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4月の駒ヶ岳
【森林紀行No.1 2/18】「アマゾン川源流域調査の内容と調査地域」
調査時期
エクアドルは、私には南米ではパラグアイに次いで、2番目に行った国である。海外出張ではインドネシアに次いで3番目に調査をした外国である。
エクアドルの地を最初に踏んだのは1985年7月だった。パラグアイの調査がその年の3月一杯で終わり、その後はエクアドルの調査の準備にかかり始めた。現在2013年だから、今から28年前のことである。この調査の中途には、住民(アマゾン川源流域への入植者と先住民)の調査への反対運動にあったり、1987年にはアンデス山脈の麓で地震があり、調査地域へ通じる橋が落ちたために調査が一時中断した。そのような影響で調査期間は当初の予定は3年間であったが、1年間延長され4年間となった。そのためエクアドルには1985年から1988年の4年間の間に7回訪問し、合計で約8カ月間滞在した。
調査計画
第1回目のエクアドルでの現地調査は立木材積表(立っている単木(一本の木)の幹の材積(体積)を求めるための表)の作成調査、第2回目が森林予備調査、第3回目が森林本格調査、第4回目が森林施業開発調査(森林を保護し、持続的に利用する計画作りのための調査)、第5回目が現地検証・審議調査、第6回目がドラフト・ファイナル・レポートの報告(最終報告書の原稿段階での報告)とされた。
調査団はこの調査計画に沿って調査を行ったのであるが、実際の調査に際しては、調査を進めるに従って分かってくる現実と机上で想定した状況との差、自然災害、人為災害など様々な障害となる事柄が起こり、また調査に関して二国間で結んだ協定の中身をエクアドル側が理解していないことなどもあり、修正に修正を重ねつつ調査を行い、ようやくにして最終報告書の作成までたどり着いたのである。
調査地域
調査地域はエクアドルのアンデス山脈を下ったアマゾン川源流域であった。「アンデス」や「アマゾン」と言う名前、この名前を聞くだけで、血湧き肉踊る。
「エクアドル」という単語は、スペイン語で「赤道」を意味し、「エクアドール」とドにアクセントがある。実際に国の北部に赤道が通っていることからエクアドルという国名になった。ついでながらダーウィンが「ビーグル号」で訪れ、進化論の着想を得たガラパゴス諸島もエクアドルに属している。
エクアドルの面積は約27万平方キロメートルで、日本が約38万平方キロメートルであるから日本の約4分の3の大きさである。人口は、現在は1,300万人(2010年)と推定されているが、1982年には約800万人と推定されていた。
中央にアンデス山脈が走り、太平洋岸がコスタ(Costa 海岸)、中央がシエラ(Shierra 山脈)、東側がオリエンテ(Oriente 東部)というように3地域に分けられ呼ばれている。調査地域はオリエンテのアマゾン川源流域であった。
オリエンテ地方が最も大きな面積を持つが、当時の人口は全人口のわずか2%程度で、未だに原始生活を保つ先住民(インディオ)の棲み家と言われていた。特に、敵の男の首を狩り、その頭骨を抜き取り、握りこぶしくらいの大きさに収縮させた干し首を作るヒバロ族がいるとのことだった。
そこは、アンデス山脈の東部にあたり、山脈の起伏部末端から平坦部に移行する標高500m付近からさらに東部に向かって標高が300m~200mで推移する地域であった。調査をしていると全体的に平坦に感じられたが、細かな波状地形となっていて、小丘、小谷が数多く存在している。
そして1960年代にこの熱帯降雨林の中に石油が発見され、1970年代に本格的に石油開発が進んだ。我々の調査の基地としたラゴ・アグリオ(Lago Agrio:酸っぱい湖という意味、今はNueva Lojaという名で呼ばれる)という町に石油開発の基地が設けられ周辺の道路の整備が進んだ。すると政府が入植政策を進めていたこともあるが、石油開発道路に沿ってアンデス山脈上の貧しい農民が、土地の権利書も無く、無許可のままこぞって入植、森林を伐採、焼却、開墾を始めた。そして、木材の利用者も無秩序に森林の伐採を始めたのだった。
無尽蔵にあると考えられていた森林資源は瞬く間に減少して行き、今衛星画像を見ると昔広大に広がっていた森林は相当に失われ、小さかったラゴ・アグリオやコカ(Coca)の町が大きく拡大しているのがわかる。
アマゾン川支流の住居 石油開発道路に沿って伐採が進む
南米の地図 エクアドルの地図
調査地周辺の地図(Lago Agrio~Coca)
つづく
【森林紀行No.1 1/18】「インディオの神秘な世界」
ここはアマゾン川の源流域。コカという小さな町の近くの森の中の湖である。湖の畔で、ターザンのように「アッアーアー」とか「ヤッホー」とか大きな声を出した。あたりは熱帯降雨林。高さが30mほどもある樹木が林立し、森閑としている。私の叫び声が静寂を破り、湖畔にこだまする。
アマゾン川源流域
昨日、我々の道案内をしてくれたインディオはどこから現れるのだろうか?すぐには誰も現れない。彼は約束を忘れたのではないか?あるいはまだ起きてないのか?さらに大きな声を出す。
すると湖の対岸に何やら動くものが現れた。対岸まで300m以上はあるだろう。何だろうか?良く見るとカヌーのようだ。双眼鏡で眺めると昨日のインディオが一人小さなカヌーに乗り、櫂を漕ぎながらこちらに向かってくる。「何事だ、これは?こんなことがあり得るのだろうか?」
森閑とした森の湖畔ではかなり先でも我々の声は聞こえるのであろう。あるいはそのインディオが我々とは違った超聴力を持っているのであろうか?
湖水は波一つたたず、透明度はなく、濃緑茶色の粘性の強い底なし沼のようにドロンとしている。不気味な湖水からは恐竜のような生き物が現れるのではないかと思わされるほどである。そこを静かに櫂を漕ぎ渡って来るインディオ。待つことしばし半時間。
何か不思議な神秘な世界に入ったように私は感じていた。
昨日仕事が終わった後のインディオとの話はこうだった。
「明日も続けて道案内を頼みたいので、明朝迎えに来るがどこに来たらいいのかな?」
その日の仕事が終わり、森の道案内人として雇ったインディオ(先住民)に尋ねると彼は、次のように答えた。
「この湖のほとりに来て、何か声を出してくれ。そうしたらここに現れる。」と言う。
「わかった。明日この湖畔に来たら大声で呼ぼう。そしたらここに来てくれるのだな。」
「そうだ。」
「本当にそれで会えるのだな。」と念を押した。
「心配するな。」
「じゃあ明日7時頃、夜が明けてしばらくしたらここに来るからよろしく頼む。」
「オーケー」
「じゃあ、きょうは、ムーチャス・グラシアス。アスタ・マニャーナ。(どうもありがとう。また明日。)」と言ってその日は分かれた。
インディオは、もちろん時計など持っていないから時間などはだいたいのところだ。家の位置などわかればとも思ったが、特に必要でもなかったし、雇ったのはこの日が初日で、エクアドル森林局のカウンターパート(共同作業の技術者)達もいたこともあり、詳しく聞かなくとも信頼できる雰囲気があった。
彼とは森の入り口付近でたまたま出会い、その森に詳しいということだったので、道案内を臨時に頼んだのだった。彼は、釣りのビクから針金を外したような網状に編んだよれよれの物入れを肩からかけ、汚れて破れかけたTシャツを着ている。彼のすぐ後ろにはとてもついて歩くことができない。というのは強烈な匂いを発しているからだった。風呂など入ったことがないのだろう。風向きにもよるが10m以上離れていても匂ってくる。少し間を置き、数m離れて歩いているのだが、それでも鼻がひん曲がりそうだった。しかし、森に詳しかったので、翌日も道案内を頼むことにしたのだった。我々は、車で鶏小屋のように汚いホテルに戻り、翌日の早朝7時頃、昨日と同じ湖畔に来たのだった。
多雨そのものの熱帯雨林 森林調査
つづく
略歴
増井 博明 (ますい ひろあき) 神奈川県生まれ
(株)ゼンシン 技術調査室長
技術士(森林部門)、林業技士(森林土木)
信州大学 農学部森林工学科卒