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【森林紀行No.7 アラカルト編】 No.19_コスタリカ

森林紀行

海外の仕事で常に気をつけていなければならないのは、安全と健康である。私が死の危険に直面したのは2度あり、以前に書いたブルキナ・ファソでのクーデタ未遂事件に巻き込まれたこととジンバブエで肝炎に感染したことである。この類の経験は、ネガティブな面が強いので取り挙げるのに多少の抵抗を感じるが、受けてしまった経験の事実を述べてみたい。

【ネガティブな経験の種類】
まずは上記の2つ以外のネガティブな経験を上げると、地元民の集団に鉄砲を突きつけられたことが2度、秘密基地を発見し逃げたこと、ビジネスバッグの盗難が2度、借家に泥棒に入られたこと、引っ越しの際の盗難、協力国に保管していた機材が売られてしまったこと、脅しやたかりは数えられないほど直面した。運転手が起こした交通事故や山中の崖にぶつかり谷底に落ちそうになったことや、ゾウに襲われたことが2度、ハチやアリの襲撃は何度も、ヘビにかまれそうになったり、南京虫やダニ、それに巨大な水虫のような皮膚病の被害や遭難騒ぎ、カミナリに打たれそうになったり、地震やハリケーンも経験し、飛行機のロストバッゲジも数度、マラリアの感染数度、原因不明な下痢、上げれば限がない。幸いにスリ・追いはぎには何度もあいそうになりながらも回避できている。同僚には死亡者が数人おり、もっとひどいか同様な被害や病気にあっているものが多い。

【コスタリカで国際会議に出席】
その中でも1990年5月にコスタリカでビジネスバッグを盗難されたことが、自分の不注意に起因しているだけに、今でも悔しく、これについて今回は書かせてもらう。当時、熱帯林を保護するために、FAOが採択した熱帯林行動計画があり、行動計画作りへの支援事業などの会議に日本代表で参加した。会議は首都サンホセの高級ホテルのシェラトンで行われた。ホテルは2階建てで、廊下は厚い絨毯が敷かれていた。古いホテルだったが、部屋の扉は自動ロックだった。ただ、内装の改修を行っており、多数の労働者が出入りしていて雰囲気が良くないなと思っていた。会議は3日間行われたが、初日の午前の会議が終わり、昼休みにレストランに昼食を食べに行ったが、時間が短かったので急いでいた。

【ホテルの部屋から盗難】
部屋に戻りビジネスバッグ(この時はアタッシュケースだった)を机の上にドンと置き、ドアをバタンと閉めてレストランに向かった。昼食から戻ってくると部屋のドアがわずかに開いているではないか。変だなと思って部屋に入るとビジネスバッグがない。やられた。絨毯が厚くてバタンと閉めたつもりのドアが閉まっておらず、少し開いていたのだ。その間に誰かが部屋に入り盗んだのだ。

【大騒ぎしたが後の祭り】
すぐにレセプションに行き、犯人を捜せと、出入りの労働者だろうと疑い、大騒ぎしたが、どうにもならず、バッグは出てこなかった。警察を呼んでもらい、調べてもらったがだめだった。しかたがないので盗難証明書を書いてもらった。当時はデスクトップの大きなパソコンが利用され始めた頃で、まだノートパソコンもなく、手書きの時代だったので、バッグの中には一番大事な仕事の資料、カメラ、カセット録音器、計算機、予備メガネ、西和と和西の辞書等が入っていた。幸いなことにパスポートや金は大きなスーツケースに鍵をかけて入れており、そのスーツケースはチェーンで部屋の固定物に繋いでいたので、最も大事なものは盗まれないで助かった。レセプションに重要物は預けられるが、それも信用できないので、そのようにしていたのだ。帰国後、保険で盗難物と同額程度を補償されたが、愛着のあるものを失ったことは大きかった。

【ショックで上の空】
その日の午後は、討議内容が全く頭に入らなくなってしまった。会議はスペイン語と英語の同時通訳で行われているのでなおさらである。その時の発言は一緒にいった同僚に頼み、翌日からはショックも少しずつやわらいでいった。帰国して報告会や専門誌への報告で弱ったが、幸いにもこのような会議ではレジメが配られ、集めていた資料もあり、多少は頭に入っており事なきを得た。 その後CATIE(熱帯農業研究高等教育センター)や森林を訪ねたがうわの空だった。幻の鳥、神の鳥と言われるケツアールが見られるのではないかと期待していたが、失せた気力が回復しなかった。ケツアールが見られれば、不幸一転して幸せになれたかもしれなかったのに。絶対にここは回復させなければならなかったところである。良い写真も残っていないのも残念だ。

【良い国だが印象の悪いコスタリカ】
コスタリカは国立公園が多く、きちんと自然が保護されている国であり、軍隊がなく軍事予算を平和構築に注いできた良い国という評判だが、私にとっては非常に印象が悪い国である。

カルタゴ(首都サンホセの近隣)の町のロスアンヘルス大聖堂

つづく

11月の駒ケ岳

社窓
2019年11月の中央アルプス
11月の駒ケ岳

紅葉が一気に麓まで広がりました。
それでも、例年に比べたらゆっくりとした秋の深まりのようです。

そろそろ、スタッドレスタイヤにいつ変えようか。
インフルエンザの予防接種はいつ受けようか。
そんなことが話題にあがるようになってきました。
冬に向けての準備が進んでいきます。

南アルプス

【森林紀行No.7 アラカルト編】 No.18_ブルキナ・ファソ

森林紀行

ブルキナ・ファソ―ロロペニの世界文化遺産を見た一日

【別ルートで首都へ帰る】

2011年10月26日、この日はバンフォラ(ブルキナ・ファソの南部コートジボワールに近い町)からワガドゥグ(首都)に上がる日だった。3月にクーデター未遂事件に巻き込まれ、恐怖の体験をしたことから、複数の避難ルートを確保しておくため、いつもとは別なルートでワガドゥグに戻ることにした。200kmくらい余分に走るが、途中のロロペニ(地名)にブルキナ・ファソで唯一の世界文化遺産があるので、それを見学した。

【出発】

いつもと同じ時間に朝食を取り、運転手のダウダが7時に家に来た。同僚と7時20分に家(ホテルの中の一軒家を借りメンバーでシェアハウス)を出発。ブヌナ村への曲がり角まで来る。普通はここから北へ真っすぐワガドゥグに向かって行くがここで、右(東)にまがりプロジェクトを行っているグアンドゥグやコングコ国有林方面に向かう。ここからシデラドゥグまでの道は舗装されているが、雨期で道路が痛み、水溜まりや穴ぼこが多い。車がそれらを避けるので、左右に揺れるし、時々、穴ぼこに落ちるのでガタンとする。9時にシデラドゥグに着く。森林官事務所前を通過し、10分ほど走ると道が狭くなる。溜池があるが、この辺りからは道路が広くなったり細くなったりする。

シデラドゥグを過ぎたあたりの大きな溜池

ロロペニの遺跡】

10時25分にロクソを通過し、10時35分にロロペニに着く。ここがブルキナ・ファソ唯一の世界文化遺産がある場所である。遺跡に着くと見学者は一人もいない。ガイドが1人いたので、案内を頼む。

ロロペニ遺跡のガイド

ここは昔、金の精錬が行われていたとのことで、千年以上の歴史があるとのことだった。以前の土壌分類だとラテライトだ。その鉄塊を積んで壁にしており、まるで要塞のように周囲を囲んでいる。いや要塞だったのだ。ところが、大部分の壁が壊れている。壁の高いところで5mほどだが、昔は12mはあったそうだ。ライオンやその他の動物から人間を守るためのものだったとのことだ。しかし、人間という最も恐ろしい敵もいたであろう。

鉄塊を積んだ擁壁

ブルキナ・ファソ政府には、この遺跡を保護するための資金もないのだろう。何の管理もなされていない。観光客がおらず、日本のように観光客だらけの世界遺産とは全く対照的である。そのため静かで、落ち着いてゆっくりと見学することができる。はるか遠い昔に戻ったような気分を味わえ、ざわついた日本の観光地よりもずっと良いと思った。そして見学が終わり、帰途につこうと思った時にフランス人らしき数人が見学に来た。説明板には次のように書いてあった。「世界文化自然遺産保護条約に従い、遺産資格を獲得したブルキナ・ファソのロロペニ遺跡は世界遺産リストに登録される。全人類の利益を確実に守るため、普遍的な価値を持つ文化あるいは自然がリストへ登録される。」 遺跡の中にはシアバターの木が沢山残されていた。自然に生えてきたシアバターの木は伐らずに残したものである。

遺跡の中はシアバターの木が沢山生えている

【ロロペニからワガドゥグへ】

我々はほぼ1時間ほどここにいた。このロロペニから西のガウアに出ないで、北に35kmほど走り、そこから更に西に30kmほど走ってブルンブルンに出る。ブルンブルンとは面白い響きの町の名だ。

ブルンブルン辺りにて

その後、ジブグエという町に午後1時に着く。そこで道路際の食堂で昼飯を食べる。ここもオープンスペースだ。外で起こした火の上で作っている鶏のスープが美味そうに見え、それを食べる。美味しかったが、量が少なかった。この道路際には普通並木道として植えられているカヤ・セネガレンシス(アフリカンマホガニーと呼ばれて大木に成長するセンダン科の木)ではないが、樹高が20mに達する立派な並木があった。2時前にブルンブルンを出発し、午後2時45分にパの町を通過する。ようやくいつもの道路に戻った。途中車がパンクした。下りて確かめると1本のタイヤが裂けてしまっている。これは危険だった。残りのタイヤを見ると皆すり減っている。取りあえずパンクしたタイヤを交換し残りはワガドゥグにいる間に新しいタイヤと付け替えることとする。午後5時過ぎにワガドゥグのホテルに到着する。長時間の車から解放され、夜はいつも行く近くの食堂で、シュワルマを食べる。相変わらず町中は暗いし、車は多いし、信号も少ないので、ホテルの前の大通りを横断するのは危ない。こうしてブルキナ・ファソでの一日は過ぎて行った。

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