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【増井 博明 森林紀行No.7 アラカルト編】 No.27_メキシコ

森林紀行

筆者紹介




ブエナビスタ村の山火事の後-メキシコ(シエラファレス山脈の村)

【山火事後にメキシコに派遣される】
 山火事の後、プロジェクトでは、ブエナビスタ村の復興のための森林管理計画を作成したのであるが、予定の期間がきたため1999年の初めにプロジェクトは終了した。その後、その計画を住民のみで実行していくのは、やはり難しかった。そのため、計画の実行を継続して支援する技術者が派遣され、村に森林委員会を設立させ、侵食防止柵を作ったり、植林をしたりしたが、その技術者も派遣期間が終わったので帰国した。その後も継続して技術者の指導が求められたので、どのような方向で指導するかを定めるために2001年3月から4月にかけて私が派遣された。その時のブエナビスタ村の山火事後の状況は次のようだった。

山火事後に再生しつつあるマツ林

【ブエナビスタ村の水道の状況】
 村の状況を調べると、壊された水道設備は既に復旧されていた。水道は、山火事の後に起きた大きな土壌侵食により、取水口、そこから村まで水を引くパイプラインが破壊されたのだった。その復旧の資材を村の資金で賄うことは難しかったので、我々は日本大使館に、草の根無償という返済しなくても良い、資金援助を頼んだところ、それが認められて、日本大使館が資材費などの支援をしてくれた。これが大いに役立ち、水道を復旧することができた。
 実際に働いたのは村人がテキオ(村のための無償労働)で再建したもので、村のタンクには感謝の碑が張り付けられていた。再建された主なものは、取水口のタンク、約5kmにも及ぶパイプライン、それに村での貯水タンクだった。

沢に設置された村の水道の取水口
新たに引いたパイプライン。5km
村の中の貯水タンク。ここから各家庭に配水

 山火事直後の調査時には、水源はもっと奥の水が豊富な沢からとるように計画していたが、労働が大変だったためだろう、村からより近い沢に取水タンクを設置してしまった。そこで、その沢の上流は水源保全林として伐採しないで、マツとカシの大きな混交林になるように育てるように計画を変更し、そのような森林の取り扱い方法を村人とともの現地を回り説明した。

森林の取り扱い方法を説明する
説明に使った図など

【村人から感謝される】
 村人からは、日本大使館から資材の援助を受けたことを私に盛んに感謝してくれた。実際にこの草の根無償のアイデアを出したのは社会経済関係を担当している女性団員だったし、その団員や大使館の方が感謝されるべきだったが、私に感謝してくれ、私は役得だった。

【村での計画の実行状況】
 山火事の後に派遣された技術者の指導のもと、村人は被害を受けた森林を早急に元に戻すため、様々なことを実行していた。まずは、土壌侵食防止として、約10haのマツの火災跡地に、焼けた木を横に並べ侵食防止策を行っていた。これは侵食防止にとても役立った。 次に森林の回復であるが、天然更新(マツの種子が地面に落ち、自然に発芽させる)と人工更新(植林)対策を行っていた。天然更新の補助作業として、落ちた種子が発芽しやすいように、マツ林の林床を下刈(草刈り)していた。分散し多くの場所で行っていたが全体としては約1haだった。天然更新状況を調べてみると、どの箇所も非常に良好だった。マツの発芽には、光を求めるので、山火事などで焼けた跡地には光が入り、また種子が大量にマツカサ(球果)から落ちるので天然更新し易いということもあるが、本当に良く発芽していた。

発芽後やや成長した稚樹
大量に天然更新し、成長しつつある次世代の木

 植林は、マツの苗木35,000本を約30ha(3m×3m)に植林していた。実際のところマツの天然更新は、非常に良く、あえて労力をかけて植林しなくとも元のマツ林に戻ることはあきらかであったが、植林を奨励した。それは、植えるという行為は森林を育てることに意欲を保つために良い効果があるからだった。

マツの球果。これから種子を採取する
村の苗畑

【森林の伐採】
 そして、我々が作成した森林管理計画をもとに、メキシコの技術者が具体的に伐採箇所を指定し、25,500㎥を伐採した。伐採は、最初、村の住民自らが行っていたが、その後、会社に一括請負し、その会社に材を販売し、村の収入としていた。山火事跡地の材なので、品質が悪く、買いたたかれていたが、他に買ってくれる会社もなく、やむを得なかったのである。それでも村の大きな臨時収入となり、いわば村は焼け太ったのだった。

伐採したマツ

【伐採収入の用途】
 思わぬ資金を村では手にしたので、バスを購入した。36人が座れる大型バスである。このバスで、州都のオアハカまで週に2階往復することにした。片道50ペソとのことで、円換算すると約500円だった。このバスにより、買い物、病院への診療、親類への訪問等、村の発展に大いに役立つこととなった。今まではなかなか町には出られなかったが、予定を立てて州都オアハカへ出かけられるようになり、このため特に女性達が森林の重要さを認識したのだった。 この他、木材運搬用の12トントラック、それに住民が利用する1トントラックなども購入した。伐採収入は、車の燃料や住居の水道整備などにも使われていた。

村で購入したバス

【村の発展を願う】
 村の最大の資源である、森林が燃えてしまうという未曽有の山火事に会い、村は一大危機に遭遇したが、焼け残った豊富なマツを売ることにより、村にはかえって臨時収入が入った。外部からの支援としては日本大使館の支援があったが、いわば自前の貯金の切り崩しだった。災い転じて福をなす、まさに焼け太り状態だった。おかげで村のバスやトラックなども買うことができた。これらの村の政策実行は村人自身が考えたことで、これもかなりの頻度で行われる住民総会、つまり直接民主制が効果を発揮しているからだった。自分達でいろいろと考えて行動してきた結果である。
 水道の再建で住民生活に快適さが戻った。バスのオアハカまでの定期運行で便利になった。そのためか新築の家も増えた。なによりも、住民が明るさと活気を以前にも増して取り戻したのが素晴らしかった。
 ただし、日本大使館が水道再建に援助したため、日本に頼めば何でもしてくれるといった雰囲気も漂っていて、私もその後の援助を頼むと盛んに言われたものである。
 思わぬ森林火災により、伐採収入が入り、住民は森林の重要さを再認識した。この意識を持続することが重要であるが、村役員がしっかりしているので、これを持続することは困難ではないと思われた。 私がこの協力に参加した後、既に20年近くも経過しており、村は各段に発展しているのではないかと想像される。今はどのような状態にあるかできればいつか訪問してみたいものである。



つづく

5月の駒ケ岳

社窓
5月の駒ケ岳

令和となってちょうど1年が過ぎました。
新型コロナウイルス感染症により、
1年前には想像もしていなかった世の中となってしまいました。

桜から新緑へと移る一番楽しみな季節となりましたが、
今は “STAY HOME
命を守るために、今できることをやりましょう。

2020年5月の南アルプス
5月の南アルプス

【増井 博明 森林紀行No.7 アラカルト編】 No.26_メキシコ

森林紀行

筆者紹介





ブエナビスタ村の山火事-メキシコ(シエラファレス山脈の村)

【村での山火事】
 ブエナビスタ村は、メキシコのオアハカ州のシエラファレス山脈の中の奥深い山中にあり、先住民のチナンテコ族の村ということについては、前の紀行文で記したとおりである。

ブエナビスタ村の位置

 さて、この村で1998年5月7日に、近隣の村の農地での火入れが原因で山火事が発生した。この山火事は周辺の多くの村にも延焼し、ブエナビスタ村にもこの2日後の5月9日午後3時過ぎに到達した。折から乾季であったことと、村は急傾斜地にあり、南からの風が火災をあおり、瞬く間に急斜面に火災が広がった。そのため、わずか一日、あっというまに、この村全域の森林に燃え広がり大規模な山火事となった。そしてこの山火事は一週間も続き、村の西の境界として流れている川で止まり、また山の上部はメソフィロ林と呼ばれる雲霧林まで到達した。さすがに雲霧林は湿気が高く、そこまでは延焼できず、メソフィロ林で鎮火したのだった。

ブエナビスタ村の遠景。
真ん中あたりの緑がある場所が村で、周りの森林は焼かれた

【人的被害等】
 幸い村は住居、村の周囲は農地として切り開かれており、村人は必死の防水で村までの火の侵入は防ぐことができた。村は大変な灼熱地獄だったとのことであったが、何らの人的被害はなかったことは、不幸中の幸いだった。しかし、火災の後に発生した土砂災害によって、村の上部に設置してあった取水口と村までのパイプラインが破壊され、その後、村は水不足に陥り、水道が復旧するまでは大変な苦労をすることになった。

山火事後、侵食された土砂で破壊された村の取水口

【森林の被害状況】
 我々は森林をどう取り扱うかの計画を作っていたが、計画を切り替え、山火事後の復旧計画作りをすることにした。まずは森林の被害の把握であるが、山火事跡地の森林を調査し、微害地、中害地、激害地と3ランクに分けた。微害地は樹木の枯死率が概ね40%以下とし、中害地は樹木の枯死率が40~80%の地域とし、激害地は樹木の枯死率が80%以上の地域とした。このランク分けでの結果は、微害地が7割、中害地が1割、激害地が2割だった。見た目は木の葉が燃え、茶色くなっているので、大被害を受けたかと思ったが、7割が微害地だったので回復は望めるとやや安堵したものである。
 激害を受けた場所は、南向きの急斜面、尾根沿い、下層植生が多かった森林や密度の高いマツ林だった。要するに風通しの良い場所や燃えるものが沢山ある場所だった。標高の高い雲霧林は湿気が高いので被害がなく、標高の低い乾燥林は下層植生が少ないためほとんど被害がなかった。 激害地では、完全に焼き焦がれた樹木もかなりの量であったが、枯死し、枝が焼けても幹は立木として残っているものも多く、そういった立木は使えるので、製材所への販売が急がれた。

山火事後に枯死した流木を販売するため伐採

【山火事の影響】
 山火事後の被害は、樹木が失われるという被害よりも、いわば二次被害であるが、土壌侵食に起因する土砂災害がとてつもなく大きかったことである。この土砂災害は教科書で習った通りで、現実に目の当たりにしたのは初めてであった。 それは森林の樹木が失せるとまず、表面侵食(sheet erosion)が起きることである。これは地表を面上に流れる雨水によって、表土が面状に薄く剥離されていく現象である。

表面侵食により流されてきた表土。すでにガリー侵食もみえる

 続いて、リル侵食(rill erosion)が起きることだった。これは、地表のわずかな凹んだ箇所に集中した雨水が斜面の下方に向かって流れ、多数の溝を並行的に刻む現象である。

この写真は急斜面であるが、並行的に多くの溝が刻まれている。
その下部は既に崩壊が起きている

 そしてこのリル侵食がもっと進み、ガリ侵食(gully erosion)を引き起こすのだった。これはリル侵食を深くし、谷のようにする場合もあるし、斜面と斜面の接合部などを谷にし、深い峡谷状の切れ込みにして行く。そしてガリ侵食が、渓岸浸食を引き起こすのである。この侵食以外に、焼けた樹木では、昆虫類が発生し、虫害となっていった。

ガリ侵食。山火事発生2か月後。
土砂が堆積し、小さな扇状地となっている
同じ場所。山火事発生5か月後。土砂が厚く堆積
下層まで焼けた森林でのガリ侵食
渓岸浸食。
真ん中の谷間のガリ侵食から斜面に崩壊が起きている
ガリ侵食で道路も寸断

 大規模な表面侵食が発生し、リル侵食、ガリ侵食となり、その土砂が流出し、さらに渓岸浸食を誘発したのだった。この侵食によって、既に述べたように、村の上部に設置されていた水源の取水口とパイプラインが破壊されてしまった。このため村では深刻な水不足をきたした。今までは、この水源から村に設置されていた大きなタンクまで鉄パイプで水を引き、このタンクに水を溜め、各家庭に水道を敷き、配水されていたのだが、水道から水が出なくなったため、村人は川までバケツを持って、水を汲みにいかなければならなくなり、大変な重労働が生活の一部に加わった。

【復旧対策】
 このような大被害に対し、我々は村人とともに、いろいろな対策を考えた。直接民主制の良いところは、村人が自分の思いを主張できることで、皆が納得して決まれば、自ら進んで計画の実行に参加することだった。実行に際しては、村にはテキオ(共同体での村を良くするための個人の無償の労働力提供)があることで、これは例えば、日本での町内会でも清掃に皆が参加するようなものであるが、実際は、もっと大規模で多くの時間を村のために費やさなければならないが、伝統的な良い制度だと私は思った。 色々な対策では、取水口の復旧や水管理、消火団の創設や通信網整備などの水に関連したプロジェクト、山火事で薪不足に陥ったために、薪林を作ったり、マツ林に手を入れ改良していくことや各家庭でかまどを改良し薪消費量を抑えるなどの薪関連プロジェクト、その他として復旧のための補助金を捜したり、人材を投入する対策などを立てた。

【緊急な土砂災害対策】
 特に緊急な土砂災害対策は次のようなものを立てた。基本的には、まず村として守らなければならない保全対象がある箇所に対策を立てることとした。具体的には農地や道路などを守るべき対象として、それに侵食が及ばないような防護対策を立てたのである。そしてその対策は、資材は村で調達でき、村人自身によって簡易に建設できる工法としたのである。
 具体的には、石積や丸太や枝を使ってのガリ箇所などでの土留めである。専門的にはチェックダムと呼ばれるものである。これは簡素で低費用な構造物である。これらは4~5年程度の耐久性は見込めたので、この間に森林が回復し、森林の下層に植生が再生すれば侵食の進行を抑えることができるのである。また、ひび割れが生じた土地には、すぐに土を埋め込み、大きなリルやガリーに発達しないような防御策を取った。 作った構造物を保護し、植生の更新と成長を促進するために、構造物の周囲の土地では、放牧を禁止し火災から保護したり、持続的に保全活動を行い、構造物の維持管理を定期的に行うために村人自身が規律を作った。

【天然更新】
 上層の樹木がなくなった後に、その木の次世代の芽が生えてくることを天然更新というが、マツ類は上木がなくなり、裸地になるとすぐに、大量に次世代の芽がでてくるのだった。この中で大きくなりそうなものを選んでいけば植林をすることなく、次のマツの林になることが期待されるのだった。

真ん中の芽が新たに生えてきたマツ。山火事後5か月
同じくロブレ(カシ類)の天然更新

【その後】
 プロジェクトは計画を作った段階で終了したが、村の取水口とパイプラインの再建には、日本大使館で草の根無償という資金援助の制度があったため、これをお願いし、資金を出してもらい村人自身で再建した。また我々は、メンバーの何人かが交代で村に入り、技術的な支援を続けたのであった。こうして村は徐々に復興していった。



つづく

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