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【森林紀行No.5 パラグアイ – 造林計画調査編】 No.4

森林紀行

悩まされ続ける土地問題

 

勧業銀行の抵当物件だった土地

 前回述べたように、計画を作成する土地は、勧業銀行の抵当物件であったため、所有者は私有地から国立の勧業銀行に変わった。つまり、国有地となったため、その一部の2万7千haが森林局に払い下げられることになったのである。

パラグアイ森林局は、それまで大規模に植林を行った経験がなかったため、我々が造林計画作りのために派遣されたのである。

 

最終的な結果

 途中、計画地の大部分を軍が住民に分譲してしまい、土地をかすめ取られてしまった。最終的に作成した造林計画は、約1万1千haの土地の中の6,600haとなった。日本ではこれほど大面積の造林計画はないだろうが、平地なのでできるのである。かなり緻密なものができ、この計画は今でもモデルとして使えるほど良い計画だと思っている。植林方法や保育方法などを計画した事業計画とその事業計画を実行するのに必要な資金の調達や返済などの計画した資金計画も作成したが、残念ながらどこも融資してくれるところはなかった。これは南米全体が超インフレに進んだという当時の社会背景が影響し、融資しても返済の可能性が少ないと見られたためである。計画では利益がもたらされるように様々に工夫したのであるが。

 しかし、我々の作成した計画書に基づき、その後日本が援助し、植林を行った。ただし、全面積までの植林までには至らなかった。

 

森林が焼かれ農地に転換されていく.jpg

森林が焼かれ農地に転換されていく

 

既に作成されていたFAOの報告書

 調査を取り巻く状況は、あいまいなもので、まず状況を正確に把握する必要があった。まず、我々が計画を作る前にFAO(Food and Agriculture Organization of the United Nations 国連食糧農業機関)で既に同じような計画を作成していたのだが、何故その計画が実行されなかったのか私には疑問だった。いろいろ調べて行くとその計画は基礎資料として作成されたが、融資申請用の書類とまでには至らなかったとのことだった。

 この計画を私は精査したが、造林計画実行に必要な施設や資金計画などは良くできており、具体的な植林箇所の指定などの技術的根拠や融資の返済計画などが少し説明不足かなと思える程度で良くまとまっていた。

 

FAOの報告書が利用されなかった経緯

 何故これに基づきどこかの金融機関に申請しなかったかを森林局の長官に聞いてみた。すると、これに基づき、BID(Banco Interamericano del Desarrollo 米州開発銀行)に申請するつもりで、打診したところ、その段階で断れたとのことだった。当時BIDには、50年間無利息の融資枠があり、それを借りることを目的にFAOで計画を作ってもらったとのことであった。しかし、打診した時にBIDには、既に無利子で融資する原資がなく、その条件にあわなくなったとのことである。その後、BIDでは利子2.5%の融資枠も作ったが、それも利用できなくなっていたとのことである。南米全体で既に社会状況が変わり、インフレも激しく7.5%の利子でないと貸せない状況になっているとのことであった。2.5%でも返せないのに、7.5%で返すことは、到底不可能なので、申請は取りやめ、日本に再度計画作りを頼むことにしたとのことであった。造林の実行には初期投資が必要で、最も良い技術を用いたとすれば、生産材から利益を得て、何%の利子までなら返済が可能なのか、借りる先はBIDでも日本でもどこでも構わないから、もう一度最良の計画案を作ってもらいたいとのことだった。

 

何ともおかしな話

 それにしても昔のBIDには50年間無利息で貸してくれるという信じられない有利な条件の融資があったものである。しかし、そもそもFAOで作った案でBIDでの融資が受けられないのだから、計画を作り直してBIDに申請してもそれが通るのは難しいと思われた。おかしな話と思った。

 日本が融資するなら、儲けとかは考えないで、赤字覚悟で政策的に援助を行うなどとしなければ融資は、無理な話であると思ったものである。FAOも相当な資金を拠出して造林計画の報告書を作成したのだろう。それが使われなかったのは計画作成費が無駄になったということである。

 パラグアイの森林局あるいは政府全体が、計画作成の前段階からBIDと交渉し、融資枠を獲得しておかなければならなかったであろう。常識的に行っておくべきことを怠っていたことに大きな問題があったのだろうと私は思った。そして、この怠慢が我々の計画作りにも大きな悪影響を及ぼすとは最初の段階では思いも及ばなかった。

 

計画作成過程の効果

 尤も我々の作った計画も結果的には一部しか使われなかったことからFAOの場合と同じく、計画作成費の一部は無駄になったようにも思える。しかし、発展途上国では往々にしてあることで、計画通りにものごとは進まないことが多い。

  とはいえ、日本人が協力し、ものごとを誠実に実行したり、不正なことは一切行わないといった我々の態度やモデルとしても使える造林計画ができたことは、少なからずパラグアイの森林局の職員にも好影響を与えたであろうから、協力自体は決して無駄とはいえず、相当な効果を上げたと思う。

 

いつまでたっても移管されない土地

 さて、何度も取り上げているように調査をする上で我々にとっての大きな問題は、勧銀から森林局への土地移管が調査開始時点でなされていなかったことである。その時は勧銀の土地であったが、森林局のものとして登記されていなければ、軍がからんでいるので軍の土地となってしまうかもしれなかった。また、勝手に入ってくる入植者も多く、一旦入植してしまえば、排除するのも難しく、土地登記が急がれているのであった。

 言ってみれば調査以前に決まってなければならない最も肝心なことが決まっていなかったのである。発展途上国ではありがちなことである。しかし、後の経過を考えると森林局の土地として登記されたとしても同じ様な経過をたどっていただろう。

 なにしろ、森林局の土地となる予定の土地の境界は暫定的なもので、正確なものではないから、測量をして境界を確定してもらいたいという要請も含まれていた。日本でも山の境界はあいまいなものであるし、昔は見取り図だったので、そんなものだろうと思っていた。

 

土地登記も進まない

 パラグアイに到着後、土地はまだ登記されておらず、相変わらずその手続き中とのことであった。森林局の担当者や森林局の長官には我々はいつも「土地登記を早くしてくれ、そうでないと計画地域が定まらない。」とプッシュするが答えはいつも同じで「それはすぐに終わるはずだ。」とのことで一向に終わらないのだった。

 森林局の上部組織の農牧省の企画庁にも直接何回もプッシュするが進まなかった。最終的には、土地移管の話はついたが、1年半後の調査終了時にも、正式に森林局の土地に登記されたという話しにはならなかった。

 

大前提が崩れ、立て直すために苦労する

 このように肝心なことがあいまいなままに仕事が始まるから、実際に現場の最前線で仕事をする我々のような調査チームは苦労させられるのである。仕事を始めるということは、当然、大前提が決まっていて始めるものであるが、大前提は崩れるのが当然であるかのごとく、発展途上国では崩れるのである。だから、「法律は破られるために存在する。」などという言葉がことわざのごとく言われるのである。

 そして本来構築されているべき、その大前提を我々調査チームが新たに構築しなければならず、本来の仕事を行う前に、多大なエネルギーを注ぎ込まなければならないのであった。森林局のものになっていなければならなかった土地が、まだ宙ぶらりんで、いずれは森林局のものになるはずだということで、調査は見切り発車がされていたのだった。

 

かすめ取られていく土地

 この土地問題がすぐにかたづかなかったのは、軍が絡んでいたからだった。この土地が払い下げられるのが軍と森林局であったことで、パラグアイでは軍の力が圧倒的に強く、農牧省も軍には強く口出しできなかったからである。そして多くの土地が軍にかすめ取られて行ったのである。

 

土地に関するもう一つのあいまいさ

 また、勧銀から払い下げられる土地についてその土地代金を森林局が勧銀に支払うものなのか、勧銀から森林局にただで払い下げられるのかもはっきりしていなかった。これがはっきりしないと資金計画が成り立たないのだ。

 現状は良木が抜き伐られた跡の天然林であるが、残った天然林の販売可能な樹木を製材用に売り、残りの小径木やかん木を薪炭材用に売り、その儲けを造林費用の足しにし、その伐採跡地に植林する計画であった。

 そのため、前述したように、この調査で土地と立木の評価をしてもらいたいというのが森林局の希望だった。いずれにしても土地代金を勧銀に支払うにしても支払わないにしても土地と立木の金額を出すことにした。勧銀に土地代金を支払う場合は、立木の販売収入で支払った後にその金額が余れば、その金額を事業費の足しにする。また、土地代金を支払わない場合には、立木の販売収入全部を事業費の足しにする。ということで、計画作りに進んでいった。

 

つづく

 

 

1月の駒ケ岳

社窓


1月の駒ケ岳

新年あけましておめでとうございます。

本年も宜しくお願いいたします。新年明けましておめでとうございます。

皆様にとって佳き年となりますようお祈り申し上げます。

本年も宜しくお願いいたします。

 

今年は酉年。

「酉」という字は、「酒」という字にも使われているように、「果実が成熟した状態」を表しているとされています。

“トリ”は、「お客を取り込む=商売繁盛」、

“鶏”は、「夜明けを告げる」ことなどから、

縁起の良い年とされいるそうです。


本年が、新たなことに挑戦をし、飛躍の年となりますように。



[南アルプス]

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【森林紀行No.5 パラグアイ – 造林計画調査編】 No.3

森林紀行

調査の背景など

農牧大臣を表敬

 翌1983年10月10日(月)には、農牧大臣を表敬訪問した。日本で大臣に会えることはめったにないし、パラグアイとはいえ大臣とはめったに会えないので、どのような感じであるか興味はあった。会ってみるとかっぷくが良く、落ち着いており、見た目は非常に貫禄がある。中身は汚職にまみれているのであろうが、そんなことはみじんも感じさせない。

 当時パラグアイの南東部にある巨大なイタイプのダムがあるヤシレタ地域で、日本は農村地域の開発計画作成のための調査も行っており、我々のカピバリの調査は、それと並ぶ大きなプロジェクトと考えているとのことで、期待を示された。あたりさわりのない表面的、形式的な挨拶であった。

 

調査対象地の位置

 調査対象地はパラグアイの首都アスンシオンから東の町コロネル・オビエド(Colonel Oviedo)に向かい、そこから国道を北に向かってブトゥ(Mbutuy)まで行く。ブトゥから北東のブラジル国境の町サントス・デル・グァイラ(Santos del Guaira)方面に向かって約20km程行った所である。アスンシオンから約225kmの距離である。

 

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パラグアイ東部の地図と対象地域

 

 パラグアイ自体が全体的に平坦で車は走り易かった。当時舗装されている道路も道路網も十分ではなく、道路状況は決して良いものとは言えなかったが、ブトゥまでは舗装されていた。また、ブトゥには調査基地とした小じんまりしたペンション(ホテル)もあり、北東部調査の時のようにキャンプをしながら調査をするということはなかった。一カ所に落ち着いていられ、仕事上の困難さはつきまとったが、肉体的にも精神的にも比較的落ち着いていることができた。

 

調査が始まった経緯

 前述したように調査を行う予定であったカピバリの土地の面積は、当初2万7千haであった。ここは、もともとは、大森林であり、グアラニー族のインディオが住んでいたのだろうが、所有者がいない土地は政府のものであることからしてパラグアイ政府のものとなっていた。それが、F社という製材会社に買われ、F社の所有となった。

 

F社の倒産

 F社はこの地域の優良の良木のみを伐採し、製材をしていた。その事業を行うに際してパラグアイの国立勧業銀行から融資を受けていた。融資を受ける際、この土地を担保とした。しかし、優良木を伐採してしまうと、まだまだ木材としては使える良木が沢山残っているのであるが、倒産してしまった。

 

 思うにこの倒産は計画倒産に違いない。儲からなくなったから夜逃げ同然のように逃げたのだろう。F社が銀行からいくら融資を受けていたかはパラグアイ側の事情でありわからないが、土地購入代金や施設・設備費以上の多額の融資を受けていただろう。調査地域内の製材所にはまだまだ使える直径1.8mのバンドソー(帯鋸)が2台、1.2mのバンドソーが5台、丸鋸が多数、その他送材台、フォークリフトやボイラー室も残されていた。もったいないことである。持ち去った機材類も多数あっただろう。

 また、返済状況もわからないが、返済猶予期間(資金を借りて何年か経過した後に返済を開始する、返済を待ってもらう期間)があったとのことから、全く返済していなかっただろうと推測された。優良木を伐採し販売した代金は、丸儲けであっただろう。優良木以外は残し、F社にしてみれば、用済みのカスの森林を残してトンズラしたのだろう。

 勧銀にしてみれば、だまされたようなものだが、誰かが一枚噛んでいたのだろう。このような不正が当時数多くパラグアイには横行していたと思われ、そのために大森林は消滅してしまったのである。

 

 F社の関係者にしてみれば、日本の技術協力チームもカスの森林を何とかするように計画作りを頼まれて、憐れなものだと思っていたことだろう。

 それでも残っていた森林の見た目は立派で、相当量の大木が残っていた。私はこの時、土地立木評価を行うため、森林調査を行い、その結果から優良木以外でもかなりの量があり、相当な額に相当することが分かった。優良木があった原生林状態のときは、大変な価値があったと推定された。それが数年間の間に伐採されてしまったのである。

 

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伐採されて牧場や農地に転換されていく森林

 

 

つづく

 

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