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【森林紀行No.6 セネガル,マングローブ林調査編】 No.14

森林紀行

マールファファコ(Mar Fafaco)村

マールファファコへの道

車で行く場合

マールファファコ村は、調査地内では北西に位置している。基地としているフンジュンから車で,この村に行く場合は次のようだった。

まず,フンジュンの渡し場のハシケでサルーム川を渡るのだ。一日数回往復するこのハシケの時間に合わせて行くのだが,川を渡るのに最低でも30分はかかってしまう。ここから北に向かいファテッィクに出て,そこから西に向かいンジオスメネから今度は南に向かいフィムラという町を過ぎ,ようやくンダンガン(Ndangane)という町まで行き,車をここに止めておき,そこからは人間だけが,また船で川を渡るのだった。ここまでフンジュンからはコの字型に走らなければならなかった。これで2時間近くも時間がかかってしまうのだ。コの字の間に沢山の水路が走っているからだ。

 

 

ンダンガンからは馬車

この水路にも昔は多くのマングローブが繁っていたということだが,この当時,北側はほとんどのマングローブが全滅状態で,南に行くにしたがって海に近くなり,塩分濃度が下がるため,マングローブが見えて来るのだった。北側の塩分濃度は6?8%,南側になると6%以下となるのだった。

ンダンガンにはペリカンというホテルがあり,時々このホテルにも泊まった。ンダンガンからボートでマールファファコのある対岸の島に渡り,そこから馬車でマールロッジという村を通り,その先のマールファファコに向かうのであった。馬に荷台を付けた馬車でのんびりと30分以上もかけて行くのであった。しかし,いつも頭の中は着いてからの仕事を反芻しており,周囲ののんびりさ加減とは違い,頭の中はいつも全力で走っているような感じだった。

 

 

船で行く場合

もう一つはフンジュンから船で直接行く方法があった。プロジェクトが始まった初期のころは陸路でンダンガンまで行く方法を採っていたがが,サルームデルタを色々と調べるようになって,船で行った方が時間的に少しは速いことが分り,船で行くようになった。

しかし,サルーム川本流からマールファファコ村へ行く水路に入るのはわかりにくく,船頭もこの水路に入るのを見逃し,通り過ぎてしまってから戻るということも何回かあった。しかし,慣れるにつれ間違いはなくなった。

 

 

 

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マールファファコ村の地図

 

 

 

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ワークショップで使っていた見取り図

 

 

 

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サルーム川からマールファファコ村へ

 

 

 

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ンダンガンの村,ここからマールファファコ村の島にボートで渡る

 

 

 

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リゾートといったニュアンスのンダンガンにあるホテルペリカン

 

 

 

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ホテルペリカンの農場ツアーの馬車料金

 

 

 

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途中で通過するマールロッジ村の建物

 

 

マールファファコ村の印象

調査時点でのこの村の人口は2,000人程もいるかなり大きな村だった。しかし,平らなデルタ地帯に村が広がっていて余裕があり,一軒ずつの面積は広く,それほどの人口がいるようには感じられなかった。

我々の調査団は,歓迎的に受け入れられて,調査後ワークショップを重ねてどのような活動を行っていくか決めたのだった。

 

 

ワークショップ

人口が多いだけ,ワークショップにも沢山の住民が集まった。野外の大きなバオバブの木の下でワークショップを行うことが多かった。村長の力は強そうだったが,ワークショップでは誰でも自由に意見を述べ合い,直接民主主義が根付いているような印象だった。

 

 

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ワークショップで意見を述べる村長

 

 

 

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ワークショップ

 

 

 

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ワークショップ

 

 

村でよく泊めてもらう

ワークショップは,いつも半日以上はかかることが多かったので,その時は村の民家に泊めてもらった。よく泊めてもらった家の方は,セネガル相撲で3位になったことがあるとのことだった。セネガルでは,テレビでこの相撲を中継するくらい人気のスポーツである。その方は,背は180cmには届かないくらいで,それほど高くはなかったけれど,がっちりとした筋肉質でいかにも強そうだった。セネガル相撲の土俵は大きく,相手の背中を土に付けないと勝ちにならないので,試合時間は非常に長いが,村の代表として入賞でもすれば大きな名誉となるのだった。

 

 

子供の井戸汲み

村に宿泊していたある朝,起きると小さな女の子,130cmくらいだろうか,小学校4?5年生くらいにみえたが,井戸からつるべ落としで水を汲んでいた。井戸の深さは10mよりやや深いくらいだったが,そのロープを持って全身を使った動きがしなやかで早く,全く力を使っていないようにも見え,素晴らしい運動能力を持っていると見えた。私も汲んでみたが,単に力だけでなくタイミングが必要で,組む速さは全くかなわなかった。

この天性の運動能力をどこか先進国で開花させれば,オリンピックの何かの種目で金メダルを獲得するのはそれほど難しくはないのではなかろうかと思わされた。この子だけではなく,アフリカ人の多くはそのような素質を持っているのだろうが,開花させられることはなく一生を過ごすのだろうなと思った。

 

 

マールファファコ村での井戸の中.jpg

 

マールファファコ村での井戸の中

 

 

キビの脱穀

こちらではミルとかミレットとか言っていたが,アワやキビのことである。ほとんどの家ではこれが主食となっているようだったが,粉にして蒸して食べていた。我々も随分とこれを食べた。米も主食としている家も多かったが,米はタイあたりからのくず米を我々は食べることが多かった。キビの脱穀の機械はどうしたのだろう。思い出せないが,他の国の援助だったような気がする。

 

 

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キビの脱穀

 

 

村での活動

マールファファコ村で行う活動は,リゾフォーラの植林,それに普及啓発・環境教育だった。マールファファコ村では村落開発委員会が作られた。

 

 

リゾフォーラの植林

この村落開発委員会の下にリゾフォーラ植林委員会が設置された。1年目は、計画策定ワークショップで決定された植林地に2003年8月下旬、リゾフォーラ林で胎生種子を採取し、直ちに計画どおり植栽した。しかし,胎生種子採取には船で村から遠い場所に採取にいかなければならず,住民達は苦労した。20,000本の種子採取及び50cm×50cmと25cm×25cmの密植は住民にはかなりの重労働となった。

2年目も1年目と同様に植林を実施した。植林参加人者は植林委員会のメンバーを中心として1年目は男性10 数名、女性約100名で,女性の参加の方が圧倒的に多かった。しかし,2年目は男性の参加者が上回り、男女で約200人もの大人数が参加した。次に書くように男性の意識が向上したのであろう。

 

 

リゾフォーラの状態

マールファファコでの1年目の植林木の生存率は、2004年9月に90%近くあり,同じ様に植林したジルンダ村と同様に既に樹木間の競争が始まっていて,うっ閉状態近くまで成長していた。

今まで何でうまく行かなかったかというとマールファファコでは,それまでの種子は,浮遊していた胎生種子を使用していたからである。それを我々が技術指導をして、木になって熟した胎生種子を採取し,その後直ちに植栽することとし,また,植栽時期が適切であったことがある。また,冠水時間が適切な泥土の適地を選定し,密植により海水温の高温化を避けることができたことが植林の成功に繋がったのである。

密植は水面に緑が広がり生存率、成長率ともに高いとの印象を与え、植林地は村に近いことから村民に対する展示効果が高く、そのため村民が枯れた場所には自発的に補植するなどマングローブ植林地を守っていく姿勢が広がった。

 

 

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マールファファコ村のリゾフォーラの植林

 

 

 

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マールファファコ村のリゾフォーラの植林

 

 

 

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マールファファコ村のリゾフォーラの植林

 

 

普及啓発・環境教育

多くの住民が参加

環境を保護し,その意識を高めるという意味で,村落の住民に対して少ない費用で,効果的な啓発を行うことができる手段を考えた。そこで,「地域のイベントと連携した活動」や「民族芸能を活用した活動」を組み合わせて普及啓発・環境教育を行うという案に固まった。

具体的に行ったのは,マールファファコ村ではスポーツ大会として相撲大会やサッカー大会である。そのスポーツ大会自体もセネガルで大人気のもので多くの住民が参加した。そして大会後の表彰式で環境保護,特にマングローブ林の保護の重要性を村の住民が行う劇、唄、踊りを通じて訴えた。この劇,唄,踊りは娯楽が少ない住民にとっては,本当に楽しいものだった。

参加者の中には,マールファファコ村の住民だけでなく周辺の村からも多くの住民が参加しており,どの活動にも500人?600人程度とかなりの多くの住民が参加した。

 

 

すぐに活動の成果が見られた

参加者の数や地域的な広がりから、参加者は老若男女,つまりは幼児から老人に渡っていた。啓発活動後も村で,同じような啓発テーマに関する話題が日常的に取り上げられるようになり,この活動は大成功だった。マールファファコでは、啓発活動以降、住民は、環境保全活動,特にマングローブの植林への若者の参加者数が格段に増えた。上に書いたように1年目にくらべ2年目のマングローブ植林に男性の多くが参加したのはこの啓発活動の効果である。

 

この後,周辺の村でマングローブ植林や村落林造成が、自主的な活動として行われるようになった例もある。また、周辺村住民からリゾフォーラの植林技術に関してマールファファコ村に問い合わせがいくつかあったことは我々としてもうれしいことだった。

 

 

 

つづく

 

 

3月の駒ケ岳

社窓


3月の駒ケ岳

厳しかった寒さも峠を越えて、徐々に春が近づいているのが感じられる季節になります。
まさに、「三寒四温」。
(「三寒四温」については、2015年3月の社窓をご覧ください)

今年の冬は、各地で豪雪の被害に見舞われましたが、
こと信州に関しては、北部の一部を除いて、今のところ平年並みか平年以下の降雪量のようです。
強い寒気の流れ込みの影響で、気温は全国的に低く、
日本海側は降雪が多くなり、太平洋側では日照時間が長くなったようです。

例年、3月になっても南岸低気圧の影響で長野県の中南部で降雪となることがあります。
信州の方言で言うところの「上雪(カミユキ)」です。
まだ油断は禁物かもしれませんね。


[南アルプス]
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【森林紀行No.6 セネガル,マングローブ林調査編】 No.13

森林紀行

ダシラメセレール(Dassilame Serere)村

 

ダシラメセレール村の位置

 ダシラメセレール村は、調査地の南に位置している。調査地の南はガンビアに接しているため、この村は、セネガルでも南に位置している。調査地内の大きな町のトゥバクータよりやや南にある。この村はセレール族の村のため村名にセレールが付くのだろう。このあたりは、まだ人口は密ではないので、集落が固まっている場所が一つの村となっていて、他の村とは距離が離れている。村間に家が続いていて、繋がっているような村はほとんどなかった。それは土地生産力が低いということも関係しているだろう。漁業はあるものの、多くの人口を養えないといった面も関係していると思われた。

 

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ダシラメセレール村の航空写真

 

 

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ダシラメセレール村の位置

 

 

 

ダシラメセレール村の印象

 調査時点でのこの村の人口は350人程度だった。ボロン(水路)も流れ、マングローブも多く存在し、そして村では村の存在を知らしめるような特徴的な染め物をしたり、UICN(世界自然保護連合)の支援でハチミツ生産をしたり、また、トゥバクータに近く、そこにあるヨーロッパ人向けのホテルで働く者もいたり、何かにつけて活動的な村だった。また、南に位置するほど雨量も多く、この村の雨量も年間800mm程度はあり、チークも800mm以上の雨量があれば、その植林もうまくいくのではないかと思われた。さらに、若者のなかにロシアに留学し、外部の考えを持ち込み、村の発展に尽力すると見られる者もいた。だからこの村でパイロットプロジェクトを行えば、成功する可能性が高いと思われ、パイロットプロジェクトを実施することになったのである。

 

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ダシラメセレール村の景観

(雨量も800mm以上はあり、セネガルでは南部ほど緑が多くなる)

 

 

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雨量はある程度あるが、乾燥地の特徴である太いトゲのある珍しい植物もある

 

 

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近くのボロン(水路)では小魚が沢山採れる

 

 

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UICNの支援の養蜂箱(同じものを我々も他の村で導入)

 

 

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村では特徴的な染め物もしている

 

 

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ダシラメセレール村の太鼓

(この辺りの村はどこでもひょうたんの実をくりぬき太鼓にする)

 

 

 

ワークショップ

 パイロットプロジェクトを行った村はどの村もそうだが、数えきれないくらい通った。そしてその都度ワークショップを行っていた。小学校の教室を借りて行うことが多かったが、7月?8月の雨期ではほぼ毎日30分くらいの間スコールが降り、その間はトタン屋根に打ちつける雨音が物凄く、しゃべっている声が全く聞こえなくなり、中断せざるを得なった。しかし、雨が降っている時間が短いので、30分もすれば、また、ワークショップを再開できるのであった。

 

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学校の教室を借りてのワークショップ

 

 

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村人の意見を貼り付けて行く

 

 

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野外でもワークショップ

 

 

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繰り返しワークショップ

 

 

 

村のリーダーと思われた若者が選挙で落ちる

 初期のころのワークショップで、プロジェクトの活動内容を決めたり、それぞれの村の責任者を決めるワークショップを行った時に、調査時に村の若者でリーダー的に活動していた若者が当然プロジェクトの委員会の重要ポストを占めるだろうと我々は思っていた。そして活動委員会の委員長や委員を決める時に、その若者も立候補したが、選挙を行った結果、落選してしまった。

  わからないものである。その若者は村の女性達から総好かんを食っていたのだった。我々は村の外部の人間であるから、やはり外からみていただけでは、村人の内部の問題はわからないものであると思ったものである。他の村でもプロジェクトの活動委員会のメンバー全員が途中で入れ替わった村もあり、村内に内部抗争的なものがあり、やはり人間が住むところには、いろいろドロドロした部分があるものだと思わされたものである。

 インタビュー調査でも、親しくなった村人からばかり村の様子を聞いていると、別の対立グループがあったりして、偏った情報しか得られていないこともあるこということも分かった。

 

 

村での活動

 この村ではパイロットプロジェクトとしてアヴィセニアの植林、村落林の造成、エコツーリズムの導入を行った。

 

 

アヴィセニアの植林

 ダシラメセレール村は、サルーム川の河口にもそれほど遠くはないため河川の塩分濃度はそれほど高くはなかった。ということは、マングローブが、繁茂することはあっても衰退することは考えにくいのであるが、塩分濃度以外に、上流域でマングローブの枯死が進んでいるため、河川水の中の土壌の含水率が上がったり、水流が変化したりする影響があったのだろう、このあたりの周辺の村にもアヴィセニアの枯死が見られるようになっていたのだ。そのため村人がアヴィセニアの植林を望んだのでアヴィセニアの植林を行うことになった。

  我々のプロジェクト全体を統括するため村には、村落開発委員会が設置された。その下に環境委員会が設置され、アヴィセニアの植林を担当したのである。

 

 

種子の採取

 前にも書いたように、アヴィセニアは7月?9月にかけて、そら豆のような形の種子を大量につけるので、それを簡単に採取することができた。7月に多くの村人が採取し、その後すぐにポットへ播種した。

 

 

苗畑の設置

 苗畑は、大きさ5m×60cm×20cmくらいの木枠を作り、河川の中に設置した。その中にポットを置き、ポットの中に種子を埋めた。しかし、2003年の雨季にあたる8月は雨が多かったため、大雨と大潮が重なった時に、木枠が浮き少し流されてしまい、ポットも流され、最初に播種した種子は皆流されてしまった。

 そのため、もう一度種子を採取し播種したが、それも同じ様に流されてしまった。村周辺のアヴィセニアの種子は、もうほとんど採取してしまったので、なくなってしまい、住民は仕方なく船をだし、苦労しながらも別な地域から種子を採取してきた。

  そこで、次には木枠を紐で周辺のマングローブに固定することにより、雨と潮汐の流れによる被害を防いだ。それにより種子が順調に成長するようになった。

 

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アヴィセニアの苗畑

 

 

同じくアヴィセニアの苗畑.jpg

同じくアヴィセニアの苗畑。塩分濃度が低いと初期成長が良い

 

 

苗畑の前にて.jpg

苗畑の前にて

 

 

 

成長が良かった苗木

 この木枠の周囲に網を設置して魚の食害を防ぎ、日覆いをかけたことと、2003年は雨が多かったため塩分濃度が下がり、成長が良かった。播種後、2ヵ月程度で苗高は50cmを越えるものも多数あり、すぐに植林をしたのである。

 

 

植林

 成長が予想以上に良かったため植栽時期を早め、2003年11月末から12月半ばにかけ約5,900本を 1m×1mの間隔で移植した。河川沿い1年目は1m×1mで植林した。

 

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植林後のアヴィセニア

 

 

 

2年目の植林

 2年目も1年目と同様に6,000本の苗木生産を行った。アヴィセニアの育苗・植林試験から1.5ヵ月苗を移植するのが良いことが判明したので、2 年目は7月下旬に種子を採取して、2004年9月中旬に50cm×50cm 間隔で移植した。こういった作業には環境委員会のメンバーを中心として1年目、2年目とも男女約100名が参加して行ったのである。

 

 

植林後

 ダシラメセレール村の1年目の植林木の1年後の生存本数は合計で約3,400本あり、生存率は58%(3,400/5,900本)だった。2年目は植林後に魚の食害にあい、生存率は20%程度だった。

  やはり、村人が6,000本の苗木を生産するのは、かなりの量だったので、相当の負担となった。アヴィセニアが塩分濃度に強いといっても、やはり塩分濃度が薄い方が成長が良いのであり、植林地の選定が難しかった。また、植林はリゾフォーラと同じように密植が良かった。50cm×50cmの密植か、より密に25cm×25cmの密植によって生存木を確保していくことが良い方法とわかった。それは一度基盤ができれば天然更新によりアヴィセニアが増殖していくことが期待できるからだった。

 

 

村落林の造成

 サルームデルタではマングローブ材の利用が盛んなため、マングローブ林保全にはマングローブ材の利用を少なくし、他の造林木などの代替材で供給することが必要だった。ことから村落林の造成を計画したのである。2年間で約1haの植林地を造成し、植栽密度は1,111本/ha、植栽間隔は 3m×3mとすることにした。ダシラメセレール村ではアヴィセニアの植林と同じく村落開発委員会の下の環境委員会が村落林の造成を担当した。

 

 

植林樹種と植栽

 実際の植林は住民達が行うのであるが、成長の早く、セネガルでよく植林に用いられている樹種を選んだ。

 1年目は、マメ科のカシア・シアメア(Cassia siamea)、プロソピス(Prosopis)、アカシア・メリフェラ(Acacia mellifera)のほかに、今はシソ科に分類されるようであるが、試験的にチーク(Tectona grandis)とメリーナ・アルボレア(Gmelina arborea)を2003年 8月に植栽した。

  チークは雨量がないと難しいといわれ、セネガルでは南ほど雨量が多く、その雨量の多い南部のカザマンス地方でしか植林が行われていなかったため、苗木は森林局がカザマンスに持つ苗畑から入手したのである。植栽本数はそれぞれの樹種120本ずつ合計600本を植栽した。

 

村落内に作った苗畑.jpg

村落内に作った苗畑

 

 

灌水(水やり)用の水溜.jpg灌水(水やり)用の水溜も作る

 

 

 2年目はチーク、メリーナ・アルボレア、プロソピス・ジュリルローラ、カシア・シアメア、ユーカリプトゥス・カマルドゥレンシスの5 種類をそれぞれ 120 本合計600本を2004年8月に植栽した。

 

 

植林後

 このダシラメセレール村での植林は、これまでセネガル南部のカザマンス地方 でしか植林していなかったチークを試験的に植林したことに先駆的な意味があった。1年目に植栽した樹種は、丸1年経った地点で、チーク89本(74%)、メリーナ・アルボレア105本(88%)、プロソピス・ジュリフローラ90本(75%)、 アカシア・メリーナ45本(38%)、カシア・シアメアが85本(71%)生存していた。チークの成長の良いものは1年で2m50cmを超えるものもあった。

 

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成長の良いチーク

 

 

 

エコツーリズムの導入

 サルームデルタのマングローブ林は生物多様性を維持する貴重な生態系で、近隣に観光ホテルもあり、観光の対象ともなっていた。マングローブ林を保全することと住民生活の向上がプロジェクトの目的で、そのため林業と水産業を振興し、さらに、観光の振興も目指したのである。それがエコツーリズムの導入だった。

 

 エコツーリズムの振興には、宿泊施設の建設も考えられたが、それには相当の初期投資を必要として、またその後の経営やマーケティング、施設維持には専門的な管理者が必要で、また施設の建設は自然破壊につながりかねないため、それらは行わず、現存する観光資源を組み合わせたエコルートを設定することとしたのである。

 

 村落内のエコルートでは、排気ガスを発生するエンジン駆動の輸送手段を避けて、馬車などの伝統的な輸送手段を中心に使用し、また、使用する機器類は、地元生産のものを活用することを原則とし、輸入機器利用を最小限にした。つまりは環境にやさしいエコツーリズムである。

 

 更に、エコルートでは各村の伝統的な物産を土産品としてセットし、地元出身のエコガイドが案内し、エコツーリズムからの収益金の一部を環境保全のために備蓄することとしたのである。デルタ地帯の村落が保有している観光資源はほとんど認識されていなかったので、村の存在を認識してもらうためにも非常に良い機会だったのである。

 

  ターゲットとしたのは、ヨーロッパからのある程度の期間ホテルなどに滞在している滞在型の観光客だった。値段は日本円にして約千円程度とし、パンフレットを作り村では土産物の生産も行った。

 

 

ダシラメセレール村のエコルート

 ダシラメセレール村のエコルートは、ツーリストが安全に観光できることを前提にして、村の広場→馬車での移動(道路から砂地へ)→浅瀬での乗船→大きなボロン(水路)→小さなボロン(水路)→サルの群生地見学→村の船着場で下船という単一ルートにした。サルの群生地が目玉ではあるが、ルートを巡る間に、村の歴史や村の特徴など様々なことをガイドがツーリストの紹介するのである。

 

 

エコガイドの養成

 我々が、この仕事を委託していたUICN(世界自然保護連合)が約2週間のエコガイド養成集中講座を行った。私は、日本の竹富島で牛車に乗り、島巡りをしたときに、ガイドが島の歴史を語ってくれるのはもちろんのこと、その上三味線を弾いて歌も歌ってくれ、それが素晴らしかったので、ここでも同じ様にギターの様なセネガルの伝統的楽器、コラを弾きながらガイドをするのはどうかと提案したが、コラの演奏は世襲制となっていて、一般人は弾けないのだとのことで唖然とし、却下されてしまった。

 

 

必要資材

 エコツーリズム実施のために最低限必要な機器は、馬車と馬、手漕ぎピローグ1隻、一人乗りカヤック4隻、および連絡用の携帯電話1台だった。この他、ツーリストの安全に対する万全の配慮として、別のパイロットプロジェクト対象村で生産したライフジャッケトと同じく別のパイロットプロジェクト対象村で製作するカキ採取用の足袋をダシラメセレール村でも生産し、ツーリストに付けてもらうこととした。

 

 

活動の結果

 実際的には、観光客を呼び込む前にプロジェクトが終了してしまったような形ではあったが、ネットでダシラメセレール村を見ると、今でも様々な国際機関が援助を行っているようで、何らかの形で動いているようだ。

 

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プロジェクトで導入した馬車と馬

 

 

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エコ・ルートの試走(大使館の方々も視察にこられた)

 

 

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緊張の面持ちでのダシラメセレール村のエコガイドの説明

 

 

 

 

つづく

 

 

 

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