.jpg

フンジュンのホテルへの入り口の道

 

フンジュンのホテルの入り口付近.jpg

フンジュンのホテルの入り口付近

 

左は野外の休憩所.jpg

左は野外の休憩所

 

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食堂

 

プールもある。.jpg

プールもある。ライフジャケットの試作品を付け試し泳ぎをしたくらいしか泳げなかった

 

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桟橋があり,ここからデルタ内の村に向かった

 

 

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これはジナックという村のホテルの部屋であるが,どこでも似たスタイルの部屋だ。

フンジュンのホテルは木造りで柔らかみがあった。

 

 

トゥバクータ

トゥバクータではクールサルームホテルと言う名前の大きなホテルを基地にした。ここも同じように小屋スタイルのホテルだった。そこはセメントで作られた小屋でフンジュンの木作りの部屋の方が,ずっと居心地が良かった。

やはりヨーロッパ人用のリゾートとして作られたホテルでここからボートで鳥やマンブローブを眺めたり,観光客用のものだった。

ドイツ人など一週間くらい何もせずに,ただボーッとして過ごしている客もいた。

 

ヨーロッパからバラクーダ(オニカマス)釣りの客が来る。.jpg

ヨーロッパからバラクーダ(オニカマス)釣りの客が来る。

 

ホテルの送迎用バス.jpg

ホテルの送迎用バス

 

 

ホテルの前にはサルーム・デルタ.jpg

 

ホテルの前にはサルーム・デルタが広がり,マングローブ林だらけだ

 

ボート発着用の桟橋がある.jpg

ボート発着用の桟橋がある




 

 

つづく

 

 

 

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