5月の駒ケ岳

社窓
5月の駒ケ岳

令和となってちょうど1年が過ぎました。
新型コロナウイルス感染症により、
1年前には想像もしていなかった世の中となってしまいました。

桜から新緑へと移る一番楽しみな季節となりましたが、
今は “STAY HOME
命を守るために、今できることをやりましょう。

2020年5月の南アルプス
5月の南アルプス

【増井 博明 森林紀行No.7 アラカルト編】 No.26_メキシコ

森林紀行

筆者紹介





ブエナビスタ村の山火事-メキシコ(シエラファレス山脈の村)

【村での山火事】
 ブエナビスタ村は、メキシコのオアハカ州のシエラファレス山脈の中の奥深い山中にあり、先住民のチナンテコ族の村ということについては、前の紀行文で記したとおりである。

ブエナビスタ村の位置

 さて、この村で1998年5月7日に、近隣の村の農地での火入れが原因で山火事が発生した。この山火事は周辺の多くの村にも延焼し、ブエナビスタ村にもこの2日後の5月9日午後3時過ぎに到達した。折から乾季であったことと、村は急傾斜地にあり、南からの風が火災をあおり、瞬く間に急斜面に火災が広がった。そのため、わずか一日、あっというまに、この村全域の森林に燃え広がり大規模な山火事となった。そしてこの山火事は一週間も続き、村の西の境界として流れている川で止まり、また山の上部はメソフィロ林と呼ばれる雲霧林まで到達した。さすがに雲霧林は湿気が高く、そこまでは延焼できず、メソフィロ林で鎮火したのだった。

ブエナビスタ村の遠景。
真ん中あたりの緑がある場所が村で、周りの森林は焼かれた

【人的被害等】
 幸い村は住居、村の周囲は農地として切り開かれており、村人は必死の防水で村までの火の侵入は防ぐことができた。村は大変な灼熱地獄だったとのことであったが、何らの人的被害はなかったことは、不幸中の幸いだった。しかし、火災の後に発生した土砂災害によって、村の上部に設置してあった取水口と村までのパイプラインが破壊され、その後、村は水不足に陥り、水道が復旧するまでは大変な苦労をすることになった。

山火事後、侵食された土砂で破壊された村の取水口

【森林の被害状況】
 我々は森林をどう取り扱うかの計画を作っていたが、計画を切り替え、山火事後の復旧計画作りをすることにした。まずは森林の被害の把握であるが、山火事跡地の森林を調査し、微害地、中害地、激害地と3ランクに分けた。微害地は樹木の枯死率が概ね40%以下とし、中害地は樹木の枯死率が40~80%の地域とし、激害地は樹木の枯死率が80%以上の地域とした。このランク分けでの結果は、微害地が7割、中害地が1割、激害地が2割だった。見た目は木の葉が燃え、茶色くなっているので、大被害を受けたかと思ったが、7割が微害地だったので回復は望めるとやや安堵したものである。
 激害を受けた場所は、南向きの急斜面、尾根沿い、下層植生が多かった森林や密度の高いマツ林だった。要するに風通しの良い場所や燃えるものが沢山ある場所だった。標高の高い雲霧林は湿気が高いので被害がなく、標高の低い乾燥林は下層植生が少ないためほとんど被害がなかった。 激害地では、完全に焼き焦がれた樹木もかなりの量であったが、枯死し、枝が焼けても幹は立木として残っているものも多く、そういった立木は使えるので、製材所への販売が急がれた。

山火事後に枯死した流木を販売するため伐採

【山火事の影響】
 山火事後の被害は、樹木が失われるという被害よりも、いわば二次被害であるが、土壌侵食に起因する土砂災害がとてつもなく大きかったことである。この土砂災害は教科書で習った通りで、現実に目の当たりにしたのは初めてであった。 それは森林の樹木が失せるとまず、表面侵食(sheet erosion)が起きることである。これは地表を面上に流れる雨水によって、表土が面状に薄く剥離されていく現象である。

表面侵食により流されてきた表土。すでにガリー侵食もみえる

 続いて、リル侵食(rill erosion)が起きることだった。これは、地表のわずかな凹んだ箇所に集中した雨水が斜面の下方に向かって流れ、多数の溝を並行的に刻む現象である。

この写真は急斜面であるが、並行的に多くの溝が刻まれている。
その下部は既に崩壊が起きている

 そしてこのリル侵食がもっと進み、ガリ侵食(gully erosion)を引き起こすのだった。これはリル侵食を深くし、谷のようにする場合もあるし、斜面と斜面の接合部などを谷にし、深い峡谷状の切れ込みにして行く。そしてガリ侵食が、渓岸浸食を引き起こすのである。この侵食以外に、焼けた樹木では、昆虫類が発生し、虫害となっていった。

ガリ侵食。山火事発生2か月後。
土砂が堆積し、小さな扇状地となっている
同じ場所。山火事発生5か月後。土砂が厚く堆積
下層まで焼けた森林でのガリ侵食
渓岸浸食。
真ん中の谷間のガリ侵食から斜面に崩壊が起きている
ガリ侵食で道路も寸断

 大規模な表面侵食が発生し、リル侵食、ガリ侵食となり、その土砂が流出し、さらに渓岸浸食を誘発したのだった。この侵食によって、既に述べたように、村の上部に設置されていた水源の取水口とパイプラインが破壊されてしまった。このため村では深刻な水不足をきたした。今までは、この水源から村に設置されていた大きなタンクまで鉄パイプで水を引き、このタンクに水を溜め、各家庭に水道を敷き、配水されていたのだが、水道から水が出なくなったため、村人は川までバケツを持って、水を汲みにいかなければならなくなり、大変な重労働が生活の一部に加わった。

【復旧対策】
 このような大被害に対し、我々は村人とともに、いろいろな対策を考えた。直接民主制の良いところは、村人が自分の思いを主張できることで、皆が納得して決まれば、自ら進んで計画の実行に参加することだった。実行に際しては、村にはテキオ(共同体での村を良くするための個人の無償の労働力提供)があることで、これは例えば、日本での町内会でも清掃に皆が参加するようなものであるが、実際は、もっと大規模で多くの時間を村のために費やさなければならないが、伝統的な良い制度だと私は思った。 色々な対策では、取水口の復旧や水管理、消火団の創設や通信網整備などの水に関連したプロジェクト、山火事で薪不足に陥ったために、薪林を作ったり、マツ林に手を入れ改良していくことや各家庭でかまどを改良し薪消費量を抑えるなどの薪関連プロジェクト、その他として復旧のための補助金を捜したり、人材を投入する対策などを立てた。

【緊急な土砂災害対策】
 特に緊急な土砂災害対策は次のようなものを立てた。基本的には、まず村として守らなければならない保全対象がある箇所に対策を立てることとした。具体的には農地や道路などを守るべき対象として、それに侵食が及ばないような防護対策を立てたのである。そしてその対策は、資材は村で調達でき、村人自身によって簡易に建設できる工法としたのである。
 具体的には、石積や丸太や枝を使ってのガリ箇所などでの土留めである。専門的にはチェックダムと呼ばれるものである。これは簡素で低費用な構造物である。これらは4~5年程度の耐久性は見込めたので、この間に森林が回復し、森林の下層に植生が再生すれば侵食の進行を抑えることができるのである。また、ひび割れが生じた土地には、すぐに土を埋め込み、大きなリルやガリーに発達しないような防御策を取った。 作った構造物を保護し、植生の更新と成長を促進するために、構造物の周囲の土地では、放牧を禁止し火災から保護したり、持続的に保全活動を行い、構造物の維持管理を定期的に行うために村人自身が規律を作った。

【天然更新】
 上層の樹木がなくなった後に、その木の次世代の芽が生えてくることを天然更新というが、マツ類は上木がなくなり、裸地になるとすぐに、大量に次世代の芽がでてくるのだった。この中で大きくなりそうなものを選んでいけば植林をすることなく、次のマツの林になることが期待されるのだった。

真ん中の芽が新たに生えてきたマツ。山火事後5か月
同じくロブレ(カシ類)の天然更新

【その後】
 プロジェクトは計画を作った段階で終了したが、村の取水口とパイプラインの再建には、日本大使館で草の根無償という資金援助の制度があったため、これをお願いし、資金を出してもらい村人自身で再建した。また我々は、メンバーの何人かが交代で村に入り、技術的な支援を続けたのであった。こうして村は徐々に復興していった。



つづく

春のお知らせ

社窓
社屋窓より見える桜

今週になり、ようやく会社周辺の桜が見ごろとなりました。
ようやく、とは言ったものの長野県の桜はほぼ例年通り、昨年よりは僅かに早い開花のようです。

今年も「社窓」より 桜の写真コーナーです。
毎年この時期になると思い浮かびはすれど、行くことのないお花見。
今年は屋内外を問わずイベントや人の集まる行事は自粛、中止が相次いでおり、お花見もその例にもれず。。。

とにかく今は、自衛のため、周りの人のため、不要な外出はしないことが一番!!
とはいえ年に一度、わずかな期間しか見ることのできない桜・・・
もどかしい。。。

そんな人々のために、Twitter上でも回っておりました、
『みんなのためのおうちでお花見』写真アップ大会に便乗(HP上ではありますが)してみました。

カメラの機能を色々と操作し撮影を試みるも上手くいかず、、、
ビビッドカラー、自然色 どちらがお好みでしょうか。
 

トイカメラ風?そしてジオラマ。。。
花の写真では効果が出ているのか、そうでないのかよく解らない…
 
 
 
 
 
最後に社屋と桜の写真。  桜がほぼメインですが。
今回の記事はページ目一杯に写真をアップしてみました。📷🤗

4月の駒ケ岳

社窓
4月の駒ケ岳

新型コロナウイルス感染症のまん延に伴い、新型コロナウイルス対策の特別措置法に基づく「緊急事態宣言」 が出され、各地でさらなるイベントや営業、外出等のさらなる自粛が求められる事態となっています。

外出等を控えて人との接触を8割減らす取り組みが必要とのことです。
様々な不便や我慢が必要となるところではありますが、
自分自身、また身近な大切な人の健康を守るために、
日々、できるうることを実践していかなければなりません。

弊社におきましても、
マスクの着用や手洗いの徹底、
Webを利用した非対面による打合せや業務の実施など、
できる取り組みをさせていただいております。

この春を乗り越えて、晴れやかに次の季節を迎えられる ことを切に願います。

4月の南アルプス

【増井 博明 森林紀行No.7 アラカルト編】 No.25_メキシコ

森林紀行

筆者紹介




メキシコ-シエラファレス山脈の村-ブエナビスタ

【信用されない最初の訪問】
「我々は、皆さんの村が持っている森林、特にその中のマツを皆さんが、持続的に利用して、村の発展に寄与できるような森林計画作りを協力するためにはるばる日本からやって来ました。是非とも我々がこの村に入ること、そして村の皆さんと共に計画を作ることに協力して下さい。」
「今、何といった?どこから来たって?」
「日本からです。」
「なんで日本から来たんだ?日本がどこだかわからんが、はるか遠い国だとは知っている。なんでわざわざそんな遠い日本からきて我々の森林をいじるのだ?」

ブエナビスタ村の位置

「それは、我々はメキシコの環境省に協力しているからで、具体的にはメキシコの森林を保護し持続的に利用する計画作りに協力しているからです。その一環で、天然林が沢山残っているこの村がモデル的に選ばれ、皆さんの村の発展を手助けできると思うからです。」
「金は誰がだすのだ?」
「もちろん協力側の我々です。村の資金は一切使いません。ただ、皆さんには森林を調査するのに手伝ってもらうことになると思います。」
「あんたたちは、我々が今までそうやってずっと騙されてきたことを知っているだろう。この村の上の道路だって、製材会社が道路を作ってやるといって、道路を作ったが、ついでに周りのいいマツを皆伐って持って行ってしまったのだ。上の道路からこの村に来る道だって同じだ。村まで道路を作ってやると言って製材会社が皆マツを伐って持っていってしまったのだ。我々の村の資金を皆持って行ってしまったのと同じだ。あんたたちだって同じだろう?」
「いいえ、我々はマツを伐ることはしません。守りながら持続的に使う計画を作るのです。あなたたちを騙すなんてことは絶対にしません。森林を上手に使えば成長した分だけを利用し、持続的に利用できるのです。再生可能な資源なのです。我々は国際協力でこの仕事をしているのですから、もちろん村の発展のためにしていて、ましてや騙すなんてことは絶対にしません。」

マツとカシの混交した天然林

「いいや、信用ならねえ。」
「ここにちゃんとメキシコの環境省の技術者もいるとおり、2国間で協力してやっているのですから、是非協力して下さい。」
「だいたい、誰がただで、森林の計画を作ってくれて、村の発展に協力してくれるのかっていうんだ?ただで何かをしてくれるなんてことは今までだって一度もあったためしがない。ウソに決まっている。帰ってくれ。」
「わかりました。今日のところは引き揚げます。でも、また説明に来させてもらいます。この周りの森林を見てください。伐られたといってもまだまだ、沢山良いマツがあるではないですか。これを持続的に利用できれば、村の資金となり、本当に村の発展に寄与できます。」
「もういいから帰れ。二度と来るな。」
「まあ、そう、言わずに。また、来ますからよろしくお願いします。」

と言って我々はその日は引き揚げたのだが、村人が今までどんなに迫害を受け、騙されてきたか、それが外部の人間を受け付けなくしているということが良く分かった。

【ブエナビスタ村の位置、民族】
ここは、メキシコ、シエラファレス山脈の中の村、ブエナビスタと言った。メキシコのオアハカ州の州都オアハカから北に向かい、我々はイクストランという村を拠点にしていたが、そこからまた約80km、車で約5時間の山道を入ったところにある村だった。ブエナビスタ村は、シエラファレス山脈の大森林の中を切り開いた村であるが、切り開いたのは、先住民のチナンテコ族だった。その昔、スペイン人達の迫害を逃れて、このような奥山に住み込んだものと想像される。そのそもそもの初めから外部の人間を信用できないのは当然だったのだろう。

【受け入れてくれる】
村のことはコムニダ(共同体)と言った。最初に行った時は、上で述べたように、村人から我々は全く信用されずに、追い返されたのだったが、 ねばり強く何回も通っているうちに、いままで村に来たメキシコ人にはない誠実さのようなものを日本人が持っていることを見出してくれたのだろう。 村人も打ち解けてきて、 人を騙すのではなく、本当に国際協力であることを理解し始めたように思えた。そしてとうとう、日本人が村に入ることを受け入れると言ってくれた 。マツを伐って持ってしまうことは絶対になく、マツを持続的に利用する計画作りで、それが村人自身が実行する計画なら森林には何の危害も加えられないということで、我々の調査を受け入れてくれたのだった。
我々はうれしくほっとした。おそらく先住民は、はるか太古にベーリング海を渡り南米に広がったものの子孫だろうが、日本人とも一部は同じ遺伝子を持っているはずだ。そのような同類としての潜在意識のようなものもあったのかもしれない。 そして調査を始めるや否や、最初から非常に協力的になってくれた。

シエラファレス山脈の林相

この村は調査中に山火事で大被害を受け、計画作りは山火事あとの森林の復旧計画にせざるをえなかったが、それはまた後に書くとしたい。

【宿泊】
最初に受け入れてもらってからは、村にはたびたび訪れ、長いと2週間~3週間くらい滞在した。泊めてもらったのは、村役場の施設か民家である。食事は民家で作ってもらった。村役場は住民たちがマツを売って儲けたお金で自ら建てたものである。役場の2階にサマーベッドと寝袋を持ち込み、多いと10人くらいで泊まった。女性団員も数名おり、それぞれ好きな場所を陣取り、雑魚寝である。いびきがすごい人がいてまいったことも多々あった。

マツを売った資金で村人自ら建設した立派な村役場

【食事】
我々は朝食、夕食は民家で頼んでおり、ほとんどがトウモロコシの粉をこねて焼いたトルティージャだけだった。昼もトルティージャの弁当だった。簡単と言えば簡単だが、これでは栄養失調になるもの仕方がないであろう。後にスペインに行ったときにトルティージャを頼んだら、オムレツのようで中身も沢山入っていて、全く違うもので、メキシコのシエラファレス山脈のトルティージャをかわいそうに感じた。11月の死者の日(日本のお盆に当たる)には村でパンを焼いたが、そのパンがコチコチに硬くなっても終わるまで毎日だされた。

【トイレ事情】
尾籠な話で恐縮であるが、トイレは生活する上で非常に重要である。役場の2階に宿泊していた時は、水洗ではあったが、すぐに故障し修理が大変で、溜め置き式の方がずっと清潔と感じたりしていた。そして民家に泊まったときには、トイレは溜め置き式であるが、水洗と同じように板の上に座って行う方法だった。そばにバケツに入ったトウモロコシの食べガラが沢山入っているのでなんだろうと思っていたところ用をたした後にそれで拭くのであった。私はできなかったので紙を使っていたが、ものがないところでは、いろいろと工夫しているものだと思ったものである。

【全員参加の直接民主制】
コムニダは、全員参加の直接民主制で、住民は農作業が終わってから夜8時くらいから遅くまでよく会議を開いていた。時々、論文発表の時のように金の音がチンとならされるので、もう発言をやめろという合図なのかと思っていると延々としゃべっている。あとで聞けば、眠る者がいるので、眠らないように居眠りを始めた者がいたらチンと鳴らすのだとのことだった。我々を受け入れるのも住民総会で口角泡を飛ばしさんざん議論したそうだ。 村の役員は何人か決まっていたが、いろいろ調べていくと影の支配者がいるようだった。それが誰なのかは最後まで分からなかったが、いることは確かな雰囲気だった。

【村の施設】
村にはバスケットコートがあり、若者は皆遊んでおり、我々も時々一緒に遊んだが、放し飼いのイヌが多く、イヌの糞がコートのそこら中に散らばっていて、糞の間をぬってドリブルをするのが難しかった。この不潔さはどうにもならないほどイヌが多く、イヌと共存している感じだった。 時々お祭りがあり、お祭り時には、張りぼての大きな人形が持ち出され、かぶると3m近くも背が高くなるのだった。

村のお祭りの時に持ち出された大きな人形、
バスケットボールコートもある

【村人】
テポナックス村の記事でも書いたが、おばあさんたちはスペイン語が話せないものが多く、この村の若者もアメリカへの出稼ぎが多かった。そして銃を持ち帰るものが多かった。中には英語がちゃんと話せるようになって帰るものもいて、非常に助かった。通訳を雇うこともあったが、基本的にメンバーは英語ができてほぼスペイン語が出来るのだったが、中には英語だけのものもいて、その団員には案内人として英語がしゃべれる村人を通訳としても雇うことで大いに仕事がはかどった。 村の入り口には村人のためではあるが小さいながらも万事屋(よろずや:食料品、日用雑貨を売るなんでも屋)があり、ここではメスカルというリュウゼツランで作った焼酎を売っていたので、我々も時々ペットボトルを持っていき、量り売りで売ってもらった。夜はちびりちびりとそのメスカルを村人と共に飲みながら親睦をはかるのだった。


つづく

毎年恒例の…

ゼンシンの日々

我が家では、春休みに遅いバレンタインデーのチョコレートを

子供と一緒に作ります。

超簡単レシピですが、子供たちはとてもおいしいと喜んでくれています。

コロナの影響で今年は気分転換もでき、楽しく作ることができました。

次回は、子供たちがチョコバナナを作ってくれるそうです。\(^o^)/

ホワイトデー

ゼンシンの日々

新型コロナの影響で外出等を控えていますが、3月14日はホワイトデー。
バレンタインデーにチョコを貰ったので、お返しを と思い。
長年の労をねぎらう意味をこめて

朝から

フレンチトースト

お昼は

カルボナーラ(大盛り)

夕食は

オームライス・・・(我が家で流行中)
駄洒落でも親父ギャグでもありません。

高度な日本語遊び!

さらには

オームライス(自分用)リアルすぎで食欲が・・・
ほんの遊びで焦がしてみたら、ラスボス感あるな・・・
「オームの怒りは大地の怒り」なんちゃって。
気がつけば卵料理ばっかりだけど・・・

話は変わって家の外では春を告げる

福寿草!! いい名前ですね
花言葉は永久の幸福、思い出、幸福を招く、祝福。

早く新型コロナが終息することを祈って

A.H

私のおすすめ

ゼンシンの日々

 今回のゼンシンの日々ですが、私が学生時代に生活していた町を紹介したいと思います。

 生活していた町は木曽福島町です。かつては中山道の宿場町としてさかえていて、今でも古い町並みを残しています。今回はそんな木曽福島町の、おすすめのイベントについて紹介します。

 特に有名なお祭りは、担いだ神輿を投げる「みこしまくり」です。町中をみこしを担ぎながら回って所々で神輿を投げるのですが、投げる瞬間はとても迫力があり、とても大きい音が響き渡ります。大人から子供まで参加していてとても活気のあふれるお祭りです。

 ほかにもいくつかの行事があるのですが、特に私がお勧めしたいのは「雪灯りの散歩路」です。毎年冬に開催しているのですが、氷で作った土台にろうそくを設置し、道のわきや建物に飾るという行事です。ろうそくの灯りが雪で反射するところもきれいですし、古い町並みということもあって幻想的なお祭りとなっています。

 みこしまくりのような派手なお祭りではないですが、家族や友人と訪れても面白いと思います。

 最近ではコロナウイルスやインフルエンザでこのような行事は実施できませんが、来年以降の落ち着いたときにいろんなお祭りに参加してみてください。面白いものが見つかるかもしれません。

 また、機会があればその他のお祭りも紹介したい思います。

3月の駒ケ岳

社窓
3月の駒ケ岳
3月の駒ケ岳

とうとう雪かきの出番も無く、3月を迎えてしまいました。
暖かい日、寒い日を繰り返しながら、徐々に春を迎えています。

新型コロナウイルスによる感染症の発生により、学校の臨時休校や各種のイベントの中止、施設の休演など多方面において大きな影響がでています。

不要不急の外出を控える、手洗いの徹底、マスクの着用などによる咳エチケットの実施などとともに、健康管理に努めて免疫力を高めるなど、一人ひとりができることをすることが感染の拡大防止につながるとのことです。

早く終息をして、穏やかな春を迎えられることを願うところです。

3月の南アルプス
2020年3月の南アルプス

【増井 博明 森林紀行No.7 アラカルト編】 No.24_エクアドル

森林紀行

筆者紹介





エクアドル-アマゾン川源流域でチーチャ(先住民の酒)を飲む

【許可を求めての挨拶】
 私とモリーナ(エクアドル森林局の技術者)は、森林調査の対象となっている森の前に住む先住民(インディオ)の家に来て、挨拶をしていた。数日後に、この森の調査をしたいからだった。
 幹線道路から少し入ったところに彼らは掘立小屋を立てて住んでいる。車から降りて少し歩く。直射日光は、とてつもなく暑い。 家を覗くと男は野良仕事に出ていていないようだった。奥さんと幼い子供が沢山いる。それにお婆さんがいる。お婆さんはスペイン語を解さないようだった。家の前でモリーナが挨拶をし始めると、奥さんは家の中に上がれと言う。そこで、運転手を置いてモリーナと2人で家に上がる。家は高床式になっていて、地上から1.5m程の高さの床に上がった。上がると四方の柱に加え途中に何本かの柱があるが、壁はなく屋根はカヤブキであった。雨が多く、暑いので雨をしのぐだけで風は吹き通しだ。

アマゾン川源流域

【チーチャを勧められる】
 モリーナがひとしきり世間話をし、「森林調査をしたいので、数日後にこの奥の森に入らしてもらいたい。」と説明を始める。すると、そばにいるお婆さんが何やらやり始めた。一体いくつくらいだったのだろうか。70才くらいには見えたが、このあたりの歳の取り方からみると60才台、もしかすると50才台か40才台だったのかもしれない。 そのお婆さんが、真っ黒な汚れた手を壺に突っ込んで、何やらつかみそれを絞って、やや黄色がかった半透明の液体をどんぶりのようなお椀に入れている。そしてモリーナと私との二人分の液体をどんぶりに入れるとモリーナと私の前にそのどんぶりを差し出し、「飲め。」と言う。

【チーチャとは】
 モリーナが、「これはチーチャという飲み物だ。」と教えてくれる。「これはお婆さんがユカ(南米原産で、塊根がサツマイモに似て大きく、先住民が主食としている食べ物)を噛んでツバと一緒に壺の中にはき込み発酵させたものだ。汚くないから飲め。」と言うが、なにやらバッチイ。後年ジンバブエでA型肝炎に罹り、死ぬ思いをしたことを思い出すとこの時はまだA型肝炎の抗体を持っていたのだろう。

アマゾン川の支流が交わる地点

【チーチャをどんぶり一杯飲む】
 出してくれたどんぶりは大きく、チーチャは1リットルくらいは入っている。飲むのをためらっているとモリーナが「俺も飲むから飲め。」と言う。そしてモリーナが飲み始めた。私もおそるおそる飲むと、舌がややピリピリする。少し発酵しているようだ。しかし、あまり強いアルコール分は感じなかった。ビールよりはるかに薄いようでアルコール分は、1~2%くらいだろう。300ccくらい飲んだ。不味くない。結構いける。私としては大分飲んだつもりであるが、まだ相当残っている。モリーナは「飲め。飲まないとこの奥の森に入れないぞ。」と言う。「そうか。じゃあ飲むから上手く説明して、森に入る許可を取ってくれ。今から飲むぞ。」と残り700ccくらいを一気飲みした。暑くて喉が渇いていたので一気飲みで飲み干せたのだった。アルコールが入っていたからかも知れない。

【もう一杯勧められる】
 するとお婆さんはそのどんぶりを取り上げ、「良い飲みっぷりだ。もう一杯飲め。」とまた壺の中に汚い手を突っ込んでチーチャを絞っている。彼女らにしては一番のごちそうをふるまってくれているのである。 「アー。こんなことならもっとゆっくり味わって飲むのだった。」と思っても後の祭りである。モリーナを見ると彼は1杯目をゆっくりと飲んでいる。ずるい。しかし、モリーナは、「飲め。Masui。飲まないと仕事ができないぞ。」と同じことを繰り返す。すると1杯目が効いてきたのか、体が少し熱くなり、顔も熱くなってきた。「まあいいだろう。結構うまいよ。じゃあ2杯目も飲むぞ。あとの交渉はよろしく頼む。」とモリーナに言って2杯目もまたもや一気に飲んでしまった。するとアルコールが少し効いてきた。いくらアルコールが薄いチーチャと言っても2リットルも飲んだら缶ビール1~2本分くらいのアルコールは含んでいるだろう。

【至福の時】
 モリーナの交渉も終わり、その先住民は明日以降、我々が裏の森に入るのを了解してくれた。私は眠くなってしまい、そこで横にならしてもらった。床は何となくすえた汗臭い臭いが染み付いているが、私はまるで先住民になったような気分に陥り、少しの間、転寝を楽しんだ。この瞬間は、仕事も社会のわずらわしいことも全てを忘れさり、まるで天国にいるような至福の時であった。

南米
エクアドル

【蝕まれる環境】
 上記の話は1986年のことで、今から34年前のことである。この時エクアドルのアマゾン川源流域では、日本では明治時代に行った官民有林区分と同じようなことが行われていた。官民有林区分というのは、所有不明な森林を国有か私有かはっきりと区分し、所有権を確立しようというものだった。そこには林地からも地租(固定資産税)を取ろうという意図があったものだが、エクアドルの場合は、まずは、蝕まれる森林を何とか保護しようというものだった。
 誰も近づけなかった密林のアマゾン原流域に石油が発見されたため、その採掘道路が作られ、その道路に沿ってアンデス山脈上の貧しい農民が続々と入植してしまい、それが続いているのだった。密林内では先住民(インディオ)と入植者の間に軋轢が起きていた。政府はこのため、国有林、先住民地域、入植者地域と所有をはっきりさせたかったが、先住民にとっては元々彼らの土地、そこに新たに入って来た者に譲る土地はないのに、どんどんと蝕まれていくのであった。入植者にとっても死活問題で、新たに入植してくるものは奥地、奥地へと森林を切り開いていくのだった。政府がいくら線引きしても、その通りにはいかず大混乱を起こしていた。
 当時の先住民はこの時点から15年前くらいまでは、全く自然な生活で裸族であったと部族長から直接聞いたので、約半世紀前、1970年くらいまでは、上述した先住民のおばあさんたちも裸族だったはずである。入植してきたものにならい、着物を着て文明化していったと言えばそうではあるが、自然に溶け込んだ生活とどちらが幸せであったろうか? 樹高50mを超える巨木が伐採されていく光景は、壮観ではあったが、空恐ろしいものだった。それが今日、わずかではあるかもしれないが、地球温暖化の一翼を担っているであろう。森林は再生可能であるが、一旦農地になったら、それを森林に戻すのは非常に難しいことである。このあたりの森林は、現在は、ほとんど伐採されてしまったようで農地やヤシ園などに転換されたようである。急激に文明化した先住民の多くも農場で働くようになってしまったのではないかと、また、チーチャもビールやロン(サトウキビで作った蒸留酒)などにとって代わられているのではないかと想像される今日である。

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