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代表取締役人事に関するお知らせ

お知らせ

この度、弊社 田中洋治 が代表取締役社長退任し、取締役会長に就任するとともに、

取締役 境澤昌志 が代表取締役社長に就任いたしましたことをご報告申し上げます。

   代表取締役社長 境澤昌志
   取締役会長   田中洋治

【代表取締役社長就任のご挨拶】
  謹啓 時下ますますご清栄のこととお慶び申し上げます。
  このたび田中洋治の後任として代表取締役社長に選任され就任いたしました。
  新たな体制の下、社員一同さらなる成長を目指してまいります。
  今後とも変わらぬご支援ご厚情を賜りますようお願い申し上げます。
  略儀ながらホームページでの公開をもちまして御挨拶申し上げます。
                                     謹白
                               株式会社ゼンシン
                           代表取締役社長 境澤昌志

【増井 博明 森林紀行No.8 中国編】 No.1_河北省張家口市赤城県へ

森林紀行

筆者紹介



7月23日(日)
 この紀行文は、中国で北京オリンピックが開催されている真っ最中(2022年2月前半)に書いたものである。オリンピックのスキー会場は張家口ゾーンである。そこで張家口市のことを思い出したのだ。今から16年前の2006年の7月に、この周辺の森林を調査したことがあり、広大な中国のごく一部ではあるが、今回はその時のことを書いてみたい。例により日記風な紀行文である。

出発(家から成田空港へ)
 2006年7月23日(日)のことである。京成上野駅発10時40分発の成田空港行に乗るつもりで家を出発したが、わずかの差で乗り遅れた。次のスカイライナーは11時20分であった。駅でコーヒーを飲んで時間をつぶしていたらあっという間に時間が過ぎ、次の11時20分のスカイライナーに乗った。12時20分頃に第2ターミナルに着いた。
 出発ロビーに上がると今回の同行者のShuさんは既にロビーで待っていた。Shuさんは同じ部で働いており、台湾出身で母国語が中国語なので、中国関係の仕事を受け持っており、今回は私の通訳兼秘書兼助手だった。つまりは、仕事の同僚との出張ということだ。
 私は宅配のabcのカウンターに行き、スーツケースを受け取って、すぐに二人で登場手続きをする。中華航空のビジネスだ。エコノミークラスの受付は多くの人が列を成していたがビジネスだったのですぐに搭乗手続きは終わった。
 パスポート審査を受け、中に入り、コンコースDへモノレールに乗って行く。当時、成田空港にはこのモノレールがあったが、今は廃線となっている。あまりに短く、必要性がなく、不便で不評だったからだろう。
 ラウンジに入る前にお土産用にタバコを買う。この頃、中国ではまだタバコがかなり吸われているとのことだった。ピースとセブンスターを2カートンずつ、計4カートン買う。
 ビジネスのラウンジには、色々食べ物もあり、昼飯として食べることができた。私が中国へ行くのは、この時が初めてだったが、Shuさんはこの仕事に長年関わってきたので、今までの経緯を色々とおさらいさせてもらった。そして、この旅を気楽に行こうとビールで乾杯。

離陸
 14時55分発が1時間近く遅れて、日本を発ったのは16時くらいだった。北京時間の午後3時だ。東京と北京の時差は1時間だ。席は3Aと3B。すぐに機内食がでて、ビールも頼む。ドイツビールで美味かった。食事は鮨、まずくはなかったが、うまくもなかった。機内での鮨は今一だ。少し眠ったらもう北京に着陸とのアナウンスがかかった。正味3時間ちょっとである。

到着
 荷物を取り、通関し、空港の自動換金機で100ドルを換金しようとしたが、うまく通らなかったので、あきらめて人のいる窓口で換金した。当時、円だと1元15円くらいだった。

北京空港

 外へでると河北省と張家口市赤城県の関係者と運転手もいれて合計で、6人もの人が出迎えに来てくれていた。熱烈大歓迎である。地下の駐車場へ行き、車に荷物を積む。車は2台ともランドクルーザーのようなタイプの車だ。

北京市から張家口市赤城県へ
 この日は、北京市には泊まらずに、これから仕事をする河北省張家口市赤城県に向かった。張家口市は河北省内の北西部にある。中国の行政区は市の下に県があり、市の方が大きくて、県の方が小さいのは日本とは逆だ。そこまでは北京から約100㎞で、車で2時間ほどとのことだ。ちなみに河北省には今回の調査対象の北京市、張家口市、承徳市が含まれている。

 外にでると、早速汚染された空気の匂いを感じた。さて、これから一緒に仕事をする仲間がここからずっと北京に戻るまで一緒に過ごすとのことだった。えっ。そんなことは思ってもいなかった。確かに熱烈大歓迎だったけれど、いつも一緒の行動では、自由がない。まあ、歓迎を装って自由に行動できないように見張っているということなのだろう。こちらには何もやましいことも悪いこともしてはいないのだからどうということはない。ただし、彼らには国家機密というほど大げさなものではないが、援助を受けている植林は必ず成功しており、上手くいっていない場所などは見せられない、だから我々が案内するのだ、といったことがあるのかもしれないと想像させられた。
 とは言うものの、それまで仕事をした中南米やアフリカの国とは違い、また東南アジアの国とも違い、外国にきたという感じがなく、強い親近感を抱いた。単に顔立ちが同じだからだろうか?これは、日本人だって元をただせば、中国大陸から朝鮮半島を渡ってきた渡来人だろうし、元を正せば同根というところから来ているのだろうか?
 そこで、中国、韓国とは戦争というひどい過去はあったが、聖徳太子の時代には中国、朝鮮の文化が日本に持ち込まれたのだから、そういったものを乗り越えて、よりわかりあえるのではないかと到着したこの瞬間には思わされた。これから徐々にカルチャーショックを受けるのではあったが、まずは親近感を覚えるというポジティブな軽いカルチャーショックである。

最初にみた北京の街並みの印象
 北京の町並みはどのようだろうか。空港を出発した後、古い建物(家屋)は見えるのだろうかと思っていたところ、素晴らしく幅広の高速道路の連続で、超高層のビルが余裕を持って林立しているのが見えるだけで、古い建物は見られなかった。東京では近代的なビルの谷間に古い民家が残っているのが見られるのだが。早くも自分のイメージと違った軽いショックを受けた。
 かつての中国は、ニュース映像などでは、自転車があふれているという印象もあったが、もう町には自転車は見られなくなっていた。GDPで日本を追い越したのは2011年のことだったが、この2006年も中国は急速な経済成長を続けていたのだった。
 しばらくすると雷が鳴り始め雨が降り始めた。段々と雨が激しくなる。7月は雨期なのだ。夜と雨ではっきりは見えないものの、「スケールが東京とは違い過ぎる。でかすぎる。」とまた軽いショックを受ける。
 河北省のRiさんが助手席に乗り、Shuさんと私が後ろの座席でShuさんが通訳してくれる。Riさんに今までの経緯のお礼や今回の調査を改めて頼み、丁寧なアテンドのお礼などを言う。雨が降っていたせいか、半袖では寒い。薄いジャンバーを羽織る。日本も天気が悪かったが北京も雨だった。

途中のレストラン
 1時間ほど、午後8時くらいまで走って、途中の町のレストランに入る。Riさんが沢山の料理を頼み、早くも接待攻勢を受けているという感じだった。日本からの援助で植林が進んでいるということへの感謝の気持ちを表しているのだろうが、以後の役所がらみの接待ではより多くの援助金を引き出したいという目論見が透けて見えることも多かった。
 シャブシャブのようなスタイルで薄い羊肉を沸騰したタレに入れて食べる。タレはトオガラシの効いた辛い方がおいしいが、辛すぎるので、私は、ゴマタレの方を多く食べた。それから沢山の炒め物が出る。
 料理の種類や量はやたら多いが大味で、繊細な料理といった感じは受けず、少しがっかりした。
 酒は、ここの地酒の蒸留酒(白酒:パイチュウ)をRiさんが頼む。すぐに乾杯(カンペイ)となるが、乾杯だと本当に一気に飲み干さなくてはならないのだ。何しろ飲むときに自分一人で、手酌のように飲んではならず、飲むときは、誰かと一緒に必ず乾杯か随意(スイイ)と言って飲むのだ。スイイであれば人に強要されることなく、好きなだけ飲めば良い。皆が乾杯、乾杯といってくるので、これではすぐに酔っ払ってしまう。小さいチョコではあるが、私には無理なので随意(スイイ)でお願いする。
 最初は、少し飲んだだけでむせてしまった。度数を見ると58度であった。むせるはずである。口の中でアルコールがサット広がるのだ。飲めないはずである。しかし、これだけ強い酒だととてもおいしい。
 河北省のFonさんというのが陽気で色々と話をしてきて面白かった。Fonさんを見ていると、白酒(パイチュウ)を飲んだらすぐに何かを食べるか、お茶を飲むかビールを飲んで一挙に酔っ払わないようにしていた。これを見習わないとすぐに酔っぱらってしまうなと思い、良い参考になった。ビールは燕京ビールといい、アルコール分が薄いのは良いが、とても不味く感じた。しかし、酔わないためにはビールを水代わりに飲むのは良いのだろう。今は燕京ビールもきっともっとうまくなっていると思う。因みに燕京は北京の古称とのことだった。
 夜9時半くらいに食事が終わり赤城県に向かう。

赤城県のホテルに到着
 赤城県に着いたのは夜中に近い、午後11時過ぎだった。温泉地である。宿泊は温泉賓館というホテルだった。赤城県の職員の女性2名が夜遅いのにもかかわらず、待っていてくれた。年頃は30代と40代くらいに見えた。若い方は、美人だったが、話しかけても全く愛想がなく、「接客業とは言っても日本のようなサービス精神はないのだ、さすが中国。」と妙に感心した。

温泉賓館
 用意していてくれていた温泉賓館は赤城県のゲストハウスで、結構大きく立派で、7階立てで、全部で100室くらいはありそうだった。しかし、室内の設備の作りは悪かった。温泉なので湯船に湯を溜めて入れば良いといわれたが、お湯を入れると栓が緩くお湯が漏れてしまう。湯船からのお湯は排水溝に直接繋がっておらず、風呂床にお湯があふれた。大したことはなかったが、遅いので風呂に入るのは止めてシャワーのみにした。
 電話もついているのだが、内線のみで、市内も市外も通ぜず、インターネットはできないことがわかった。
 空港で待っていてくれて、北京から一緒に来た河北省と赤城県の関係者全員が、同じホテルに泊まった。明日の朝は8時半に朝食とのこと。ここでは関係者一同朝から晩まで同一行動とのことと念を押され再度びっくりした。


つづく

4月の駒ケ岳

社窓
2022年4月の駒ケ岳

令和4年度がスタートしました。
桜も全国的には満開のところが多くなってきて、
信州でも南から開花が進んできます。

3月中には飯田お練りまつりが開催されました。
4月から5月にかけて諏訪地方を中心に各地で御柱祭が行われていきます。
長野市の善光寺では御開帳が始まりました。

どれも数えで7年に一度の開催ということで、
地元住民の方や関係者の方などはこの時を心待ちにしていたことと思います。

コロナ禍での開催であり、
制約も多い中で、様々な対策を施しているとのこと。
無事に開催されて、多くの人が訪れたり、参加できることを願うところです。

2022年4月の南アルプス
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