12月の駒ケ岳

社窓
2020年12月の駒ケ岳

12月になり、季節も冬へと移り変わりました。

今年の冬は、
西日本・東日本で平年並みか平年より気温が低くなることが予想されています。
とはいえ、今のところは穏やかな冬の始まりとなっています。
このところ暖冬が続いているだけに、
久々の冬らしい冬となるのでしょうか。

2020年を振り返る場面が多くなりました。
本当なら東京オリンピックが開催されて、
今年の漢字は「金」、流行語はメダリストのコメント、
となることを想像していたのですが・・・
全てコロナ関連になってしまいそうです。

感染が急速に拡大する中ではありますが、
引き続き感染対策を万全に、業務にあたってまいります。

2020年12月の南アルプス

【増井 博明 森林紀行No.7 アラカルト編】 No.31_セネガル

森林紀行

筆者紹介




セネガルでの経験-アフリカ人の運動能力の高さ

【はじめに】
 アフリカ人のスポーツ選手の運動能力の高さは、誰しも認めるところであろうが、アフリカ人のスポーツ選手に言わせると「勝てるのは先天的な運動能力の高さのおかげではなく、努力のたまものだからだ。」とのことである。実際努力に負うことは確かであるが、私が見たところ走ることなどは日本人に比較して、アフリカ人の方が有利な体型であることは明らかであると思えるので、そのことについて、今回は前に書いた文章も引用して、セネガルで感じたことを書いてみたい。

【セネガルでの仕事】
 まずはセネガルでの仕事であるが、セネガル南西部にあるサルーム・デルタでのマングローブ林の保護をしながら環境を保全し、そこに住む住民がマングローブ林を利用しながら生活の向上を目指す仕事だった。マングローブ林の樹木は、建築材や薪炭材ともなり、住民の生活には欠かせない重要な資源だった。同時に水産資源も育み、防潮堤の役目も果たし、さらにエコーツーリズムなど観光資源にもなる貴重なものである。
 
 そこでマングローブの植林も行った。天然林と人工林で日隠を増やし、海水温を下げ、またマングローブの葉が海水に分解され、養分となり、プランクトンが増え、魚介類が増えるのだった。採った魚介類を販売したり、エコルートを作ったり、マングローブ林を保全しながら収入源を多様化する様々な活動を行った。


 これは村人との共同作業で行ったものだが、活動を通じ政府の職員も含めて多くのセネガル人に接した。それにより驚いたのが彼らの素晴らしい体型と運動能力だった。

干潮になるとマングローブの一種、リゾフォーラの足がでてくる

【体型】
 セネガル人は、平均的に背が高く、日本人より男女共10cmくらいは背が高いのではないかと感じた。私と一緒に仕事をしていた森林局の人と比較したのだが、彼は185cmで、私が170cmなので15cm身長が違うが、座ると座高は同じだった。つまり、足が私よりも15cmも長いのだ。それもスネが10cm、モモが5cmも長いのだ。

 本当に驚くほどスネが長い。底なし沼のようなマングローブ林に入るには、下の写真で私が履いているような日本の地下足袋が最高に適していた。だから一緒に仕事をしているセネガル人も日本から持ってきた地下足袋をプレゼントした。しかし、彼らのスネは長すぎて、日本人のスネは彼らのアキレス腱くらいで,地下足袋をフック(コハゼ)で止める場合,フックの位置を一番狭いところにしてもまだ,ゆるゆるの場合が多かった。とはいえ彼らもマングローブ林を歩くときの地下足袋の素晴らしさを満喫していた。このように足、特にスネが長い場合にはサッカーには向いているだろう。

 それに頭が小さいのだ。私は54cmくらいの帽子をかぶっていたが、彼のそれは50cmくらいで、彼が私の帽子をかぶるとブカブカだった。また、腕が私よりはるかに長かった。これは走る上で大きな素質と思った。運動の専門家に聞いてみると確かにそのとおりで、ヤジロベイのように重心が支点の下にあり、バランスが非常に良くなるとのことだった。

 腕が長いといえば、村でのワークショップ時に、壁に模造紙を貼り付ける時、私が背伸びして手が届かない所を一緒に仕事をしていた女性が手を伸ばし張り付けてくれたことがある。その女性は、身長が165cmくらいで私より5cm低いのに手を伸ばしたら私より10cmくらい上に手が行くので、びっくりした。スタイルが非常に良いのだ。その女性は細くて柔軟性が非常に高いように見え、オリンピックの200mで優勝したアリソン・フェリックスのような感じだった。

スタイルの良い女性。私から右に3番目にいる女性。
男の体型も良い。
右手を挙げている男性の左にいるのが私で
何と足が短いことでしょう。
右から2番目の白い服を着ている人と足の長さを比較した。

 それから、秘書の女性が、仕事は大変に良くできる上に、素晴らしい体形で、オリンピックの短距離選手のような体つきだった。100mをコーチについて練習すれはオリンピックでも出場できそうな体型に思えた。この方は筋肉質に見え、やはりオリンピックで優勝したジャマイカのキャンベル・ブラウンのような体つきだった。私は彼女によく「あなたは素晴らしい運動能力を持った体型に見える。100mでも練習すればオリンピックにでも出場できるのでは?」と言っていた。彼女も「私も皆からそう言われる。」と言っていたから、セネガル人の中でも特に素質があるような体型だったのだろう。

運動能力の高そうな秘書の女性

 男の筋肉質の体も素晴らしい。小型のエンジン付きのボートをいつも使っていたが、その船頭がウエイトトレーニングでもしているように実に素晴らしい体をしていた。エンジンが50kg以上もあり、非常に重いのに軽々と扱っていた。彼らは、米に魚を乗せたチェブジェンという食事が中心で、動物性たんぱく質はあまりとってないはずなのに何でこんなに筋肉質になるのか不思議だった。エンジンの取り付け、取り外し、その保管などが生活に取り入れた良いウエイトトレーニングになっているのだろう。腕の力こぶが自然とでていて筋肉のみというような素晴らしい体型だった。

【子供の運動能力】
 サルーム・デルタは文字通りデルタ地帯で多数の島から成っている。村での活動では島の民家に泊めてもらうことが多かった。マールファファコという村に泊めてもらったある朝、小さな女の子が井戸から水を汲んでいた。

マールファファコ村のリゾフォーラの植林

 女の子の身長は130cmくらいだった。小学校4~5年生くらいにみえたが、井戸からつるべ落としで水を汲んでいた。井戸の深さは10mくらいだったが、そのロープを持って全身を使った動きがしなやかで早く、全く無駄な力を使っていないようにも見え、素晴らしい運動能力を持っていた。私も汲んでみたが、一杯10kg程度はあり、単に力だけでなくタイミングが必要で、汲む速さは全くかなわなかった。日本の同年代の女子ではこの重さでは上がらないだろうと思われた。

 この天性の運動能力をどこかの先進国で開花させれば、オリンピックの何かの種目で金メダルを獲得するのはそれほど難しくはないのではなかろうかと思わされた。この子だけではなく、アフリカ人の多くはそのような素質を持っているのだろうが、開花させられることはなく一生を自分の村で過ごすのだろうなと思った。

マールファファコ村での井戸の中

【コロナ禍のオリンピック】
 今、世界中はコロナ禍の中にあり、そのため東京オリンピックも1年延期された。来年(2021)開かれるかどうかもまだ不透明である。もし予定通り開催されていたら、今頃はすべての結果がわかっていて、日本は、金メダルが何個とか余韻に浸っているころだっただろう。

 来年、ワクチンが行きわたり、コロナも終息していて、オリンピックが開かれることを望むが、オリンピックでは本当に最高の力を持った選手が優勝するのであろうか?世界選手権で2回銅メダルを取り、走る哲学者とも評される為末大は「銅メダルを取ったから、自分は世界で3番目に速い、ということではなくて、たまたまそういうことが評価されるような国の選手が集まった中で、3番だったということに過ぎない。世界にはすごい走者が潜在的に沢山いる。」と言っているが、その通りだと思う。一番力がある選手でも参加していない可能性がある。

 もしアフリカ人が先進国と同じ様に一般の人が豊かになり陸上の競技人口も増え、栄養も良くなれば、より潜在力がある選手が発掘されて、今よりはるかに良い記録がでるだろう。益々日本人は離されてしまう。今でさえ、マラソンでもケニアの黒人選手エウリド・キプチョゲが非公認ながら2時間を切った。これは靴やペースメーカーなど特殊な補助を受けているため非公認となっているが、相当な潜在力だろう。

 一方、これに対抗するかどうかは別として、記録を出すためにドーピングなどの不正をしているものが多いのも大問題である。今のドーピングは、単に薬を飲むということだけではなくて、ゲノム編集までやってしまい、遺伝子検査をしなくてはならないということも聞く。本来の力以上のものを出し、死に至った選手もいるし後遺症に悩まされている選手もいる。また、大企業がスポンサーになって選手を広告塔として利用するなど、他にも問題はいろいろある。

 薬物や特殊な補助に頼ることなく、人間の力だけで、そして潜在力がある人も練習し能力を開花させ参加できるオリンピックになれば良いと思う。しかし、潜在力がある人が参加するようになるまでにはまだまだ長年月が必要であろう。

 そのようなことを考えると人間の能力をオリンピックで開花させる必要もないかなどとも思ってしまう。競争とは無縁な素朴な生活を続けていくのが一番幸せであるかもしれないとも思う。

  それでもやっぱり、潜在能力を持った人達が、本当にその潜在能力を開花させたら今よりはるかに高いレベルの記録がでるのかどうかを見てみたい気もするというのも本音である。そんなことを思いながら、来年は、本当に落ち着いた年になり、本当に能力を持った人たちによる、より素朴ではあるが、ドーピングなども不正もない豊かな祭典、東京オリンピックが開催されることを望むものである。

つづく

11月の駒ケ岳

社窓
2020年11月の駒ケ岳

里の紅葉も見ごろを迎え、
冬の便りがちらほら聞こえてくるようになり、
駒ケ岳も天候が悪かった次の日には雪化粧がみられるようになりました。

朝晩と日中の気温差も大きくなり、
季節の変わり目で体調を崩しやすい時期です。

寒くなるにつれて、全国のコロナ感染者の数も急増してきています。

改めて予防対策の徹底をしながら、
体調管理に努めていきたいところです。

2020年11月の南アルプス

初冠雪

社窓
2020年初冠雪の駒ケ岳

中央アルプス、南アルプス共に、17日に初冠雪となりました。
里では冷たい雨が降り、翌日は雲間から冠雪した山並みが見られました。

駒ケ根高原のロープウェイバス乗り場周辺には、秋の紅葉を楽しみに大勢の観光客が訪れていました。

これから平地でも紅葉がすすんでくることでしょう。

2020年初冠雪の南アルプス

10月の駒ケ岳

社窓
2020年10月の駒ケ岳

千畳敷は秋の色となってきているのがわかります。
厳しい残暑が続いたためか、気が付けば秋という感じがしています。

今年はコロナ禍のため、スポーツの秋、文化芸術の秋、行楽の秋など
なかなかこれまでのように楽しむことが難しい面もありそうです。

そんなか中でも食欲の秋は変わらず楽しみたい!!
秋の味覚の代表の一つの松茸はじめキノコは、
これまでのところ、 夏過ぎの少雨傾向もあり出足が鈍いようですが、
今後に期待したいところです。

コロナ、コロナでストレスも溜まりますが、
秋を満喫しながら発散していきましょう。

2020年10月の南アルプス

9月の駒ケ岳

社窓
2020年9月の駒ケ岳

厳しい残暑が続いていましたが、
少しづつですが、秋の気配が感じられるようになってきました。

9月に入って、台風9号・10号と立て続けに九州地方を襲いました。
気象庁はじめ各自治体もかなり早い段階から強く警告 を発して、
多くの方々が早めの備えをしたようです。

これから、台風、秋雨前線の時期となってきます。
台風などは地震と異なり、ある程度事前に到来を予想できます。
「大したことなく済んでよかった」と言えるよう、
早めの備えや避難行動に努めましょう。

2020年9月の南アルプス

令和2年度 天竜川上流河川事務所 優良業務所長表彰をいただきました

お知らせ

この度、
令和2年度 中部地方整備局 天竜川上流河川事務所 優良業務技術者所長表彰
令和2年度 中部地方整備局 天竜川上流河川事務所 優良業務所長表彰
をいただきました。

発注者様はじめ関係者の皆様に心より感謝申し上げます。
この受賞を励みとして、さらなる技術の向上に努めてまりたいと思います。

天竜川上流河川事務所 優良業務技術者所長表彰

受賞技術者:境澤昌志
業 務 名:平成30年度天竜川水系下伊那地区砂防渓流調査業務

表 彰 理 由:
業務の目的をよく理解し、適切な調査により信頼度の高い渓流調査を行った。また、 UAVレーザスキャナを使用して3次元データを作成するなど品質の向上を図り、優 れた成果をあげた。 (天竜川上流河川事務所資料より)


天竜川上流河川事務所 優良業務所長表彰

業 務 名:平成30年度天竜川水系下伊那地区砂防渓流調査業務

表 彰 理 由:
業務の目的をよく理解し、精確な観測により信頼度の高い地すべり観測を行った。ま た、観測された挙動に対し適確な考察を加えるな ど品質の向上を図り、優れた成果をあげた。 (天竜川上流河川事務所資料より)

【増井 博明 森林紀行No.7 アラカルト編】 No.30_コロンビア

森林紀行

筆者紹介




不思議な夢の中の世界(コロンビア-アンデス)

 コロンビアのアンデス山脈上は、はげ山が多く崩壊地が多いことなど、この地における調査については、何回か書いた。その調査をしていたペンシルバニアという村の状況についても書いた。今回はそのペンシルバニア村で経験した不思議な夢の中の世界だったような話だ。

【ペンシルバニア村】
 ペンシルバニアの村名はまるでアメリカであるが,小さな村だった。カルダス州の州都マニサレスからペンシルバニアまで、山道の道路に沿って100㎞くらいの距離ではあるが、くねくねと曲がりくねる上にアップダウンを繰り返すので、車の時速は20kmも出せず、ペンシルバニアまでは6時間くらいかかる。その間に見る景色は、山の斜面に牧場が広がり、牛もころげ落ちるという急斜面だ。車に揺られてペンシルバニアに着くとくたくたで、本当に山奥に来たという思いになる。
 しかし、そこペンシルバニアの若い女性は美人しかいないと思われるほどの美人だらけである。それで疲れも吹っ飛ぶのである。日本でも山奥の平家の落人の集落がそうであったりするのと似ている。カルダス州の州都マニサレス自体がコロンビアでも有名な美人の土地ということもあろう。この辺りまでは以前に書いたとおりである。

アンデス山脈中の集落ペンシルバニア
はげ山が多い。手前はマツの人工林

【ペンシルバニア】
 ペンシルバニアは標高2,100mくらいにあり、山の中の比較的平らな場所にぽつんとある集落である。街の広さはほぼ700m~800m四方くらいで、一つの通りの幅が約100mである。真ん中の東西に通る道路が中心の道路でその道路の周辺にいくつか店があった。最初は、清潔ではあるが、古いホテルを宿舎としていた。かなりの人が馬を利用しており、18~19世紀の世界に来たような感じを持った。街の真ん中にプラサ(広場、公園)があり、その西側には大きな教会があり、東側には、街の皆が利用する大きなカフェー(喫茶店)があった。数年後に街はずれにロッジ風のしゃれたホテルができたので、その後はそこを宿舎としていた。

【アレハンドロ】
 アレハンドロはコロンビア環境省の共同作業技術者グループの主査だった。非常に優秀で、呑み込みが早く、行動力があり、我々が要求する資料もすぐに提出してくるし、アポイントもすぐに取るし、行動力もあった。我々も非常に助かったし、林業や林産業関係の会社を調査するのも彼ら自身では予算がないので、我々と一緒に回れて調査ができ、非常に勉強になったと感謝もされたりした。この調査が終わった後は、大学教授に転身した。
 そして、彼がまた優れているのは、よくもてることだった。黙っていてもてるというのではなく、柔らかい人当り、巧みな話術で、老若男女誰に対しても優しかった。女性に対しては、女性の喜びそうなことを何のためらいもなく自然と口から出てくるし、まあ南米の男はほとんどそうであるが、生まれ持った天性かもしれないが、うらやましいこと限りがなかった。

【カフェー】
 街中のカフェーは、村人の情報交換場所はここしかないといった社交場であり、前に書いたアデリータと最初に会ったのもこのカフェーである。パトリッシアは、最初にペンシルバニアに来たときにカフェーで見かけた美人である。私はこの世の中にこんな整った顔をした女性は今までに見たことがないと思うくらい美人だった。だからと言って私が心を動かされたということはなかった。アレハンドロは早速話しかけ、すぐに仲良くなっている。何回かカフェーに行くうちに私もパトリッシアと話してみたが、何となく話がずれる感じを受けた。彼女は独身で21~22歳くらいに見えたが、もっと若かったのかもしれない。まるで高校生と話しているような純粋さを感じるのだった。パトリッシアに限らず、ここの若い女性は、生まれた時から人間に育てられた猫のようで、誰に対しても警戒心がないように感じた。それに外から来たもの珍しい日本人には、よけいに興味を持ったようでなついてくるようにも思えた。教会の裏あたりには、アトスという名のこの村では唯一のディスコがあり、我々も金曜や土曜の夜には時々踊りに行ったが、パトリッシアはそこには来なかったので、夜の外出は禁じられていたのだろう。

【土曜日の集まりに誘われる】
 1990年7月14日、土曜日のことだった。アレハンドロから、数日前に土曜日の夜に飲みに行こうと誘われていた。「マスイ、今度の土曜日の夜に、村はずれの牧場に招待されているので、一緒に行こう。招待されているのは私とマスイだけだから、他の者には秘密だよ。この村の名士達が集まるのだ。パトリッシアも来るから行こうよ。」と言われた。こんな山の中で、どのような人達が集まるかわからないので気が引け、また他のメンバーには悪いという思いがあったが、まあ何事も経験だし、パトリッシアも来るならいいだろうと思い、「OK。行くよ。」と返事しておいた。
 アレハンドロは、その性質から誰とでもすぐに友達になるのですぐに顔が広くなるし、市役所に報告に行った時に、週末の名士達の集まりを聞いたのだろう。そこで、アレハンドロと私が行くことを頼み、パトリッシアも誘ったのだろう。

【山中の一軒家へ】
 土曜日ではあるが午後までナナフシの被害状況やマツ林を調査していた。午後5時過ぎにアレハンドロの車で出発した。急斜面の山道ではあるが、道路は山の斜面に平行的に作って有り、ペンシルバニアの町から数キロ、10分ほどですぐに着いた。山と言ってもアンデス山脈は大きいので、日本のように急な侵食された崖のようなところというよりも大きな山海のうねりが続いているといった感じである。

近隣のマツの人工林

 着いた先は大きな牧場の中の一軒家だった。平らな所を選んで木造2階建ての大きな家が建っている。午後5時半頃だった。まだ、日が沈まず外には明るさがあった。早速家の中に入ると広い居間には既に、20人くらい集まっていた。男が10人、女が10人くらいだ。後から3人来たから、集まったのは全員で23人だった。中には部屋が7~8つもありそうだった。小作人に牧場を管理させ、所有者は週末に遊びに来るのだ。

【参加者】
 私は、家の中に入った途端、来なければよかったと後悔した。何となく私の来る場所ではないと感じたからだ。男は知らない人だらけだったが、女性は街中で私でも目が付くほどの美人の若い女性が数人いるのがわかった。パトリッシアがいるのも分かった。しかし、何しろ私だけが異質な日本人で、他は皆コロンビア人だからということもあるが、庶民ではないという雰囲気が漂っていたからだろう。それに日本語ではなくスペイン語だけで、彼らどうしで話す早口のスペイン語には、とてもついていけなかったこともあった。しかし、私の引っ込み思案的な性質からくる思いはすぐに杞憂に終わった。

 中に司会がいて、毎週末でもこのようなパーティをしているのだろう。とても上手に皆を紹介していく。私だけが異質なので、アレハンドロが自己紹介した後、私の紹介も簡単にしてくれたが、その後私自身で、自己紹介をさせられた。自己紹介の挨拶はスペイン語でも数えきれないくらいやっているので、コツがわっていたので、若干笑わせたりスムーズに行ってやや打ち解けた。彼らも簡単に自己紹介をしてくれた。この家の持ち主はこの村の医者だとわかる。その他の参加者は弁護士や先生達で、男の参加者は40代~50代くらいで、やや中年と見えた。南米の人は年寄り上に見えるので、実際はもっと若かったかもしれない。私もアレハンドロも40前後だったので、われわれはどちらかというと少し若い方だった。しかし、女性達は20~25才くらいで、男達よりもずっと若い。全員超がつくくらい美人でスタイルも良くびっくりだ。世の中にはこんな世界もあるのだと改めて世界の不公平さを感じた。中に夫婦が3人いるとのことだったから、若い女性を奥さんにした幸せな男も少なくとも3人はいるということだ。

【キャンプファイアーにバーベキュー】
 しばらくして、作男が、用意ができたと言ってきたので、全員で外に出るとロマンティクな黄昏時である。キャンプファイアーが焚かれ、近くではバーベキューで大量に大きな牛肉の塊が焼かれており、美味しそうな香ばしい肉汁の香りが漂っている。その周りには椅子や切株や木の幹の長椅子が用意されていて、それぞれ好き勝手なところに座る。アレハンドロはパトリッシアの隣に座り早速くどいている。
 赤道周辺は、日本のように北緯35度に比べて地球の回転速度が速いから、黄昏時間が短くて、すぐに暗くなってしまうことを感じていた。6時半くらいにはもう暗くなっていた。夏の赤道上とは言え、標高は2,100m程度なので、気温は15℃くらいと気持ちが良く、乾燥していて、赤道無風帯でもあり、そよ風が気持ち良い。

はげ山だらけのアンデス山脈

 キャンプファイアーの周りで、ビールやコーラやアグアルディエンテが回ってきた。アグアレディエンテは、コロンビアの地酒でサトウキビで作られアニスなどが含まれていて独特の味があり、透明で30度くらいの強さがある。皆それぞれ好きなものをグラスに注ぎ、乾杯である。乾杯はスペイン語ではsalud(サルー)だ。
 アグアルディエンテを飲みすぎると必ず酔っぱらうから、私はビールで乾杯し、酔っ払わないように二日酔いにならないよう、飲み過ぎないように気をつけていた。アレハンドロも最初はビールだったがピッチが速くぐいぐい飲んで、もともと陽気の上にさらに陽気になっている。若い美人の女性達に囲まれているせいもあろう。私は雰囲気に呑まれないように冷静にしていた。肉とジャガイモもどんどんと回ってくる。だんだんと打ち解けてきて、最初は合わないかなと思っていたが、南米人特有のオープンな心で歓待され、私も来て良かったと思うようになった。皆席を入れ替わり色々な人と話していたが、アレハンドロは若い女性を誰彼となく口説いている。

【ゲーム】
 そのうち司会がゲームをやろうと言い出し、全員でハンケチ落としをやって楽しむ。皆必死になって子供の様に楽しんでいる。いい大人が童心に戻って遊ぶのも楽しい。色んな遊びを楽しんだ後、段々と皆酔っぱらってきて、借り物ゲームとなった。最初は男にシャツを持ってこいというと、お互いにシャツを交換した。下着を着ているのは私だけで、全員裸の上にシャツを着ていたのにはビックリした。次に女性達にシャツを持って来いというと、全員がキャアキャア騒いで何事かと思う。女性達はジャンバーのような上着を持ち、全員家の中に一目散に駆け込み、シャツを取り換えっこし手に持ち、ジャンバーを引っ掛けて出てきた。かなりキワドイなあと思っていた。皆真剣に遊んでいる。

【歌】
 遊びも飽きて、次は歌である。真っ暗であるが、キャンプファイアーの火があたりを明るくし、皆益々酔っぱらって乗ってくる。だれかがギターを持ってきて、歌い始める。何曲か歌った後に私も歌わされる。スペイン語で歌った方が受けるので、パラグアイで覚えた「イパカライ湖の思い出」と「シエリートリンド」と日本の「コモエスタ赤坂」を「コモエスタペンシルバニア」として歌ったら大喝采を浴びた。

【ダンス】
 歌が飽きて、次は定番のダンスである。コロンビアと言えばクンビアである。女性達が盛んに踊ろうと手を取り誘ってくれる。酔いも回って皆益々活発になってくる。どちらかというとこのダンスが始まるとほとんど飲まなくなるので、二日酔いにならないで済むことが多いのだ。中南米のいろいろな国で踊ったことがあるが、男女の密着度はコロンビアが一番強いと感じた。パラグアイなどは男女が離れて踊っていることも多く、エクアドルやドミニカ共和国などは日本の社交ダンスくらいであるが、コロンビアは抱き合って踊っているようなカップルも多い。
 
 先生と話していると、ここは田舎だから男女間の中は厳しく節度があるのだとのことだった。「若い女性達もああやって奔放であるが、皆最後は節度があるのだ。節度を破ればマスイもこの村に一生住まなくてはならない。だからマスイも日本に帰りたければ、節度を守らなければならない。」と忠告をしてくれる。
 
 そうこうしているうちに雨がポツポツと降って来たので、全員家の中に入り飲みなおしだ。家の中でもすぐにクンビアのダンスだ。この独特の調子のよいリズムのクンビア、コロンビア人はお腹の中にいるときからクンビアを聞き、ダンスをしているからリズム感が良くダンスがうまいのだと言われるが、さもあろう。

【雨で泥だらけに】
 しばらくして、10時ごろからポツポツと人が帰りだす。雨がだんだん強くなり、土砂降りとなった。一人の女性が車がぬかるみにはまって動けないという。雨の中、皆で車の後ろを押したら、タイヤが空回りして全員泥だらけになった。しかし、幸い車は動き、その女性は帰って行った。我々は家の中でシャワーを浴び汚れを取った。

 さて、夜中のスコールも止み11時くらいになったので、帰ろうとアレハンドロにいうと、酔っぱらっていて、もっと飲みたくて、まだ帰りたくないという。アグアルディエンテをロックでぐいぐいとまだ飲んで、残っているパトリッシアを盛んにくどいているが、パトリッシアもあきれるほどの酔っぱらいになっている。パトリッシアも帰りたがっているが、アレハンドロが引き留めている。実際にアレハンドロの酒癖は悪くて、だいたい土曜日に飲みだすと朝まで飲んでいるのが、定番のようだった。

【アレハンドロに絡まれる】
 残っている女性達と私はしばらく話をしていた。12時くらいになったので、もう帰ろうとアレハンドを連れ出す。この時パトリッシアとサンドラをいう女性も一緒に車に乗り、ペンシルバニアまで帰ることになった。街までわずか10分ほどだが、山道の酔っぱらい運転は危険だった。アレハンドロが酔っぱらっているから、酔っぱらい運転はだめだから私が運転するのでアレハンドロは助手席に来いと私が彼に言った。

はげ山になり侵食が激しいアンデス山脈

 すると酔っぱらいのアレハンドロが豹変し、私に絡んできた。「何い。マスイ。お前は外人だろ。コロンビア人ではないだろう。コロンビアの運転免許書を持っているわけはないだろう。免許書も持ってないのに、お前が運転できるわけはない。黙って座ってろ。」と大変な剣幕である。

 すると後ろの席に座っているパトリッシアとサンドラにも絡み始めた。何と言っているのかはわからなかったが、パトリッシアまで罵倒するとは思わなかった。すると二人は怒って車を降り、歩きだしてしまった。私はあわてて車を降り、二人を連れ戻そうとした。こんな真っ暗な山道を歩いて帰ったら何があるかわからず、車より危険だ。アレハンドロをなだめるから、こんな真っ暗な山道は危険だから車に乗れと説得する。パトリッシアはすぐに車に戻った。しかし、サンドラはズンズンと歩いて行く。私はサンドラに追いつき必死で説得し、ようやくサンドラも納得して車に戻った。サンドラは、この山の家で初めて会ったが、端正な顔立ちで背も高く、知的な美人に見える。怒った顔も美しく、なんでこんなに美人なんだろうと真っ暗な中で不思議に思った。

【街に戻る】
 それから車の中でアレハンドロをなだめすかしてようやく街に戻る。街で、パトリッシアとサンドラを下ろし、街ではカフェーがまだ開いていたので、アレハンドロとそこに入り水を飲ますとアグアルディエンテをくれと言う。一体、酔っぱらいとはいつまで飲むのだろう。
 
 泊まっていたホテルは、街はずれにできたばかりのコッテッジで、帰ると入り口の鉄柵が閉められていて車が入れない。真っ暗な山道を200mほどコッテッジまで歩いた。

 アレハンドロはパトリシアに気があったのにこれでは、もうだめだろうと思っていたところ翌日の日曜日にカフェーに行くとアレハンドロとパトリッシアが仲良くコロンビアコーヒーを飲んでいるのでびっくりした。まあ、酔っぱらいの酔狂は水に流されるということであろうか?

 コロンビアの大田舎の中の特権階級の人々の週末の遊びを経験したのだが、オープンな心で多様性を認めるような、また、お話、ゲーム、歌、ダンスと様々に楽しみ男女の仲が近くうらやましいような、何か不思議な夢の中の世界を経験したような強い印象が、30年も経った今でも鮮明に残っているので、それを書いてみた。

8月の駒ケ岳

社窓
8月の駒ケ岳

長かった梅雨がやっと明けたと思ったら、
今度は猛暑を通り越して酷暑の日が続いています。

今年はコロナ対策でのマスク着用が不可欠となる中で、
熱中症のリスクも高くなっています。

最近では、熱中症対策グッズもいろいろなものが登場しています。
塩分補給のための飴、タブレット、
服の上からかける冷却スプレー、
ミニ扇風機、首掛け扇風機、などなど。

弊社においても、 屋外現場作業における熱中症対策の一つとして 、
ファン付き空調ベスト を導入しました。

いろいろなグッズをうまく使って、
熱中症対策、コロナウイルス感染症対策をしながら、
この夏を乗り切りましょう。

8月の南アルプス

7月の駒ケ岳

社窓
7月の駒ケ岳

梅雨明けの晴れを待っていたら、
とうとう梅雨が明けずに7月も終わりを迎えてしましました。

今年は、例年いない長雨、また降水量となっており、
各地で災害も発生しています。
また、コロナウイルス感染症も再拡大の兆候がみられるなど、
なかなか明るい話題がありません。

梅雨明けを迎え、少しでも明るくなれることを願います。

7月の南アルプス
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