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【森林紀行No.6 セネガル,マングローブ林調査編】 No.20

森林紀行

ンバム(Mbam)村

村の位置や活動

 ンバム村は基地としたフンジュンのホテルから車で5分程度と近く、活動はし易かった。この村もエビ漁が盛んだったのでライフジャケットの製作を行った。ライフジャケットの製作はカマタンバンバラ村で記したように、この周辺は、国が定めたエビの禁漁期、それは主に乾期であったが、その禁漁期に違反操業をする者が絶えなく、その原因は、水産物が住民の食料源であることと、また、この地域の乾期には生業活動がなかったためである。そのため乾期の生業作りにライフジャケットを製作することになったのである。

 

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ンバム村の地図

 

 

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フンジュンのホテル

 

 

 

フンジュン周辺のマングローブ

 

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フンジュンの渡し場付近でWAAMEが植林したリゾフォーラ。塩分濃度が高く成長しない

 

 

 ンバム村の当時82才の長老チャレさんに村の話を伺ったときのことだが、1942年に大飢饉があり、その時はアヴィセニアの種子を食べてしのいだとのことだった。この周辺に調査時にはほとんどアヴィセニアはなかったが、当時は大量にあったとのことだった。またリゾフォーラは森のように繁り、対岸が見えないほどだったとのことである。この30年でマングローブはほとんどなくなってしまったとのことだ。

 

 

エビ漁

 エビ漁は、夜中に水深が深い川に入って行わなければならず、海難事故が絶えなく、エビ漁による海難事故防止の意味からも村人のライフジャケットに対するニーズが高かったこともライフジャケット製作の後押しとなった。

 

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ンバム村でのワークショップ

 

 

 乾期にライフジャケットを製作することにより、村に生業を起こし、エビの漁期を守り、さらにライフジャケットの販売収入の一部を環境基金とし積み立て、その資金をマングローブ植林や村落林造成に利用し、マングローブ林の保全と復旧に寄与することを目的として、ライフジャケットの生産に取り組んだのであった。

 

 

活動計画

 ンバム村もカマタンバンバラ村と同様、1年間に100着、2年間に200着のライフジャケットを生産し、販売する計画とした。

 

 

活動組織の確立

 ムバムでは当初設置された管理委員会がうまく機能しなかったため2回にわたって管理委員会の改革を行い、統括組織として管理委員会を設置し、その中に販売委員会、検査・品質管理委員会、製作委員会を設けてライフジャケット生産活動を行うこととなった。

 

 

活動の経緯

 カマタンバンバラ村と同様ンバム村にも数人のテイラーが在住し、村人が持参する布地を客の注文に応じて仕立てている。これら洋裁の技術を持つテイラーをライフジャケット生産グループとして結成した。村のテイラーの自前のミシンとパイロット・プロジェクトで投入したミシンにより若者を対象にライフジャケット生産技術の製作訓練を進めた。資材は原則地元での供給を目指したが、ダカール以外では入手が困難なものは、ダカールとプロジェクト対象村間の資材入手ルートを確保し、内陸地域を中心にライフジャケットの販売網を構築した。

 

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村のテーラー

 

 

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製作されたライフジャケット

 

 

 1年目のムバム村では111着のライフジャケットが生産され、1着5,000Fcfa(約1,000円)で59着が販売された。そのうち54着分の代金が回収され、5着分が売掛金として未回収だった。残りの52着は在庫になっていた。大量に在庫が残った原因は、管理委員会メンバー内のコミュニケーション不足や委員会と村の他の住民組織との連携不足などから、販売体制を確立できないままエビ漁期が終了したからである。

 2年目は、両村で発泡スチロールの浮材を柔軟性のある浮材に転換し、改良タイプのライフジャケットを製作販売した。この改良は住民自身の発案によったのである。

  ムバム村では最終評価時点までに17 着が生産され販売された。販売価格は1着7,000Fcfa(約1,200円)だった。その後さらに83着を生産する予定だった。

 

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ライフジャケットを着けての漁

 

 

活動結果

 住民自身の改良により、浮力不足と浮材が破損しやすいという問題点が解消された。これまで、製品の品質に自信を持って販売できないと語っていた住民も、最終製品に自信を深めている。ユーザーであるエビ漁民のライフジャケットの品質に対する評価も上々で、輸入品と比べて遜色がないと語っていた。

  ムバム村では、管理委員会の新執行部体制が3回も変わり安定しなかった。新執行部の方針は、村の他の住民組織と連携を図りながら、ライフジャケットの販売活動に積極的に取り組むことだった。ムバム村では収益金を管理委員会の会計係が管理し、ジロールのクレディ・ミュチュエール(銀行)に設けた口座に振り込んでいた。会計係はすべての支出と収入を帳簿に記帳することになっていた。しかし執行部が交代したことで、帳簿関係の引継などが完全に行われていなかった。この点を解消し、村の他の住民組織と連携を図りながら、積極的な販売活動を行わなければならなかったが、その時点でプロジェクトが終了した。

 

 

つづく

 

 

 

【森林紀行No.6 セネガル,マングローブ林調査編】 No.19

森林紀行

カマタンバンバラ(Kamatan Banbara)村

村の位置や活動

 カマタンバンバラ村は基地としていたフンジュンの町から東に向かって、車で40分くらいの距離にあり、サルーム川の上流域に位置している。この辺りの塩分濃度は、8%程度と相当に高く、かつては存在していたマングローブも全滅してしまった地域でもある。しかし、エビ漁を始めとした漁業は盛んであり、水産分野のライフジャケットを作製する活動を行うこととなった。

 

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カマタンバンバラ村周辺の航空写真

 

 

ライフジャケットの製作

 この周辺は、サルームデルタの最上流部に近い内陸部ではあるが、国が定めたエビの禁漁期、それは主に乾期であったが、その禁漁期を守る者は少なく、違反操業者が絶えなかった。その原因は、何と言っても水産物は住民の食料源であり、もうひとつにこの地域の乾期には生業活動がないという現実もあった。

  そしてエビ漁は、夜中に水深が深い川に入って行わなければならず、海難事故が絶えなかったため、エビ漁による海難事故防止から村人のライフジャケットに対するニーズが高かったのである。

 

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ワークショップ

 

 

 そのため乾期にライフジャケットを製作することで、村に生業を起こし、エビの漁期を守り、さらにライフジャケットの販売収入の一部を環境基金とし積み立て、その資金をマングローブ植林や村落林造成に利用し、マングローブ林の保全と復旧に寄与することを目的として、ライフジャケットの生産に取り組んだのであった。

 

 

 

活動計画

 カマタンバンバラ村では1年間に100着、2年間に200着のライフジャケットを生産し、販売する計画とした。

 

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ワークショップ

 

 

 

活動の実施

 カマタンバンバラ村では漁民、女性グループ、青年の代表や村で裁縫活動をしているテーラーを構成メンバーとする管理委員会を設置し、ライフジャケットの製作と販売を行うこととした。

 

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住民への聞き込み

 

 

 

活動の経緯

 内陸部の村には通常数人のテーラーが在住し、村人が持参する布地を客の注文に応じて仕立てていた。カマタンバンバラ村では洋裁の技術を持つテーラーをライフジャケット生産グループとして結成し、村のテーラーの自前のミシンとパイロット・プロジェクトで投入したミシンにより若者を対象にライフジャケットの生産技術の訓練を進めた。

 

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テーラーがライフジャケットを作製

 

 

 ライフジャケットの材料は、原則地元での供給を目指したが、ダカール以外では入手が困難なものもあり、ダカールとプロジェクト対象村間の資材入手ルートを確保し、内陸地域を中心にライフジャケットの販売網の構築を図った。

 1年目には、カマタンバンバラ村で100着のライフジャケットが生産され、1着5,000Fcfa(約千円) で91着が販売された。そのうち62着分の代金が回収され、29着分が売掛金として未回収だった。残りの9着は在庫となっていた。売掛金が回収できなかったのは、エビ漁が不調に終わったことで、エビ漁民に掛け売りした代金が回収できなかったからである。

 

  2年目は、発泡スチロールの浮材を柔軟性のある浮材に転換し、改良タイプのライフジャケットを製作販売した。この改良は住民自身の発案による。カマタンバムバラ村ではプロジェクトが終了する時点で50着が生産され、その後さらに50着を生産する予定だった。販売価格は1着7,000Fcfa(約千二百円)であり、その時までに7着が販売されていた。

 

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製作されたライフジャケット(最初のタイプ)

 

 

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最初は発砲スチロールだったが、後に柔軟性のあるものに改良

 

 

 

活動結果

 住民自身が浮材を発砲スチロールから柔軟性のあるものに改良したことにより、浮力不足と浮材が破損しやすいという問題点が解消された。それまで、製品の品質に自信を持って販売できないと語っていた住民も、この時の改良した製品に自信を深めていた。ユーザーであるエビ漁民のライフジャケットの品質に対する評価も上々で、輸入品と比べて遜色がないと語っていた。確かに良いものができたと我々プロジェクトチームも驚くほどであったが、プロジェクトの終了後の活動は分かっていない。

 

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プールでの浮力試験

 

 

 

つづく

 

 

 

【森林紀行No.6 セネガル,マングローブ林調査編】 No.18

森林紀行

ガーゲシェリフ(Gague Cherif)村

ガーゲシェリフ村の位置や活動

 ガーゲシェリフ村は、基地としていたフンジュンから近く、西に向かって車で20分くらいの位置にある。ガーゲシェリフ村は最初、非常に熱心でやる気のある村のように思えた。それにこの村は我々が援助に入る以前に、様々な活動の現地での仕事を委託したWAMME(西アフリカ海洋協会)もいろいろ関わっており、プロジェクトを行えば成功する可能性が高いと思っていた。

 

 

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ガーゲシェリフ村の水路

 

 

 実際に住民は良くやったのであるが、住民総会で選ばれた最初の執行部は、1年も経たないうちに総辞職させられ、途中で新たな執行部が立ち上がったのには驚いた。村内に対立するグループがあり、それは外部から見ていただけでは分からなったが、いろいろな活動を行っているうちに利害関係が生じるようになって表面化してきた問題だった。

 

 

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ガーゲシェリフ村でのワークショップ

 

 

 

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WAAMEの職員のアミ。細身であるが,手足が長く頭が小さく体のバランス

が良い。身長は私より少し低いが,手を伸ばすと私よりもずっと上に届く

 

 

 しかし、そのことがこのプロジェクトの活動に影響することはなく、執行部が変わってもプロジェクトは変わらすに動いた。ガーゲシェリフ村で行った活動は、アヴィセニアの植林、柴漬け漁、啓発活動だった。

 

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ガーゲシェリフ村の航空写真

 

 

ワークショップで使ったガーゲシェリフ村の見取り図.jpg

ワークショップで使ったガーゲシェリフ村の見取り図

 

 

アヴィセニアの植林

 アヴィセニアの植林は,ダシラメセレール村でも記したが,サルームデルタではマングローブ林の減少が続いており、その原因は降雨量減少による塩分濃度の上昇、住民による伐採、土砂の堆積、道路の建設などだった。何と言っても塩分濃度の上昇が最大の要因だ。

  マングローブの植林はリゾフォーラとアヴィセニアと2種類行うこととしていたが,塩分濃度への抵抗性が多少でも高いアヴィセニアは,より塩分濃度の高い場所を中心に行うことにしたのである。ガーゲシェリフ村の塩分濃度は7%程度あったからもともと難しい地域でもあった。6%を超えると定着してもほとんど成長しないことが観察から分かっていたが,ガーゲシェリフ村の住民達が熱心にアヴィセニアの植林を希望したので選定することとなったのである。管理委員会の中にアヴィセニア植林の担当者が任命された。

 

 

活動の経緯

 ガーゲシェリフ村の植栽地は,第1年目の村民総会で、ヤーイという地区に設けることとなった。

 

植林地を選定.jpg

植林地を選定

 

 

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左二人がWAMMEの職員。右はこの地区の森林局職員

 

 

 苗畑は植栽地の近くに100m2の区画を用意し、これに木枠を3個設け、1つの木枠内で2,000本、合計6,000本の苗を生産することとした。魚による食害を防ぐために周囲を網で囲み、水温の上昇を防ぐために上部に竹で編んだすのこ状のもので日覆を設けた。苗畑用の資材の搬入は当初の作業計画から多少遅れたが、8月下旬から9月初旬に苗畑を設置し、ポットへ用土を詰めた。

  第1年目は2003年であったが,この年の雨期は雨が多く、天然に生えているアヴィセニアの樹木から雨によって多くの種子が落下して流されてしまった。そしてこの周囲にはもともとアヴィセニア林が少なかったため近隣から種子を採取できなかった。このため種子採取にはWAAMEの担当者と管理委員会のメンバーが10月下旬に2,500個、11月初旬に3,500個の種子をジョガン村周辺から採取し、水につけ皮を剥ぐなど前処理を行った後にポットへ播種した。ところが,採取時期が遅れたことと種子が良好でなかったためほとんど発芽せず、うまくいかなかった。

 そこで2年目は計画通りに2004年8月中旬に約6,000種子を採取し、ポットに播種した。

 

ポット苗用の木枠.jpg

ポット苗用の木枠

 

 

日覆いをした苗畑.jpg

日覆いをした苗畑

 

 

日覆い_同上.jpg

同上

 

 

活動結果

 1年目に植林した苗木で生き残ったのはたった43本だった。この周囲に2年目の苗木を植栽したが,その時点でプロジェクトが終了してしまい,その後は不明であるが、塩分濃度が高過ぎ、また維持管理が住民だけでは難しく,ほとんど残存していないと思われる。

 

 

結論

 失敗したのは残念だった。おそらく活着しても成長しないと思われた。それでも1mくらいまで成長すれば、次に述べる柴漬の代わりにはなると思われた。ガーゲシェリフ村のように乾期の塩分濃度が7%程度になる場所はアヴィセニアにしても生育条件としては決して良いとはいえない。

  しかし、アヴィセニアの植林にあたっては、アヴィセニアの天然木がある地域を選定するので、今後の植林にあたっては50cm×50cmの密植、場合によってはそれより密な25cm×25cmの密植により生存木を確保することが最も良い方法と他の地区での植林から分かったことである。それは一度基盤ができてしまえば、その後は、天然更新によってアヴィセニアが増殖していくことが期待できるからであった。

 

 

柴漬け(漁)の導入

 マングローブが消失したサルームデルタの内陸部では、植物性有機物の供給が乏しく、日陰がないため水温の上昇が激しいことが分った。これは水生生物にとって厳しい環境となり、漁場ではマングローブの復旧が求められたのである。

 とにかく、この水域で水産資源の持続的利用をしていくには、漁場環境を改善しなければならなかった。そこで考えたのが柴漬け漁である。柴漬け漁は、木枝を浅瀬に投入することで魚の住処とし、そこを拠り所とした魚を捉える短期的な漁場整備であり、定期的にそこから水産物を収穫することができる。日本では奈良時代以前くらいから行われていたと推定され、今でも行われている漁法である。

  ここでは、マングローブ植林によりマングローブ林が成立するまで柴漬けによりマングローブ林の代替とすることを狙ったのである。マングローブの植林は、マングローブ林が成長することで、植物性有機物と日陰を水産資源に提供する長期的な漁場整備である。ここでは柴漬けの導入は、マングローブと水産資源の密接な関係を住民が再認識できる場を提供することも目的としたのである。

 

漁場を囲っての漁.jpg

漁場を囲っての漁

 

 

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漬けた柴まで泳いでいく

 

 

活動計画

 浅瀬に錘をつけた木枝を投入する。一定期間の間、柴を漬けた周辺での漁獲を禁じ、水産資源の涵養を図ることとした。特に雨期は種々の水産資源が再生産を行う時期なので雨期は、禁漁とした。また、漁業者がかってに入り込まないよう柵で水域を囲い込むことにした。管理委員会は乾期になったら禁漁を解き、その間は定期的に漁を行う。このとき、特定寸法以上の魚は放し、幼稚魚を保護し、将来のストックを確保することとした。

 

 

活動の経緯

 活動は柴漬けユニットの製作、沈設、モニタリングを行うことにした。2003年7月の村民総会で、沈設場所はヤーイ(集落北側の水路、アヴィセニア植林地横)とサンゲ(集落 南側の水路、集落から徒歩40分)に決定された。8月にWAAME担当者と村民がサンゲで製作と沈設を行い、その後ヤーイでの製作と沈設を行った。

  メンテナンスのためプロジェクトの実施中、4回にわたり設置された柴漬けユニットに新たな柴を追加投入した。集まってきた成魚がどの程度が、効果の程度を数か月後に調査した。

 

試験調査で捉えた魚.jpg

試験調査で捉えた魚

 

 

活動の結果

 集まってきた成魚は、柴漬けサイトではティラピア、ボラ、ヒラアジが漁獲され、マングローブサイトではティラピアとボラが、柴漬けもマングローブもないサイトではティラピア、ボラ、ヒイラギが漁獲された。サンゲでの漁獲重量は、柴漬けサイトで3.5kg、マングローブサイトで3.9kg、柴漬けもマングローブもないサイトで2.6kgだった。柴漬けサイトとマングローブサイトが、柴漬けもマングローブもないサイトに比べ、いくぶん漁獲量が多いという結果が得られた。

 幼魚の育成効果試験の結果では、ヤーイでは3.6?6.0cmのティラピア32尾と6.5?7cmのエビ2尾が漁獲された。サンゲでは、6.5?8.5cmのヒイラギ18尾と7.0?8.5cmのエトマローズ6尾が漁獲された。

 この実証試験では、柴漬けサイトとマングローブサイトの有効性が幾分認められ、住民のモニタリングによれば、他の水域で魚がみられなくなった場合でも、柴漬けサイトには年間を通して大きな魚が集まっているという。

 特にサンゲでは寸法の大きなカープ、ボラ、ティラピアがみられ数量も多い。ヤーイではティラピアの幼稚魚が数多くみられた。ヤーイで成魚試験を行った時にも、数多くの幼魚が網具を抜けていったのを視認したし、マウスブリーディング中のティラピア親魚の漁獲を確認した。これらのことから、柴漬けユニットの幼稚魚育成効果は非常に大きいことが明らかとなった。

 

  しかし、住民間で柴漬け漁の効果が大きいことが広まったためかこの村以外の外部の漁民が柴漬けサイトに連日やって来て漁獲操業することとなってしまった。柴漬けサイトがガーゲシェリフの集落から比較的遠隔地にあることも災いしていた。柴漬けは魚類を集める効果が直ぐにみられるため、マングローブ植林を行わずに、柴漬けのみが一人歩きする可能性が強く、他村民の漁獲操業を規制できないためマングローブ保全という観点からは逆効果となるため、ここで柴漬け漁は中止した。

 

 

結論

 上述したように柴漬けはマングローブ林と同様に水産資源の再生産を行う効果があることが判明し、魚類を集める効果は十分であるが、これを行うために地上の木の枝葉を多く必要とすることや他村民の漁獲行為を防ぐことが困難で、マングローブ林が復旧されずに地上の木の劣化と水産資源の減少をまねく恐れからここでの導入は中止とあいなった。

 

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WAMEが設置したプロジェクトの看板

 

 

 

つづく

 

 

 

【森林紀行No.6 セネガル,マングローブ林調査編】 No.17

森林紀行

バンガレール(Bangaler)村

村の印象

 バンガレール村は,基地としていた町フンジュンから車で南東に向かい,ジロールという町からタン(塩分が集積し,白くなり,植生が侵入できない土地)を通る道を北西に戻るように下って,サルーム川の支流近くにあり,奥まった所に位置する村である。

 

 

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バンガレール周辺の地図

 

 

 

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バンガレール村周辺の航空写真

 

 

 バンガレール村は,パイロットプロジェクトを行った村の中では最も貧しい村の一つだった。痩せて栄養失調と思われる人が多かった。上半身裸で働いている娘さん等もいたが,若いにもかかわらず,胸が垂れていて,やはりタンパク質を含む食料に乏しいのだろうと思わされた。

 

 しかし,我々が村にいくと大歓迎してくれ,昼にはいつもおいしいチェブジェンをご馳走してくれたものだ。もちろんお礼はするのだが。また,どの村でも休憩の時にはお茶を入れてくれたものだが,ここでとの飲み方はやかんでお茶を煮たたせ,物凄く濃く苦くして,それにたっぷりと砂糖を入れ,とてつもなく甘くしたものだった。

 

  こういった村には我々もより闘志を燃やし,何か村のためにやってやろうじゃあないかという気持にさせられたものである。人口は400人以上だったので,この周辺ではそんなに小さい村ではなかった。

 

 

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ワークショップ

 

 

 

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バンガレール村の村内

 

 

 

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バンガレール村でご馳走してくれたチェブジェン

スンバラで酸っぱくしたご飯の味が懐かしい

 

 

 

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同上 バンガレール村のチェブジェン

 

 

 

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お茶 甘くて苦い 茶の葉を煮たたせる

 

 

 

村での活動

 バンガレール村で行った活動は,リゾフォーラの植林,村落林の造成,家庭用改良かまどの普及である。

 

 

リゾフォーラの植林

 バンガレール村での植林地は,我々がこの仕事を委託していたWAAME(西アフリカ海洋環境協会)の技術者が植林候補地を選定していたのだが,村民総会で植林地を最終的に決定した。バンガレール村周辺は,塩分濃度が5%近くと高いので,リゾフォーラの樹高も3m程度とそれほど高くないので胎生種子(樹上で発芽し、根を伸ばし,鉛筆のように10-20cm程度になり地上に落ちて成長する種子)も大量に採取できなかった。

 そのため、WAAMEの担当者がリゾフォーラの樹高も高く,胎生種子が大量に採取できるバガダジという地域で良好な種子を採取し,7,000本をバンガレールに運び、1m×50cmの間隔で8月下旬と9月中旬に植栽した。

 植林本数が少なかったため,11月中旬にWAAME 担当者がもっと植林するため修正計画を立て植林しようとしたが、種子採取適期を逃したため良好な種子が十分に採取できず、5m×20m(100m2)の区画に植栽間隔25cm×25cmと密植で,1,600本を植栽した。

 

  バンガレールでは多くが死滅してしまい,活着率が悪かった。それでも住民の植林への継続意思が強かったため、我々もWAMMEの担当者をより指導して,植栽時期と場所を慎重に選定するということで2年目も同様に植林することとした。植林参加者は男性がやや多かったが,男女合わせて毎年約100名が参加した。

 

 

活動結果

 バンガレールでは,1年目の植林木の生存率は8.7%(8,600本植栽し、750本生存)で、多くが死滅してしまった。これは植栽種子が良いものだと思われが,それほど良好なものではなかったことと、植栽地の地盤高が高く海水に浸る時間が短く、砂地の場所に植栽したことだった。しかし、生存しているリゾフォーラには活力があったので、そのまま成長し、わずかな面積ではあるがそこを中心に天然更新によって周囲にリゾフォーラが広がる可能性があると思われた。

 

  2年目は良好な種子を採取し、50cm間隔で7,000本、25cm間隔で16,000本を、地盤高がやや低い場所,つまり海水に浸る時間が長い場所で、泥土の場所に植栽したので成功すると思われたが,そこでプロジェクトは終了した。

 

 

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リゾフォーラの植林 2年目の植栽

 

 

 

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リゾフォーラの植栽

 

 

村落林造成

 マングローブ林保全のため,マングローブ材の代替材供給が必要となることから村落林造成を計画したもので,バンガレール村の村落林の位置は、計画策定ワークショップで候補地が選定され、村民総会で、チオラサルという地区に最終決定された。

 植栽樹種及び本数は Eucalyptus camaldulensisが150本、Acacia melliferaが100本、Prosopis julifloraが200本、 Melaleuca leucadendronが200本だった。

 植林地は将来の拡張も考慮して面積は3haを確保したが、1年目の植栽面積は0,5haで囲いを設置した後、8月下旬に植栽した。

  苗木は森林局のフィムラの苗畑から運んできた。混植し,下刈りが遅れたが11月初旬には約60%の面積に植林した。中間段階で見直したが,乾期になると家畜の侵入による食害のおそれがあるため有刺鉄線を張った。

 

 

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村落林の囲い

 

 

 

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村落林で植栽したユーカリ

 

 

 2年目は村落内に苗畑を作り,苗木を供給したが、必要本数に達せず不足分はWAAMEが調達してきた。植栽樹種は1年目と同じ樹種としEucalyptus camaldulensisを300本、 Melaleuca leucadendronを140本、Prosopis julifloraを160本、計600本を植栽した。

  植栽地周囲にはAcacia mellifera300本を2004年8月に植栽した。1年目の参加者は男性のみ約50名が,2年目は男女約50名が参加した。

 

 

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住民による苗畑

 

 

活動結果

 バンガレールでは1年目の植林木の生存本数と生存率は2004年9月時点では,Eucalyptus camaldulensis 174本(87%)、Melaleuca leucadendron 34本(68%)、Prosopis juliflora 164本(82%)、 Acacia mellifera 94本(94%)とかなり良い成績だった。

 2年目の植林木の生存率は 2004年9月時点ではEucalyptus camaldulensis 218本(73%)、 Melaleuca leucadendron 101本(72%)、Prosopis juliflora 151本(94%)、Acacia mellifera 259本(87%)とこれもかなり良い成績だった。

 

 村落林造成では植栽樹種として薪材、建築用材等として新規導入樹種やユーカリなどを植林したが,最も生存率が高く、植林が成功する可能性が高いのはユーカリだった。このためEucalyptus camaldulensisを中心に植栽し、囲い用の樹種としてトゲの多いAcacia melliferaを植栽していくことが良いとこのときは考えられた。

  しかし、その土地にもっと適した樹種もあるだろうし、またカシューなどナッツの販売収入が期待できそうな樹種もあり,その後は村の必要とする樹種をもっと調査して、適木を植林していく必要があった。

 

 

家庭用改良かまどの普及

 これは,マングローブ材を家庭料理用の燃料として消費しているので,熱効率の良い家庭用の改良かまどのを導入し,また普及を図り、マングローブ材の消費を減少させるために行ったものである。

 

 

活動計画

家庭用改良かまどの普及が,ある程度成功しているムバム村とマルファファコ村の住民を講師として養成し、同時に、両村のかまどと同じような形のものを、普及していくことを計画したのである。

バンガレール村では,この2村の住民講師が、かまどの作り方の研修を実践形式で行うこととし,研修後は、ムバム村住民講師とWAAMEが定期的にモニタリングし,バンガレール村でも住民講師を養成する計画とした。

 

 

活動の経緯

 今まで,バンガレール村周辺では,様々な海外の支援によって家庭用の改良かまどの導入と普及が図られてきたが、定着しなかった。これは1.村落あたりの技術習得者数が少ない,2.研修後のフォローアップがなかった(特に、雨季後),3.かまどの構造が複雑であったり、鋳型が必要であったりし、再作成が難しいなどという理由が考えられた。

 

 そこで,村レベルで15-20人程度の住民を対象にして、単純な構造のかまどの普及を図り、普及後のフォローアップにも力を入れることとした。

 

 実際の件数では、先にムバム、マ ルファファコ両村の住民講師を3名づつ養成しておき,彼らがバンガレール村での普及研修を行った。研修後は、ムバム村の住民講師やWAAMEが定期的にモニタリングを行った。

  バンガレール村ではかまど使用者の住民やWAAME担当者のアイデアによって、金属支柱があるものとないもの,また三ッ石で支柱があるものの3タイプのかまどを普及することとした。 缶など身近な材料を用いた炊き口補強の方法も研修で伝達した。

 

 

活動結果

 周辺の村にも普及を図り,2004年6月末までに、7村で140名の女性が研修に参加し、107 台のかまどが研修時に作られた。研修後も、住民よる村内での普及活動は続き、158台が新たに作成され、7村で合計265台が作られた。

 8月末の時点で、雨季の暴風雨により20台のかまどが破損した。使用者によれば、改良かまどの利点は、1.薪の消費量の減少、2.料理時間の短縮、3.煙の減少、4.台所が清潔で安全になった、5.木炭が作れるなど多岐にわたっていた。

  1.の薪の消費量については、改良かまどと従来型の三ッ石かまどとの比較試験では、30%薪の消費量が削減されるとの結果が得られた。使用する女性たちへのインタビューでは、「消費量が3分の1から2分の1以下になった」と答える者が多く、使用者が感ずる薪の削減量は試験の結果を大きく上回っており、 「薪の消費量激減」の実感が普及に拍車をかける要因となった。

 

 

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家庭用改良かまど

 

 

 

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家庭用改良かまど

 

 

 

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手前が従来の三ッ石かまど

 

 

普及できない改良かまど

 ところが,数年後にこの村を訪ねたところ,改良かまどが壊れたら,修理もしないで,ほったらかしで,元の三ッ石かまどに戻っている。元の木阿弥である。やはり,簡単な方が良いのだろう。おそらく村人は改良かまどの必要性を感じていないのだろう。彼らの心からそういうものが必要だと感じなければ普及は難しいのだろう。今まで援助団体が何度も失敗しているのでやはり定着させるのは難しいのである。普及させるには,活動家が,1世代をまたいで常駐して,いつも村人を指導していれば,子供達はまた自分の子供達にその技術を伝えていくのではないかと考えさせられた。

 

 

車がはまる

 バンガレール村に行く時など川沿いの道を走る。特に雨期だと土が柔らかく,またタンなどを走る時も上手に走らないと,ときどき柔らかい土にはまってしまうことがあった。ここで,タンにはまってしまった時は車輪を回すたびに段々と深みにはまっていき,タイヤが空回りするようになった。

  しかたがないので,馬で荷台を引っ張ってる人を見つけ,荷台の後ろに乗せてもらい,ソコンにでた。ソコンから別のグループに連絡し,もう一台のランドクルーザーに助けに来てもらい,ロープで引っ張ってもらいようやく車を引き上げることができた。一日がこのためにつぶれてしまった。

 

 

水路沿いの泥炭地のような道路.jpg

水路沿いの泥炭地のような道路で,はまってしまった車

 

 

 

つづく

 

 

 

【森林紀行No.6 セネガル,マングローブ林調査編】 No.16

森林紀行

ソコンカキ組合

ソコンの位置

 ソコンカキ組合は文字通り,ソコンの町にある。ソコンに向かうには,我々が基地としていたフンジュンからは,車で東に向かい,パッシという比較的大きな町にでて,そこから南のトゥバクータ方面に向かう。ソコンは,パッシとトゥバクータとのちょうど中間くらいにあり,この周辺では比較的大きな町である。フンジュンから約1時間といったところである。

 

 

ソコンカキ組合で行った活動

 ここでは,主に水産関係の活動を行い,普及啓発や環境教育も行った。この町ではマングローブカキの採取が盛んなため,それらの関係者によるカキ資源を保護するための漁期の設定などの合意形成のため天然カキ資源管理手法を導入したり,カキの養殖を試みたり,またカキ採取のために手足を保護する地下足袋や手袋の作製を行った。また普及啓発・環境教育では組合による文化・スポーツ活動と連携した啓発活動を行った。

 

 

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ソコン周辺の地図

 

 

 

ソコン周辺の航空写真_1806.jpg

 

ソコン周辺の航空写真

 

 

 

天然マングローブカキの資源管理手法の導入

 マングローブカキの取り過ぎを防ぎ,持続的に利用しようというのが目的である。マングローブカキはリゾフォーラの足に付き,マングローブの生態系へ大きく依存し生息している水産資源である。マングローブカキを採取し,販売することが,即現金収入に繋がるため,採取圧力が年々と増し,漁場が村から遠くなったり,採取されるカキの寸法が小型化してきていた。

  これまでも雨期には,カキの採取を休んだり,休漁区を設けたということだったが,そうした取り組みは,それまで村単位で行われてきたため,他の村から採取者が入り込み,休漁期や休漁区を破って採取し,村単位での規制はうまく機能しない場合が多かった。そこで,ソコンカキ組合を構成する4村全てを対象として,全村が規則を守るという合意形成によって,カキ資源を守るという管理手法の導入を試みたのである。その4村とはメディナサンガコ, バンブガールエルハジ, サンディコリ,スクータという名の村だった。

 

 

 

住民ワークショップ1806-1.jpg

 

住民ワークショップ

 

 

 

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住民ワークショップ

 

 

活動計画

 いくつかの管理対象とする漁場を選択し,休漁と決めた漁場では,カキが十分に成育するために必要な1年半の間を禁漁期とすることとした。その他の漁場は,輪番制で禁漁としていくシステムを構築していく計画を立てた。

  そのため管理対象となる漁場を利用する全ての人びとが参加者するカキ資源会議を開催し,会議ではカキ資源の利用と管理に関する共通のコンセンサスを築く場とすることとした。また,カキ採取時の操業日誌の記帳を励行し,効果的な資源管理に活用することを計画した。

 

 

活動組織の確立

 すでに機能していた組合執行部を統括組織として,その下に天然カキ管理委員会を設け,組合員,非組合員を問わず 関係者の連絡,調整体制を整えた。

 

 

活動結果

 休漁漁場を法令化する手続きは煩雑で,住民だけで進めていくのは困難だったのでUICN(世界自然保護連合)の指導の下で行い,県知事も署名し,公的にも正式に認められるものとなった。それでも休漁開始当初は,休漁漁場でもカキを採取する違反の採取者が少数は認められた。しかし,その後,休漁を示す看板を各漁場に立てて以降,違反採取者は見られなくなった。

  しかし,カキ組合員による操業日誌は2村で記載されたものの,他の2村では実行できなかった。やはり物事をきちんと記録していくにはまだ難しい点があった。また,今後休漁漁場が転換する時点で,UICNが行った県知事への届け出をソコンカキ組合が自立的にできるかどうか,ずっと継続していけるかがこのシステムがこの地で根付くかどうかが課題として残った。

 

 

天然マングローブカキの養殖普及

 調査地域に含まれるのであるが,サルームデルタのやや北にあり,プティットコートと呼ばれる海岸線の町,ジョアルという町では天然マングローブカキの減少により,天然カキ採取から養殖カキへ生産への転換が進んでいた。

  一方,サルームデルタではそれまで天然マングローブカキが豊富にあったため,本格的に養殖へ取り組んでいなかった。しかし,サルームデルタでもカキ漁場が村から遠くなり,寸法が小さくなる傾向があったため,上で述べた資源管理方法とともに,住民が手軽にできるカキ養殖の普及が必要だった。そのため,カキ養殖を試みたのである。

 

 

活動計画

 上述したようにソコンカキ組合の4村を対象に,ギルランド(垂らした糸にカキを付着させる方法)とスレート板を用いた天然採苗と幼貝の地蒔き養殖試験を行うことした。養殖場では,一部を住民に開放し,住民自らがカキ養殖を行う場を提供し,我々の仲間であるカキ養殖専門家による定期的なコンサルティングの機会を提供することとした。

 

 

活動の経緯

 最初の年は,バンブガールエルハジ村とメディナサンガコ村に簡易な地蒔き養殖場を設置し,UICNの担当者とカキ組合担当者が地蒔き幼貝の採取と計測をした。計測の結果,地蒔き後20日で4?5mmの成長がみられ,順調な生育状況が確認された。

 

 

 

地撒き養殖場の遠景.jpg

 

地撒き養殖場の遠景

 

 

 

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地撒き養殖場

 

 

 

地撒き養殖.jpg

 

地撒き養殖

 

 

 また,1年目にバンブガールエルハジ村とメディナサンガコ村には,ギルランドとスレート板による天然採苗も行った。

 2 年目はサンディコリ村とスクータ村に簡易養殖場を設置し,全4村でギルランドとスレート板による天然採苗を行った。

  天然採苗では,ギルランドのカキ殻1枚あたり平均5個の稚カキが付着し,1.5?2ヵ月が経過した段階で2?3cmに成長した。スレート板には約200個/枚の稚カキが付着し,1.5?2ヵ月経過の段階で3?5cmに成長していた。

 

 

 

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ギルランドによる養殖

 

 

 

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ギルランドによる養殖

 

 

 

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スレート板による養殖

 

 

 

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スレート板による養殖

 

 

 

養殖試験の結果

 次のような結果から,ギルランドによる養殖は,この地で成功する可能性が高いと判明した。

 

・ギルランドで採取された稚貝(メディナサンガコ約5,000貝,バンブガールエルハジ約7,000貝)は,その後比較的順調に生育した。

・スレート板で採取された稚貝(メディナサンガコ約4,800貝,バンブガールエルハジ約6,000貝)は,その後,熱の影響や食害のため多くが死滅した。

・ギルランドでは地盤から15?65cmの高さで稚貝の付着と成長が良い。

・屋根による日陰効果は高い。日陰のない場所では死亡率が高くなる。

・地蒔き養殖場は水流の影響が少ない場所が適地となる。

・地蒔きする前に,地盤に貝殻を敷くなど基礎を固める必要がある。

・食害の影響は場所により異なる。

 

 

課題

 地蒔き,ギルランド,スレート板の3方法では,ギルランドを用いた垂下式養殖がもっとも成功した。住民もその点で自信を深め,垂下式養殖は普及の段階に入ったように思われた。住民自身の手により,ギルランドを用いた垂下式養殖をさらに押し進め,サルームデ ルタ内の他地域へも普及する必要があるというのが課題として残った。

 

 

類採取用防具の自給(地下足袋・手袋製作)

 ムンデ村で行ったのと同様な方法でソコンカキ組合でも地下足袋,手袋を作製した。ソコンカキ組合では組合執行部がすべての活動の統括し,地下足袋・手袋の製作は組合内で製作責任者が任命され,この責任者が製作技術の普及を実施した。 

 1年目に4回,2年目に4回の製作講習会を実施し,1年目は講習会の対象者が組合のメンバーだけに限定された反省から,2 年目の講習会 は組合員,非組合員を問わず参加者を募った。 

  ソコンカキ組合では,カキ漁場の多くで泥が深いため,かかとがはずれやすいという問題点があった。そのため足袋底部の補強や足袋底材料の転換,紐の締結方法の改善などを進める必要性が生じたが,その後は住民の自主的な活動にゆだねた形となった。

 

 

スポーツ・文化活動と連携した啓発活動

 ソコンカキ組合では,民俗芸能公演時やスポーツイベントの表彰式などで,我々のこの活動を紹介し,マングローブやカキ資源の重要性を訴えることとした。

  一番の活動は,組合を構成する4村の合同サッカー大会時であり,この時に啓発活動を併せて行った。そこでは組合と各村の若者青年団との連携が強化され,サッカー会場となったサンディコリ村では,若者が中心となりリゾフォーラ植林も実施し,マングローブを保護するという住民の意識も高まった。サンディコリ村では,劇団結成の希望はあったが結成までには至らなかった。

 

 

 

つづく

 

 

 

【森林紀行No.6 セネガル,マングローブ林調査編】 No.15

森林紀行

ムンデ(Mounde)村

ムンデ村の位置

 ムンデ村は,No.12で書いたジルンダ村に入る水路をもっと奥へ(南へ)3?4kmほど進み,そこから細い水路を西へ約1kmほど行ったところにある村である。ジルンダ村へはフンジュンからボートで1時間半くらいサルーム川を河口方面に下った場所にあり,ムンデ村はそこから約30分である。

 

ムンデ村周辺の地図.jpgムンデ村周辺の地図


ムンデ村周辺の航空写真.jpgムンデ村周辺の航空写真

 

 

ムンデ村の印象

 この当時ムンデ村の人口は約1,300人で,ジルンダ村とほぼ同じくらいの人口があり,島の中にある村ではやや大きな村だった。ムンデ村への入り口は二つあり,一つは船を降りてから村まで1kmほど歩くのだが,村の入り口に別の小さな集落があった。小さな集落なのでムンデ村に合併させてもらえば良いのにと思ったが,やはり村の来歴などが異なるので独立して生活せざるを得なかったのであろう。ムンデ村には,厚く貝が積もった貝塚などもあり,今から千年くらい前,あるいはもっと以前から人が住んでいたのだろう。

 

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ムンデ村の入り口にあった小さな集落にて

 

 

桟橋

 村の手前に桟橋があり,水路の上に足場を組み,幅2mほどで約200mの長さに板を並べたものだった。これが老朽化しており,ところどころ板が浮いたりしていたので,この調査が終わった後に行ったプロジェクトの時に,大使館に草の根無償で援助してもらい,桟橋を付け替え,村人には随分と喜ばれた。

 

ムンデ村の入り口にある桟橋.jpg

ムンデ村の入り口にある桟橋

 

 

水路に突き出したトイレ群

 水路沿いにはトイレが突き出して並んでいた。それは魚のエサになったりで合理的ではあったが,不潔でもあった。また,その周囲はゴミ捨て場になっていてポリ袋が散乱していて,とてもきたなく見えた。ここもまた,この調査の後に行ったプロジェクトで,エコツーリズムで人を迎えるには汚くてはダメということで,掃除日を設け掃除をすることにより,きれいになった。

 

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ゴミ捨て場となり汚く,桟橋の横の水路に突き出したトイレ群

 

 

村によく泊めてもらった

 村全体としては落ち着いて見え,人々も我々を大歓迎してくれた。パイロットプロジェクトが始まってからはよく,民家に泊めてもらったが,蚊が多くマラリアを心配しながらも沢山の蚊に刺されざるを得なかった。民家の人が使っているベッドを空けて泊めてくれるということが多く,すごいもてなしをしてくれたのだった。全体にどの村も朝が遅いので困ったが,ムンデ村は特に遅かった。私の感覚だと田舎の人は早起きで明るくなったら起きるのだろうと思っていた。特に赤道近くなのですぐに暑くなるので,朝涼しいうちに働くのだろうと思っていたが,起きるのが遅く朝食が終わるのが9時くらいになってしまうのだった。急かせても仕方がないのでのまあ郷に入っては郷に従っていた。

 

 

お互いのいびきがうるさい

 また,ある時,民家の土間にマットレスをひかせてもらい,泊めてもらった時があった。この時は,同僚2人と私と3人でごろ寝をした。良く寝たのだが,疲れていたせいか,皆いびきがうるさく,お互いのいびきで目が覚めてしまうのだった。朝起きて,「お前のいびきすごかったよ。」,「いやお前の方がすごかった。」と3人が3人とも他の二人に向かって言い合ったのだった。

 

 

ムンデ村で焚火

 泊めてもらった朝など寒い時があった。アフリカで焚火をするとは思わなかったが,北緯11度くらいに位置しているので,冬にあたる1月でも日中は35℃くらいにはなり,かなり暑いのだが,朝晩は10℃近くまで気温が下がることもあり,焚火で暖をとったこともあった。

 

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ムンデ村で焚火(2004年1月22日)

 

 

村長

 村長は温厚な方で,60代後半くらいに見えた。イスラム教で奥さんを4人まで持てるので,同年代くらいの方からとても若い方までそろっていた。それらの女性達がとても仲良く,協同で働いていた。特に貝取りやカキ取りで協力体制が必要なので,必要がそうさせているのだろうと思わされた。

 

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村にあるイスラム寺院

 

 

プロジェクト活動

 プロジェクト活動は4つの分野で行った。森林分野では養蜂支援活動を行った。村では伝統的な手法で養蜂活動を行っていたから近代養蜂で生産力を上げようとしたのである。水産分野では貝を加工する際に付加価値をつけてより収入を上げるという活動を行った。観光分野ではエコツーリズムの導入である。それから普及啓発と環境教育でこの村をモデル村として他の村からの住民を見学させ,いろいろな活動の普及を図ったのである。

 

 

養蜂活動の支援

 ハチミツ生産はすでに村内や周辺村で伝統的方法やUICN(世界自然保護連合,ここも委託先として活用していた)が支援して,養蜂箱が配られたりして養蜂活動をしていたのだが,面布など防護服が不足していたので,養蜂用保護面布の作成活動を村人がワークショップで選定したのである。

  そこで,養蜂用保護面布作成講習会を年に4回行い,その都度,村落の住民を10人選んで行ったのである。村では村落開発委員会の下に地下足袋・手袋・面布作成委員会が作られた。

 

 

講習会

 面布作成の講習会は1年目も2年目も4回行った。参加者は最初、地下足袋・手袋・保護面製作委員会のメンバーが中心であったが、徐々に一般村民も参加するようになった。講習会参加者の技術吸収度は高く、面布作りは、住民が帽子の下を2段蛇腹にし、息苦しさを減じたり、野球帽と組み合わせたり工夫し、独自の改良を加えるようになった。住民の能力の高さはあなどれないと思ったものである。

 何かを行うというきっかけとかアイデアが自分で最初に浮かぶかどうかの差があるが,アイデアを与えれば様々に発展していくものだと思わされた。アイデアが浮かばないのはいろいろなものを見たり経験がないから知らないだけで,知識が集積すれば彼らも我々と同じ様に色々なアイデアは浮かんでくるのだろうと思った。

  研修会を4回実施して,その結果を受けて村民達は自発的にいくつかの改善策を提案するなど,活動は自発的に進められるようになったのは我々としても最もうれしいことの一つであった。

 

 

活動の結果

 養蜂用の保護面布と貝類採取の手袋・地下足袋を製作する講習会では、1年目,2年目とも約20個の保護面布が製作されたが、実際には住民が自発的にさらに多くの面布を製作、活用していた。当初製作された保護面布で蜂に刺された経験から、面を防護服(地下足袋、手袋付き)に一体化させた“ムンデモデル”まで考案するに至った。

  住民達は面布作りをマスターし、住民自身で製作を継続していくことが可能となり,その製作技術をマスターした住民は他村民への普及も可能になるまで成長したのである。

 

ムンデモデルの養蜂用防護服.jpg

ムンデモデルの養蜂用防護服

 

 

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ワークショップ

 

 

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改良型の面布

 

 

貝類の加工製品の付加価値を向上させる活動

 これは水産分野の活動であるが,前にも記したようにマングローブ地帯では,海や川にマングローブの葉が落ち,分解し,栄養分となりプランクトンが増えると魚も増え,また貝類も増え,それを食べる鳥も増え,生態系の頂点に立つワシ,タカ類も増えるのである。このあたりでは,サルボウガイ、マングローブガキ、ミュレックス、シンビウムなどと言われる貝類が多く繁殖している。

 島内の女性達は,これらの貝類を採取し、加工し、販売している。これらは住民達の重要な収入源となる経済活動となっている。女性達は貝類を採取した後に、煮沸あるいは発酵過程の後に乾燥させて販売している。この煮汁はただ捨てているのでもったいないと思うものの,煮汁を捨てるのはそのままにしておいた。

 加工した貝は重さ単位で売買されており、加工のための労力が投入されているにも関わらず、販売単価は低かったので,これらの加工の工程の改善を図り、品質の高い商品を生産し,新規な商品開発と新たな流通ルートを開拓することで,貝類製品の付加価値を高め、住民の収益を増やし,生活の改善を目指したのである。

 貝製品の生産を量から質へ転換を図ることで、女性の労力を軽減し,同時に貝類資源への採取圧力を抑制することを目指したのである。採取圧力ということでは,貝を取る籠の網目を大きくし,小さいものは取らないようにもした。

  さらに,将来はこの 販売収入の一部を環境基金として積み立て、これを用いて村落林を造成することなど貝加工用の薪をマングローブ薪から植林木への転換をも意図したのだった。

 

 

活動の実施

 活動統括組織としては村落開発委員会が設けられ、その下に水産物加工委員会が設置され,この委員会が主体となり活動した。

 活動として加工用設備の整備、貝加工の改善と開発商品の生産と販売を行った。貝加工設備の設置場所は村内のニンドールといわれる場所にすることが村民総会で決定され、浄化台、乾燥台、簡易燻製かまどが2004年1?2月に設置された。これらの設備を利用して、サルボウガイを加工する前に浄化することで、サルボウガイが体内に含んでいる泥を除くことにしたのである。それに、従来のものより背の高い乾燥台を作り,日干し乾燥中に風で運ばれる砂ぼこりの混入を防いだのだった。これは少し作業性が悪くなったかもしれないが,砂ぼこりの混入は相当に防いだ。

  カキ燻製品は同じように浄化したマングローブガキを燻製装置に入れて加工することで、薫り、見た目、味 の三拍子がそろった新商品を開発することとしたのである。

 

 

活動の結果

 サルボウガイの浄化製品は、25g、50g、100g毎に包装し、ラベルをつけてダカールの市場に女性達が行き,販売した。日本でも落花生売りのおばさんがかごを担いで都会まで売りに来て売るような感じであるが,ダカールでは市場である。

 ここでは従来の販売価格より40%ほど高く売ることができて製品の付加価値付けが実現できた。加工方法など製品の質の高さをもっと宣伝できれば,もっと高く売ることも可能だと思われた。新しい製品は砂と泥が取り除かれた商品に仕上がっており、購買者の評価も上々だった。しかし,この辺りの人はそのあたりの価値がはっきりわかるまでは,もっと多くの販売をしてからのことだと思われた。私もこの貝を買っていつも食べていた。

  住民達は加工改善と商品開発のための加工技術を習得することはできたが,販売のための包装資材やラベルの手配、販売プロモーションや流通ルートの開拓は、住民だけではできなかったので,やはりこの村でこの仕事を担当したUICNなどの支援が依然必要だと思われた。

 

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貝類を網に入れて砂・泥抜きをする

 

 

ニンドールの水路に網をつける.jpg

ニンドールの水路に網をつける

 

 

砂が混入しないように貝の干し台を高くした.jpg

砂が混入しないように貝の干し台を高くした

 

 

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完成した干し貝の新製品

 

 

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ムンデ村周辺で採取したカキ

 

 

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町の鉄工所で作らせた鉄製のカキ燻製用カマド

 

 

 

貝類採取用防具の自給(地下足袋・手袋製作)活動

 島に在る多くの村で、女性達はカキ採取に従事している。このとき、カキ殻の端先が鋭いため、これでひっかき女性の手足には怪我が絶えない。これまでは手に古布を巻き、足にはソックスを二重にはいて紐で固定していた。しかし、カキの鋭い端先から手足を完全に守ることはできなかったので,マングローブの根から伐ることでカキを採取していた。それがマングローブ資源の減少に一役かっていたのである。

 そこで、手袋・地下足袋をつけることによりマングローブの根を伐らないで済むようにしたのである。手袋や地下足袋を身の回りの素材で安価に製作できる方法を考案し、それらを村で自給することとした。

 手袋は容易なミトンタイプ(親指だけが分かれているもの)とし、手のひらの部分に厚手の布地を用い,地下足袋は、安価な古着生地や米サックをブーツ状に縫製し、ゴムサンダルを足袋底に貼り付け、締め付け用の組紐を装着することで製作することにした。

  これにより、マングローブの根を直接伐採しなくともカキが採取できるようになり、さらにマングローブ林を保全することができるようになった。

 

 

活動の実施

 ムンデ村では手袋・地下足袋の製作講習会を1年目に4回、2年目に4回実施し、この時に約100の手袋と地下足袋が製作された。実際に住民が自発的に製作したものを含めるともっと多く相当数に上る。

 

 

活動の結果

 ムンデ村では、泥の深い場所でも地下足袋が泥にとられないような地下足袋とズボンの一体型、地下足袋の底を強化するタイヤや木板を使用したり、手袋ではミトンタイプから5本指手袋への変更など、住民自らの多彩な改良がみられた。住民は自ら資材を購入し、独自の手袋や地下足袋を作り始めた。そして用途も貝類採集ばかりでなく、農作業など多岐に広がり,地下足袋・手袋の使用は住民の実生活に定着し始めたのだった。別な効果として,子供達も地下足袋を履くようになり,遊んでいる時の怪我も減ったという効果も見られた。

 

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ムンデ村での地下足袋。手袋作成講習会

 

 

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改良型地下足袋

 

 

エコツーリズム導入

 ムンデ村にもダシラメ・セレール村で記したのと同様のエコツーリズムを導入した。村落開発委員会の下にエコツーリズム委員会が設置された。

 

 

エコルートの設定

 ムンデでは、いくつかの候補ルートがあったが、所要時間や安全性を考慮して、村の発祥地→村の歴史的な場所→貝塚→昔の会議開催地→入江の小さな乗船場→(水路)→村の船着場、というコースをエコルートとしたのである。エコルート探索後は,近辺の水路でカヤック遊びもできるようにした。

  村の歴史を聞いていると面白く,何百年も前のことだが,最初の住民がここにきて住み始め,後に来た人達との争いになり,後から来て負けた人達が隣の島に住み着いたといったことだが,こういったことが口承されているというのは世界中どこにでもあることなのであろう。

 

 

活動の結果

 ダシラメ・セレール村で記したように,馬車はフンジュン市で、カヤックはそれぞれの村の船大工が製作し、装備した。ライフジャケットは、別のパイロットプロジェクト村で製作している製品を配備した。土産物品も試作品を製作した。エコルート代金は,この当時の金額で5,000FCFA (約8ユーロ),約1,000円くらいを想定していた。実際にはこのプロジェクトの期間ではあとわずかで開業できるという段階までだった。うまくいけば将来はエコヴィレッジという構想も持っていた。

 

村で作製したカヤック.jpg

村で作製したカヤック

 

 

導入した馬車と馬.jpg

導入した馬車と馬

 

 

普及啓発・環境教育

 ムンデ村が,簡易に手作りでできる「保護用面布・地下足袋・手袋」などを作製していることから,この技術を周辺の村に普及して,住民がマングローブを中心に自然資源を自ら管理し,また様々な生活を支える生産活動をバランスよく行われるようになることを目的として行ったものである。

 

 

普及活動の実施

 我々の活動期間中にムンデ村では2回ではあるが,周辺の村の住民の受入れ研修を行った。中身は?住民によるパイロットプロジェクト活動やその他の自然資源管理活動の紹介,?マングローブ保全活動を経験する小セミナーの開催,?「家庭用改良かまど」や「保護用面布・地下足袋・手袋」の作り方の研修だった。

 ムンデ村では村落開発委員会の下に設置された「訪問受入れ委員会」が、中心になり、宿泊と食事の手配や準備、活動紹介、技術研修など異なる役割を住民間で分担し、全村をあげての実施となった。

  ムンデ村では2回の研修で,周辺の5村,計30名の住民を受入れた。「養蜂用保護面布、地下足袋、手袋作り」研修は,住民が講師となり行った。

 

 

活動の結果

 研修を通じて、村落間の情報交換が促進され,周辺の村とのつながりが強化された。受入れたムンデ村の住民にとっては、自の活動を紹介することにより、村や活動に対する誇りや自信が高まった。招待された他村の住民にとっても、マングローブの保全活動、養蜂、貝加工の改善等のマングローブ資源を活用した「新しい経済活動」を見聞し、体験する場となった。

  その後、招待した村の全部から「養蜂用保護面布、地下足袋、手袋作り」研修実施の要請があった。それでムンデ村の住民講師が4村9名にフォローアップ研修を行うというかなりの成果を得た。確かにこういった交流の機会を設けたことは,住民間の刺激になり,普及・啓発としてとても良い活動だった。

 

 

 

つづく

 

 

 

【森林紀行No.6 セネガル,マングローブ林調査編】 No.14

森林紀行

マールファファコ(Mar Fafaco)村

マールファファコへの道

車で行く場合

マールファファコ村は、調査地内では北西に位置している。基地としているフンジュンから車で,この村に行く場合は次のようだった。

まず,フンジュンの渡し場のハシケでサルーム川を渡るのだ。一日数回往復するこのハシケの時間に合わせて行くのだが,川を渡るのに最低でも30分はかかってしまう。ここから北に向かいファテッィクに出て,そこから西に向かいンジオスメネから今度は南に向かいフィムラという町を過ぎ,ようやくンダンガン(Ndangane)という町まで行き,車をここに止めておき,そこからは人間だけが,また船で川を渡るのだった。ここまでフンジュンからはコの字型に走らなければならなかった。これで2時間近くも時間がかかってしまうのだ。コの字の間に沢山の水路が走っているからだ。

 

 

ンダンガンからは馬車

この水路にも昔は多くのマングローブが繁っていたということだが,この当時,北側はほとんどのマングローブが全滅状態で,南に行くにしたがって海に近くなり,塩分濃度が下がるため,マングローブが見えて来るのだった。北側の塩分濃度は6?8%,南側になると6%以下となるのだった。

ンダンガンにはペリカンというホテルがあり,時々このホテルにも泊まった。ンダンガンからボートでマールファファコのある対岸の島に渡り,そこから馬車でマールロッジという村を通り,その先のマールファファコに向かうのであった。馬に荷台を付けた馬車でのんびりと30分以上もかけて行くのであった。しかし,いつも頭の中は着いてからの仕事を反芻しており,周囲ののんびりさ加減とは違い,頭の中はいつも全力で走っているような感じだった。

 

 

船で行く場合

もう一つはフンジュンから船で直接行く方法があった。プロジェクトが始まった初期のころは陸路でンダンガンまで行く方法を採っていたがが,サルームデルタを色々と調べるようになって,船で行った方が時間的に少しは速いことが分り,船で行くようになった。

しかし,サルーム川本流からマールファファコ村へ行く水路に入るのはわかりにくく,船頭もこの水路に入るのを見逃し,通り過ぎてしまってから戻るということも何回かあった。しかし,慣れるにつれ間違いはなくなった。

 

 

 

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マールファファコ村の地図

 

 

 

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ワークショップで使っていた見取り図

 

 

 

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サルーム川からマールファファコ村へ

 

 

 

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ンダンガンの村,ここからマールファファコ村の島にボートで渡る

 

 

 

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リゾートといったニュアンスのンダンガンにあるホテルペリカン

 

 

 

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ホテルペリカンの農場ツアーの馬車料金

 

 

 

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途中で通過するマールロッジ村の建物

 

 

マールファファコ村の印象

調査時点でのこの村の人口は2,000人程もいるかなり大きな村だった。しかし,平らなデルタ地帯に村が広がっていて余裕があり,一軒ずつの面積は広く,それほどの人口がいるようには感じられなかった。

我々の調査団は,歓迎的に受け入れられて,調査後ワークショップを重ねてどのような活動を行っていくか決めたのだった。

 

 

ワークショップ

人口が多いだけ,ワークショップにも沢山の住民が集まった。野外の大きなバオバブの木の下でワークショップを行うことが多かった。村長の力は強そうだったが,ワークショップでは誰でも自由に意見を述べ合い,直接民主主義が根付いているような印象だった。

 

 

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ワークショップで意見を述べる村長

 

 

 

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ワークショップ

 

 

 

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ワークショップ

 

 

村でよく泊めてもらう

ワークショップは,いつも半日以上はかかることが多かったので,その時は村の民家に泊めてもらった。よく泊めてもらった家の方は,セネガル相撲で3位になったことがあるとのことだった。セネガルでは,テレビでこの相撲を中継するくらい人気のスポーツである。その方は,背は180cmには届かないくらいで,それほど高くはなかったけれど,がっちりとした筋肉質でいかにも強そうだった。セネガル相撲の土俵は大きく,相手の背中を土に付けないと勝ちにならないので,試合時間は非常に長いが,村の代表として入賞でもすれば大きな名誉となるのだった。

 

 

子供の井戸汲み

村に宿泊していたある朝,起きると小さな女の子,130cmくらいだろうか,小学校4?5年生くらいにみえたが,井戸からつるべ落としで水を汲んでいた。井戸の深さは10mよりやや深いくらいだったが,そのロープを持って全身を使った動きがしなやかで早く,全く力を使っていないようにも見え,素晴らしい運動能力を持っていると見えた。私も汲んでみたが,単に力だけでなくタイミングが必要で,組む速さは全くかなわなかった。

この天性の運動能力をどこか先進国で開花させれば,オリンピックの何かの種目で金メダルを獲得するのはそれほど難しくはないのではなかろうかと思わされた。この子だけではなく,アフリカ人の多くはそのような素質を持っているのだろうが,開花させられることはなく一生を過ごすのだろうなと思った。

 

 

マールファファコ村での井戸の中.jpg

 

マールファファコ村での井戸の中

 

 

キビの脱穀

こちらではミルとかミレットとか言っていたが,アワやキビのことである。ほとんどの家ではこれが主食となっているようだったが,粉にして蒸して食べていた。我々も随分とこれを食べた。米も主食としている家も多かったが,米はタイあたりからのくず米を我々は食べることが多かった。キビの脱穀の機械はどうしたのだろう。思い出せないが,他の国の援助だったような気がする。

 

 

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キビの脱穀

 

 

村での活動

マールファファコ村で行う活動は,リゾフォーラの植林,それに普及啓発・環境教育だった。マールファファコ村では村落開発委員会が作られた。

 

 

リゾフォーラの植林

この村落開発委員会の下にリゾフォーラ植林委員会が設置された。1年目は、計画策定ワークショップで決定された植林地に2003年8月下旬、リゾフォーラ林で胎生種子を採取し、直ちに計画どおり植栽した。しかし,胎生種子採取には船で村から遠い場所に採取にいかなければならず,住民達は苦労した。20,000本の種子採取及び50cm×50cmと25cm×25cmの密植は住民にはかなりの重労働となった。

2年目も1年目と同様に植林を実施した。植林参加人者は植林委員会のメンバーを中心として1年目は男性10 数名、女性約100名で,女性の参加の方が圧倒的に多かった。しかし,2年目は男性の参加者が上回り、男女で約200人もの大人数が参加した。次に書くように男性の意識が向上したのであろう。

 

 

リゾフォーラの状態

マールファファコでの1年目の植林木の生存率は、2004年9月に90%近くあり,同じ様に植林したジルンダ村と同様に既に樹木間の競争が始まっていて,うっ閉状態近くまで成長していた。

今まで何でうまく行かなかったかというとマールファファコでは,それまでの種子は,浮遊していた胎生種子を使用していたからである。それを我々が技術指導をして、木になって熟した胎生種子を採取し,その後直ちに植栽することとし,また,植栽時期が適切であったことがある。また,冠水時間が適切な泥土の適地を選定し,密植により海水温の高温化を避けることができたことが植林の成功に繋がったのである。

密植は水面に緑が広がり生存率、成長率ともに高いとの印象を与え、植林地は村に近いことから村民に対する展示効果が高く、そのため村民が枯れた場所には自発的に補植するなどマングローブ植林地を守っていく姿勢が広がった。

 

 

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マールファファコ村のリゾフォーラの植林

 

 

 

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マールファファコ村のリゾフォーラの植林

 

 

 

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マールファファコ村のリゾフォーラの植林

 

 

普及啓発・環境教育

多くの住民が参加

環境を保護し,その意識を高めるという意味で,村落の住民に対して少ない費用で,効果的な啓発を行うことができる手段を考えた。そこで,「地域のイベントと連携した活動」や「民族芸能を活用した活動」を組み合わせて普及啓発・環境教育を行うという案に固まった。

具体的に行ったのは,マールファファコ村ではスポーツ大会として相撲大会やサッカー大会である。そのスポーツ大会自体もセネガルで大人気のもので多くの住民が参加した。そして大会後の表彰式で環境保護,特にマングローブ林の保護の重要性を村の住民が行う劇、唄、踊りを通じて訴えた。この劇,唄,踊りは娯楽が少ない住民にとっては,本当に楽しいものだった。

参加者の中には,マールファファコ村の住民だけでなく周辺の村からも多くの住民が参加しており,どの活動にも500人?600人程度とかなりの多くの住民が参加した。

 

 

すぐに活動の成果が見られた

参加者の数や地域的な広がりから、参加者は老若男女,つまりは幼児から老人に渡っていた。啓発活動後も村で,同じような啓発テーマに関する話題が日常的に取り上げられるようになり,この活動は大成功だった。マールファファコでは、啓発活動以降、住民は、環境保全活動,特にマングローブの植林への若者の参加者数が格段に増えた。上に書いたように1年目にくらべ2年目のマングローブ植林に男性の多くが参加したのはこの啓発活動の効果である。

 

この後,周辺の村でマングローブ植林や村落林造成が、自主的な活動として行われるようになった例もある。また、周辺村住民からリゾフォーラの植林技術に関してマールファファコ村に問い合わせがいくつかあったことは我々としてもうれしいことだった。

 

 

 

つづく

 

 

【森林紀行No.6 セネガル,マングローブ林調査編】 No.13

森林紀行

ダシラメセレール(Dassilame Serere)村

 

ダシラメセレール村の位置

 ダシラメセレール村は、調査地の南に位置している。調査地の南はガンビアに接しているため、この村は、セネガルでも南に位置している。調査地内の大きな町のトゥバクータよりやや南にある。この村はセレール族の村のため村名にセレールが付くのだろう。このあたりは、まだ人口は密ではないので、集落が固まっている場所が一つの村となっていて、他の村とは距離が離れている。村間に家が続いていて、繋がっているような村はほとんどなかった。それは土地生産力が低いということも関係しているだろう。漁業はあるものの、多くの人口を養えないといった面も関係していると思われた。

 

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ダシラメセレール村の航空写真

 

 

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ダシラメセレール村の位置

 

 

 

ダシラメセレール村の印象

 調査時点でのこの村の人口は350人程度だった。ボロン(水路)も流れ、マングローブも多く存在し、そして村では村の存在を知らしめるような特徴的な染め物をしたり、UICN(世界自然保護連合)の支援でハチミツ生産をしたり、また、トゥバクータに近く、そこにあるヨーロッパ人向けのホテルで働く者もいたり、何かにつけて活動的な村だった。また、南に位置するほど雨量も多く、この村の雨量も年間800mm程度はあり、チークも800mm以上の雨量があれば、その植林もうまくいくのではないかと思われた。さらに、若者のなかにロシアに留学し、外部の考えを持ち込み、村の発展に尽力すると見られる者もいた。だからこの村でパイロットプロジェクトを行えば、成功する可能性が高いと思われ、パイロットプロジェクトを実施することになったのである。

 

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ダシラメセレール村の景観

(雨量も800mm以上はあり、セネガルでは南部ほど緑が多くなる)

 

 

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雨量はある程度あるが、乾燥地の特徴である太いトゲのある珍しい植物もある

 

 

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近くのボロン(水路)では小魚が沢山採れる

 

 

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UICNの支援の養蜂箱(同じものを我々も他の村で導入)

 

 

村では特徴的な染め物.jpg

村では特徴的な染め物もしている

 

 

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ダシラメセレール村の太鼓

(この辺りの村はどこでもひょうたんの実をくりぬき太鼓にする)

 

 

 

ワークショップ

 パイロットプロジェクトを行った村はどの村もそうだが、数えきれないくらい通った。そしてその都度ワークショップを行っていた。小学校の教室を借りて行うことが多かったが、7月?8月の雨期ではほぼ毎日30分くらいの間スコールが降り、その間はトタン屋根に打ちつける雨音が物凄く、しゃべっている声が全く聞こえなくなり、中断せざるを得なった。しかし、雨が降っている時間が短いので、30分もすれば、また、ワークショップを再開できるのであった。

 

学校の教室を借りてのワークショップ.jpg

学校の教室を借りてのワークショップ

 

 

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村人の意見を貼り付けて行く

 

 

野外でもワークショップ.jpg

野外でもワークショップ

 

 

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繰り返しワークショップ

 

 

 

村のリーダーと思われた若者が選挙で落ちる

 初期のころのワークショップで、プロジェクトの活動内容を決めたり、それぞれの村の責任者を決めるワークショップを行った時に、調査時に村の若者でリーダー的に活動していた若者が当然プロジェクトの委員会の重要ポストを占めるだろうと我々は思っていた。そして活動委員会の委員長や委員を決める時に、その若者も立候補したが、選挙を行った結果、落選してしまった。

  わからないものである。その若者は村の女性達から総好かんを食っていたのだった。我々は村の外部の人間であるから、やはり外からみていただけでは、村人の内部の問題はわからないものであると思ったものである。他の村でもプロジェクトの活動委員会のメンバー全員が途中で入れ替わった村もあり、村内に内部抗争的なものがあり、やはり人間が住むところには、いろいろドロドロした部分があるものだと思わされたものである。

 インタビュー調査でも、親しくなった村人からばかり村の様子を聞いていると、別の対立グループがあったりして、偏った情報しか得られていないこともあるこということも分かった。

 

 

村での活動

 この村ではパイロットプロジェクトとしてアヴィセニアの植林、村落林の造成、エコツーリズムの導入を行った。

 

 

アヴィセニアの植林

 ダシラメセレール村は、サルーム川の河口にもそれほど遠くはないため河川の塩分濃度はそれほど高くはなかった。ということは、マングローブが、繁茂することはあっても衰退することは考えにくいのであるが、塩分濃度以外に、上流域でマングローブの枯死が進んでいるため、河川水の中の土壌の含水率が上がったり、水流が変化したりする影響があったのだろう、このあたりの周辺の村にもアヴィセニアの枯死が見られるようになっていたのだ。そのため村人がアヴィセニアの植林を望んだのでアヴィセニアの植林を行うことになった。

  我々のプロジェクト全体を統括するため村には、村落開発委員会が設置された。その下に環境委員会が設置され、アヴィセニアの植林を担当したのである。

 

 

種子の採取

 前にも書いたように、アヴィセニアは7月?9月にかけて、そら豆のような形の種子を大量につけるので、それを簡単に採取することができた。7月に多くの村人が採取し、その後すぐにポットへ播種した。

 

 

苗畑の設置

 苗畑は、大きさ5m×60cm×20cmくらいの木枠を作り、河川の中に設置した。その中にポットを置き、ポットの中に種子を埋めた。しかし、2003年の雨季にあたる8月は雨が多かったため、大雨と大潮が重なった時に、木枠が浮き少し流されてしまい、ポットも流され、最初に播種した種子は皆流されてしまった。

 そのため、もう一度種子を採取し播種したが、それも同じ様に流されてしまった。村周辺のアヴィセニアの種子は、もうほとんど採取してしまったので、なくなってしまい、住民は仕方なく船をだし、苦労しながらも別な地域から種子を採取してきた。

  そこで、次には木枠を紐で周辺のマングローブに固定することにより、雨と潮汐の流れによる被害を防いだ。それにより種子が順調に成長するようになった。

 

アヴィセニアの苗畑.jpg

アヴィセニアの苗畑

 

 

同じくアヴィセニアの苗畑.jpg

同じくアヴィセニアの苗畑。塩分濃度が低いと初期成長が良い

 

 

苗畑の前にて.jpg

苗畑の前にて

 

 

 

成長が良かった苗木

 この木枠の周囲に網を設置して魚の食害を防ぎ、日覆いをかけたことと、2003年は雨が多かったため塩分濃度が下がり、成長が良かった。播種後、2ヵ月程度で苗高は50cmを越えるものも多数あり、すぐに植林をしたのである。

 

 

植林

 成長が予想以上に良かったため植栽時期を早め、2003年11月末から12月半ばにかけ約5,900本を 1m×1mの間隔で移植した。河川沿い1年目は1m×1mで植林した。

 

植林後のアヴィセニア.jpg

植林後のアヴィセニア

 

 

 

2年目の植林

 2年目も1年目と同様に6,000本の苗木生産を行った。アヴィセニアの育苗・植林試験から1.5ヵ月苗を移植するのが良いことが判明したので、2 年目は7月下旬に種子を採取して、2004年9月中旬に50cm×50cm 間隔で移植した。こういった作業には環境委員会のメンバーを中心として1年目、2年目とも男女約100名が参加して行ったのである。

 

 

植林後

 ダシラメセレール村の1年目の植林木の1年後の生存本数は合計で約3,400本あり、生存率は58%(3,400/5,900本)だった。2年目は植林後に魚の食害にあい、生存率は20%程度だった。

  やはり、村人が6,000本の苗木を生産するのは、かなりの量だったので、相当の負担となった。アヴィセニアが塩分濃度に強いといっても、やはり塩分濃度が薄い方が成長が良いのであり、植林地の選定が難しかった。また、植林はリゾフォーラと同じように密植が良かった。50cm×50cmの密植か、より密に25cm×25cmの密植によって生存木を確保していくことが良い方法とわかった。それは一度基盤ができれば天然更新によりアヴィセニアが増殖していくことが期待できるからだった。

 

 

村落林の造成

 サルームデルタではマングローブ材の利用が盛んなため、マングローブ林保全にはマングローブ材の利用を少なくし、他の造林木などの代替材で供給することが必要だった。ことから村落林の造成を計画したのである。2年間で約1haの植林地を造成し、植栽密度は1,111本/ha、植栽間隔は 3m×3mとすることにした。ダシラメセレール村ではアヴィセニアの植林と同じく村落開発委員会の下の環境委員会が村落林の造成を担当した。

 

 

植林樹種と植栽

 実際の植林は住民達が行うのであるが、成長の早く、セネガルでよく植林に用いられている樹種を選んだ。

 1年目は、マメ科のカシア・シアメア(Cassia siamea)、プロソピス(Prosopis)、アカシア・メリフェラ(Acacia mellifera)のほかに、今はシソ科に分類されるようであるが、試験的にチーク(Tectona grandis)とメリーナ・アルボレア(Gmelina arborea)を2003年 8月に植栽した。

  チークは雨量がないと難しいといわれ、セネガルでは南ほど雨量が多く、その雨量の多い南部のカザマンス地方でしか植林が行われていなかったため、苗木は森林局がカザマンスに持つ苗畑から入手したのである。植栽本数はそれぞれの樹種120本ずつ合計600本を植栽した。

 

村落内に作った苗畑.jpg

村落内に作った苗畑

 

 

灌水(水やり)用の水溜.jpg灌水(水やり)用の水溜も作る

 

 

 2年目はチーク、メリーナ・アルボレア、プロソピス・ジュリルローラ、カシア・シアメア、ユーカリプトゥス・カマルドゥレンシスの5 種類をそれぞれ 120 本合計600本を2004年8月に植栽した。

 

 

植林後

 このダシラメセレール村での植林は、これまでセネガル南部のカザマンス地方 でしか植林していなかったチークを試験的に植林したことに先駆的な意味があった。1年目に植栽した樹種は、丸1年経った地点で、チーク89本(74%)、メリーナ・アルボレア105本(88%)、プロソピス・ジュリフローラ90本(75%)、 アカシア・メリーナ45本(38%)、カシア・シアメアが85本(71%)生存していた。チークの成長の良いものは1年で2m50cmを超えるものもあった。

 

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成長の良いチーク

 

 

 

エコツーリズムの導入

 サルームデルタのマングローブ林は生物多様性を維持する貴重な生態系で、近隣に観光ホテルもあり、観光の対象ともなっていた。マングローブ林を保全することと住民生活の向上がプロジェクトの目的で、そのため林業と水産業を振興し、さらに、観光の振興も目指したのである。それがエコツーリズムの導入だった。

 

 エコツーリズムの振興には、宿泊施設の建設も考えられたが、それには相当の初期投資を必要として、またその後の経営やマーケティング、施設維持には専門的な管理者が必要で、また施設の建設は自然破壊につながりかねないため、それらは行わず、現存する観光資源を組み合わせたエコルートを設定することとしたのである。

 

 村落内のエコルートでは、排気ガスを発生するエンジン駆動の輸送手段を避けて、馬車などの伝統的な輸送手段を中心に使用し、また、使用する機器類は、地元生産のものを活用することを原則とし、輸入機器利用を最小限にした。つまりは環境にやさしいエコツーリズムである。

 

 更に、エコルートでは各村の伝統的な物産を土産品としてセットし、地元出身のエコガイドが案内し、エコツーリズムからの収益金の一部を環境保全のために備蓄することとしたのである。デルタ地帯の村落が保有している観光資源はほとんど認識されていなかったので、村の存在を認識してもらうためにも非常に良い機会だったのである。

 

  ターゲットとしたのは、ヨーロッパからのある程度の期間ホテルなどに滞在している滞在型の観光客だった。値段は日本円にして約千円程度とし、パンフレットを作り村では土産物の生産も行った。

 

 

ダシラメセレール村のエコルート

 ダシラメセレール村のエコルートは、ツーリストが安全に観光できることを前提にして、村の広場→馬車での移動(道路から砂地へ)→浅瀬での乗船→大きなボロン(水路)→小さなボロン(水路)→サルの群生地見学→村の船着場で下船という単一ルートにした。サルの群生地が目玉ではあるが、ルートを巡る間に、村の歴史や村の特徴など様々なことをガイドがツーリストの紹介するのである。

 

 

エコガイドの養成

 我々が、この仕事を委託していたUICN(世界自然保護連合)が約2週間のエコガイド養成集中講座を行った。私は、日本の竹富島で牛車に乗り、島巡りをしたときに、ガイドが島の歴史を語ってくれるのはもちろんのこと、その上三味線を弾いて歌も歌ってくれ、それが素晴らしかったので、ここでも同じ様にギターの様なセネガルの伝統的楽器、コラを弾きながらガイドをするのはどうかと提案したが、コラの演奏は世襲制となっていて、一般人は弾けないのだとのことで唖然とし、却下されてしまった。

 

 

必要資材

 エコツーリズム実施のために最低限必要な機器は、馬車と馬、手漕ぎピローグ1隻、一人乗りカヤック4隻、および連絡用の携帯電話1台だった。この他、ツーリストの安全に対する万全の配慮として、別のパイロットプロジェクト対象村で生産したライフジャッケトと同じく別のパイロットプロジェクト対象村で製作するカキ採取用の足袋をダシラメセレール村でも生産し、ツーリストに付けてもらうこととした。

 

 

活動の結果

 実際的には、観光客を呼び込む前にプロジェクトが終了してしまったような形ではあったが、ネットでダシラメセレール村を見ると、今でも様々な国際機関が援助を行っているようで、何らかの形で動いているようだ。

 

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プロジェクトで導入した馬車と馬

 

 

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エコ・ルートの試走(大使館の方々も視察にこられた)

 

 

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緊張の面持ちでのダシラメセレール村のエコガイドの説明

 

 

 

 

つづく

 

 

 

【森林紀行No.6 セネガル,マングローブ林調査編】 No.12

森林紀行

ジルンダ(Djirnda)村

 これからパイロットプロジェクトを行った村の状況を紹介したい。パイロットプロジェクトは100村以上の村の中から10村を選んで行ったが,最初にジルンダ(Djirnda)という村について記す。

  我々チームは,主にフンジュンにあるホテルを基地とし,そこでボートも保管してもらい,各村を訪問した。村で宿泊の必要があるときは,村の民家や集会場のようなところに泊めてもらった。ジルンダ村というのは,フンジュンからボートで1時間半?2時間くらい,1km?2km程の川幅を持つサルーム川の本流を,河口方面に下った場所にある。

 

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ジルンダ村周辺の地図

 

 

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ジルンダ村周辺の航空写真

 

 

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ワークショップなどで用いたジルンダ村の見取り図

 

 

 

ジルンダ村で行った活動

 この村で行った活動は,1.リゾフォーラ(最も主要なマングローブ)の植林と2.エトマローズ(ニシン科の魚)の燻製改良かまどの導入だった。

 

 

何回も行ったワークショップ

 住民には,数えきれないくらいワークショップを行っていた。どのような活動を行ってもらうかを決めたり,その組織作りやモチベーションを上げたりするためである。もちろん住民の能力を向上させるということも当然含んだ活動だったのだ。

 

 

女性が強い村

 どちらかというと活動を引っ張っていたのは女性だった。エトマローズの燻製などは男性が行うのであるが,その活動を後ろから押していたのは女性だった。女性の中でもリーダーとなるのは,村長の婦人であり,ほとんどの女性が読み書きができない中で,その方は読み書きができるので,自然とリーダーとなるのだった。おそらくこの村以外の町で教育を受けたのだろうが,我々の言うこともすぐに理解するし,自らアイデアをいろいろ出し,知性を感じるような方だった。

 

何回も行ったワークショップ.jpg

何回も行ったワークショップ

 

 

 

ジルンダのリゾフォーラの状態

 リゾフォーラの植林を行うのは,このサルームデルタではマングローブ林が減少していたためである。その原因は降雨量の減少によって河川水の塩分濃度が上がってマングローブが枯死したり,住民の伐採が過剰なことなどによるものだった。

  何と言ってもマングローブ林の保護活動をしているからにはマングローブの植林は行いたかった。調査の結果からジルンダ村で天然更新している場所のリゾフォーラを調査し,潮の満ち引きの高さや底質の土質など,どういった場所であれば,植林した場合に成功の可能性は高いかが分かった。また,住民達のモチベーションも高く,継続して植林を続けて行く可能性が高かったのだ。

 

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ジルンダ村で高く積まれたマングローブの薪材

 

 

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ジルンダ村で天然更新したリゾフォーラ

 

 

 

エトマローズの燻製改良かまどの導入

 サルームデルタでは、エトマローズを燻製加工した魚は,自家消費というよりもギニアなど近隣の国に売り,住民の収入源としていた。エトマローズを燻製するために,マングローブ材が薪として用いられ,大量に消費されていた。もちろん自然枯死した枯れ木を薪として利用していたが,その発生量よりもマングローブの薪材の需要量は多く,マングローブの生木を伐採することもあったため、燻製用の薪材の消費量を抑える必要があった。そのため,従来から用いられている燻製かまどの熱効率を改善することによって、 マングローブ薪材の消費量を抑え,また良質なエトマローズの燻製を作るため,改良かまどを導入したのである。

  従来の燻製かまどはブロックを積んで,コンクリートで固めたもので,幅1m×高さ1m×長さ10mくらいのものが多く,かまどの上に網をかけ,燻製にするときにはトタンをかけていたが,開放式であるため燻製にするよりも焼いているように見えたものである。これでは十分に燻製にならないし,熱効率も悪かったので,改良かまどは,上を塞ぎ横から魚を入れ,横蓋ができるようにし,かなり密閉度の高いかまどを作った。これにより,魚も肉厚で燻製度もたかく,薪消費量も少ないかまどができたのである。

 

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従来式のエトマローズの燻製かまど

 

 

完成品。燻製度が低く.jpg

完成品。燻製度が低く,焼いたような感じである

 

 

 

生き延びるのが大変な世界

 あるとき,10才くらいの男の子が,マラリアで亡くなったということで村全体が喪に服し,調査ができないようなことがあった。我々も喪に服したが,マラリアかどうかはわからなかったが,乳幼児の死亡率はかなり高く,我々が調査している2000年前後では,5才までに生き延びられない子供が20%近くあるようなことが言われていた。現在は5%くらいのようである。

 

 

歓迎の踊り

 村を訪ねると,いつもではないが時々女性達が,激しい踊りを見せてくれた。大きなひょうたんの実をくりぬきパーカッションとしてたたいていたのだ。指には金属製の指輪をはめ,すごく大きな音がでるのだった。野外でも室内でも踊ってくれた。おばさんのみで,男は踊らない。踊りは激しく体を動かし,繊細さには欠けるものの野性味あふれるものだった。あるときあなたも踊れと言われて,男である私が踊ったら大うけだった。

 

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ひょうたんの実をくりぬいた大きな太鼓。金属製の指輪でたたく

 

 

野外での激しい踊り.jpg

野外での激しい踊り

 

 

室内でも踊ってくれる.jpg

室内でも踊ってくれる

 

 

 

成功したリゾフォーラの植林

 リゾフォーラの植林は大成功だった。住民総出の日を作り,25cm間隔と50cm間隔と2つのタイプで植林してもらったが,今から思うと25cm間隔では手間が余計にかかるので50cm程度でよかったかもしれない。しかし,25cm間隔の方が早くうっ閉するので,良いと言えば良いのである。

 なにしろ密植の効果は素晴らしく,それまで1mや2m間隔で植林していた村を多数見ていたが,植林したのかどうかが目立たなく,住民の植林へのモチベーションが上がらなかった。しかし,密植することで,緑が目立つことで住民達は益々植林意欲が湧いたと言っていた。それに密植したおかげで,すぐに日蔭ができ,強烈な太陽光が水温を上げるので,成長が悪かったのを,日蔭を作ることで,水温がそれほど上がらず,常時水温が下がっているおかげで,成長も早くなったのだ。

  植林後2年した2006年に訪れた時は,樹高は1m以上にもなり,完全にうっ閉し,マングローブの森林になるのはまちがいなかった。底質(水底の土壌)もより粘土質に変化しており,カキをはじめ貝類も膨大に増えていた。

 

2004年。植林3ヵ月後.jpg

2004年。植林3ヵ月後くらいの時

 

 

2004年。同上.jpg

同上

 

 

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2006年,植林後2年。完全にうっ閉している。土壌もより粘土質になった

 

 

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カキも取れるようになった

 

 

 

成功したエトマローズの改良かまど

 エトマローズの改良かまどもの導入も成功した。そもそも従来は開放式だったものを密閉式にしたおかげで,薪の消費量が格段に下がり,熱効率が良くなった。それにかまどの中にいれる金網のバスケットを作り,バスケットの中にも魚を縦に入れやすくし,1段だったのを2段にした。これでさらに薪の消費量を少なくすることができた。それに魚の品質が肉厚で非常によくなり,美味しくなった。これで益々売れるようになり,住民の収入が増えた。その他,煙がでないので服が汚れなくなったとか魚も清潔になったとか良いことづくめだった。

  その後どうなったか,プロジェクトが終えると元の木阿弥ということが多いので,エトマローズはずっと取れ続けているか,改良カマドは普及したか,マングローブの植林地もマングローブの森林になったか,また植林活動は続いているのか,ジルンダ村を訪ねてみたいものである。

 

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金網のバスケットを作り,2段式にした

 

 

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上から入れていたものを横から入れるようにし,

密閉式にし燻製度が高く肉厚の燻製魚ができるようになった

 

 

 

 

つづく

 

 

 

【森林紀行No.6 セネガル,マングローブ林調査編】 No.11

森林紀行

セミナーや地域ワークショップの開催

マングローブの持続的管理計画

 様々な調査を行った後に,全域を対象としたマングローブ林の持続的管理計画というものを作成した。マングローブ林は,建築材や薪炭材などとして住民の生活に欠かせなく,水産資源をはぐくみ,防潮堤の役目を果たし,さらには観光資源ともなり得ることで,住民生活になくてはならないものである。そこで,マングローブ林を持続的に利用することにより,住民の生活を向上させ,環境も保全するという目的を持った計画を作成したのである。

 

パイロットプロジェクトを行うことに

 その後,実際にその計画を実施する前に,計画の妥当性を確認したり実施体制を確立したり,実施する際に現れる問題点などを解決するためにパイロットプロジェクトというものを行うことになった。

 パイロットプロジェクトのメニューは,森林分野,水産分野,観光分野,環境教育分野の4つを選定し,さらにその中には,例えば森林分野の活動では,リゾフォラの植林,アヴィセニアの植林,村落林造成,養蜂などの活動を行うことにしたのである。これらについては追々紹介していく。

  このパイロットプロジェクトを実施することで,実際に計画を行う村落の住民や住民を指導する地方組織のキャパシティ・ビルディング(能力向上)を図ることも目的としていたのである。

 

セミナーの開催

 我々が行っている活動を国際機関や国際的なドナー,それにセネガルの中央や州などの機関に知ってもらうため,2002 年10月にダカールのソフィテルというホテルで,それらの関係者を招待して,このマングローブ林の持続的管理計画についてのセミナーを行った。

  こういったセミナーの準備もいろいろ大変であるが,関係者が協力して無事に終わり,良い宣伝活動となった。

 

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セミナー会場のホテルソフィテル

 

 

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セミナーの昼食時

 

 

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セミナー会場から大西洋を臨む

 

 

 

地域ワークショップの開催

 その後,計画策定対象地域内のフィムラ,フンジュン,トゥバクータという比較的大きな町3箇所で,州や県や郡といった地方行政機関,それに村落共同体(CR)と多くの村落の代表者,さらにNGO 等を招待して,マングローブの保全と持続的管理の必要性や地域住民による管理によるパイロットプロジェクトを行うことについてのワークショップを開催した。

  パイロットプロジェクトには水産関係のプロジェクトもいくつか含まれているため,東京海洋大学の教授もセネガルに来られ,講演もされた。いろいろ調べられており,セネガル人が取るタンパク質の多くが魚介類からで,その割合は日本人が魚介類からとるたんぱく質の割合よりも大きいことなどを話され,世界には魚介類に依存している人々も多いのだということを改めて知った。

 

対象地周辺の地図.jpg対象地周辺の地図

 

 

 

フィムラでのワークショップ

 フィムラは対象地の北での多少大きな町である。いろいろ小さなNGOがここに拠点を構えていた。

 

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ワークショップ会場

 

 

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ワークショップの参加者

 

 

ワークショップの後で,.jpg

ワークショップの後で,フィムラで水揚げされたエビ

 

 

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フィムラで取れたリゾフォーラの種子

 

 

 

フンジュンでのワークショップ

 上の地図にはフンジュンが載っていないが,ムバムと書いてある村のすぐ上で道路が途切れ,船の渡し場がある町である。我々は,主にフンジュンを拠点に多くの村を訪ねた。

 

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フンジュンのワークショップの会場

 

 

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フンジュンでの発表

 

 

トゥバクータでのワークショップ

 トゥバクータは,対象地の南の方にあり,ここには協力隊の隊員が何人かカキ養殖などで協力していたので,我々も隊員を指導し,隊員も我々のプロジェクトを手伝ってくれるという協力関係だった。

  偶然なことに,何代目かの女性隊員が私の娘の親友と大学の同級生で,その後日本に帰国した際に,関係者を集めて食事をしたことがあった。

 

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トゥバクータの会場

 

 

ワークショップの後,鳥島へ。.jpg

ワークショップの後,鳥島へ。多くのサギがいた

 

 

 

つづく

 

 

 

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