1月の駒ケ岳

社窓


1月の駒ケ岳

新年あけましておめでとうございます。

皆様にとって佳き年となりますようお祈り申し上げます。

本年もよろしくお願いいたします。

 

本年の干支は亥(猪)。

中国など他の国の多くでは“亥”はブタをを指すそうです。

これは、日本ではもともとブタを飼う習慣がなく、イノシシが狩猟の対象となっていたことに由来するそうです。

 

この“亥”という字、

元来は「草木の生命力が種の中に閉じ込められた状態」を表わしていたそうです。

新たな芽吹きを迎えられるよう、しっかり力をつけていく1年にできたらと思います。

 

[南アルプス]

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12月の駒ヶ岳

社窓

今年の冬はかなりゆっくり。

中央アルプスの積雪も例年と比べてもかなり少ない様子です。

それでも遅かれ早かれ本格的に冬はやってくるでしょう。

 

さて、いよいよ平成30年も残すところ僅かとなってきました。

平成最後の年末は、

“終わりよければ全てよし”

となるようにしたいと思うところです。

 

[南アルプス]

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信州花フェスタ2019

ゼンシンの日々

来年、4月25日から6月16日まで開催される「信州花フェスタ2019」をご存知でしょうか。

メイン会場が信州スカイパークの空港周辺のターミナルゾーン(やまびこドームがあるところ)とサブ会場の国営アルプスあづみの公園の2地区と長野県烏川渓谷緑地でおこなわれます。

信州スカイパークの一角に建設する休憩所の工事監理業務で参加?させていただく事となりました。

久しぶりに、枯れ葉舞う”スカイパーク”に行きますと、公園の再整備工事が真っ盛り。

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工事前の写真:中程にあるステンレス製のモニュメントが・・・

 

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工事中の写真:モニュメントが消えた。(ちょっとわかりづらいですが、中央付近にあったはず・・・)

 

 

あちらこちらで工事が行われ、工事エリアを縫うように”公園利用者”が散歩やウォーキングなどをしています。

担当する場所に行くにも、遠くの駐車場からぐるりと回って歩いて行かねばなりません。(早く公園乗入許可証を取得せねば。)

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工事中の写真 オレンジネット内は工事中。

DSCN6810.JPG DSCN6811.JPG DSCN6813.JPG 工事フェンスに取り付けられた、会場イメージ図

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松本空港滑走路脇のDエリア(北アルプスと花の丘)では、苗の植え付けが始まっています。15万本の花壇ができるそうです。地元の小学校が苗づくりに参加している立て看板も掲示

 

フェスタ事務局の話では、今の工事は年末から年明けにかけて完了する予定。以降、さらに多くの事業が発注され、3月には花を植えたり会場造りでピークを迎えるそうです。

担当業務が、まともにこれに巻き込まれたら大変と施工業者さん始め、上から下まで大慌てで準備や協議を進めています。

ともあれ、厳寒期に行われる工事ですので、想定通りには行かないことは皆さん承知の上ですし、待った無しでフェスタは開幕されるし・・・・

 

 

プロコン観覧記

ゼンシンの日々

10月末に“高専プロコン”を観覧してきました。全国高等専門学校プログラミングコンテストの略称です。高専ロボコン(アイデア対決・全国高等専門学校ロボットコンテストの略称)に比べ地味な大会です。今年の本選は、国際プログラミングコンテスト大会を兼ねているとの事で、次の3部門のコンテストが開催されました。

課題部門:ICT活用による地域活性化に寄与する作品

自由部門:自由な発想で開発された独創的なコンピュータソフトウェア作品

競技部門:陣取りゲーム「巡りマス」

です。

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【プロコン会場:アスティ】

先ずは、競技部門から観覧しました。

会場の床に最大12×12のマス目が描かれたA?Lのフィールドが12面設けられ、各フィールドで一斉に対戦が開始されます。両チームのエージェントがコマンダーの指示でマスを移動しながら陣地を占有し得点を競い合う、オセロと囲碁を組み合わせて複雑にしたイメージ?のゲームです。

結局、ルールは何となくしか理解することはできませんでしたが・・・。

各チームが開発したソフトウェアで作戦が組み立てられながらゲームが進行しますが、ビジュアル的には、いたってアナログ感が一杯です。試合が混沌としてくるとPCよりも、直感で次の一手を打っているチームも有るような・無いような・・・。

場内には、アリーナJDの実況放送が響き渡りますが、応援は時折声援が掛かるくらいで静かです。そんな中でもゲームはスピーディーに進行し、コマンダーがエキサイトする場面もあり学生達の熱気も伝わってきました。

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【競技部門:対戦フィールド】

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【ルールの解説:・・・よくわからない】

次に、課題部門・自由部門を見学しました。

一般公開されるのはデモンストレーション会場です。各校に割り当てられた展示ブースは2m四方のエリアで、高さ2.4mほどの展示用パネルと会議用テーブルが設えられ、学生達がスーツ姿でデモンストレーションを行っています。いくつかのブースで説明を聞きました。アイデアは理解できましたが、技術的な説明は難しすぎて・・・。

何れにしろ、開発したソフト・既往の技術の応用や転換・各校で研究や継承されているものを駆使して半年間で作品に仕上げ、作品の説明に熱弁を振るう学生たちの姿勢や真摯な取り組みに、こちらも惹起されてしまいました。

 

プロコンやロボコン共にではありますが、協賛企業が多い大会と感じます。プロコンは60社余りが協賛し、10数社が企業展示ブースを設けていました。

残念ながら、時間的に最後まで観覧できず、会場を後にしました。

11月の駒ヶ岳

社窓


11月の駒ケ岳

1か月前には、まだ台風が通過し、30度近い気温の日もあったはずが、

10月15日には中央アルプで初冠雪。一気に麓まで紅葉が進んで、今が見頃となっています。

ハロウィンが終わり、平成最後の年賀状が発売開始となりました。

紅葉と同様に、一気に年末へと進んでいると感じるところです。

 

[南アルプス]

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【森林紀行No.6 セネガル,マングローブ林調査編】 No.21

森林紀行

バスール(Bassoul)村

村の位置や活動

Bassoul村は、以前書いたMounde村のやや奥にある村である。基地としていたフンジュンからボートで1時間半くらいサルーム川を河口方面に下った場所にジルンダ村があり、そこからムンデ村への水路を通過し、さらに約30分程度細い水路を入っていった場所にある。

ここは、この業務の管理を委託していたWAAMEが、ずっと前から関わっており、住民達も啓発されていたため、パイロットプロジェクト村として選んだ経緯もある。ここで行った活動は、村落林の造成とエトマローズの燻製改良かまどの導入である。

 

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バスールの地図

 

 

バスールの航空写真.jpg

バスールの航空写真

 

 

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ボートを降りてバスール村への桟橋

 

 

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バスール村

 

 

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村の中のモスク(イスラム寺院)

 

 

コミュノテー・ルーラル(CR):村落共同体

セネガルにはコミュノテー・ルーラル(CR)というものがあり、これは村落共同体という意味である。村落共同体は,いくつかの村が集まった共同体で,その長が郡長というものである。言ってみれば,日本の郡にあたるもので,日本では群は住居表示の区画だけであるが,セネガルでは郡が,行政機関となっていて,そこに長がいて,それが郡長というものだった。この時点では、CRは実質的にあまり動いていなかったが将来的にはCRが行政の中心となっていくものと思われていた。

そのためバスールではCRが村落林の造成と燻製改良かまどの管理に関わっていくようにプロジェクトを進めた。

 

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ワークショップ

 

 

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ワークショップ

 

 

 

村落林の造成

バスールの村での計画策定ワークショップで、村落林の造成が選定された。以前から書いているようにサルームデルタではマングローブ材の利用が盛んで、マングローブ林保全にはマングローブ材の代替材供給が必要となることから村落林造成を計画したものだった。

 

 

活動計画

マングローブ林の代替材として Eucalyptus sp、Melaleuca sp、Prosopis spなどの植林地を2年間で約1ha造成する計画とした。植栽密度は 1,111本/ha、植栽間隔は 3m×3mとした。

 

 

計画の実施

バスール村では管理委員会の中に村落林村民委員会が設置された。

 

 

活動の経緯

村落林造成の作業としては、村民による位置再確認、囲い資材の調達・搬入、囲い設置、苗木調達・搬入、苗木植栽等を行った。

 

 

造成地

バスール村の造成地は、2003年7月に開かれた村民総会で、ンダムバラという場所にすることが決定された。また、このとき2年目からの村落林造成用に苗木を生産するための苗畑をチアムブラケという場所に設けることが決定された。

ンダムバラの造成地は3年にわたって拡張可能であり、1年目の造成区画として0.5ha(100m x 50m)の境界設定と家畜の食害を防ぐための杭打ちと網囲いの設置を行った。植栽は村落林村民委員会と GPF(女性向上グループ)のメンバーを中心に2003年9月中旬に実施された。1年目植栽用苗木は、森林局のフィムラ苗畑で調達し、村に搬入した。

植栽樹種と本数は、Eucalyptus camaldulensis 100本、Prosopis julifloa 200本、Melaleuca leucadendron 70本、 Acacia mellifera 200本で、植栽間隔は3m×3mで混植した。中間段階で家畜の侵入のおそれがあるため有刺鉄線を張る対策を取ることとなった。

2年目は村落の苗畑を作り苗木を供給したが、十分ではなく不足分はWAAMEが提供した。植栽樹種は1年目と同様でEucalyptus camaldulensis 300 本、Melaleuca leucadendron 140本、 Prosopis juliflora 160 本、計600本を植栽した。植栽地周囲には Acacia mellifera 100本を2004年8月に植栽した。1年目は男性4 名、女性19名と参加者が少なかったが 2年目は男性5名、女性53名と女性の参加者が大幅に増加した。

 

 

生存率

1年目の植林木の生存率は 2004年9月時点では

Eucalyptus camaldulensis 152本(76%)

Melaleuca leucadendron 30本(60%)

Prosopis juliflora 1本(0.5%)

Acacia mellifera 38本(38%)だった。

 

2年目の植林木の生存率は 2004年9月時点では

Eucalyptus camaldulensis 234本(78%)

Melaleuca leucadendron 97本(69%)

Prosopis juliflora 153本(96%)

Acacia mellifera 248本(79%)だった。

 

 

将来性

村落林造成では植栽樹種として薪材、建築用材等として新規導入樹種やユーカリなどを植林し、最も生存率が高く、植林が成功する可能性が高いのはユーカリだった。これより Eucalyptus camaldulensis を中心に植栽し、囲い用の樹種としてトゲの多い Acacia mellifera を植栽することが考えられた。しかし、その土地に適した樹種もあり、またカシューなど実の販売収入の期待できる樹種もあり今後は、その村落での状況を調査し、適木を植林する必要があると思われた。

 

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メラリューカ

 

 

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ユーカリ

 

 

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植林地

 

 

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成長した植林地

 

 

 

エトマローズ燻製改良かまどの導入

以前も記したようにサルームデルタでは、エトマローズを燻製加工するためにマングローブ薪材が用いられていた。自然による枯れ木の発生量よりマングローブ薪材の需要量が増加すれば、マングローブの生木を伐採する事態を招くため、燻製用薪材の消費量を抑制する必要があった。その方策のひとつとして、当時用いられていた燻製かまどの熱効率を改善することによって、マングローブ薪材の消費量を抑制することを目的とした。

 

 

活動計画

当時サルームデルタでみられたエトマローズ燻製かまどは、幅や長さにばらつきはあり、エトマローズを金網の上に一段に並べ下から薪で火をくべる方式だった。並べた魚をトタン板で覆うものの、ほとんどの煙が外部に放出される開放式なので熱効率の改善が必要であり、そのために次の改良を行った。

 

1)開放式を密閉式に転換することで熱効率を高める。

2)一段式を二段式にすることで、薪の消費量を抑制する。

 

上記の2点を達成するため、かまどに天井と開閉扉を設けて密閉式とし、加工魚の出し入れを容易にするため、金網バスケットを採用した。

 

 

活動の実施

バスール村では、CRレベルで環境委員会の下に燻製かまど管理小委員会の設置を予定し、メンバーの人選は終了したが、活動がバスール村のみで実施されたことから実質的には機能しなかった。

バスール村のレベルでは統括組織として村の管理委員会が設置され、その中に燻製かまど管理村民委員会が設置された。さらにその下にかまどの建設と保守を担う建設・保守班と加工・販売班が組織された。

 

 

活動の経緯

CRバスールでは CR議員、CRアニメータ、村民組織代表者などが出席した2003年7月の総会で、かまどの建設をタムバイエという場所にすることが決定された。

改良型かまどと従来型かまど各1台の建設は 2004年2月に完了した。2004年4月から6月までに 3回の試験を実施し、改良型かまどと従来型かまどの効率を比較した。

 

 

活動結果

燻製加工試験の結果、100kgの原料魚を燻製加工するのに必要な薪量は、従来型で32kg、改良型で14kgだった。このことから、改良型燻製かまどの使用で薪の消費量は57%削減できることが判明した。歩留まり(最終製品重量の原料魚重量に占める比率)では改良型かまどが26%、従来型かまどが22%であった。

作業に従事した女性グループから改良型かまどの利点として次の点が判明した。

・作業性の向上;金網バスケットの使用と密閉による燃焼の安定化により、作業時間が短縮された。

・品質の向上;品質が全般的に均等で歩留まりがよく、味が良い。

・衛生面の向上;砂を使わず魚を並べられるので、衛生面が改善した。

・煙害の低下;煙が外部にでないので、服に臭いがつかず平服で作業できる。

・製品が清潔;そのままナベに入れて調理することができる。

 

CRバスールで加工された製品は村の商人に引き渡され、その商人も改良型かまどによる燻製品の品質の良さを認めていた。

 

 

将来性

この時点の課題として以下の事項が残された。CRバスールでは、原料魚入手の困難さと組織づくりの遅れから、改良型かまどが有効に稼働した状況ではなかった。バスール村での活動継続を確実なものとしながらCR主体の管理体制づくりを進めることで、改良型かまどの稼働性を高め、展示効果をさらに発揮させる必要があった。

また、サルームデルタ全体で、マングローブ薪の消費を抑えるためにエトマローズの燻製かまどを従来型から改良型への転換が必要であり、さらに総量規制が必要という課題が残った。

 

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改良型燻製かまど

 

 

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金網バスケット

 

 

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燻製の開始

 

 

 

村長の家に泊めてもらう

バスール村では、よく村長の家に泊めてもらった。村長の家は2階立てで新築だった。その2階に、多い時には10人くらいで雑魚寝した。

一緒に行ったダカールからの森林局の職員は、イスラム教のお祈りをよくしていた。お祈り中に、たまたま私が話しかけてしまった時があるが、全く気が付かないようで陶酔状態となっているようだった。また、この方の2人いる奥さんの1人が超過の乗船客で船が沈むという海難事故で不幸にも亡くなったこともあった。

 

 

ゴキブリの話

村長の家のトイレは外についており、最初に夜中にトイレに行った時には、気がつかなかったので、そのまま入ったら、イスラム式の便器の丸い穴からゴキブリが何千匹とも思われるくらいどっとでてきて、床面一帯が真っ黒になりサッササといなくなった。他のメンバーに聞くと皆同じ思いをしており、入る時にはドアを蹴ってから入るようにしているというので、私も次からまずドアを蹴ってゴキブリを追い出してから入ることにした。

昔インドネシアで見たパイナップルが真っ黒になっていたのが、全部ゴキブリだったのとどちらが多いか思い出したものだった。時々女性メンバーも参加していたから彼女たちも同じようにしていたと思うが、協力隊など女性メンバーの方が多く、全くたくましいものだと思ったものである。

 

 

ワールドカップ

ちょうど日韓ワールドカップを開催している時にセネガルに行ったことがある。2002年5月31日、ソウルで行われた開幕戦で、前回優勝国のフランスが初出場のセネガルと対戦し、セネガルが1対0で勝利したのを日本で見て、翌日セネガルに向かった。

そしてセネガルがリーグ戦を戦っている時にバスール村にいたことがあった。その時は仕事にならなかったが、セネガルが得点を上げるたびに、村中から大歓声が上がり、島が揺れているようだった。テレビを持つ人は少なかったが、その家に皆が集まり、大応援をしているのだった。

このときセネガルは、予選リーグを勝ち上がったが、決勝トーナメント1回戦で敗れて残念だった。

ワールドカップと言えば、その後2010年にセネガルに行った時に、南アフリカで開催されていたワールドカップで、決勝トーナメントで日本がパラグアイと戦い、PK戦で惜しくも敗れた試合もダカールの森林局で見ていたのを思い出す。

 

 

運動能力の高いセネガル人の体型

そこで思ったのだが、アフリカに長くいて陸上のオリンピックでの日本選手の短距離から長距離までの走りは、欧米の白人選手に比べて大健闘だと思った。それは黒人の素質による速さに対して努力で頑張っているという意味であるが。

 

セネガル人は、背が高い人が多く、日本人より男女共10cmくらいは背が高いのではなかいかと感じていた。私と一緒に仕事をしていた人、森林局の人と比較したのだが、彼は185cmで、私が170cmなので15cm身長が違うが、座ると座高は同じだから、足が15cmも長いのだ。それもスネが10cm、モモが5cm長いのだ。

それに頭の大きさが小さいのだ。私は54cmくらいだが、彼は50cmくらいで、私の帽子がブカブカで、これは走る上で大きな素質と思った。また、腕が長いのでヤジロベイのように重心が支点の下にあり、バランスが良いのだろう。

 

腕が長いといえば、前にも記したが、村でのワークショップ時に、壁に模造紙を貼り付ける時、私が背伸びして手が届かない所を一緒に仕事をしていた女性が手を伸ばし張り付けてくれたことがある。その女性は、身長が165cmくらいで私より5cm低いのに手を伸ばしたら私より10cmくらい上に行くので、びっくりした。スタイルが非常に良いのだ。その女性は細くて柔軟性が非常に高いように見え、オリンピックの200mで優勝したアリソン・フェリックスのような感じだった。

 

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スタイルの良い女性。私から右に3番目にいる女性。男の体型も良い。

 

 

それから、秘書の女性が、仕事は大変に良くできる上に、素晴らしい体形で、オリンピックの短距離選手のような体つきで、100mをコーチについて練習すれはオリンピックでも出場できそうな体型に思えた。この方は筋肉質に見え、やはりオリンピックで優勝したジャマイカのキャンベル・ブラウンのような体つきに見えた。

 

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運動能力の高そうな秘書の女性

 

 

男の筋肉質の体も素晴らしい。小型のエンジン付きのボートをいつも使っていたが、その船頭がウエイトトレーニングでもしているように実に素晴らしい体をしていた。エンジンが非常に重いのに軽々と扱っていた。彼らは、米に魚を乗せたような貧しい食事しかしていないのに何でこんなに筋肉質になるのか不思議だった。腕の力こぶが自然とでていて筋肉のみというように見えた。

 

それから前にも記したが、井戸の水をつるべ落としで汲むが、一杯10Kg以上はありそうで、10m以上もあるロープを引っ張り上げるのが私でも大変だったが、まあ小さい女の子が全身を使いタイミングよく引っ張り上げていた。日本の子供じゃあ上がらないだろうと思われた。慣れもあるが、すごい運動神経と能力を持っていると思った。

 

もしアフリカ人が先進国と同じ様に一般の人が豊かになり陸上の競技人口も増え、栄養も良くなれば今よりはるかに上の記録がでるだろう。マラソンでも2時間を切るのに近づいてきたが、そのうちきっと黒人が最初に切るだろう。

 

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村人が気持ちよく受け入れてくれたバスール村

 

 

 

つづく

 

 

 

10月の駒ヶ岳

社窓


10月の駒ヶ岳

大型の台風24号、25号と続けて日本列島を通過して行った後、

アルプスの山頂から秋が訪れているのが、目に見えて判るようになってきました。

今年は、9月に入って台風の影響もあり、長野県全体で多雨となりました。

そのおかげなのか判りませんが、今年はきのこが豊作とのこと。

おかげで秋の味覚を楽しめている反面、きのこ採りでの事故も非常に多くなっているようです。

安全に、楽しく、季節を満喫したいものです。

[南アルプス]

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【森林紀行No.6 セネガル,マングローブ林調査編】 No.20

森林紀行

ンバム(Mbam)村

村の位置や活動

 ンバム村は基地としたフンジュンのホテルから車で5分程度と近く、活動はし易かった。この村もエビ漁が盛んだったのでライフジャケットの製作を行った。ライフジャケットの製作はカマタンバンバラ村で記したように、この周辺は、国が定めたエビの禁漁期、それは主に乾期であったが、その禁漁期に違反操業をする者が絶えなく、その原因は、水産物が住民の食料源であることと、また、この地域の乾期には生業活動がなかったためである。そのため乾期の生業作りにライフジャケットを製作することになったのである。

 

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ンバム村の地図

 

 

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フンジュンのホテル

 

 

 

フンジュン周辺のマングローブ

 

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フンジュンの渡し場付近でWAAMEが植林したリゾフォーラ。塩分濃度が高く成長しない

 

 

 ンバム村の当時82才の長老チャレさんに村の話を伺ったときのことだが、1942年に大飢饉があり、その時はアヴィセニアの種子を食べてしのいだとのことだった。この周辺に調査時にはほとんどアヴィセニアはなかったが、当時は大量にあったとのことだった。またリゾフォーラは森のように繁り、対岸が見えないほどだったとのことである。この30年でマングローブはほとんどなくなってしまったとのことだ。

 

 

エビ漁

 エビ漁は、夜中に水深が深い川に入って行わなければならず、海難事故が絶えなく、エビ漁による海難事故防止の意味からも村人のライフジャケットに対するニーズが高かったこともライフジャケット製作の後押しとなった。

 

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ンバム村でのワークショップ

 

 

 乾期にライフジャケットを製作することにより、村に生業を起こし、エビの漁期を守り、さらにライフジャケットの販売収入の一部を環境基金とし積み立て、その資金をマングローブ植林や村落林造成に利用し、マングローブ林の保全と復旧に寄与することを目的として、ライフジャケットの生産に取り組んだのであった。

 

 

活動計画

 ンバム村もカマタンバンバラ村と同様、1年間に100着、2年間に200着のライフジャケットを生産し、販売する計画とした。

 

 

活動組織の確立

 ムバムでは当初設置された管理委員会がうまく機能しなかったため2回にわたって管理委員会の改革を行い、統括組織として管理委員会を設置し、その中に販売委員会、検査・品質管理委員会、製作委員会を設けてライフジャケット生産活動を行うこととなった。

 

 

活動の経緯

 カマタンバンバラ村と同様ンバム村にも数人のテイラーが在住し、村人が持参する布地を客の注文に応じて仕立てている。これら洋裁の技術を持つテイラーをライフジャケット生産グループとして結成した。村のテイラーの自前のミシンとパイロット・プロジェクトで投入したミシンにより若者を対象にライフジャケット生産技術の製作訓練を進めた。資材は原則地元での供給を目指したが、ダカール以外では入手が困難なものは、ダカールとプロジェクト対象村間の資材入手ルートを確保し、内陸地域を中心にライフジャケットの販売網を構築した。

 

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村のテーラー

 

 

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製作されたライフジャケット

 

 

 1年目のムバム村では111着のライフジャケットが生産され、1着5,000Fcfa(約1,000円)で59着が販売された。そのうち54着分の代金が回収され、5着分が売掛金として未回収だった。残りの52着は在庫になっていた。大量に在庫が残った原因は、管理委員会メンバー内のコミュニケーション不足や委員会と村の他の住民組織との連携不足などから、販売体制を確立できないままエビ漁期が終了したからである。

 2年目は、両村で発泡スチロールの浮材を柔軟性のある浮材に転換し、改良タイプのライフジャケットを製作販売した。この改良は住民自身の発案によったのである。

  ムバム村では最終評価時点までに17 着が生産され販売された。販売価格は1着7,000Fcfa(約1,200円)だった。その後さらに83着を生産する予定だった。

 

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ライフジャケットを着けての漁

 

 

活動結果

 住民自身の改良により、浮力不足と浮材が破損しやすいという問題点が解消された。これまで、製品の品質に自信を持って販売できないと語っていた住民も、最終製品に自信を深めている。ユーザーであるエビ漁民のライフジャケットの品質に対する評価も上々で、輸入品と比べて遜色がないと語っていた。

  ムバム村では、管理委員会の新執行部体制が3回も変わり安定しなかった。新執行部の方針は、村の他の住民組織と連携を図りながら、ライフジャケットの販売活動に積極的に取り組むことだった。ムバム村では収益金を管理委員会の会計係が管理し、ジロールのクレディ・ミュチュエール(銀行)に設けた口座に振り込んでいた。会計係はすべての支出と収入を帳簿に記帳することになっていた。しかし執行部が交代したことで、帳簿関係の引継などが完全に行われていなかった。この点を解消し、村の他の住民組織と連携を図りながら、積極的な販売活動を行わなければならなかったが、その時点でプロジェクトが終了した。

 

 

つづく

 

 

 

【森林紀行No.6 セネガル,マングローブ林調査編】 No.19

森林紀行

カマタンバンバラ(Kamatan Banbara)村

村の位置や活動

 カマタンバンバラ村は基地としていたフンジュンの町から東に向かって、車で40分くらいの距離にあり、サルーム川の上流域に位置している。この辺りの塩分濃度は、8%程度と相当に高く、かつては存在していたマングローブも全滅してしまった地域でもある。しかし、エビ漁を始めとした漁業は盛んであり、水産分野のライフジャケットを作製する活動を行うこととなった。

 

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カマタンバンバラ村周辺の航空写真

 

 

ライフジャケットの製作

 この周辺は、サルームデルタの最上流部に近い内陸部ではあるが、国が定めたエビの禁漁期、それは主に乾期であったが、その禁漁期を守る者は少なく、違反操業者が絶えなかった。その原因は、何と言っても水産物は住民の食料源であり、もうひとつにこの地域の乾期には生業活動がないという現実もあった。

  そしてエビ漁は、夜中に水深が深い川に入って行わなければならず、海難事故が絶えなかったため、エビ漁による海難事故防止から村人のライフジャケットに対するニーズが高かったのである。

 

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ワークショップ

 

 

 そのため乾期にライフジャケットを製作することで、村に生業を起こし、エビの漁期を守り、さらにライフジャケットの販売収入の一部を環境基金とし積み立て、その資金をマングローブ植林や村落林造成に利用し、マングローブ林の保全と復旧に寄与することを目的として、ライフジャケットの生産に取り組んだのであった。

 

 

 

活動計画

 カマタンバンバラ村では1年間に100着、2年間に200着のライフジャケットを生産し、販売する計画とした。

 

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ワークショップ

 

 

 

活動の実施

 カマタンバンバラ村では漁民、女性グループ、青年の代表や村で裁縫活動をしているテーラーを構成メンバーとする管理委員会を設置し、ライフジャケットの製作と販売を行うこととした。

 

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住民への聞き込み

 

 

 

活動の経緯

 内陸部の村には通常数人のテーラーが在住し、村人が持参する布地を客の注文に応じて仕立てていた。カマタンバンバラ村では洋裁の技術を持つテーラーをライフジャケット生産グループとして結成し、村のテーラーの自前のミシンとパイロット・プロジェクトで投入したミシンにより若者を対象にライフジャケットの生産技術の訓練を進めた。

 

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テーラーがライフジャケットを作製

 

 

 ライフジャケットの材料は、原則地元での供給を目指したが、ダカール以外では入手が困難なものもあり、ダカールとプロジェクト対象村間の資材入手ルートを確保し、内陸地域を中心にライフジャケットの販売網の構築を図った。

 1年目には、カマタンバンバラ村で100着のライフジャケットが生産され、1着5,000Fcfa(約千円) で91着が販売された。そのうち62着分の代金が回収され、29着分が売掛金として未回収だった。残りの9着は在庫となっていた。売掛金が回収できなかったのは、エビ漁が不調に終わったことで、エビ漁民に掛け売りした代金が回収できなかったからである。

 

  2年目は、発泡スチロールの浮材を柔軟性のある浮材に転換し、改良タイプのライフジャケットを製作販売した。この改良は住民自身の発案による。カマタンバムバラ村ではプロジェクトが終了する時点で50着が生産され、その後さらに50着を生産する予定だった。販売価格は1着7,000Fcfa(約千二百円)であり、その時までに7着が販売されていた。

 

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製作されたライフジャケット(最初のタイプ)

 

 

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最初は発砲スチロールだったが、後に柔軟性のあるものに改良

 

 

 

活動結果

 住民自身が浮材を発砲スチロールから柔軟性のあるものに改良したことにより、浮力不足と浮材が破損しやすいという問題点が解消された。それまで、製品の品質に自信を持って販売できないと語っていた住民も、この時の改良した製品に自信を深めていた。ユーザーであるエビ漁民のライフジャケットの品質に対する評価も上々で、輸入品と比べて遜色がないと語っていた。確かに良いものができたと我々プロジェクトチームも驚くほどであったが、プロジェクトの終了後の活動は分かっていない。

 

プールでの浮力試験.jpg

プールでの浮力試験

 

 

 

つづく

 

 

 

9月の駒ヶ岳

社窓


9月の駒ヶ岳

9月4日には台風21号が非常に強い勢力のまま日本に上陸し、近畿地方を中心に大きな被害をもたらしました。

また、6日には北海道で胆振地方中東部を震源とした最大震度7の地震に見舞われ、震源地の胆振地方はもとより、

北海道全域が停電に見舞われるなど大きな被害となっています。

被害に見舞われた皆様に心よりお見舞い申しあげるとともに、早期の復旧を願っております。

 

くしくも、9月1日は防災の日ということもあり、地区の防災訓練に参加されたされた方も多いかと思います。

日頃の備えについて改めて見直さなければと強く感じているところです。

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