中央アルプススカイラインジャパンのスポンサーになりました

お知らせ

2019年7月7日に行われるトレイルランニングレース「中央アルプススカイラインジャパン」のスポンサーになりました。

当日は35kmと18kmコースでドローンを使用したライブ中継を行います。

現在、許可申請の準備中です。

中央アルプススカイラインジャパンの詳細は下記のホームページよりご覧ください。

https://www.centralalps-kmpn.com/

キャンプ IN 与田切公園

ゼンシンの日々

10連休も終わり1週間経ちましたが、皆様は仕事モードへの切り替えできましたか?

 

未体験の連休ということで、どう過ごしたらよいのか悩んでいましたが、子供二人とキャンプへ出かける事にしました。

 

場所は昨年同様で飯島町の与田切公園です。

 

天気はあまりよろしくなく、少し肌寒い陽気でした。

 

新品のタープ(早々にたき火で穴が開いてしまったCry)と3人用テントを設営、子供たちの要望で2泊3日の予定でしたが、3日目が明け方から雨の予報でしたので、1泊2日に変更しました。

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夜中に少々雨が降ってきて、慌てて荷物を片づけたりと大変でした。

 

管理人さんの計らいにより2日目はチェックアウトの時間を延長していただいたので昼にバーベキューをしてお開きとしました。(管理人さんありがとうございました。)

 

1泊2日だとゆっくりできないので次のキャンプは2泊したいと思います。

 

Oza

5月の駒ヶ岳

社窓


5月の駒ケ岳

いよいよ平成から令和へと新しい年号がスタートしました。
過去に例のない10連休であった方、10連休でいつもより忙しかった方、通常通りであった方、
新しい年号をどのように迎えられたでしょうか。

昭和から平成の時と大きく違っているのは、今回は祝賀ムードであること。
新年を迎えたようなイベントや企画が様々なところで行われており、
新しく、明るいスタートを感じることができました。
令和がより良い、平和な時代となることを祈ります。

とは言え、
書類や業務名などいろいろなところで平成が残っており、
まだまだ令和に慣れない感じがしています。


[南アルプス]
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【森林紀行No.7 アラカルト編】 No.9_コロンビア

森林紀行

コロンビアのアンデス山脈は崩壊地だらけ

 アンデス山脈に対し皆さんはどのようなイメージをお持ちであろうか?カリブ海のベネゼエラからコロンビア,エクアドル,ペルー,ボリビアを経てチリ,アルゼンチンに至るまで総距離約8,000Kmと南米の西側に壁を作る超巨大山脈。コンドルが飛び,急峻崖谷な深山幽谷と夢に見ていたアンデスに1989年?92年にかけてのコロンビアでの仕事でついに行くことができた。

 最初に見たアンデスは,「エッ。何。木がないじゃん。」である。標高3,000m前後での調査であったが,山麓から山頂まで一面牧場に転換され,森林がないのである。よく観察すれば谷間にはかなり残っていて,斜面や尾根上では場所によっては固まって森林がある場所もある。しかし,多くは島状に点在しているのみという感じだった。唖然とした。それまで,パラグアイのラプラタ川上流,エクアドルのアマゾン川周辺の大森林破壊を見てきたにしても,それに勝るとの劣らない森林破壊に思えた。アンデスの尾根上は中央保存林として日本の保安林のような規制はかかっているものの,土地所有は民有なので,規制は全く効かないのだった。

 

山頂付近まではげ山.jpg

山頂付近まではげ山のコロンビアアンデス

 

 

 調査地は,マニサレスいうカルダス州の州都からネイラ,マルランダ,ペンシルバニアなどという町の周辺だった。ペンシルバニアの町名はまるでアメリカであるが,小さな町だった。マニサレスから遠く,遠くと言っても直線距離では20kmくらいだったが,くねくねとし,アップダウンの激しいアンデスの道では車でマニサレスからペンシルバニアまで5時間近くもかかった。その間に見る景色がそのようだった。牛もころげ落ちるという急斜面。牛が斜面を平行に歩くことにより表層土壌が写真のようにずれ落ちて行く。

 

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牛が斜面に平行に歩くので,土壌がずれ落ちていく。

右下や遠くの斜面に崩壊地も見える。

 

 

 崩壊地は観察では分からなかったが,航空写真を判読すると崩壊跡地がはっきりとわかるのだった。崩壊地の数を判読したところ,平均で20haの中で100個あった。大規模なものは少なく10m程度の表層崩壊である。1haあたりの崩壊数は5で,haあたり3個以上の崩壊が発生していれば崩壊多発地と言われており,このアンデスは超崩壊多発地である。しかし,降雨が多く,すぐに緑に覆われ一面牧草地のように見え崩壊地は隠れてしまうのだった。

 

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道路の作設も崩壊原因の一つ

 

 

 谷間の天然林は雲霧林だったが,最大樹高は20m程度で,思ったよりは大きくなかった。しかし,多くの残存木には沢山の着生ランがあり,強い湿気を感じた。幸いなことにこの地は赤道に近く,無風帯なのである。標高が3,000mもあっても風が強く吹かないのは不思議な体験だった。もし,台風があれば崩壊はさらに進み,人間が住めるような場所ではなくなっていたであろう。人間の手が加わる前には超巨大な天然林が広がっていたに違いないと昔に思いを馳せながら,崩壊地対策として植生回復方法を考えていた。

 

 

 

桜満開

社窓


桜満開

会社の前にある公園の桜が満開となりました。

4月10日には季節外れの大雪となりましたが、

今年は概ね平年並みの満開となりました。

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【森林紀行No.7 アラカルト編】 No.8_モロッコ

森林紀行

モロッコのアトラス山脈の森林

 アトラス山脈は雄大である。最高標高はトゥブカル山の4,167m。乾燥の影響が強く高標高の山地には樹木がない。地層がはっきりと見え,場所により褶曲地形も分かり,プレートが衝突してアトラス山脈が形成されたということが良くわかる。ここが昔,海だったということもアンモナイトやオウム貝,三葉虫の化石が発掘されることが証明している。私も山中で大きなアンモナイトの化石らしきものを発見したが持ち返れるはずもなく,それは記憶の中に残っているだけである。モロッコには,1992年?1994年,2005年にいずれも森林の計画作りで行ったものである。

 山麓は,かつては樹木で覆われ緑が多かったと思われるが,今は地肌がでた土地が多く,荒廃した風景に見える。これはヒツジとヤギの放牧により草木が食べられ,特にヤギは根まで食べてしまうこと,それに薪炭用に森林を伐採し過ぎ,そのペースが,自然が森林を回復させるペースよりも早く,その気候といえば,年間400?600mmと雨が少なくそれも冬に雨が降る地中海性気候だからである。

  ここにはシェーンヴェール(緑のカシ)という優占種がある。これは成長が遅く材が堅いので炭にした場合,日本の備長炭のように良い炭となり,多くの家庭で使われている。

 

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シェーンベールで作られた炭

 

 

 モロッコ料理のタジンにも沢山使われていて,特にマラケッシュからアトラス山脈へ向かうウーリカ谷で食べたタジンの美味しさは思い出すと今でも舌鼓を打ってしまうほどである。このシェーンベールが南向斜面では成長が悪く,ほとんどが疎林であるが,北向き斜面では10mほどの樹高まで成長し,密林となるのである。

 

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シェーンベールの密林

(乾燥地のため、これほどの密度がある森林は少ない)

 

 

 モロッコも北半球に位置していて調査地は約北緯32°で鹿児島と同じくらいの位置にあったが,晴れの日が多く,日射が非常に強い。この強い日射が南向き斜面には角度からしてもより直角に近い角度であたるので、地面は乾燥しやすく樹木が成長しにくいのである。樹木の成長のためには、ここでは光と温度よりも湿気や水分がより重要な要素になっているということがわかる。因みに日本でもスギの成長を見た場合,一般に南向き斜面よりも北向き斜面の方が,成長が良いのである。

 

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頂上付近に雪をいだくアトラス山脈

 

 

 その他,トゥーヤといってコノテガシワのような葉をした木やコルクガシなどもある。マツではアレッポマツの成長がよい。

 

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アレッポマツの人工林

 

 

 奥地にはたまに大きなアトラススギがある。これは日本のヒマラヤスギとそっくりで,樹高20m,胸高直径が2mの大きなものもみた。昔,このような場所ではアトラススギだらけだったのだろうが,今はほとんど消滅してしまった。森林の過伐が土砂流出など環境悪化の悪循環を起こしているのに対し,昔からオリーブやユーカリ,マツなどが多く植林されてきたが,依然森林の荒廃が続いているのがアトラス山脈の森林である。

 

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オリーブやアーモンドの植林地

 

つづく

 

 

 

おいしいご飯

ゼンシンの日々

わが家の炊飯器、5年ほど使っていましたが、蓋がしまりにくい、さらに炊きムラができるなど、調子が悪くなてきたため、新しい炊飯器に買い替えました。
今度の炊飯器は、冷めてもおいしいご飯が炊けるそうです。
家族みなお弁当持ちのため、この「冷めてもおいしいごはん」というキャッチフレーズは強力です。
冷めてもおいしいごはんとは、お米の芯までしっかり吸水させて炊いたごはんだそうです。
通常、白米であれば2時間浸すところ、この炊飯器はその必要がありません。洗米してすぐ炊けます。
炊飯器もどんどん進化しています。

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4月の駒ヶ岳

社窓


4月の駒ヶ岳

新年度のスタートです。

5月1日からの新元号も「令和」と発表されました。

これで、平成31年度と呼ぶのも今月だけとなるのでしょうか?

いよいよ平成から新しい時代となる日が近づいたことを感じるようになりました。

 

さて、今回元号に使われることとなった「令」の字。

今までは何気なく使ってきましたが、下の部分は「マ」なのか、「令」のように書くのか・・・。

結論は、字体によるものでどちらでも良いとのこと。

これから書く機会が増えると思いますが、皆さんはどちらで書きますか?

 

[南アルプス]

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【森林紀行No.7 アラカルト編】 No.7_ドミニカ共和国

森林紀行

ハゲ山だらけのドミニカ共和国の森林

 植林や農業指導をしているペリキート村から対岸の山頂付近に植林したマツの調査に行った。2007年7月11日(水)のことである。技術者のホルヘとペリキート村のクリスティアーノと3人でラバに乗り山頂を目指した。

 

 

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グアジャバル村にて。ラバに乗り対岸の山頂を目指す

 

 

 クエバス川を渡る。河原は50mほどだが,川幅は20m,水深は1mくらいだ。山が急峻で木がないので,雨が降るとたちまち洪水のようになる。地形が平らになった所から河原には砂利が厚く堆積している。等高線を追えばここは50m,少し下流は100m程度砂利が堆積していると推定できる。ラバは川を渡るのをいやがるが、鞭でたたくと動く。ラバは馬鹿の代名詞のようだが,以外に頭が良くて,川の一番渡り易い場所を渡り,登るときも2本道があると遠回りでもより平らな道を選ぶ。

 

 

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低地の2次林

 

 

 河原が最も低く標高約700m。全山ハゲ山だが草地なので山は緑に見える。急斜面に豆類を栽培している畑が多く,マンゴーの木がやたらに多い。標高1000mくらいから傾斜が急になる。ラバのハナ息も荒くなり、汗もかき,毛がしっとりと濡れてくる。しかし、強いものだ。一日中、山道を歩いたってラバは疲れないとホルヘ。

 

 

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植林地へ

 

 

 バナナ、コーヒー畑も通る。標高1,000mで栽培されたコーヒーはブルーマウンテンと変らない。益々急斜面となる。風が吹くと暑さから逃れ気持ちが良い。ハゲ山の中にも植林したマツがある。畑に火入れをするので飛び火で,幹がこげ火あぶり状態だが生き残っている。こんな上にもマンゴーがある。牛が食べたマンゴーの種が排泄され生えたものだ。

 

 

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中腹

 

 

 

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飛び火から焦げたマツ。まだ生きている

 

 

 

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マンゴーの木が多い。途中牧場もある

 

 

 さらに上へ。標高1,400mくらいから頂上1,530mまでが植林地だ。住民達が我々の指導で植えたのだ。低い場所は農地や牧場で使っているので空いた土地は頂上付近にしかなかったのだ。オクシデンタレスという高地から低地までと適地が広く強いマツを植林した。頂上まで伐採されてしまい,全面びっくりするようなハゲ山だ。わずかに谷に樹林が残っている。

 

 

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頂上までハゲ山のドミニカ共和国の山(約1,500m)

 

 

 信じられないことに,このような高標高地までマメ類の畑がある。鳥は少ない。ツバメを一羽見ただけだ。蝶もいない。ヘビもみない。全く単調だったが,頂上からの眺めは素晴らしかった。マツの生存状況を調査してから、またラバに乗って降りる。降りるときの方がゆれて股関節と尻の皮に響く。

  コロンブスがこの島に着いた時は,山は緑で大きなマツがそこかしこにあり,船材に事欠かなかったとラス・カサスが書いている。ハゲ山になると侵食,洪水が起こり,生物多様性が貧しくなると良く分かる。こうなったのは,木材として利用し,火入れで畑や牧場に転換してきたからだ。あまりに人間の影響が大きい。雨量は、1,000mm以上あるから、必ず森林に回復する自然力はあると信じて植林指導をしていた。

 

 

 

【森林紀行No.7 アラカルト編】 No.6_パラグアイ

森林紀行

パラグアイ_グアラニー族の大部族長に会う

 パラグアイ編の中から印象に残ったグアラニー族の大部族長と会った話を抜粋し、まとめた。1980年から5年ほど、私は南米パラグアイの仕事に携わった。1980年12月のある日,森林調査をしていると一人のグアラニー族の先住民に出会った。

 グアラニー族は,パラグアイに住む先住民で,最近のDNA研究によると日本人と最近縁の民族で,中国人や韓国人よりも近縁とのことである。そのような民族が日本からはるかかなた南米に陸の孤島のように生存していることが不思議である。

  彼らは森を自由に歩き,狩猟と栽培で暮らしていたが,このころは既に保護地に追い込まれていた。その数は減少の一途をたどっている。しかし,グアラニー語だけは,スペイン人と先住民との混血のメスティッソであるパラグアイ人に受け継がれ,パラグアイ人はスペイン語とグアラニー語を話すバイリングアの人々である。出会った先住民は,筋骨隆々,背中に銃とアルマジロを背負っている。後を付いて行き,掘っ建て小屋が数軒まとまった先住民の住居へ着いた。

 

 

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銃とアルマジロを背負う筋骨隆々の先住民

 

 

 そこで,孫の面倒を見ていた75才だと言うお爺さんと話していると,大部族長がすぐ近くに住んでいるから挨拶したらどうかと言われる。それは願ったりかなったりだ。森林内に住んでいる先住民に挨拶しておくのは,この森林に入る許可を取るようなものであるし,お互いの安全,安心に繋がる。

 お爺さんは,大部族長の家はすぐ近くで,1Km程の距離だという。「じゃあ行こう。」と後ろから追って行くと75才とは思えないくらい歩くのが早い。追いついていくのがやっとだ。暑くて汗が噴き出す。1時間以上、5km程歩かされて、大部族長の家に着いた。この辺の先住民の間隔では5kmは1kmほどで,1時間で歩く距離は,たいした距離ではなく、すぐ近くなのだ。

 

  私は西部劇に毒されていた。私がイメージしていた大部族長は、頭には羽根飾りをかぶり,威厳のある顔だったが,実際の大部族長は全くの文明人で、普通の農民に見え,予想とは違っていた。グアラニー語だけを話し、スペイン語は話せなかった。州知事の保護認定書を見せてくれた。そこには「軍人も民間人も先住民の生活の邪魔をしてはいけない。」と書いてあった。大部族長から調査の許可を取り,珍しい手作りの弓矢を引かせてもらったりした。また,日蔭が少ない住居周囲は強烈な日射でとてつもない暑さだったので,木陰のハンモックで休ませてもらった。

 

 

先住民の大部族長の家で弓を.jpg

先住民の大部族長の家で弓を引かせてもらう

 

 

 当時この周辺には,一つにまとまった森林としては,九州に匹敵するくらいの大面積の森林が存在していたが,今は全て消滅し,牧場か農場に転換されてしまった。そのうちの150万ha(岩手県に匹敵)程の面積の森林を調査していたが,その中で保護地の面積は,わずか5,000ha,0.3%しかなかった。生きる拠り所としていた森林を消滅させられてしまった今,彼らはどうしていることだろうか?それに、森林が伐採されたのは1970年代から1990年代だ。森林の焼かれた後の墓場のような光景はなんともおぞましい。

 

 

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森林を燃やした後の光景。まるで森林の墓場。

 

 

 何千年何万年かわからないが、地球を守ってきたであろう森林が地球史で言えば、一瞬とも言える歳月で伐採されてしまったのだから化石燃料の消費とともに地球温暖化の原因だろうと容易に想像がつく。まさにしっぺ返しが始まったばかりとも言え、この先のことが案じられる。

 

つづく

 

 

 

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