新着情報TOPICS
【森林紀行No.7 アラカルト編】 No.7_ドミニカ共和国
ハゲ山だらけのドミニカ共和国の森林
植林や農業指導をしているペリキート村から対岸の山頂付近に植林したマツの調査に行った。2007年7月11日(水)のことである。技術者のホルヘとペリキート村のクリスティアーノと3人でラバに乗り山頂を目指した。
グアジャバル村にて。ラバに乗り対岸の山頂を目指す
クエバス川を渡る。河原は50mほどだが,川幅は20m,水深は1mくらいだ。山が急峻で木がないので,雨が降るとたちまち洪水のようになる。地形が平らになった所から河原には砂利が厚く堆積している。等高線を追えばここは50m,少し下流は100m程度砂利が堆積していると推定できる。ラバは川を渡るのをいやがるが、鞭でたたくと動く。ラバは馬鹿の代名詞のようだが,以外に頭が良くて,川の一番渡り易い場所を渡り,登るときも2本道があると遠回りでもより平らな道を選ぶ。
低地の2次林
河原が最も低く標高約700m。全山ハゲ山だが草地なので山は緑に見える。急斜面に豆類を栽培している畑が多く,マンゴーの木がやたらに多い。標高1000mくらいから傾斜が急になる。ラバのハナ息も荒くなり、汗もかき,毛がしっとりと濡れてくる。しかし、強いものだ。一日中、山道を歩いたってラバは疲れないとホルヘ。
植林地へ
バナナ、コーヒー畑も通る。標高1,000mで栽培されたコーヒーはブルーマウンテンと変らない。益々急斜面となる。風が吹くと暑さから逃れ気持ちが良い。ハゲ山の中にも植林したマツがある。畑に火入れをするので飛び火で,幹がこげ火あぶり状態だが生き残っている。こんな上にもマンゴーがある。牛が食べたマンゴーの種が排泄され生えたものだ。
中腹
飛び火から焦げたマツ。まだ生きている
マンゴーの木が多い。途中牧場もある
さらに上へ。標高1,400mくらいから頂上1,530mまでが植林地だ。住民達が我々の指導で植えたのだ。低い場所は農地や牧場で使っているので空いた土地は頂上付近にしかなかったのだ。オクシデンタレスという高地から低地までと適地が広く強いマツを植林した。頂上まで伐採されてしまい,全面びっくりするようなハゲ山だ。わずかに谷に樹林が残っている。
頂上までハゲ山のドミニカ共和国の山(約1,500m)
信じられないことに,このような高標高地までマメ類の畑がある。鳥は少ない。ツバメを一羽見ただけだ。蝶もいない。ヘビもみない。全く単調だったが,頂上からの眺めは素晴らしかった。マツの生存状況を調査してから、またラバに乗って降りる。降りるときの方がゆれて股関節と尻の皮に響く。
コロンブスがこの島に着いた時は,山は緑で大きなマツがそこかしこにあり,船材に事欠かなかったとラス・カサスが書いている。ハゲ山になると侵食,洪水が起こり,生物多様性が貧しくなると良く分かる。こうなったのは,木材として利用し,火入れで畑や牧場に転換してきたからだ。あまりに人間の影響が大きい。雨量は、1,000mm以上あるから、必ず森林に回復する自然力はあると信じて植林指導をしていた。
【森林紀行No.7 アラカルト編】 No.6_パラグアイ
パラグアイ_グアラニー族の大部族長に会う
パラグアイ編の中から印象に残ったグアラニー族の大部族長と会った話を抜粋し、まとめた。1980年から5年ほど、私は南米パラグアイの仕事に携わった。1980年12月のある日,森林調査をしていると一人のグアラニー族の先住民に出会った。
グアラニー族は,パラグアイに住む先住民で,最近のDNA研究によると日本人と最近縁の民族で,中国人や韓国人よりも近縁とのことである。そのような民族が日本からはるかかなた南米に陸の孤島のように生存していることが不思議である。
彼らは森を自由に歩き,狩猟と栽培で暮らしていたが,このころは既に保護地に追い込まれていた。その数は減少の一途をたどっている。しかし,グアラニー語だけは,スペイン人と先住民との混血のメスティッソであるパラグアイ人に受け継がれ,パラグアイ人はスペイン語とグアラニー語を話すバイリングアの人々である。出会った先住民は,筋骨隆々,背中に銃とアルマジロを背負っている。後を付いて行き,掘っ建て小屋が数軒まとまった先住民の住居へ着いた。
銃とアルマジロを背負う筋骨隆々の先住民
そこで,孫の面倒を見ていた75才だと言うお爺さんと話していると,大部族長がすぐ近くに住んでいるから挨拶したらどうかと言われる。それは願ったりかなったりだ。森林内に住んでいる先住民に挨拶しておくのは,この森林に入る許可を取るようなものであるし,お互いの安全,安心に繋がる。
お爺さんは,大部族長の家はすぐ近くで,1Km程の距離だという。「じゃあ行こう。」と後ろから追って行くと75才とは思えないくらい歩くのが早い。追いついていくのがやっとだ。暑くて汗が噴き出す。1時間以上、5km程歩かされて、大部族長の家に着いた。この辺の先住民の間隔では5kmは1kmほどで,1時間で歩く距離は,たいした距離ではなく、すぐ近くなのだ。
私は西部劇に毒されていた。私がイメージしていた大部族長は、頭には羽根飾りをかぶり,威厳のある顔だったが,実際の大部族長は全くの文明人で、普通の農民に見え,予想とは違っていた。グアラニー語だけを話し、スペイン語は話せなかった。州知事の保護認定書を見せてくれた。そこには「軍人も民間人も先住民の生活の邪魔をしてはいけない。」と書いてあった。大部族長から調査の許可を取り,珍しい手作りの弓矢を引かせてもらったりした。また,日蔭が少ない住居周囲は強烈な日射でとてつもない暑さだったので,木陰のハンモックで休ませてもらった。
先住民の大部族長の家で弓を引かせてもらう
当時この周辺には,一つにまとまった森林としては,九州に匹敵するくらいの大面積の森林が存在していたが,今は全て消滅し,牧場か農場に転換されてしまった。そのうちの150万ha(岩手県に匹敵)程の面積の森林を調査していたが,その中で保護地の面積は,わずか5,000ha,0.3%しかなかった。生きる拠り所としていた森林を消滅させられてしまった今,彼らはどうしていることだろうか?それに、森林が伐採されたのは1970年代から1990年代だ。森林の焼かれた後の墓場のような光景はなんともおぞましい。
森林を燃やした後の光景。まるで森林の墓場。
何千年何万年かわからないが、地球を守ってきたであろう森林が地球史で言えば、一瞬とも言える歳月で伐採されてしまったのだから化石燃料の消費とともに地球温暖化の原因だろうと容易に想像がつく。まさにしっぺ返しが始まったばかりとも言え、この先のことが案じられる。
つづく