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【森林紀行No.7 アラカルト編】 No.5_ジンバブエ

森林紀行

2000年頃のジンバブエ

 ジンバブエに37年君臨したムガベ大統領は、2017年に93才にしてようやく辞任した。現在95才のはずであるが、健康そうである。私は,1999年から2001年にかけて約2年間ジンバブエの仕事に携わり,当時75才から77才だったから,それから17年も頑張ったのだ。

 2000年5月,出発してすぐに帰国命令がでて,わずか一週間で帰国した時のことを記したい。

  仕事は,ジンバブエ第2の都市ブラワヨとビクトリアの滝との中間辺りの国有林で森林管理計画を作成するものだった。林内にはサファリ・エリアもあり,ゾウ,キリン,シマウマ等大型動物も沢山見られた。

 

 

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サファリ・エリアのゾウ

 

 

 

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キリン

 

 

 

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シマウマ

 

 

 

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インパラ

 

 

 

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セーブル

 

 

 経済危機が始まり,町ではガソリンを買い求める長蛇の車列が見られた。現地で拠点としたハーフウェイハウスホテルという小さなホテルはガソリンスタンドを持っていたが,底をつき始め,我々は首都ハラレからガソリンとディーゼルを大量に持ち込みストックした。

 森林局と打ち合わせの後,作業員も10人程手配し、さあ、これから調査開始という時点で帰国命令がでて,店開きをして何もしない内に店仕舞だった。撤収作業,前払いの払い戻し等が大変で,前に進むより、戻るのはもっと困難だった。

 ハラレのホテルは,人気のホテルだったが,この時は観光客が少なく昼間は閑散としていた。しかし,夜になると白人が多数来て泊り,朝になると中庭で登録作業などが行われていた。そして、そのままいなくなり,翌晩には別の白人達が来て、国外避難をしていたのだった。

 白人の大農地は,退役軍人に多くが占拠され,作付けがなされず,翌年の食糧不足が懸念された。同時にこれは,大統領の延命策で,農地を取り上げるという口実のもと、野党支持者狩りとのことだった。退役軍人は殺人集団とも呼ばれ,警察は取り締まりをせず,ジンバブエは無法地帯となった。公式に殺害と発表された以外に,地方の先生等野党支持者の多くが、ある日突然消えたという話しも聞いた。警官による交通取締りも強化され,それは野党狩りと警官のたかりのためと言われていた。多くの工場やタバコのオークションも閉鎖され,石油輸入もストップした。このとき為替レートは,公式には1US$=38Z$だったが,数日間で55とうなぎ登りだった。その後のハイパーインフレは知るところである。

 私は色々な国で,その国の森林官を始めとする関係者や作業員などと一緒に仕事をし,その人たちとは親しくなったが,ジンバブエだけは何故かその距離が縮まらなかった。抑圧された社会では,人々は心を開くことができなかったからだろう。

  ムガベ大統領が降りた現在でも民主化にはほど遠く、野党の政治家、野党支持者への暴行・虐殺・拉致などが相変わらず常態化しているとのことで、ムガベ大統領の独裁政治体制と同じ状況だと言われている。ジンバブエのために働いた私としては、本当に早く民主化されることを望むものである。

 

 

 

冬の楽しみ

ゼンシンの日々

学生のころでさえ年に1度行くか行かないか、

社会人となってからは全く行くことはなかったスキーですが、

子供のゲレンデデビューを機に、年数回出かけるようになりました。

 

スキー場の駐車場へ着いて車のナンバーを見ると、静岡、杉並、大阪・・・

県外ナンバーがほとんどでした。

2時間以内で気軽に比較的大きなゲレンデに行けるのは恵まれているなあとつくづく感じました。

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今回はスキーヤーオンリーのスキー場へでかけましが、

スキーとスノーボードでは滑る軌道が違うので、非常に滑りやすかったです。

さらに、来ている人、特に小さい子供は総じて上手に滑るなあと感じました。

きっと親もスキーが好きでわざわざこのゲレンデへ来るぐらいだからかもしれません。

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景色をみながら広々としたゲレンデを滑っていると、気分はリフレッシュできます。

ただ、身体は正直なもので・・・こちらは、帰りに温泉に入ってリフレッシュします。

趣味とまではいかないまでも、わが家の冬の楽しみとなっています。

 

RYU

【森林紀行No.7 アラカルト編】 No.4_インドネシア

森林紀行

インドネシア スマトラ島の森林内で泳ぐ

 今から約40年前,1978年11月のある日,私はインドネシアのスマトラ島で森林調査をしていた。その日滞在していた集落から10km以上奥地に入った。山道はそこまでだった。そこから藪漕ぎで進む。GPSのない当時,我々は航空写真が判読できたので,目的地まで行けたのだ。遠く,テンカル山というのを目安に黙々と進んだ。途中ムササビが現れると案内人のディンは眼の色を変えて捕まえようとする。

 歩くうちに林内に水が現れた。段々と水位が増したが,ようやく目的地に着いた。調査を始めると,ずっと腰まで水に浸かりっぱなしである。水からわけの分からない昆虫が人の体を陸だと思って沢山這い上がって来る。100m測量するだけでも相当な手間がかかった。案内人ヌルが「もう行けない。」と言うのを私が行かせると,ヌルは首まで水に浸かり泳ぎながら進む。

 どうにか,仕事を終えて,焼畑に出た。よくこんな奥地にと思う所に一人の男がキコリをしながら住んでいた。その小屋で休ませてもらい帰路についたのが午後4時,普段なら家に戻る時間だった。2時間もあれば下れるだろうと思っていた。そのキコリに街道へ出る道を聞いて出発した。

 だが林内はまた,水かさが増してきた。我々は再度林内で泳がなければならなかった。荷物は全部頭の上にくくりつけ泳ぎながら進んだ。ヌルが弁当箱を水中に落とした。するとディンが泥水を潜り,いとも簡単にそれを拾った。そしてディンはするすると木に登り方向を確かめた。闇が迫り皆,口数が少なくなる。どうにか足が立たないところからは脱出し,ディンにタイマツを持たせ,先頭を歩かせた。ディンの勘に運を任せた。地元の森林官は,冗談を飛ばし始め皆から不安感を取り除こうとする。林内は真っ暗で夜行性のトラやヘビが恐怖だ。体も冷えてきた。

 くたくたになったところで,湿地林を抜け出し,遠くに集落の灯りが見えた。それからがまた遠かった。木の根につまずきながらもようやく集落に辿り着いた。既に深夜0時を過ぎていた。しかし,そこは我々が滞在していた集落でなく,4Kmも離れた別の集落だった。しばらくし,運転手がジープで迎えに来て,我々は滞在している集落へ戻った。集落民総出で我々の無事を祝ってくれた。会う人ごとに抱き合い,握手をした。これほど人の暖かさを感じたことはなかった。

  街道は現在は、高速道路に変わり,最大樹高70mを超えたこの森林は,開発のために消滅し,今は存在しない。

 

 

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雨期の増水で水没した人家

 

 

 

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