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【森林紀行No.6 セネガル,マングローブ林調査編】 No.1

森林紀行

セネガルマングローブ林調査の概要

はじめに

セネガルの南西部サルーム・デルタにあるマングローブ林は,不思議なところだ。翼竜のような大型の猛禽類が,生態系の頂点に立ち,水路を移動していれば,それらが自然と目に入ってくる。それだけ自然が豊かなことだということだ。迷路のようなデルタ地帯。一旦入り込んだら,磁石やGPSさえ利かなくなり,決して外界には出ることができなくなってしまうというブラックホールのような場所さえあるという。地元民が恐れている場所だ。誰もが恐ろしくてそこには近づかない。しかし迷ったら自然にその迷路に入り込んでしまうのだから,どうにもならないところだ。

 

マングローブ林地帯を飛ぶ翼竜のような巨大なサギ.jpg

マングローブ林地帯を飛ぶ翼竜のような巨大なサギ(羽根を広げると3m以上もある)

 

そういったセネガルのサルーム・デルタ地帯で2000年代に入っての初期,仕事をしていた。セネガルでは主に二つの仕事をした。一つは,セネガル南西部にあるサルーム・デルタでのマングローブ林の保護をしながら,そこに住む住民の生活向上を目指す仕事であり,もう一つは,北西部の沿岸の砂丘地帯で植林を行う仕事である。今回はマングローブ林について,主に書くが,このマングローブの仕事も二つの段階に分かれていて,最初にパイロット(試験)的に村で住民の生活向上のために様々な活動を行い,次にその活動を本格的に推し進める仕事である。ここでは,最初にパイロット的に行った仕事について主に記す。

 

セネガルに最初に行ったのは2002年の1月のことである。それから2004年末まで,この仕事にほぼ丸3年関わった。上述したようにマングローブ林では,生態系のピラミッドが良く分かり,そこに住む住民のマングローブ林に依存した生活は,とても興味深いものである。私も含めてチームのメンバーは,もちろん住民に溶け込んで仕事をしていたので,そこで経験した様々なことについて,記したい。

 

 

セネガルやマングローブ林の位置など

セネガルは,アフリカ大陸の最西端にあり,サヘル地帯(アフリカのサハラ砂漠の南縁の草原地域。セネガルからチャドまで,東西に帯状に広がる。)に位置している。

 

アフリカの最西端がセネガル.jpg

アフリカの最西端がセネガル

 

セネガル.jpg

セネガル

 

セネガルの南部のサルーム・デルタ地帯には約20万haもの広大なマングローブ林がある。このマングローブ林は西アフリカでの分布の北限にもなっている。

 

空からみたサルーム・デルタのマングローブ.jpg

空からみたサルーム・デルタのマングローブ

 

 

生態系のピラミッドが良く分かるマングローブ林

マングローブ林は,葉が海に落ちるとそれが養分となり,プランクトンが増え,プランクトンが増えると魚が増え,魚が増えると鳥が増え,と食物連鎖が良く分かり,鳥でもとりわけ,ワシ類,大型のサギ類,ペリカン類など生態系の頂点に立つ鳥を見ることができる。生態系のピラミッドの頂点に立つ鳥などはその傘下に多くの生物が住むことができることからアンブレラ種と呼ばれている。アンブレラ種が住むには広大な面積の森林が必要であるが,ここではそれがマングローブ林である。つまり,ここは生物多様性を維持する貴重な森林なのである。

 

マングローブ林に住む人々

そして,このマングローブ地帯には多くの住民が住んでおり,この当時,調査地域のマングローブ林地帯には,約30万人程度が住んでいた。住民達は,永年にわたってマングローブ林を利用し,木材建築材や薪炭材を採取してきた。また,マングローブの海域を漁場として利用し,また,陸地は,農地として利用してきた。最近は,その風光明媚な景色に多くのヨーロッパ人も訪れ,観光の対象にもなっているのである。

 

マングローブの島に住む子供達の元気な顔.jpg

マングローブの島に住む子供達の元気な顔

 

 

もう一度,詳しくマングローブ林の位置

マングローブ林の位置は,行政的に言えば,セネガル国のティエス州のムブール県,ファティック州のフンジュン県,それにファティック県にかかっていた。下の図で四角囲った約60万haで,その中のマングローブ地帯は約20万haだった。

 

四角で囲った地域にサルーム・デルタのマングローブ林がある.jpg

四角で囲った地域にサルーム・デルタのマングローブ林がある

 

 

セネガルの特異な位置

最初に地図でセネガルを見た時に,おもしろい形をした国だと思ったものだ。左を見ている人の顔のようでもあり,鼻の最先端に首都ダカールがある。ここはアフリカ大陸の最西端でもある。ダカールは下北半島にやや似るが,尖った斧のようである。面積は下北半島の1/3程度の狭さである。

ダカールは人口稠密であり,渋滞も激しい。土地を物理的にこれ以上広げることはできないので,今後発展するとなると超高層化であろう。

口に当たるあたりにはガンビア国があり,セネガルの中に侵入しているようでもある。セネガルはフランス語圏でガンビアは英語圏である。これも昔の植民地のなごりである。

 

 

私がセネガルに行った期間

整理してみると,この仕事では,3年間のあいだに日本とセネガルの間を11回往復し,約1年間セネガルに滞在したことになる。他の仕事でもセネガルに行っているので,合計すればセネガルには約1年半程度滞在していたことになる。

 

 

最初の出発前の準備

私はこの時,もう50才を過ぎていた。若い時は海外の調査にいくとなると新しい発見があるのではないかと,ワクワク期待感が大きかったが,齢と共に段々と責任も重くなり,最初の出発前は非常に不安感があった。

 

 

肝炎の影響

というのは,ジンバブエでA型ではあるが肝炎に陥り,現地で1ヵ月入院,回復して約2年ほどであったが,体力的にも精神的にもどん底の状態にあったからだ。ジンバブエの医者は,すぐれていたというべきだろう。日本の医者より,よほど親身だった。データはもちろんだが,患者と話し顔色をみる,様々に触診するといった具合だった。帰国する折には,大病をしたあとには,精神的な影響が残り,後にうつになることがあるかもしれないから十分に注意するようにという言葉をもらった。そのとおり,体力がないことからうつ的になり,病院では精神安定剤などを処方してもらっていたからである。

 

肝炎の影響は少なくとも5年は残ったし,その後,アルコールにはめっきり弱くなり,今でもその影響は残っていると言っても過言ではない。その他にも仕事では,まず初めて行く国は不安であることと今回の仕事自体が複雑で,うまく進められるかどうかわからなかったからだ。うつ的な状況がそれに拍車をかけたのであろう。私は団長ではなかったけれど,副団長で実質的に全部をまとめなければならなかった立場でもあったからだ。

 

出発前に活動計画は全てできていたが,正味丸3年以上,足掛け5年に及ぶ調査に私の人生のこの先5年は決まってしまったと,自由を奪われたような感じを持ってしまったのも,この時のうつ的な感情がそう思わせたのだろう。実際,今から思うとこんな楽しい,フィールドワークはなかったのである。このような素晴らしい経験をさせてくれたことには感謝してもし過ぎることはない。なぜなら様々な危機を乗り切り,こうしてこのような紀行文が書けるからだ。

 

 

最初の出発時の時のこと

とにかく,書類や精密な塩分濃度測定器など必要な機材はすべて準備し,その測定を補助するセネガルのコンサルタント会社などともコンタクトし,出発前の状況はすべて整えた。

 

私は,どの調査でも同じようなことを行うが,この調査では,正月休みには,現地の土地の位置関係を頭にいれるために,手に入れた5万分の1の地図と航空写真上に水路と道路,それに村の位置などを記入していた。この地図と航空写真は実に役立った。そして正月休みが終わり,最初の出発日が段々と近づいて来た。チームメンバーは7人とそれに公的な立場の方々2名,合計9名という大調査団で,2002年1月14日(月)パリ経由でダカールに向かって出発した。

6月の駒ケ岳

社窓


6月の駒ケ岳

全国的に梅雨入りし、夏へと季節は変わっていきます。

今年の梅雨入りは概ね平年並みとこと。

 

6月の旧暦の月名は「水無月」。

諸説あるようですが、

“無”とゆうのは助詞の”の”であり、「水の月」という意味だそうです。

 

ちなみに、10月の「神無月」も元々はこれと同じ「神の月」という意味で、

神様が出雲大社へ集まるために神様が不在となるので「神無し月」というのは、

後付けで中世平安時代以降に信仰とともに広まった俗解である、とも言われているそうです。

 

6月は、田んぼには水が入り、梅雨が始まる。まさに「水の月」ですね。

 

[南アルプス]

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【森林紀行No.5 パラグアイ – 造林計画調査編】 No.12

森林紀行

最終報告書

最後の報告書の説明会へ

 報告書が出来上がった後に、1985年2月8日から2月23日までの2週間、最後の報告会に行ったのであった。報告会が無事終わり、帰国後、パラグアイ側の希望などを取りこんで最終の報告書を作成した。

 

 

計画の概要

 今から30年以上も前のことではあるが、ここで計画の概要をごく簡単に述べると、毎年約1,000haずつ6年間に渡って植林する計画であった。植林面積はもちろん初年度が少なく、徐々に増やして6年目が植林面積は最も多い。植栽培樹種は、針葉樹のエリオッティマツ、テーダマツ、カリビアマツを中心として伐期を20年とした。一般建築用材を生産目標にし、間伐材はパルプ材や牧柵用材とした。

 パラナマツは材質が良質なので、伐期を30年とし、一般建築材でも良質材を生産目標にした。

 その他、広葉樹でユーカリ、パライソ(成長が早い)の外来種と郷土樹種でラパチョとペテレビを植栽することとした。

 針葉樹と広葉樹の植栽割合は90%対10%である。

 初期6年間は天然林の伐採収入が入り、9年目から間伐収入を予定した。

 雇用する労働者は多い年で約300人、少ない年で約60人程度であり、50年間で述べ約5,000人、年平均で約100人だった。

 林道は10m幅で幅員は6m、左右2mは伐開整理し、保護樹帯も設けることとした。施設は中央事務所、修理工場、倉庫などと職員アパート、診療所、学校、教会なども計画した。

 機材も重機、消防自動車、ジープ等の車両類から事務機器まで非常に細かいところまで設計した。

 50年間に支出する額は約4,000億グアラニー(約2,700億円、1$=350G、1$=240¥)で、収入は約8,000億グアラニー(約5,400億円)となった。収支が黒字に転じるのは19年目からで、内部財務収益率は19.6%となった。これは50年間も実行すれば非常に儲かる数字である。

  資金は15?16年目くらいまで借りる必要があり、30億グララニー(約20億円)借りられれば、計画は実行できたのではないかと思う。

 

 

その後

 それから2年たった1987年3月に別の仕事でパラグアイを訪れた。

 

森林局にて1987年3月28日.jpg

森林局にて1987年3月28日

 

 その時パラグアイの森林局には日本から専門家が派遣されていた。我々の作成した計画の実行立ち上げのため、森林局の技術者達を鍛えていた。

 

 専門家の指導は厳しく森林局の技術者と共に、日曜日の午後から金曜日の午後までカピバリの現地におり、金曜日の午後にアスンシオンに帰り、土曜日の午前中は講義、日曜の午後またカピバリに出かけるというハードスケジュールであった。森林局の技術者も音を上げていた。

 

  この時皆で日本式に最初の木に斧入れをするので安全祈願祭を行い、私も参加した。お供え物としてバナナ、リンゴ、パイナップルなどの果物とそれにワインを持って行った。ご神木として選んだ木にしめ縄を巻き、その下にお供え物を供えた。そしていくつかの呪文を唱えた後、「これから山の作業に入りますが、山の神様、どうか安全をお守り下さるようよろしくお願いします。」と日本語とスペイン語でお祈りをしたのであった。その後、全員が各々お祈りをした。

 

安全祈願祭 1987年3月31日.jpg

安全祈願祭 1987年3月31日

 

技術者全員に訓示をする長官.jpg

技術者全員に訓示をする長官

 

 

カブラルとウエスペ

 この時、私が2年ぶりにパラグアイを訪れたので、カブラルが家に招待してパーティを開いてくれた。ウエスペともう2組の友人達も来た。カブラルは新婚であった。カブラルの奥さんは、ずっと以前から私は知っていて、独身の時は細めであったが、結婚したら随分とどっしりした。奥さんは薬局を経営していた。ウエスペの奥さんはもう少しで子供が生まれるくらいの時期であった。

 

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 その後、カブラルから手紙をもらいそれには「増井、家族ともども元気だよね。息子の写真を送るよ。早くパラグアイに遊びに来なよ。待っているよ。カブラル夫婦」と記されていた。

 

 

通訳の若者

 この時は、前に通訳をしてくれた若者にも会った。彼は、カピバリの調査が終わる頃の彼女と結婚をしており、一児をもうけていた。彼にしてもそうだが、前の二人もとても夫婦仲が良さそうに見えた。これは日本人では人前では恥ずかしがって見せられないのが、オープンに仲が良いところを見せられて、とってもいい雰囲気に見えた。私も人前で仲良くみせられたら、もっと良かったかもしれない。日本人も一般にもっと人前での夫婦仲が良いのを見せれば世の中も明るくなるだろう。

 

 

それからのその後

 その後1988年11月にアルゼンチンのコリエンテスで、国連主催のTFAP(熱帯林行動計画)の国際会議が開かれ、私は日本代表として派遣されたのだった。

 コリエンテスはパラグアイの対面で、アスンシオンから近く、もしかしたらパラグアイの代表もきているのではないかと期待していたところ長官とエンシーソーが出席していた。ここで再会を喜び、旧交を温めた。

 その後、前述したようにエンシーソーとは彼が2000年くらいに日本に研修で来た時にあった。その後、彼は森林局の長官となった。彼の体形が、いかにもパラグアイ人らしく、ビヤダルのようになり、長官とそっくりになったのには驚いた。

  これにて、パラグアイのカビバリの造林計画についての話は終わりにし、次からはセネガルのマングローブ林について書く予定である。

 

 

 

「パラグアイ – 造林計画調査編」終わり

 

 

 

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