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【森林紀行No.6 セネガル,マングローブ林調査編】 No.9

森林紀行

アヴィセニアの育苗と植林試験

 前述したように,この地域の主なマングローブの種類はリゾフォーラで,次に多く生育しているのがアヴィセニアだった。アヴィセニアはリゾフォーラよりも塩分濃度の高い地域でも生育が可能と言われており,このアヴィセニアの植林地の拡大を目指し,植林技術を確立しようと育苗と植林試験を行ったのである。

 

 

場所決めには決断力が必要

 何と言っても大変だったのは,試験地の場所の決定だ。これには決断力がいる。試験方法の決定なども大変と言えば大変であるが,他の試験方法なども参考にして,考えることにより決めることができるので多少は気が楽である。試験結果を左右すると思われる場所決めは,数ある候補地の中から,もちろん考えて条件を決めるが,条件に合うものの中から最後は決断力をもって選定しなければならない。

 そのため,調査地域内を隈なく調べ,といっても住民が住んでいる集落の近くで,マングローブ林が減少していて回復が必要な場所や試験調査が確保できる場所,人間や家畜の侵入がない土地でモニタリングのデータが取れる場所など,そういったことを条件にして,試験地を探った。

 候補地は多数あったが,植林を対象地内の広い範囲に拡大するために,対象地を西と東に分け西ではソモン,東ではサジョーガとンバムいう村を選んで試験をすることにした。

 

 

アヴィセニアの種子の発芽

 アヴィセニアにはソラマメのような種子が沢山できるので,自分で種子を採取し,私自身で発芽状況を調べた。

 種子を半日ほど水に浸すと種皮がはがれ,数日で子葉が開き,根が成長し始めることがわかった。私が採取した種子は全て発芽したため発芽率は相当に高いと思われ,かなり安堵した。

 その後,成長するかどうかはわからなかったが,発芽処理は必要ないし,発芽率も高いので植林試験も直播かポット苗を作って移植するか,また,その後の成長をモニタリングすれば良いので,試験方法も試験区の設定や植栽密度などを考慮すれば良く,うまく行くのではないかという予感を持った。

 

 

天然のアヴィセニア.jpg

天然のアヴィセニア(サジョーガ村)

 

 

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母樹(種子を採取)としたアヴィセニア(ソモン)

 

 

アヴィセニアの花(ハチミツ.jpg

アヴィセニアの花(ハチミツに非常に良い)

 

 

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アヴィセニアの種子。ソラマメのような形で多量にできる

 

 

 

試験を委託

 実際の試験は,西側をUICN(世界自然保護連合のセネガル事務所)と東側をWAAME(西アフリカ海洋環境協会)に委託して行った。

 

UICN

 UICNでの担当者は,誠実,几帳面で,寡黙ではあるが,緻密な試験を行うのにぴったりの人物だった。私はこの仕事を通じて,アフリカのセネガルにも日本人の研究者にも勝るとも劣らない優れた人間はいるものだと実際に驚いた。おそらく個人では人種が違っても能力は変わらないのであろう。社会や政治体制,歴史や文化といったものが,社会の発展段階に影響しているので,個人の能力が社会の発展段階により決められている訳ではないということは分かったが,能力が開花できるかどうかは社会の発展段階により制限されるだろうというようなことを感じた。

 UICNのこの時のセネガル事務所の所長が,以前に森林局の局長をしており,メンバーの中には,この調査の前からセネガルの別の仕事に携わっていたものもおり,彼らは旧知の中であり,仕事を委託し易く,信頼がおけた。また,この所長が私にはとてもしっかりし,誠実な人物に見え,時々細かな齟齬はあったが,良くやってくれた。

 ただし,事務所の次長は,かなり自己主張が強く,実質的にこの人が,我々の仕事の責任者になったので,かなり意見がぶつかった。とはいえ,最終的にはいつもどこかで合意に至ったが,議論に多くの時間をついやさなければならなかった。

 

 

優れていたUICNの担当者

 担当者は30才前後だったろう。とにかく,きちんと仕事をしてくれた。仕様書通りに,植栽後は毎週,苗が根付いてからは毎月報告を義務付けていたが,きちんきちんと正確に報告してくるのだった。というのも我々は,日本とセネガルを何回も往復していたので,セネガルにいる時は試験地を見ることができたが,日本にいるときは見ることができなかったからである。

 ある時,彼に聞いてみた。「あなたは,子供の時にはものすごく成績がよかったのではないか?もしかしたら神童といわれていたのではないかな?」「その通り。小学校の時にはいつも一番で,確かに神童と呼ばれていた。でも大学に入ったら普通の成績だった。」そんなものかなあと思ったが,それでは「十で神童,十五で才子,二十過ぎれば只の人」そのものではないかと思ったが,十で神童の片鱗を感じさせるほど良くできる人だと思った。この担当者の出身は,我々の対象地内で,基地としているフンジュンからも近いガーゲ・モディという村だった。

 

 

WAAME

 一方WAAMEは,フンジュンに事務所を持ち,この地域の発展を願い,我々の仕事の始まる数年前に立ち上げられたNGOだった。実際この辺りには,少人数のNGOが沢山立ち上げられており,さながらNGO産業林立地帯だった。それだけ海外からの援助が多かったのである。

 

 

英雄も地に落ちた

 さて,WAAMEの所長は最初,この地域の発展を思っているという熱い志をひしひしと我々も感じることができ,この地域の人々からも人望が厚く,さながら英雄のように見えた。しかし,前述したように多くの援助機関からの仕事でNGO産業が盛んというように,WAAMEも,他の援助機関からの仕事を引き受けていた。

 特に大きな仕事は,我々よりも先行して,同じ様に住民参加型のプロジェクトを行っていたEUのプロジェクトだった。EUのプロジェクトとはお互い活動する村がダブらないように調整を行った。また,EUの援助がWAAMEに車やコンピュータなどかなりの機材供与をもたらし,それらの機材を用いてWAAMEが活動していたので,我々の仕事もそれらの機材によりはかどるという恩恵ももたらした。

 そんなことでEUや日本からの援助でWAAMEは潤ったのである。そして所長は社長でもあり,何を勘違いしたか,自分が潤ったものだと思ったのだろう。イスラム教では4人まで結婚できるので,何人目の奥さんかはわからなかったが,新たに結婚をして,新婚旅行にガンビアに行ったりした。ガンビアは,セネガルに入り込んでいるような隣国で,我々の対象地域から近く,仕事に支障をきたすことがなかったのは幸いだった。また,ダカールに一軒家を借りて事務所を開いたりした。これで仕事はよりやり易くなり,WAAMEも発展していったのは良かった。

 しかし,技術者である社員たちが彼らの窮状を我々に訴えてきた。所長は,仕事が増えたのに技術者の数も増やさず,給料も据え置いているので,これではきつくて生活できず,仕事もできないので,技術者を増やし給料をあげてくれるように働きかけてくれといったようなことを訴えてきた。

 実際に技術者達のパフォーマンスも落ちてきて,技術者を増やす必要があった。それで,社内事情に首を突っ込むようだったが,我々としても契約通りに技術者を当てがい,契約通りの仕事が行われなければ,仕事がはかどらず大変なことになるので,所長には,我々の仕事は契約で行っているのだから,契約通りに仕事をするように再三申し入れ,なかなか改善されなかったが,技術者をスカウトしてきて徐々に増えて,パフォーマンスも良くなったが,給料は内部事情なので,はっきりわからなかった。しかし,雇った技術者への契約金が未払いで裁判を起こされるということも聴き,所長の周辺での評判も地に落ちてきたのであった。

 また,EUの担当者も多額の援助に見合う成果が得られないので,頭を抱えて困っており,我々と良く,意見交換,情報交換をした。

  UICNのところでも書いたが,社会状況が変わっても個人の能力は変わらないのだろうが,潤うと純粋だった人間も濁ってしまうというあからさまな例を見た。

 

 

好感が持てたWAAMEの担当者

 また,この仕事のWAAMEの担当者は,UICNの担当者と同じく30才前後だったろう。腰が軽く,現場にはすぐに行き,非常にタフで,良く活動し,とても好感が持てたが,デスクワークはあまり得意ではないようだった。しかし,人懐っこくとても善良な人間に思えた。試験を始めた当初は,きちんと報告されないことが多く,報告が遅れがちだった。これはオーバーワークの影響もあったが,中身が正確でないこともあったので,かなり注意した。

 どちらかと言えば所長に責任があるので,能力のある技術者の配置や,社業の改善を促すために所長と度々談判し,時にはつるし上げてしまったこともあった。それでも,所長は屁に河童という態度だった。

 そんなことから担当者には,報告のスタイルを,UICNのものをモデルにしたものを作ってやり,このように報告しなさいとそのモデルを渡してからパフォーマンスは良くなった。そして自分達で工夫し,試験地の看板を付けたり,より積極的にもなり,問題なく仕事をこなせるようになった。

  私は森林局の職員よりも一番技術的に力がついたのは,我々が仕事を委託し,技術的な指導を直接行ったUICNやWAAMEの職員だったなあと感じた。

 

 

 

試験地ソモン

 ソモンは前の紀行文で述べたようにダカールからも近い場所にあった。

 

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アヴィセニア試験地 ソモーヌと書いてある場所である

 

 

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ソモン試験地の近隣のアヴィセニア

 

 

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試験地

 

 

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ポット苗(何カ月苗が,活着率が良いかなどを比較した)

 

 

ポット苗から移植.jpg

ポット苗から移植

 

 

成長量を測る.jpg

成長量を測る

 

 

 

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ポットの中の根

 

 

 

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成長状況

 

 

 

アヴィセニア試験地

サジョーガ

 サジョーガは,フンジュンから舗装が剥がれた悪路をジロールに向かい,ジロールから未舗装の村へ通じる道路を約10?行ったところにある小さな村である。

 

 

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サジョーガの位置

 

 

 

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サジョーガの試験地

 

 

 

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サジョーガの苗畑

 

 

 

塩分濃度を測る.jpg

 

塩分濃度を測る

 

 

 

アヴィセニアの試験地の看板.jpg

 

アヴィセニアの試験地の看板

 

 

 

地上での苗木.jpg

 

地上での苗木

 

 

 

試験地-0.jpg

 

試験地

 

 

 

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苗木

 

 

 

試験地 ンバム

 ンバムは基地としたフンジュンから3kmほどと非常に近い村だった。この村はパイロットプロジェクトでもライフジャケットの製作販売(別に記す)をすることになった村である。

 

 

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試験地

 

 

 

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苗畑

 

 

 

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苗木(塩分濃度が高く,生育が困難)

 

 

 

直播した試験地.jpg

 

直播した試験地

 

 

 


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苗木を8ヵ月育てて移植した試験地

 

 

 

最終的な結果

 アヴィセニアの植林試験は約2年ほど行い,育苗方法や植林方法を確立した。直播かポット苗か,植栽地の地盤高や植栽時期,植栽密度や水流との関係,あるいは塩分濃度との関係などを明らかにすることができた。

 

 

つづく

 

 

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