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【増井 博明 森林紀行No.7 アラカルト編】 No.32_ドミニカ共和国
筆者紹介

ハリケーン「ディーン」(2007年8月)-ドミニカ共和国
【ハリケーン「ディーン」が襲来】
「超大型のハリケーン『ディーン』の襲来予報が出ている。襲来は今晩だ。厳重警戒せよ。外出は禁止だ。」と首都サント・ドミンゴの事務所の担当者から、この日の午後、電話がかかってきた。2007年8月18日(土)のことである。隣国、ジャマイカを直撃し、ドミニカの南の海上を通過する予測とのことである。そういえば午前中に風が吹き出し、徐々に強くなってきた。午後1時半くらいからパラパラと雨が降り始めるがまだ、たいしたことはない。外にでても、まだそれほど強い風ではない。しかし、空を見上げると、どんよりとしたハリケーンの雲が低くたれこめ、勢いよく飛んで行くのが見える。
【天気が悪くなる】
この時私は、パドレ・ラス・カサスの町に家を借りており、その日の午後は、通いの家政婦には掃除と洗濯だけを頼み、早く返した。土曜日とハリケーンなので、夕食は自分で作ることにした。午前中に買ってきておいた野菜と肉を弱火でじっくり煮てモロッコで味わったタジン風のものを作る。家には大きな冷蔵庫も二つあった。この家は同じ勤め先のフランキーの持ち家だったが、かなり大きな家で、二階の一部屋にフランキーを用心棒として一緒に住ませていた。フランキーの奥さんはアメリカに出稼ぎに行っており、どきどき帰国してはアメリカから様々なものを買ってくるので、家には圧力鍋もあり、台所用品はありあまるようにあった。それに、二階の物置部屋を捜すと同じようなものがいくらでも出てくるのであった。
【ジャマイカ滞在中の兄夫婦に連絡】
ちょうどこの時、兄夫婦がジャマイカに来ていた。ジャマイカの友人のところに観光に来ていて、夫婦で2週間くらいジャマイカに滞在していたのだ。そこですぐに電話し、超大型のハリケーン「ディーン」が来ていてジャマイカを直撃するとの予報だと伝えるとまだ、そのことを知らなかった。それで今晩からハリケーンが通過するまで外出せず、警戒してくれと伝えた。翌日8月19日(日)が帰国予定日だと言うことで、「無事飛行機が飛ぶことを祈る」と言って電話を切った。
【アメリカのハリケーンセンターの予報を見る】
それからネットでアメリカのハリケーンセンターの予報を見た。すると私の住んでいるドミニカ共和国のパドレ・ラス・カサスは、予想中心進路の外側ギリギリくらいの位置にあるが、ジャマイカはまさに中心が通る予報で、直撃である。これは兄夫婦のいるジャマイカは大変だ。無事何事もなく通過してくれれば良いがと祈っていた。



【真夜中の訪問者】
その晩、寝る時分午後10時頃、玄関のドアを開け外を見てみると、雨は土砂降り、風はゴーゴーとうなっている。しかし、家は大きな家でブロック積みだったので、風にはびくともしなかった。この辺の家の作りをみているとほとんどがブロックを積んだものである。ブロックがむき出しの家もかなり多い。借家はかなり金をかけているようで、ブロック積の上にモルタルを塗り、きれいに塗装しているので、見た目はとても美しい。しかし、耐震性は低かっただろう。幸いにもこの時のハリケーンがこの辺を直撃しなかったので、この強風にも楽々耐えていた。そのため、私は1階の奥の自分の部屋で、ハリケーンの恐ろしさも感ずることなく熟睡できた。
ところがその晩の夜中である。事務所で一緒に働いていて、音楽教育で協力をしているフランス人の女性が突如訪ねてきた。彼女はやはり他の女性職員の家に住んでいたが、もの凄い風雨なので家までそれほど遠くはないが帰れなかったのだろう。事務所から近い我が家に助けを求め訪ねてきたのだ。彼女は、任期を終えフランスに帰国直前であったが、5~6才くらいの小さなお子さんを連れていた。この子が彼女の子供か、教えている子供か、どうかはわからなかったが、私は寝ていたところを起こされたので、目を覚まされて気分がすぐれなかった。しかし、びしょ濡れである。そこで、2階に寝ているフランキーを起こし、彼女の世話をするように言いつけてから、私は再び寝てしまった。2階にはトイレバス付の部屋が2部屋あり、一つはフランキーが使っていて、彼女は空いているもう一つの部屋にその子と共に泊まって行った。シャワーがあったので彼女も助かっただろう。人助けができて良かったとしたものである。
後で、考えるとこの彼女にもっと丁寧に世話をしておけば良かったと思ったものである。私もこの事務所に来たばかりで、まだプロジェクトを動かすのに必死で、彼女とは事務所では挨拶をする程度で親しくなかったからである。しかし、翌年、彼女がこの地が懐かしく、夏のバカンスで訪ねてきた。この時、市場でばったりで会い、その晩ディスコ(ディスコと言っても立派なものではなく、バーベキューを食べながら踊る青空ディスコである)に踊りに行こうと誘われたのである。その時この彼女は、以前滞在していた事務所の女性職員の家に泊まっていたのである。事務所の職員多数とディスコに行ったが、この晩は大変に楽しい晩で、彼女もかない酔いが回り、陽気なフランス女性の一端を垣間見た。この話は別の機会に書ければと思う。
【兄夫婦の状況】
さて、翌日の8月19日(日)にはハリケーンが通り過ぎた。アメリカで最大レベルの5とされたハリケーンであったが、ここパドレ・ラス・カサスでは、私が予想していたほどの雨と風ではなかった。しかし、山岳地ではかなりの雨が降ったようである。
兄夫婦がいるジャマイカが心配である。ジャマイカでは国家非常事態宣言が出た。滞在していた家に電話をしてみると、既に空港に向かって出発した後だった。後で聞くとハリケーン通過翌日で、空港までの道路は大混乱していたが、何とか空港まではたどり着けたとのことだった。しかし、予定の便は欠航となり、変更が大変だったが、何とか夜行便に変更ができ、カナダ周りで、トロントで一泊の後、無事帰国できたとのことだった。
【ハリケーンの通過の後】
朝10時頃、事務所の職員が、増水した川が渡れるかどうか様子を見に行こうと家を訪ねて来た。援助している村は川向こうにあるため被害状況も知りたいのだ。我が家の近所に住んでいる助手のエディを連れて3人で川の様子を見に行く。すると普段は数mの川幅で、下床路として渡れる箇所も相当に増水しており、とても車では渡れない。上流では相当降ったのだろう。何しろ上流域の山岳地帯もほとんどの土地が牧場や農地として利用されており、山地の保水力は低い。ドミニカがハリケーン銀座とはそれまであまり気に留めていなかったが、これでは下流域のサバナ・ジェグア・ダムでの堆積は相当量あると推測される。そのために住民たちに植林してもらい、その動機づけに農地に灌漑しようと協力にきているのだが、先が思いやられるのだった。この日、風は収まったが、雨は一日中シトシトと降っていた。

渡れるのだが、この増水である。

激流、急流となった。
これでは下流のサバナ・ジャグア・ダムの堆積は
激しいはずだ。
何しろ上流は、牧場・農地として利用され、
はげ山だらけなのだから。


沢ガニを発見
自然に生きるものは、どこに避難したらいいかよく知っている
【増水で村に行けない】
その後、クエバス川が増水で、渡れず、しばらく現場には行けなかった。ただ、この時のハリケーンではクエバス川にかかるバデン(土橋、ヒューム管を並べ水を流し、その上に土を盛り橋としたもの)は流されることはなかった。そのためバデンはすぐに復旧し、村には通えるようになった。しかし、この後10月に来たハリケーン、そして翌年8月に来たハリケーンにより、バデンは流され、その復旧には時間がかかり、プロジェクトの遅延の要因ともなった。


(ヒューム管の上に土を盛ったもの)が、
流された後に、再構築のため運ばれてきたヒューム管

保水力が低い
【その後もハリケーンに悩まされる】
私は、この年8月に一旦帰国し、その後上述したように、10月にハリケーン「グスタボ」の襲来により、バデンは流され、次に12月に続けて来たハリケーン「オルガ」によって壊滅的な打撃を受けた。この時に事務所で働いていた同僚は、仕事が進まずハリケーンに苦しまされた。その後、公共事業省により、バデンは再構築されたが、その後も毎年ハリケーンが来る度に流され、翌年は私が同様にハリケーンで苦しまされるのであった。
このプロジェクトが終わって数年後に、苦しめられたバデンがある場所に橋がかけられ、村人もハリケーンにより交通が遮断されることがなくなり、村はおおいに発展しているとのことである。その後のハリケーンのことについてはまた別の機会に書ければと思う。
つづく
12月の駒ケ岳

12月になり、季節も冬へと移り変わりました。
今年の冬は、
西日本・東日本で平年並みか平年より気温が低くなることが予想されています。
とはいえ、今のところは穏やかな冬の始まりとなっています。
このところ暖冬が続いているだけに、
久々の冬らしい冬となるのでしょうか。
2020年を振り返る場面が多くなりました。
本当なら東京オリンピックが開催されて、
今年の漢字は「金」、流行語はメダリストのコメント、
となることを想像していたのですが・・・
全てコロナ関連になってしまいそうです。
感染が急速に拡大する中ではありますが、
引き続き感染対策を万全に、業務にあたってまいります。

【増井 博明 森林紀行No.7 アラカルト編】 No.31_セネガル
筆者紹介

セネガルでの経験-アフリカ人の運動能力の高さ
【はじめに】
アフリカ人のスポーツ選手の運動能力の高さは、誰しも認めるところであろうが、アフリカ人のスポーツ選手に言わせると「勝てるのは先天的な運動能力の高さのおかげではなく、努力のたまものだからだ。」とのことである。実際努力に負うことは確かであるが、私が見たところ走ることなどは日本人に比較して、アフリカ人の方が有利な体型であることは明らかであると思えるので、そのことについて、今回は前に書いた文章も引用して、セネガルで感じたことを書いてみたい。
【セネガルでの仕事】
まずはセネガルでの仕事であるが、セネガル南西部にあるサルーム・デルタでのマングローブ林の保護をしながら環境を保全し、そこに住む住民がマングローブ林を利用しながら生活の向上を目指す仕事だった。マングローブ林の樹木は、建築材や薪炭材ともなり、住民の生活には欠かせない重要な資源だった。同時に水産資源も育み、防潮堤の役目も果たし、さらにエコーツーリズムなど観光資源にもなる貴重なものである。
そこでマングローブの植林も行った。天然林と人工林で日隠を増やし、海水温を下げ、またマングローブの葉が海水に分解され、養分となり、プランクトンが増え、魚介類が増えるのだった。採った魚介類を販売したり、エコルートを作ったり、マングローブ林を保全しながら収入源を多様化する様々な活動を行った。
これは村人との共同作業で行ったものだが、活動を通じ政府の職員も含めて多くのセネガル人に接した。それにより驚いたのが彼らの素晴らしい体型と運動能力だった。

【体型】
セネガル人は、平均的に背が高く、日本人より男女共10cmくらいは背が高いのではないかと感じた。私と一緒に仕事をしていた森林局の人と比較したのだが、彼は185cmで、私が170cmなので15cm身長が違うが、座ると座高は同じだった。つまり、足が私よりも15cmも長いのだ。それもスネが10cm、モモが5cmも長いのだ。
本当に驚くほどスネが長い。底なし沼のようなマングローブ林に入るには、下の写真で私が履いているような日本の地下足袋が最高に適していた。だから一緒に仕事をしているセネガル人も日本から持ってきた地下足袋をプレゼントした。しかし、彼らのスネは長すぎて、日本人のスネは彼らのアキレス腱くらいで,地下足袋をフック(コハゼ)で止める場合,フックの位置を一番狭いところにしてもまだ,ゆるゆるの場合が多かった。とはいえ彼らもマングローブ林を歩くときの地下足袋の素晴らしさを満喫していた。このように足、特にスネが長い場合にはサッカーには向いているだろう。
それに頭が小さいのだ。私は54cmくらいの帽子をかぶっていたが、彼のそれは50cmくらいで、彼が私の帽子をかぶるとブカブカだった。また、腕が私よりはるかに長かった。これは走る上で大きな素質と思った。運動の専門家に聞いてみると確かにそのとおりで、ヤジロベイのように重心が支点の下にあり、バランスが非常に良くなるとのことだった。
腕が長いといえば、村でのワークショップ時に、壁に模造紙を貼り付ける時、私が背伸びして手が届かない所を一緒に仕事をしていた女性が手を伸ばし張り付けてくれたことがある。その女性は、身長が165cmくらいで私より5cm低いのに手を伸ばしたら私より10cmくらい上に手が行くので、びっくりした。スタイルが非常に良いのだ。その女性は細くて柔軟性が非常に高いように見え、オリンピックの200mで優勝したアリソン・フェリックスのような感じだった。

男の体型も良い。
右手を挙げている男性の左にいるのが私で
何と足が短いことでしょう。
右から2番目の白い服を着ている人と足の長さを比較した。
それから、秘書の女性が、仕事は大変に良くできる上に、素晴らしい体形で、オリンピックの短距離選手のような体つきだった。100mをコーチについて練習すれはオリンピックでも出場できそうな体型に思えた。この方は筋肉質に見え、やはりオリンピックで優勝したジャマイカのキャンベル・ブラウンのような体つきだった。私は彼女によく「あなたは素晴らしい運動能力を持った体型に見える。100mでも練習すればオリンピックにでも出場できるのでは?」と言っていた。彼女も「私も皆からそう言われる。」と言っていたから、セネガル人の中でも特に素質があるような体型だったのだろう。

男の筋肉質の体も素晴らしい。小型のエンジン付きのボートをいつも使っていたが、その船頭がウエイトトレーニングでもしているように実に素晴らしい体をしていた。エンジンが50kg以上もあり、非常に重いのに軽々と扱っていた。彼らは、米に魚を乗せたチェブジェンという食事が中心で、動物性たんぱく質はあまりとってないはずなのに何でこんなに筋肉質になるのか不思議だった。エンジンの取り付け、取り外し、その保管などが生活に取り入れた良いウエイトトレーニングになっているのだろう。腕の力こぶが自然とでていて筋肉のみというような素晴らしい体型だった。
【子供の運動能力】
サルーム・デルタは文字通りデルタ地帯で多数の島から成っている。村での活動では島の民家に泊めてもらうことが多かった。マールファファコという村に泊めてもらったある朝、小さな女の子が井戸から水を汲んでいた。

女の子の身長は130cmくらいだった。小学校4~5年生くらいにみえたが、井戸からつるべ落としで水を汲んでいた。井戸の深さは10mくらいだったが、そのロープを持って全身を使った動きがしなやかで早く、全く無駄な力を使っていないようにも見え、素晴らしい運動能力を持っていた。私も汲んでみたが、一杯10kg程度はあり、単に力だけでなくタイミングが必要で、汲む速さは全くかなわなかった。日本の同年代の女子ではこの重さでは上がらないだろうと思われた。
この天性の運動能力をどこかの先進国で開花させれば、オリンピックの何かの種目で金メダルを獲得するのはそれほど難しくはないのではなかろうかと思わされた。この子だけではなく、アフリカ人の多くはそのような素質を持っているのだろうが、開花させられることはなく一生を自分の村で過ごすのだろうなと思った。

【コロナ禍のオリンピック】
今、世界中はコロナ禍の中にあり、そのため東京オリンピックも1年延期された。来年(2021)開かれるかどうかもまだ不透明である。もし予定通り開催されていたら、今頃はすべての結果がわかっていて、日本は、金メダルが何個とか余韻に浸っているころだっただろう。
来年、ワクチンが行きわたり、コロナも終息していて、オリンピックが開かれることを望むが、オリンピックでは本当に最高の力を持った選手が優勝するのであろうか?世界選手権で2回銅メダルを取り、走る哲学者とも評される為末大は「銅メダルを取ったから、自分は世界で3番目に速い、ということではなくて、たまたまそういうことが評価されるような国の選手が集まった中で、3番だったということに過ぎない。世界にはすごい走者が潜在的に沢山いる。」と言っているが、その通りだと思う。一番力がある選手でも参加していない可能性がある。
もしアフリカ人が先進国と同じ様に一般の人が豊かになり陸上の競技人口も増え、栄養も良くなれば、より潜在力がある選手が発掘されて、今よりはるかに良い記録がでるだろう。益々日本人は離されてしまう。今でさえ、マラソンでもケニアの黒人選手エウリド・キプチョゲが非公認ながら2時間を切った。これは靴やペースメーカーなど特殊な補助を受けているため非公認となっているが、相当な潜在力だろう。
一方、これに対抗するかどうかは別として、記録を出すためにドーピングなどの不正をしているものが多いのも大問題である。今のドーピングは、単に薬を飲むということだけではなくて、ゲノム編集までやってしまい、遺伝子検査をしなくてはならないということも聞く。本来の力以上のものを出し、死に至った選手もいるし後遺症に悩まされている選手もいる。また、大企業がスポンサーになって選手を広告塔として利用するなど、他にも問題はいろいろある。
薬物や特殊な補助に頼ることなく、人間の力だけで、そして潜在力がある人も練習し能力を開花させ参加できるオリンピックになれば良いと思う。しかし、潜在力がある人が参加するようになるまでにはまだまだ長年月が必要であろう。
そのようなことを考えると人間の能力をオリンピックで開花させる必要もないかなどとも思ってしまう。競争とは無縁な素朴な生活を続けていくのが一番幸せであるかもしれないとも思う。
それでもやっぱり、潜在能力を持った人達が、本当にその潜在能力を開花させたら今よりはるかに高いレベルの記録がでるのかどうかを見てみたい気もするというのも本音である。そんなことを思いながら、来年は、本当に落ち着いた年になり、本当に能力を持った人たちによる、より素朴ではあるが、ドーピングなども不正もない豊かな祭典、東京オリンピックが開催されることを望むものである。
つづく