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プチ贅沢
素晴らしい旅行記の後で、アップするのも大変気が引けますが、
せっかく写真をとってきたので・・・
近場ですが温泉もお料理もとても良かったです。
写真の「林檎カクテル」
メニューにウォッカベースって書いてありましたが、
ウォッカがそんなに強いお酒だとも知らずに注文。
甘くて飲みやすくグビグビいってしまい、酔っぱらいました。
鎌倉の鶴岡八幡宮へ行ってきました
この間、念願かなって神奈川県鎌倉市にある鶴岡八幡宮へ生まれて初めて行ってきました。
鶴岡八幡宮は、鎌倉幕府を築いた初代将軍である源頼朝ゆかりの神社として約800年の歴史があります。現在は観光スポットとしても人気があります。
このような人気のある神社へ近づいて行くと、大きな朱塗りの鳥居が見えてきます。
この立派な鳥居を潜ると、鶴岡八幡宮と書いた立看板がありました。
この立看板を過ぎると、鶴岡八幡宮とその近くに旗上げ弁財天社の由来を描いた看板がありました。
これらの由緒書き看板と歴史書によると鶴岡八幡宮の御祭神は、応神天皇・比売神・神功皇后の3柱の神様です。これらの神は、「武運の神」として武家に厚く信仰されていたことから、勝利祈願・必勝祈願に御利益があるそうです。また、仲哀天皇の皇后である神功皇后は、女傑としても有名で、自分が身籠っている時に戦さで朝鮮半島の新羅まで遠征して勝利しました。日本に凱旋した皇后は無事に皇子を出産したことから安産・子育てにも御利益があるそうです。ちなみにこの時に生まれた皇子が、後の応神天皇です。
やがて時代は下り、源氏と平家の争乱を経て、1192年(建久3年)に源頼朝は朝廷から征夷大将軍に任じられ武家政権としての鎌倉幕府が成立します。初代将軍の頼朝は鎌倉の地を幕府として組織し、若宮大路を中心線として、その奥に八幡宮を遷座・勧請して、源氏の氏神・幕府の守護神として位置づけました。これが現在の鶴岡八幡宮にあたります。
境内には、太鼓橋を挟んで源氏池と平家池がありますので、それらを見ながら、ご本殿に向かうために、広い境内の中をひたすら歩きました。
すると、大きな石段が見えてきました。この石段付近が、歴史の流れを変える大事件が発生した場所として知れ渡っています。その事件は、1219年(承久元年)1月に発生した 鎌倉幕府第3代将軍 源実朝 が、先代の第2代将軍 源頼家の遺児である公暁により暗殺された事件です。この事件は、令和3年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」においても描かれており、私にとってはとても印象的なシーンの連続であり、今でも思い出されます。
源実朝は、武家の統領であるとともに歌人としての才能もあり、和歌に優れ彼が編纂した金槐和歌集には多数の和歌が記されています。このような才能溢れる将軍が20代後半の若さでこの世を去らざるを得なかったことは、残念でなりません。このような思いを抱きながら、この大石段を一歩一歩と当時の歴史を噛みしめながら登って行きました。
大石段を登りきると、そこには御本殿がありました。その朱色で塗られた鮮やかな色彩と華麗な建築には、目を見張りました。唐獅子など豊かな色彩の装飾も施されています。さすがに、国の重要文化財に指定されているだけのことはあるなと、実感しました。
もっとじっくり見てみたいと思いつつも、この旅行は団体旅行で来ていますので、集合時間を守らなければいけません。なので、後ろ髪を引かれる思いを抱きながらも、この場所を後にしました。
鶴岡八幡宮には、今回は時間切れで見学できなかった「鎌倉文華館 鶴岡ミュージアム」や「鎌倉国宝館」「白旗神社」「丸山稲荷社」「神苑ぼたん庭園」等があります。
次回は時間の制約のない旅行をして、ゆっくりとこれらを見学してみたいと思います。
令和5年度 長野県優良技術者表彰
令和5年度長野県優良技術者表彰 表彰式が、2月7日(水)に長野県庁講堂にて執り行われ、弊社より2名が表彰を受けました。
発注者様をはじめ関係者の皆様に心より感謝申し上げます。
今回の受賞を励みとして、さらなる技術の向上に努めて参りたいと思います。
委託業務 一般部門
受賞者 境澤昌志
業務名 令和3年度 防災・安全交付金 火山砂防(加速化)事業に伴う測量設計業務
(諏訪建設事務所)
受賞者 原田東鶴
業務名 令和3年度 国補道路メンテナンス(橋梁)(加速化)事業に伴う設計業務
(飯田建設事務所)