【森林紀行No.6 セネガル,マングローブ林調査編】 No.19
カマタンバンバラ(Kamatan Banbara)村
村の位置や活動
カマタンバンバラ村は基地としていたフンジュンの町から東に向かって、車で40分くらいの距離にあり、サルーム川の上流域に位置している。この辺りの塩分濃度は、8%程度と相当に高く、かつては存在していたマングローブも全滅してしまった地域でもある。しかし、エビ漁を始めとした漁業は盛んであり、水産分野のライフジャケットを作製する活動を行うこととなった。
カマタンバンバラ村周辺の航空写真
ライフジャケットの製作
この周辺は、サルームデルタの最上流部に近い内陸部ではあるが、国が定めたエビの禁漁期、それは主に乾期であったが、その禁漁期を守る者は少なく、違反操業者が絶えなかった。その原因は、何と言っても水産物は住民の食料源であり、もうひとつにこの地域の乾期には生業活動がないという現実もあった。
そしてエビ漁は、夜中に水深が深い川に入って行わなければならず、海難事故が絶えなかったため、エビ漁による海難事故防止から村人のライフジャケットに対するニーズが高かったのである。
ワークショップ
そのため乾期にライフジャケットを製作することで、村に生業を起こし、エビの漁期を守り、さらにライフジャケットの販売収入の一部を環境基金とし積み立て、その資金をマングローブ植林や村落林造成に利用し、マングローブ林の保全と復旧に寄与することを目的として、ライフジャケットの生産に取り組んだのであった。
活動計画
カマタンバンバラ村では1年間に100着、2年間に200着のライフジャケットを生産し、販売する計画とした。
ワークショップ
活動の実施
カマタンバンバラ村では漁民、女性グループ、青年の代表や村で裁縫活動をしているテーラーを構成メンバーとする管理委員会を設置し、ライフジャケットの製作と販売を行うこととした。
住民への聞き込み
活動の経緯
内陸部の村には通常数人のテーラーが在住し、村人が持参する布地を客の注文に応じて仕立てていた。カマタンバンバラ村では洋裁の技術を持つテーラーをライフジャケット生産グループとして結成し、村のテーラーの自前のミシンとパイロット・プロジェクトで投入したミシンにより若者を対象にライフジャケットの生産技術の訓練を進めた。
テーラーがライフジャケットを作製
ライフジャケットの材料は、原則地元での供給を目指したが、ダカール以外では入手が困難なものもあり、ダカールとプロジェクト対象村間の資材入手ルートを確保し、内陸地域を中心にライフジャケットの販売網の構築を図った。
1年目には、カマタンバンバラ村で100着のライフジャケットが生産され、1着5,000Fcfa(約千円) で91着が販売された。そのうち62着分の代金が回収され、29着分が売掛金として未回収だった。残りの9着は在庫となっていた。売掛金が回収できなかったのは、エビ漁が不調に終わったことで、エビ漁民に掛け売りした代金が回収できなかったからである。
2年目は、発泡スチロールの浮材を柔軟性のある浮材に転換し、改良タイプのライフジャケットを製作販売した。この改良は住民自身の発案による。カマタンバムバラ村ではプロジェクトが終了する時点で50着が生産され、その後さらに50着を生産する予定だった。販売価格は1着7,000Fcfa(約千二百円)であり、その時までに7着が販売されていた。
製作されたライフジャケット(最初のタイプ)
最初は発砲スチロールだったが、後に柔軟性のあるものに改良
活動結果
住民自身が浮材を発砲スチロールから柔軟性のあるものに改良したことにより、浮力不足と浮材が破損しやすいという問題点が解消された。それまで、製品の品質に自信を持って販売できないと語っていた住民も、この時の改良した製品に自信を深めていた。ユーザーであるエビ漁民のライフジャケットの品質に対する評価も上々で、輸入品と比べて遜色がないと語っていた。確かに良いものができたと我々プロジェクトチームも驚くほどであったが、プロジェクトの終了後の活動は分かっていない。
プールでの浮力試験
つづく
9月の駒ヶ岳
9月の駒ヶ岳
9月4日には台風21号が非常に強い勢力のまま日本に上陸し、近畿地方を中心に大きな被害をもたらしました。
また、6日には北海道で胆振地方中東部を震源とした最大震度7の地震に見舞われ、震源地の胆振地方はもとより、
北海道全域が停電に見舞われるなど大きな被害となっています。
被害に見舞われた皆様に心よりお見舞い申しあげるとともに、早期の復旧を願っております。
くしくも、9月1日は防災の日ということもあり、地区の防災訓練に参加されたされた方も多いかと思います。
日頃の備えについて改めて見直さなければと強く感じているところです。
【森林紀行No.6 セネガル,マングローブ林調査編】 No.18
ガーゲシェリフ(Gague Cherif)村
ガーゲシェリフ村の位置や活動
ガーゲシェリフ村は、基地としていたフンジュンから近く、西に向かって車で20分くらいの位置にある。ガーゲシェリフ村は最初、非常に熱心でやる気のある村のように思えた。それにこの村は我々が援助に入る以前に、様々な活動の現地での仕事を委託したWAMME(西アフリカ海洋協会)もいろいろ関わっており、プロジェクトを行えば成功する可能性が高いと思っていた。
ガーゲシェリフ村の水路
実際に住民は良くやったのであるが、住民総会で選ばれた最初の執行部は、1年も経たないうちに総辞職させられ、途中で新たな執行部が立ち上がったのには驚いた。村内に対立するグループがあり、それは外部から見ていただけでは分からなったが、いろいろな活動を行っているうちに利害関係が生じるようになって表面化してきた問題だった。
ガーゲシェリフ村でのワークショップ
WAAMEの職員のアミ。細身であるが,手足が長く頭が小さく体のバランス
が良い。身長は私より少し低いが,手を伸ばすと私よりもずっと上に届く
しかし、そのことがこのプロジェクトの活動に影響することはなく、執行部が変わってもプロジェクトは変わらすに動いた。ガーゲシェリフ村で行った活動は、アヴィセニアの植林、柴漬け漁、啓発活動だった。
ガーゲシェリフ村の航空写真
ワークショップで使ったガーゲシェリフ村の見取り図
アヴィセニアの植林
アヴィセニアの植林は,ダシラメセレール村でも記したが,サルームデルタではマングローブ林の減少が続いており、その原因は降雨量減少による塩分濃度の上昇、住民による伐採、土砂の堆積、道路の建設などだった。何と言っても塩分濃度の上昇が最大の要因だ。
マングローブの植林はリゾフォーラとアヴィセニアと2種類行うこととしていたが,塩分濃度への抵抗性が多少でも高いアヴィセニアは,より塩分濃度の高い場所を中心に行うことにしたのである。ガーゲシェリフ村の塩分濃度は7%程度あったからもともと難しい地域でもあった。6%を超えると定着してもほとんど成長しないことが観察から分かっていたが,ガーゲシェリフ村の住民達が熱心にアヴィセニアの植林を希望したので選定することとなったのである。管理委員会の中にアヴィセニア植林の担当者が任命された。
活動の経緯
ガーゲシェリフ村の植栽地は,第1年目の村民総会で、ヤーイという地区に設けることとなった。
植林地を選定
左二人がWAMMEの職員。右はこの地区の森林局職員
苗畑は植栽地の近くに100m2の区画を用意し、これに木枠を3個設け、1つの木枠内で2,000本、合計6,000本の苗を生産することとした。魚による食害を防ぐために周囲を網で囲み、水温の上昇を防ぐために上部に竹で編んだすのこ状のもので日覆を設けた。苗畑用の資材の搬入は当初の作業計画から多少遅れたが、8月下旬から9月初旬に苗畑を設置し、ポットへ用土を詰めた。
第1年目は2003年であったが,この年の雨期は雨が多く、天然に生えているアヴィセニアの樹木から雨によって多くの種子が落下して流されてしまった。そしてこの周囲にはもともとアヴィセニア林が少なかったため近隣から種子を採取できなかった。このため種子採取にはWAAMEの担当者と管理委員会のメンバーが10月下旬に2,500個、11月初旬に3,500個の種子をジョガン村周辺から採取し、水につけ皮を剥ぐなど前処理を行った後にポットへ播種した。ところが,採取時期が遅れたことと種子が良好でなかったためほとんど発芽せず、うまくいかなかった。
そこで2年目は計画通りに2004年8月中旬に約6,000種子を採取し、ポットに播種した。
ポット苗用の木枠
日覆いをした苗畑
同上
活動結果
1年目に植林した苗木で生き残ったのはたった43本だった。この周囲に2年目の苗木を植栽したが,その時点でプロジェクトが終了してしまい,その後は不明であるが、塩分濃度が高過ぎ、また維持管理が住民だけでは難しく,ほとんど残存していないと思われる。
結論
失敗したのは残念だった。おそらく活着しても成長しないと思われた。それでも1mくらいまで成長すれば、次に述べる柴漬の代わりにはなると思われた。ガーゲシェリフ村のように乾期の塩分濃度が7%程度になる場所はアヴィセニアにしても生育条件としては決して良いとはいえない。
しかし、アヴィセニアの植林にあたっては、アヴィセニアの天然木がある地域を選定するので、今後の植林にあたっては50cm×50cmの密植、場合によってはそれより密な25cm×25cmの密植により生存木を確保することが最も良い方法と他の地区での植林から分かったことである。それは一度基盤ができてしまえば、その後は、天然更新によってアヴィセニアが増殖していくことが期待できるからであった。
柴漬け(漁)の導入
マングローブが消失したサルームデルタの内陸部では、植物性有機物の供給が乏しく、日陰がないため水温の上昇が激しいことが分った。これは水生生物にとって厳しい環境となり、漁場ではマングローブの復旧が求められたのである。
とにかく、この水域で水産資源の持続的利用をしていくには、漁場環境を改善しなければならなかった。そこで考えたのが柴漬け漁である。柴漬け漁は、木枝を浅瀬に投入することで魚の住処とし、そこを拠り所とした魚を捉える短期的な漁場整備であり、定期的にそこから水産物を収穫することができる。日本では奈良時代以前くらいから行われていたと推定され、今でも行われている漁法である。
ここでは、マングローブ植林によりマングローブ林が成立するまで柴漬けによりマングローブ林の代替とすることを狙ったのである。マングローブの植林は、マングローブ林が成長することで、植物性有機物と日陰を水産資源に提供する長期的な漁場整備である。ここでは柴漬けの導入は、マングローブと水産資源の密接な関係を住民が再認識できる場を提供することも目的としたのである。
漁場を囲っての漁
漬けた柴まで泳いでいく
活動計画
浅瀬に錘をつけた木枝を投入する。一定期間の間、柴を漬けた周辺での漁獲を禁じ、水産資源の涵養を図ることとした。特に雨期は種々の水産資源が再生産を行う時期なので雨期は、禁漁とした。また、漁業者がかってに入り込まないよう柵で水域を囲い込むことにした。管理委員会は乾期になったら禁漁を解き、その間は定期的に漁を行う。このとき、特定寸法以上の魚は放し、幼稚魚を保護し、将来のストックを確保することとした。
活動の経緯
活動は柴漬けユニットの製作、沈設、モニタリングを行うことにした。2003年7月の村民総会で、沈設場所はヤーイ(集落北側の水路、アヴィセニア植林地横)とサンゲ(集落 南側の水路、集落から徒歩40分)に決定された。8月にWAAME担当者と村民がサンゲで製作と沈設を行い、その後ヤーイでの製作と沈設を行った。
メンテナンスのためプロジェクトの実施中、4回にわたり設置された柴漬けユニットに新たな柴を追加投入した。集まってきた成魚がどの程度が、効果の程度を数か月後に調査した。
試験調査で捉えた魚
活動の結果
集まってきた成魚は、柴漬けサイトではティラピア、ボラ、ヒラアジが漁獲され、マングローブサイトではティラピアとボラが、柴漬けもマングローブもないサイトではティラピア、ボラ、ヒイラギが漁獲された。サンゲでの漁獲重量は、柴漬けサイトで3.5kg、マングローブサイトで3.9kg、柴漬けもマングローブもないサイトで2.6kgだった。柴漬けサイトとマングローブサイトが、柴漬けもマングローブもないサイトに比べ、いくぶん漁獲量が多いという結果が得られた。
幼魚の育成効果試験の結果では、ヤーイでは3.6?6.0cmのティラピア32尾と6.5?7cmのエビ2尾が漁獲された。サンゲでは、6.5?8.5cmのヒイラギ18尾と7.0?8.5cmのエトマローズ6尾が漁獲された。
この実証試験では、柴漬けサイトとマングローブサイトの有効性が幾分認められ、住民のモニタリングによれば、他の水域で魚がみられなくなった場合でも、柴漬けサイトには年間を通して大きな魚が集まっているという。
特にサンゲでは寸法の大きなカープ、ボラ、ティラピアがみられ数量も多い。ヤーイではティラピアの幼稚魚が数多くみられた。ヤーイで成魚試験を行った時にも、数多くの幼魚が網具を抜けていったのを視認したし、マウスブリーディング中のティラピア親魚の漁獲を確認した。これらのことから、柴漬けユニットの幼稚魚育成効果は非常に大きいことが明らかとなった。
しかし、住民間で柴漬け漁の効果が大きいことが広まったためかこの村以外の外部の漁民が柴漬けサイトに連日やって来て漁獲操業することとなってしまった。柴漬けサイトがガーゲシェリフの集落から比較的遠隔地にあることも災いしていた。柴漬けは魚類を集める効果が直ぐにみられるため、マングローブ植林を行わずに、柴漬けのみが一人歩きする可能性が強く、他村民の漁獲操業を規制できないためマングローブ保全という観点からは逆効果となるため、ここで柴漬け漁は中止した。
結論
上述したように柴漬けはマングローブ林と同様に水産資源の再生産を行う効果があることが判明し、魚類を集める効果は十分であるが、これを行うために地上の木の枝葉を多く必要とすることや他村民の漁獲行為を防ぐことが困難で、マングローブ林が復旧されずに地上の木の劣化と水産資源の減少をまねく恐れからここでの導入は中止とあいなった。
WAMEが設置したプロジェクトの看板
つづく
8月の駒ケ岳
【森林紀行No.6 セネガル,マングローブ林調査編】 No.17
バンガレール(Bangaler)村
村の印象
バンガレール村は,基地としていた町フンジュンから車で南東に向かい,ジロールという町からタン(塩分が集積し,白くなり,植生が侵入できない土地)を通る道を北西に戻るように下って,サルーム川の支流近くにあり,奥まった所に位置する村である。
バンガレール周辺の地図
バンガレール村周辺の航空写真
バンガレール村は,パイロットプロジェクトを行った村の中では最も貧しい村の一つだった。痩せて栄養失調と思われる人が多かった。上半身裸で働いている娘さん等もいたが,若いにもかかわらず,胸が垂れていて,やはりタンパク質を含む食料に乏しいのだろうと思わされた。
しかし,我々が村にいくと大歓迎してくれ,昼にはいつもおいしいチェブジェンをご馳走してくれたものだ。もちろんお礼はするのだが。また,どの村でも休憩の時にはお茶を入れてくれたものだが,ここでとの飲み方はやかんでお茶を煮たたせ,物凄く濃く苦くして,それにたっぷりと砂糖を入れ,とてつもなく甘くしたものだった。
こういった村には我々もより闘志を燃やし,何か村のためにやってやろうじゃあないかという気持にさせられたものである。人口は400人以上だったので,この周辺ではそんなに小さい村ではなかった。
ワークショップ
バンガレール村の村内
バンガレール村でご馳走してくれたチェブジェン
スンバラで酸っぱくしたご飯の味が懐かしい
同上 バンガレール村のチェブジェン
お茶 甘くて苦い 茶の葉を煮たたせる
村での活動
バンガレール村で行った活動は,リゾフォーラの植林,村落林の造成,家庭用改良かまどの普及である。
リゾフォーラの植林
バンガレール村での植林地は,我々がこの仕事を委託していたWAAME(西アフリカ海洋環境協会)の技術者が植林候補地を選定していたのだが,村民総会で植林地を最終的に決定した。バンガレール村周辺は,塩分濃度が5%近くと高いので,リゾフォーラの樹高も3m程度とそれほど高くないので胎生種子(樹上で発芽し、根を伸ばし,鉛筆のように10-20cm程度になり地上に落ちて成長する種子)も大量に採取できなかった。
そのため、WAAMEの担当者がリゾフォーラの樹高も高く,胎生種子が大量に採取できるバガダジという地域で良好な種子を採取し,7,000本をバンガレールに運び、1m×50cmの間隔で8月下旬と9月中旬に植栽した。
植林本数が少なかったため,11月中旬にWAAME 担当者がもっと植林するため修正計画を立て植林しようとしたが、種子採取適期を逃したため良好な種子が十分に採取できず、5m×20m(100m2)の区画に植栽間隔25cm×25cmと密植で,1,600本を植栽した。
バンガレールでは多くが死滅してしまい,活着率が悪かった。それでも住民の植林への継続意思が強かったため、我々もWAMMEの担当者をより指導して,植栽時期と場所を慎重に選定するということで2年目も同様に植林することとした。植林参加者は男性がやや多かったが,男女合わせて毎年約100名が参加した。
活動結果
バンガレールでは,1年目の植林木の生存率は8.7%(8,600本植栽し、750本生存)で、多くが死滅してしまった。これは植栽種子が良いものだと思われが,それほど良好なものではなかったことと、植栽地の地盤高が高く海水に浸る時間が短く、砂地の場所に植栽したことだった。しかし、生存しているリゾフォーラには活力があったので、そのまま成長し、わずかな面積ではあるがそこを中心に天然更新によって周囲にリゾフォーラが広がる可能性があると思われた。
2年目は良好な種子を採取し、50cm間隔で7,000本、25cm間隔で16,000本を、地盤高がやや低い場所,つまり海水に浸る時間が長い場所で、泥土の場所に植栽したので成功すると思われたが,そこでプロジェクトは終了した。
リゾフォーラの植林 2年目の植栽
リゾフォーラの植栽
村落林造成
マングローブ林保全のため,マングローブ材の代替材供給が必要となることから村落林造成を計画したもので,バンガレール村の村落林の位置は、計画策定ワークショップで候補地が選定され、村民総会で、チオラサルという地区に最終決定された。
植栽樹種及び本数は Eucalyptus camaldulensisが150本、Acacia melliferaが100本、Prosopis julifloraが200本、 Melaleuca leucadendronが200本だった。
植林地は将来の拡張も考慮して面積は3haを確保したが、1年目の植栽面積は0,5haで囲いを設置した後、8月下旬に植栽した。
苗木は森林局のフィムラの苗畑から運んできた。混植し,下刈りが遅れたが11月初旬には約60%の面積に植林した。中間段階で見直したが,乾期になると家畜の侵入による食害のおそれがあるため有刺鉄線を張った。
村落林の囲い
村落林で植栽したユーカリ
2年目は村落内に苗畑を作り,苗木を供給したが、必要本数に達せず不足分はWAAMEが調達してきた。植栽樹種は1年目と同じ樹種としEucalyptus camaldulensisを300本、 Melaleuca leucadendronを140本、Prosopis julifloraを160本、計600本を植栽した。
植栽地周囲にはAcacia mellifera300本を2004年8月に植栽した。1年目の参加者は男性のみ約50名が,2年目は男女約50名が参加した。
住民による苗畑
活動結果
バンガレールでは1年目の植林木の生存本数と生存率は2004年9月時点では,Eucalyptus camaldulensis 174本(87%)、Melaleuca leucadendron 34本(68%)、Prosopis juliflora 164本(82%)、 Acacia mellifera 94本(94%)とかなり良い成績だった。
2年目の植林木の生存率は 2004年9月時点ではEucalyptus camaldulensis 218本(73%)、 Melaleuca leucadendron 101本(72%)、Prosopis juliflora 151本(94%)、Acacia mellifera 259本(87%)とこれもかなり良い成績だった。
村落林造成では植栽樹種として薪材、建築用材等として新規導入樹種やユーカリなどを植林したが,最も生存率が高く、植林が成功する可能性が高いのはユーカリだった。このためEucalyptus camaldulensisを中心に植栽し、囲い用の樹種としてトゲの多いAcacia melliferaを植栽していくことが良いとこのときは考えられた。
しかし、その土地にもっと適した樹種もあるだろうし、またカシューなどナッツの販売収入が期待できそうな樹種もあり,その後は村の必要とする樹種をもっと調査して、適木を植林していく必要があった。
家庭用改良かまどの普及
これは,マングローブ材を家庭料理用の燃料として消費しているので,熱効率の良い家庭用の改良かまどのを導入し,また普及を図り、マングローブ材の消費を減少させるために行ったものである。
活動計画
家庭用改良かまどの普及が,ある程度成功しているムバム村とマルファファコ村の住民を講師として養成し、同時に、両村のかまどと同じような形のものを、普及していくことを計画したのである。
バンガレール村では,この2村の住民講師が、かまどの作り方の研修を実践形式で行うこととし,研修後は、ムバム村住民講師とWAAMEが定期的にモニタリングし,バンガレール村でも住民講師を養成する計画とした。
活動の経緯
今まで,バンガレール村周辺では,様々な海外の支援によって家庭用の改良かまどの導入と普及が図られてきたが、定着しなかった。これは1.村落あたりの技術習得者数が少ない,2.研修後のフォローアップがなかった(特に、雨季後),3.かまどの構造が複雑であったり、鋳型が必要であったりし、再作成が難しいなどという理由が考えられた。
そこで,村レベルで15-20人程度の住民を対象にして、単純な構造のかまどの普及を図り、普及後のフォローアップにも力を入れることとした。
実際の件数では、先にムバム、マ ルファファコ両村の住民講師を3名づつ養成しておき,彼らがバンガレール村での普及研修を行った。研修後は、ムバム村の住民講師やWAAMEが定期的にモニタリングを行った。
バンガレール村ではかまど使用者の住民やWAAME担当者のアイデアによって、金属支柱があるものとないもの,また三ッ石で支柱があるものの3タイプのかまどを普及することとした。 缶など身近な材料を用いた炊き口補強の方法も研修で伝達した。
活動結果
周辺の村にも普及を図り,2004年6月末までに、7村で140名の女性が研修に参加し、107 台のかまどが研修時に作られた。研修後も、住民よる村内での普及活動は続き、158台が新たに作成され、7村で合計265台が作られた。
8月末の時点で、雨季の暴風雨により20台のかまどが破損した。使用者によれば、改良かまどの利点は、1.薪の消費量の減少、2.料理時間の短縮、3.煙の減少、4.台所が清潔で安全になった、5.木炭が作れるなど多岐にわたっていた。
1.の薪の消費量については、改良かまどと従来型の三ッ石かまどとの比較試験では、30%薪の消費量が削減されるとの結果が得られた。使用する女性たちへのインタビューでは、「消費量が3分の1から2分の1以下になった」と答える者が多く、使用者が感ずる薪の削減量は試験の結果を大きく上回っており、 「薪の消費量激減」の実感が普及に拍車をかける要因となった。
家庭用改良かまど
家庭用改良かまど
手前が従来の三ッ石かまど
普及できない改良かまど
ところが,数年後にこの村を訪ねたところ,改良かまどが壊れたら,修理もしないで,ほったらかしで,元の三ッ石かまどに戻っている。元の木阿弥である。やはり,簡単な方が良いのだろう。おそらく村人は改良かまどの必要性を感じていないのだろう。彼らの心からそういうものが必要だと感じなければ普及は難しいのだろう。今まで援助団体が何度も失敗しているのでやはり定着させるのは難しいのである。普及させるには,活動家が,1世代をまたいで常駐して,いつも村人を指導していれば,子供達はまた自分の子供達にその技術を伝えていくのではないかと考えさせられた。
車がはまる
バンガレール村に行く時など川沿いの道を走る。特に雨期だと土が柔らかく,またタンなどを走る時も上手に走らないと,ときどき柔らかい土にはまってしまうことがあった。ここで,タンにはまってしまった時は車輪を回すたびに段々と深みにはまっていき,タイヤが空回りするようになった。
しかたがないので,馬で荷台を引っ張ってる人を見つけ,荷台の後ろに乗せてもらい,ソコンにでた。ソコンから別のグループに連絡し,もう一台のランドクルーザーに助けに来てもらい,ロープで引っ張ってもらいようやく車を引き上げることができた。一日がこのためにつぶれてしまった。
水路沿いの泥炭地のような道路で,はまってしまった車
つづく
7月の駒ケ岳
7月の駒ケ岳
西日本各地においては、未曽有の豪雨災害に見舞われました。被害に遭われた皆様に心よりお見舞い申し上げます。
伊那谷においても、梅雨明けは6月29日ごろと言われていましたが、その後に雨が断続的に降りました。
全体的に湿度が高く、ほとんど中央アルプスも雲がかかったり”もや”がかかったようだったり、なかなかハッキリ見えていません。
2014年広島土砂災害、2015年関東・東北豪雨、2017年九州北部豪雨災害、そして今回の平成30年7月豪雨と大きな災害が続いています。
こうしてみると、50年、100年に一度の大雨と言われるものが毎年どこかで起きているわけで、決して他人ごとでは無いと感じています。
「まさか自分の住んでいるところで・・・」ということは決してなく、こうした災害が何処でも起こりうるものであると、常に備えていなければと改めて思います。
肉を焼く、そして食す!!
本日は、社内での焼き肉の日
朝からウキウキ、わくわく。
まずは、週末恒例の社内および花壇などを全員で清掃・手入れ!
そして机や椅子、バーベキューコンロを設置、時刻8:30・・・!?
まだ火をつけるには早いね、 ていうか早すぎだろっ!!
しばし本業に取り組む・・・しかし、心ここに非ず。
時刻11:00頃から火起こし、風が強く、だいぶ苦戦を強いられた。
そして12:00頃より、にくやき開始!!
まずは社長秘伝だれのラム肉の串(赤ワインが入っているらしい)
前日より、社長自ら漬け込み&ニンニクたっぷり!!
やわらかくてじゅーしー、まいうー!!
お次は、牛肉どーーーん!
写真撮ってたらスマホが焼けそうになる事件発生!
熱くてうまく写真撮れず・・・
わいわい!がやがや!うまーい!(本日は片側通行も徐行も橋梁点検も有りません)
食休みに野菜サラダ、カラフルだけど甘いトマトなどなど。
>締めには、味見の一口と言いつつ・・・大盛りの
満載.満足.満腹満(まんぷくみつる)
本日のメニューは以下のとおりでした。
肉肉肉肉肉野菜肉肉焼きそばアイス(これで10割)
ではまた!
A.H
【森林紀行No.6 セネガル,マングローブ林調査編】 No.16
ソコンカキ組合
ソコンの位置
ソコンカキ組合は文字通り,ソコンの町にある。ソコンに向かうには,我々が基地としていたフンジュンからは,車で東に向かい,パッシという比較的大きな町にでて,そこから南のトゥバクータ方面に向かう。ソコンは,パッシとトゥバクータとのちょうど中間くらいにあり,この周辺では比較的大きな町である。フンジュンから約1時間といったところである。
ソコンカキ組合で行った活動
ここでは,主に水産関係の活動を行い,普及啓発や環境教育も行った。この町ではマングローブカキの採取が盛んなため,それらの関係者によるカキ資源を保護するための漁期の設定などの合意形成のため天然カキ資源管理手法を導入したり,カキの養殖を試みたり,またカキ採取のために手足を保護する地下足袋や手袋の作製を行った。また普及啓発・環境教育では組合による文化・スポーツ活動と連携した啓発活動を行った。
ソコン周辺の地図
ソコン周辺の航空写真
天然マングローブカキの資源管理手法の導入
マングローブカキの取り過ぎを防ぎ,持続的に利用しようというのが目的である。マングローブカキはリゾフォーラの足に付き,マングローブの生態系へ大きく依存し生息している水産資源である。マングローブカキを採取し,販売することが,即現金収入に繋がるため,採取圧力が年々と増し,漁場が村から遠くなったり,採取されるカキの寸法が小型化してきていた。
これまでも雨期には,カキの採取を休んだり,休漁区を設けたということだったが,そうした取り組みは,それまで村単位で行われてきたため,他の村から採取者が入り込み,休漁期や休漁区を破って採取し,村単位での規制はうまく機能しない場合が多かった。そこで,ソコンカキ組合を構成する4村全てを対象として,全村が規則を守るという合意形成によって,カキ資源を守るという管理手法の導入を試みたのである。その4村とはメディナサンガコ, バンブガールエルハジ, サンディコリ,スクータという名の村だった。
住民ワークショップ
住民ワークショップ
活動計画
いくつかの管理対象とする漁場を選択し,休漁と決めた漁場では,カキが十分に成育するために必要な1年半の間を禁漁期とすることとした。その他の漁場は,輪番制で禁漁としていくシステムを構築していく計画を立てた。
そのため管理対象となる漁場を利用する全ての人びとが参加者するカキ資源会議を開催し,会議ではカキ資源の利用と管理に関する共通のコンセンサスを築く場とすることとした。また,カキ採取時の操業日誌の記帳を励行し,効果的な資源管理に活用することを計画した。
活動組織の確立
すでに機能していた組合執行部を統括組織として,その下に天然カキ管理委員会を設け,組合員,非組合員を問わず 関係者の連絡,調整体制を整えた。
活動結果
休漁漁場を法令化する手続きは煩雑で,住民だけで進めていくのは困難だったのでUICN(世界自然保護連合)の指導の下で行い,県知事も署名し,公的にも正式に認められるものとなった。それでも休漁開始当初は,休漁漁場でもカキを採取する違反の採取者が少数は認められた。しかし,その後,休漁を示す看板を各漁場に立てて以降,違反採取者は見られなくなった。
しかし,カキ組合員による操業日誌は2村で記載されたものの,他の2村では実行できなかった。やはり物事をきちんと記録していくにはまだ難しい点があった。また,今後休漁漁場が転換する時点で,UICNが行った県知事への届け出をソコンカキ組合が自立的にできるかどうか,ずっと継続していけるかがこのシステムがこの地で根付くかどうかが課題として残った。
天然マングローブカキの養殖普及
調査地域に含まれるのであるが,サルームデルタのやや北にあり,プティットコートと呼ばれる海岸線の町,ジョアルという町では天然マングローブカキの減少により,天然カキ採取から養殖カキへ生産への転換が進んでいた。
一方,サルームデルタではそれまで天然マングローブカキが豊富にあったため,本格的に養殖へ取り組んでいなかった。しかし,サルームデルタでもカキ漁場が村から遠くなり,寸法が小さくなる傾向があったため,上で述べた資源管理方法とともに,住民が手軽にできるカキ養殖の普及が必要だった。そのため,カキ養殖を試みたのである。
活動計画
上述したようにソコンカキ組合の4村を対象に,ギルランド(垂らした糸にカキを付着させる方法)とスレート板を用いた天然採苗と幼貝の地蒔き養殖試験を行うことした。養殖場では,一部を住民に開放し,住民自らがカキ養殖を行う場を提供し,我々の仲間であるカキ養殖専門家による定期的なコンサルティングの機会を提供することとした。
活動の経緯
最初の年は,バンブガールエルハジ村とメディナサンガコ村に簡易な地蒔き養殖場を設置し,UICNの担当者とカキ組合担当者が地蒔き幼貝の採取と計測をした。計測の結果,地蒔き後20日で4?5mmの成長がみられ,順調な生育状況が確認された。
地撒き養殖場の遠景
地撒き養殖場
地撒き養殖
また,1年目にバンブガールエルハジ村とメディナサンガコ村には,ギルランドとスレート板による天然採苗も行った。
2 年目はサンディコリ村とスクータ村に簡易養殖場を設置し,全4村でギルランドとスレート板による天然採苗を行った。
天然採苗では,ギルランドのカキ殻1枚あたり平均5個の稚カキが付着し,1.5?2ヵ月が経過した段階で2?3cmに成長した。スレート板には約200個/枚の稚カキが付着し,1.5?2ヵ月経過の段階で3?5cmに成長していた。
ギルランドによる養殖
ギルランドによる養殖
スレート板による養殖
スレート板による養殖
養殖試験の結果
次のような結果から,ギルランドによる養殖は,この地で成功する可能性が高いと判明した。
・ギルランドで採取された稚貝(メディナサンガコ約5,000貝,バンブガールエルハジ約7,000貝)は,その後比較的順調に生育した。
・スレート板で採取された稚貝(メディナサンガコ約4,800貝,バンブガールエルハジ約6,000貝)は,その後,熱の影響や食害のため多くが死滅した。
・ギルランドでは地盤から15?65cmの高さで稚貝の付着と成長が良い。
・屋根による日陰効果は高い。日陰のない場所では死亡率が高くなる。
・地蒔き養殖場は水流の影響が少ない場所が適地となる。
・地蒔きする前に,地盤に貝殻を敷くなど基礎を固める必要がある。
・食害の影響は場所により異なる。
課題
地蒔き,ギルランド,スレート板の3方法では,ギルランドを用いた垂下式養殖がもっとも成功した。住民もその点で自信を深め,垂下式養殖は普及の段階に入ったように思われた。住民自身の手により,ギルランドを用いた垂下式養殖をさらに押し進め,サルームデ ルタ内の他地域へも普及する必要があるというのが課題として残った。
類採取用防具の自給(地下足袋・手袋製作)
ムンデ村で行ったのと同様な方法でソコンカキ組合でも地下足袋,手袋を作製した。ソコンカキ組合では組合執行部がすべての活動の統括し,地下足袋・手袋の製作は組合内で製作責任者が任命され,この責任者が製作技術の普及を実施した。
1年目に4回,2年目に4回の製作講習会を実施し,1年目は講習会の対象者が組合のメンバーだけに限定された反省から,2 年目の講習会 は組合員,非組合員を問わず参加者を募った。
ソコンカキ組合では,カキ漁場の多くで泥が深いため,かかとがはずれやすいという問題点があった。そのため足袋底部の補強や足袋底材料の転換,紐の締結方法の改善などを進める必要性が生じたが,その後は住民の自主的な活動にゆだねた形となった。
スポーツ・文化活動と連携した啓発活動
ソコンカキ組合では,民俗芸能公演時やスポーツイベントの表彰式などで,我々のこの活動を紹介し,マングローブやカキ資源の重要性を訴えることとした。
一番の活動は,組合を構成する4村の合同サッカー大会時であり,この時に啓発活動を併せて行った。そこでは組合と各村の若者青年団との連携が強化され,サッカー会場となったサンディコリ村では,若者が中心となりリゾフォーラ植林も実施し,マングローブを保護するという住民の意識も高まった。サンディコリ村では,劇団結成の希望はあったが結成までには至らなかった。
つづく
入社して
入社してから2か月と半分が過ぎました。
新入社員は3日、3ヶ月、3年といいますが、その節目の3か月になろうとしています。
まだわからないことも多く大変ですが、仕事に資格の勉強と頑張って行きたいと思います。
最後に私の出身地の紹介を軽くしたいと思います。
出身は朝日村、特にこれといったもの無く、畑や山ばかりの土地です。
夏は野菜等が作られていて見ると面白いかもしれません。(春、秋は砂埃がすごいですが…)
人口は約4000人です。(すごい少ないと調べて感じました。)
最近できた新しい新庁舎ができたそうなので紹介します。
外装はこんな感じ。
内装はこんな感じ
実は庁舎が新しくなる前にこちらに引っ越してきたのでいまだに行っていません。
近いうちに行ってみたいと思います。
もし興味があったら朝日村に遊びに行ってみてください。