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8月の駒ケ岳
7月は早々に梅雨明けし、猛暑日が何日か続きましたが、
暫くしてからは、梅雨のようなすっきりしない天気が続きました。
結局、例年の梅雨明けごろからが夏本番といった感じになりました。
昨年の今頃、東京オリンピック2020が開催されていました。
何か、ずいぶん前のことのように感じます。
単に1年経ったからなのか、
無観客などで盛り上がりに欠けた面があったからなのか・・・
今年は、3年ぶりに夏祭りの開催を準備していたところも多いようですが、
ここへ来てのコロナウイルの爆発的な拡大により、
開催するのも中止をするのも悩ましい状況となってしまいました。
コロナウイルスへの感染、熱中症、食中毒などないよう、
体調に気を付けて夏を乗り切りたいと思います。
環境美化活動
社屋、社員駐車場ならびに周辺道路の環境美化活動を実施しました。
ごみ拾いと合わせて、社屋前の見通しの悪い交差点の除草・枝払いも行いました。
小さな取り組みではありますが、今後も継続してまいります。
御射山(みさやま)神社の御柱祭に参加して
今年は、7年に1度の御柱祭の年に当たります。長野県内では何といっても諏訪地方の御柱祭が規模も大きく、テレビ中継もされているとても有名な奇祭です。しかし、諏訪地方以外においても規模はやや小さいながらも、御柱祭が挙行されている地方もあります。
私が住んでいる上伊那郡飯島町でも、伊那谷最大級の御柱祭とされる御射山神社の御柱祭が、今年挙行されました。この御柱祭は、今から300年前の享保7年(1722年)に諏訪大社に倣って始まったとされていて、以後7年目毎に開かれてきました。
この地区の御柱祭を簡単に説明すれば、御射山神社が存在する場所は下伊那郡松川町上片桐地区にありますので、この神社の氏子が住んでいる3町村4地区の人々が、それぞれの地区の山林に自生している大木を伐採し、山から里へ人力により引きずり出して(山出し祭)、20日間ほど柱休めをした後に、再び人力により里中を曳行して御射山神社まで引きずって来て(里曳き祭)、神社の境内の4隅に4本の柱を建てる(建て御柱)までのお祭りです。
この3町村4地区は昔から次のとおり不動です。しかし、どの地区が何番の柱を担うのかは協議して決めます。今回は、次のとおり決まりました。
一の柱を担うのは、松川町上片桐地区
二の柱を担うのは、飯島町七久保地区
三の柱を担うのは、中川村片桐地区
四の柱を担うのは、中川村葛島地区
です。
3月13日(日)山出し祭
私の住んでいる飯島町七久保地区の山出し祭は3月13日に行われる計画でしたが、新型コロナ感染症対策のため中止になりました。残念なことでした。その代わりに、御柱の送り出しイベントを地元の保育園駐車場で行いました。今回は少人数で曳行したために、特製の車輪を装着して開始しました。私も御柱専用の衣装(法被・特製ズボン・地下足袋・鉢巻・御柱用マスク等)を身に纏って、大木を曳き駐車場内を巡りました。その後は、冠落としをして、トラックに積み込み御射山神社に向けて出発していきました。
到着後は御射山神社の駐車場に安置されました。
4月1日(金)神輿渡御・お旅所にて神事
4月2日(土)里曳き祭
従来の大祭の例だと、氏子たちが柱を御射山神社まで曳く里曳きを実行していました。私も過去3回里曳き祭に参加して、大勢でワイワイ言いながら、お神酒を頂きながら曳いていった経験があります。これがなかなか面白かったという思い出があります。しかし、今回はコロナ感染症対策のため中止になりました。
4月2日(土)(同日) 建て御柱
御射山神社駐車場に安置していた4本の御柱を重機で境内に引き込み、クレーンで4隅に垂直に建てました。従来までのやり方だと、神社まで里曳きをして来た氏子衆が境内に入って、4本の御柱が建たっていく様子を見学するのですが、今回はコロナ感染症対策のため一般の人々は見学ができませんでした。私も残念ながら見学ができませんでした。
そのため数後日に御射山神社に行き御柱を確認してきました。ちゃんと建っていたので安心しました。
今回は、規模を縮小して51回目を開催した訳ですが、次回2028年に開催される御柱祭は、コロナ感染症が収束して従来通りの伝統的なやり方で催行される事を希望しています。
【追伸】
今回の御柱祭に使用した大木と同程度の大木をレプリカとして、飯島町七久保の道の駅「花の里いいじま」で展示しています。展示期間は今秋までですので、お近くに来た際には、是非お立ち寄りください。