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【森林紀行No.1 10/18】「アマゾン川の踏査」
アマゾン川の支流
思ったより流れの速い源流域
アマゾン川は、本当に大きい。我々は最上流部、源流部にいて標高は約300mである。このあたりから平坦となり、ここから6,000Km下ったところが河口だ。すると平均傾斜は2万分の1だ。つまり、100m下って5mmしか傾いていないのだ。
だから日本で考えていたときは、流れはきっと緩やかだろうと思っていた。しかし、実際に源流域を見ると流れは思っていたよりもずっと早かった。流れが特に早く波立っている場所もあった。水深が浅いのであろう。
以外に早い上流域の流れ(波立っているのは水深が浅いから)
ナポ川を下る
調査地域の支流で一番大きい川はナポ川と呼ばれており、それ以外にアグア・リコ川もあり、どちらも上流域、下流域とも調査した。
船乗り場(小さなボートで川の渡しの商売をしている人も多い)
ナポ川沿いを調査
アマゾン川の支流のナポ川をコカから下りプリマベーラ(Primavera:春という名の集落)まで約30kmを往復した。一番広いところで川幅は約1kmほどもある。
水速は7~8Kmだった。行きに1時間10分ほどかかり、帰りは1時間40分ほどかかった。
また、ラゴ・アグリオからアグア・リコ川周辺は比較的穏やかで水速は4~5kmだった。
アグア・リコ川を行く(少年達の運転で上流へ)
上流部は比較的穏やか。しかし水量は多い。
また、フローテルという遠方から来ている遊覧の船上ホテルもあった。
よくもまあ、こんな奥地まで遊覧に来るなあと思ったものである。アマゾン川がそれだけ大きいということであろう。
フローテル(船上に浮かぶホテル、蚊や虫が多そう)
本格調査開始
輪尺を作る
モリーナは輪尺をみて、直径が1mかそれ以上大きい木を測れる輪尺をラゴ・アグリオの製材所で作らせれば簡単にできるという。mm単位で測っているので正確さが必要で、難しいからだめだろうと言うと、「大丈夫だ。できるから。」と言うので、「じゃあ、試しに作ってみろ。」と言うと実際ラゴ・アグリオの製材所で1m20cmまで測れるものと1mまで測れるものの2本を作ってきた。確かめてみると日本製とまったく同じ正確さを持っているので、これで調査が随分とはかどることになった。
本格的に調査を始める
2班に分かれて調査を始めようということで、1班は増井、I君、カウンターパートがラゴ・アグリオ周辺の営林署にいる、ルナ(Luna)、メディーナ(Medina)、2班がWさん、Y君、モリーナ(Molina)、アロンソ(Alonzo)で始めた。それにそれぞれの班に道案内人と木を伐採するチェンソーマンと作業員を数名雇った。
だいたい、いつも同じ場所に行き、そこで二手に分かれ、樹木を伐採測定し、帰るときは分かれた場所で落ち合い一緒に帰るようにした。
ルナ、メディーナ、アロンソ
彼らは、エクアドル森林局の職員で、この周辺の営林署から集められた技術者で、我々のカウンターパート(共同作業技術者)である。
ルナは、私より少し年配であった。痩せていて体力がなさそうであったが、森の中では逆に強かった。良くものを考える人だった。しかし、交通事故を起こした時、最も重体であり、その後も不幸が続き、一時一般人との付き合いはできなかったが、この調査が終わるころにはまたMAGに復帰していた。
ルナと調査中に胴の厚さを測り遊ぶ
メディーナは中堅どころだった。仕事は良くやったが、仕事に楽しさを感じているかどうかは分からなかった。
伐採木の直径と樹高を測るメディーナ
アロンソは一番若く、いろいろな事に興味を持っていたが、まだものごとを深く考える習慣がついていなかったので、これから経験を積む必要であった。
大木の大きな板根の上に座るアロンソ
プール
梅雨も明け日差しが強く暑い日が続きます。
皆様、熱中症には十分注意しましょう。
連日30度を超し暑くてたまらないですね。こんな時には「プール」です。
子供達を連れて近所の市民プールへ出かけました。
ちょうど、オープン日で無料開放していてラッキー。(通常でも大人150円園児無料なのですが)
しかしこの日は、あいにくの曇り空で気温もさほど高くなくどちらかといえば涼しいくらいでした
しかし子供たちは元気いっぱい二時間ほど泳ぎましたが、さすがに寒くなったらしく、
せっかくお弁当を作って来たのに食べずに帰る事となりました(義母さんすみません)。
次は天気の良い日に行きたいと思います。
oza
【森林紀行No.1 9/18】「陸上の踏査」
ラゴ・アグリオ周辺
樹木を伐採してデータを採取する前に森林全体の状況を調べることにした。ついにアマゾンの森林を直接見ることができるとのかと身が引き締まる思いであった。まずは、ラゴ・アグリオ周辺を見ることにした。
いきなり度肝を抜かれる
早速大蛇のお出ましである。道路の補修の様な作業をしていた人達がボアを捉まえていた。
いきなり出くわした大蛇ボア(力がありそうな胴体)
捉まえたボアは長さが約4m。太さは太いところで15cm以上はあった。これに巻かれたたらひとたまりもないだろう。しかし、毒はないし人間を襲うことはなさそうだ。動きもにぶいし、毒を持っていることではパラグアイに多くいた1-2mのガラガラヘビの方がずっと危なそうだった。
また、人が飼っていたが森で捉えた珍しいサルにも出会い、その後どんな珍しい動植物に出会えるのかワクワクドキドキな思いであった。
その後、ボアには時々出会ったので、相当数のボアがいたのであろう。
珍しいサル。夜行性のヨザル(オマキザル科)
日常的に出会ったボア、4m程度
ラゴ・アグリオで釣る
ラゴ・アグリオというのは酸っぱい湖という意味である。実際その湖があるので、行ってみた。熱帯で暑く雨が多いので、いろいろな微生物が繁殖して冨栄養になるのであろう。水は濃緑茶色で全く透明度がない。どろんとしていて底なし沼のようである。湖のほとりにカヌーが置いてあり、乗ると船べりの上の方まで水がきた。幸い水は中には入らなかったが、今にも沈みそうである。櫂で漕いで少し先まで行ってみた。しかし、見るからに水中から妖怪のようなものが現れそうな不気味な色で、とても沖まで行く気がしなくて、すぐに引き返す。
小さいリール竿を持ってきていたので、釣りをしてみようとエサを捜すと湖のほとりでミミズが捉まえられた。そこで、投げ込んでみた。するとすぐに20cmくらいのアイナメのような形の魚が釣れた。魚が多いのであろう。エクアドルの技術者もかなりいたので、すぐに釣れて鼻高々であった。しかし、知らない魚で見た目が良くないのですぐに放し、別な場所へ踏査に行った。
ラゴ・アグリオとコカ間の偵察、すべる道路
それから数日後まずは、ラゴ・アグリオから道路が通じている南のコカまで行ってみることにした。この間は約90Kmである。この道路には原油から石油を取ったあとの残りカスをアスファルトまで製造しないで、そのままアスファルトの代わりに敷いていた。そのため一見アスファルトの様に見えたが、雨が降ると非常にスリップし易く、車で走る時は相当に気をつけなければならなかった。
また道路に沿って、鉄管の石油のパイプラインが走っており、直径80cmくらいもあるかなり太いパイプが敷設されている場所もあった。細い物では直径10cmくらいであった。
それでも皆車を飛ばすので、本当に危なかった。実際に一度跳ねられて死んだ人を見た。それにバスの転覆事故を2度見た。危ない。更に、少し経った後、我々もカウンターパートが交通事故を起こし、大変な目に会ったが、それは後述する。
むしろ未舗装の道の方の方が安全だった。例えば東のシュシュフィンディに行くには、ラゴ・アグリオから約40kmほど南に行き、それから東に向かう道路があり、それは未舗装だった。交通量は少なかったが、スピードも出せないので安全だった。
雨が降ると滑る道路
(雨が非常に多く、アスファルトにまでしない石油を取った残りかすを敷いた道路。脇に石油のパイプラインが並走する。)
ハシケ
ラゴ・アグリオを出発するとすぐにアグア・リコ川(Agua rico:豊富な水)に出会う。そこはガバラ(Gabarra:ハシケ)で渡らなければならなかった。川幅は50m程だったがこれは交通の障害もはなはだしかった。ハシケの甲板は長方形で、車を数台載せることができた。車が数台のりハシケが満杯になるまでハシケは動かず、乗ってから渡り終えるまではだいたい1時間くらいかかった。場合によっては2時間以上もかかることがあった。回りは何を見ていても珍しいものばかりだったので、退屈するなどということは全くなく、時間の経つ不思議さを感じていた。
ハシケのことをスペイン語でガバラという
この川には1987年に行ったときには橋がかけられていて、大変に便利になったものだと思ったものである。
バスも車も人も運ぶハシケ
試しに伐る
ハシケを降りてからしばらく走って途中の入植者の奥にある山に入ってみる。高さ20mほどで胸高直径(胸の高さ1.3mの位置の木の直径)20cmくらいの細い木を一本チェンソーで倒して、2m置きに直径を測った。
いくらでも木はあるが、伐るのは石油基地や入植地で、すぐに伐られる運命にある木に絞った。
途中にあった入植者の家。カヤ葺きの掘立小屋
周りには直径1mを超える木も沢山あり、日本から持ってきた直径60cmまで測れる輪尺(木の胸高直径を測る道具。大型のノギスのようもの)ではまにあわず、それより大きい木は直径巻尺(樹幹の周囲を回して測り、直径が読みとれるようにしたもの。表面は円周率倍の目盛が付けてあり、裏面は普通の巻尺である。輪尺で測るより時間がかかる。)で測ることにした。
その日はコカに行き、コカに泊まった。しかし、コカの手前にナポ川の支流のコカ川があり、そこも同じように橋が無く、ハシケで渡らなければならなかった。そこでも渡るのに1時間はかかるのであった。
道路際で山から伐ってきた木を製材し、椅子やタンスを作り販売している人もいた
コカにはホテルアウカ(Auca:アウカは先住民の一部族名)というホテルがあった。
このホテルは、以前はテキサコが石油開発のために作業員用に作り、使っていた宿舎だったということでそれを改造し、ホテルにしたとのことだった。
外見はトロピカルな雰囲気で、食堂が道路に面していてきれいそうに見えたが、中の部屋はどこも汚かった。とりあえず偵察で一泊した。
翌日コカのMAGの事務所に行くとアメリカ人の平和部隊(Peace corps、日本が青年海外協力隊として模倣した)の隊員2人とアメリカ人の訪問者が1人いた。しばらく談笑してMAGがアグロフォレストリー用の苗畑を持っているというので見に行った。植栽樹種の育苗方法や期間、植栽時期などを聞き取りして、ラゴ・アグリオに戻った。
外見はトロピカルな雰囲気のホテルアウカ。中身は汚く居心地が悪い。
コカのMAG事務所。きちんとしていた。
つづく