6月の駒ケ岳
森林紀行No.4 パラグアイ – 北東部編】No.12
調査中のエピソード
メノニータの入植地
街道沿いにメノニータというドイツ人の宗教団体の入植地があった。彼らが入植している道路沿いに、彼らが経営している店屋が一軒あり、よく食糧の買い出しやガソリンの補給に行った。また、彼らに、周辺の状況を調べるために、状況を聞きに家を訪ねたことがあった。男女とも内部の付き合いだけで、外部の人達とは付き合うことはしていなかった。男達は我々が訪ねていけば、普通のパラグアイ人と同じように、何の違和感も感じることなしに話をしてくれた。だいたいは外で野良作業をしているのだが、馬車を使っているのが珍しく思えた。
女性達はなかなか人前には出てこなかった。家を訪ねた時は、家の中できれいな格好で着飾っていたのには驚いた。我々が挨拶しても全く見向きもせず無視されたのには、さらに驚いた。
当時はナチの残党もパラグアイにもかなり隠れているような話も聞いたが、このような閉鎖社会であれば、もしそのようなことがあればかくまうのは、それほど難しくはないのではないかとも思ったりもした。

馬車を使っていたメノニータの人々
ホタルの目玉に驚く
セロコラでキャンプをした時に、同じテントで過ごしていた同僚が、夜中に小用をたしに出てからあわててテントに飛び込んできた。大きな火の玉が2つ、自分の方に向かって飛んできたというのだ。この辺りには、ホタルが多く、パラグアイでは強い光を発するホタルがいる上に、外は真っ暗闇だったので、これはホタルだったのだろう。懐中電灯は持っていたが、その後肝試しのような怖い話をしあったので、二人とも恐ろしくなり、その後テントの外にでることができず、怖い思いのまま寝袋に入って寝たのであった。
ウラ(体に卵を産み付けるハエ)に刺されたこと
周囲には、牧場が非常に多く、牛にはブヨやハエが無数と言っていいくらいにたかり、周囲をブンブン飛んでいる。そして、牛の肉の中に卵を産みつけ、卵からかえったウジが肉の中を動きまわるウラという名のハエがいた。牛の表面の皮が盛り上がっているとウラがいて太い血管のようで、中には血を流している牛もいた。このウラが人間にも卵を産み付け、地元の人はだいたいが、そのウラに卵を産みつけられ、その個所が膿んでくると膿を押しだして、膿とともにウジも一緒にでてくるのであった。
同僚が、首の後ろをさされ、膿んできたので押してやると膿とともにウジが一緒に出てきた。その後、その場所が痛痒く、彼はそれでしばらく苦しんだ。帰国した後も、かなりの期間痛痒かったようだ。私も左肩の上の方をさされ、膿んできた。痛みが相当強く、自分で、押すと膿と一緒にウジがでてきた。私も帰国後も数か月という長い間、痛みを感じていた。
ピローポ
スペイン語にはピローポ(Piropo)という言葉がある。これは街頭で、男が女にかけるほめ言葉であるが、知っている女性には言わず、知らない女性に声をかけるのである。おせじとかナンパ言葉とか訳されるが実態はそんな変なものではなく、美しいピローポはまるで美しい詩である。
私が最初に聞いたピローポはウエスペのものである。これはきれいなピローポで、ウエスペもなかなかやるじゃんと思ったものである。
アスンシオンからペドロ・ファン・カバジェーロに行った時であるが、ハイエースの車にウエスペと同乗していた。
前述したサンタニの町よりやや北に、グアジャイビという町があるが、グアジャイビとは木の名前である。町の名前に木の名前がついているのであるが、その名のとおりこの町にはグアジャイビの木が多かったのだ。グアジャイビとはムラサキ科で、白い花が沢山咲き、ちょうどその時、その木の花期であった。
その町で、少しの間車を止め、降りて休んでいたのであったが、道路の向こうから若いセニョリータがこちらに向かって歩いて来た。娘さんがちょうどグアジャイビの花の下を通りかかった時、ウエスペはその下で待っていて、私はその横にいたのであるが、その娘さんにこう言ったのであった。
「お嬢さん。あなたは大変に美しい。今、花が真っ盛りなこのグアジャイビの美しい花を見て下さい。あなたは、あたかもグアジャイビの花のようだ。」
そのセニョリータは、ウエスペの言葉が全く聞こえないかのごとく、無視して通り過ぎて行った。
男にとって無視されるのは、全く問題ないことで、女は反応してはいけないのだ。それが習慣だということだ。しかし、気に入れば反応するのであろうとは思ったが。
それから彼らを観察していれば、もうありとあらゆる若い女性に声をかけている。女性にとっても声をかけられないのは不名誉なことなのだ。ピローポとは実に素晴らしい習慣だと思う。日本にもこのような習慣があれば、人生はもっと楽しいものになっているだろうに。
カジノ
ペドロ・ファン・カバジェーロは、田舎といった雰囲気であったが、ルーレットが公認されていることもあり、カジノが一軒あった。後学のために、ある晩、その店に連れて行ってもらった。小さなカジノで暗く汚く、華やいだ雰囲気は全くなく、客層も貧しい人が多そうだった。皆、大きな額は、かけてないし、私は勝負ごとは、得意でないので、見て楽しんでいた。見ているとそこにいたある中国人らしき人は、有り金のほとんどをすってしまい、最後の大勝負とばかりに持っていたチップをすべて、ある数字にバンという大きな音をたてて賭けた。そして、ルーレットが回転しだし、球が転がされると後ろを向いて祈っていた。回転が止まると球は、その数字の上にぴったりと止まり、大儲けをした。そのようなこともあるのだと驚いたものである。
気晴らし
森林調査が終了してから、パラグアイ全体の林業事業調査などを行っていた。パラグアイの南部で協力している日本のプロジェクトなどへもインタビュー調査に出かけた。その折、イグアスの滝やイタイプのダムなどを見学する機会もあった。

イグアスの滝
イグアスの滝は、ブラジル、アルゼンチン、パラグアイ3国の国境にまたがり、その幅、水量は世界一。落差はそれほどでもないが、その迫力には感動した。
イタイプのダムはまだ建設中であったが、ロックフィルで堰き止めているダムで、長さだけでも8kmもあるとのことで、その巨大さに驚いた。
つづく
田植休み
昨日 田植えのためお休みをいただきました
順調に進めば一日で充分終わるのですが
田植機の調子が悪くて、農機具屋さんに二度も
修理に飛んで来てもらって、なかなか捗りません
そうなると、苗箱洗いと田擦り担当の私は当然暇でして・・・
家の周りをうろつきブログ記事に使えそうなものを物色・・・


グミの木(左)とさくらんぼの木です 今年は不作でした
食べ頃になると、すぐ鳥が来て食べてしまうので競争です
というか、タイトルのとおり 田植え風景を写せばいいのに
なぜそこに気付かなかったのでしょう?? でも やりましたよ田植え
左下にかすかに写っている青いものが洗った苗箱の証拠写真です!
(^0^)v
森林紀行No.4 パラグアイ – 北東部編】No.11
本格調査
チームに先駆けて出発
2回目にパラグアイに行った時は、他のメンバーに先駆けて2週間ほど早く出発し、パラグアイで準備作業を行った。最初のパラグアイへの旅行で、ロストバッゲージとなったため、責任会社のバリグでは、補償金以外に、成田からロスアンゼルスまでファーストクラスを用意してくれた。1981年9月4日(金)の夜に出発した。初めてのファーストクラスであったので、やや緊張し、逆に何となく落ち着かなかった。
この頃の座席はフルフラットにはならなかったが、10席ほどの座席は、一つ一つ独立していてステュワーデスがやたら親切に世話をやいてくれ、逆に見張られているような感じだった。ロスアンゼルスまでは、10時間弱なので、一眠りしたらもう到着という感じだった。
時差の関係で同日9月4日(金)の午前中にロスアンゼルスに着くが、1984年のオリンピックに備えて大規模な空港の改修工事が行われており、大きなテント型のドームで待たされた。単なるトランジットであるが、入国し、数時間の後、ペルーのリマに向かう。リマでは、給油のため降りるのだ。既に夜だった。リマの空港内で2時間ほど待ち、リオデジャネイロに向かった。リオデジャネイロは朝である。ここではバリクの若い職員が待っていてくれ案内してくれた。前回のロストバゲッジのおかげでサービスは非常によかったが、ロストバゲッジとなった身としては、たまったものではないと思ったものだった。そして、リオデジャネイロからサンパウロ、イグアスと経由し、9月5日(土)の夕方アスンシオンに到着した。東京から36時間も乗り継ぎでくたくたに疲れるので、前回大使に勧められたように翌日は日曜で休日としたのだ。
冷や汗ものの第2グループ、予定日に到着せず
さて、2週間ほどの間にペドロ・ファン・カバジェーロの現地に行って、作業員や必要な物資の手配など準備を行って、後発組が来るためアスンシオンに戻り、空港へ迎えにいった。第2グループは4人であった。1981年9月18日(金)に日本を経ち、翌日の19日にアスンシオン着の予定だった。空港で待っていたが、乗ってくる予定の便がその日、キャンセルになり、4人は到着しなかった。当時は今のように情報がすぐに伝わらず、到着しない理由はわからなかった。それに南米のパラグアイなので、明日には着くだろうとのんびりしたものだった。
翌日、もう一度昨日と同じ時間に空港に、迎えに行くと1日遅れだが、前日の予定時間に第2グループが着いた。聞くとロスアンゼルスを飛び立った直後に、ジェットエンジンに鳥が吸い込まれ、同空港に引き返したとのことだった。離陸してすぐに着陸ということで、メンバーの一人はユカタン半島に着陸すると想像したそうだが、実際はロスアンゼルス空港に戻ったのである。ちょっとした冷や汗ものだったということだが、無事、ロスアンゼルス空港に着陸できて良かった。
激しいジンマシンになる
最初にカウンターパートと共に日本人は私一人で、現場に行っていろいろと準備をしていた。作業員や必要物を手配した後に、調査地域の外周を車で走れる範囲で回ってみた。その偵察には、数日間要し、森林の概況を調べた。その時、森林内で、何かにかぶれたのだろう。ホテルに戻ってから全身が腫れあがるほどジンマシンが出て、かゆくてたまらず、怖いほどであった。そのようなときのため、レスタミンの錠剤を持っていた。この時、抗ヒスタミン剤は、非常に良く聞くと思った。まだ、時差もあり、強い睡魔におそわれて、着の身着のままで寝てしまったが、翌日にはすっかり直っていてほっとした。
森林調査
本格調査では、調査グループもグループに配置した人数も多く、日本人、パラグアイ側のカウンターパート(共同作業技術者)、それに通訳や運転手、作業員や炊事員などを入れると合計で30名と大部隊となった。

伐採地から森林へ入る。既に多くの森林が伐採されていた。
これを動かすのは私の仕事で、人と車を配置し、班編成をする。単純なのだが、能率的に動かそうと分割するほどに複雑になり、難しかったが、パズルを解くようで、面白かった。
また、航空写真の枚数が非常に多く、毎日キャンプに帰っては、その日のまとめと、翌日どこへ行くか、航空写真でルートを追うのに苦労した。
車の借り上げや保険の手配
30名近い人数になると調査団が用意した車両だけではまにあわず、ランドローバーのようなジープタイプの車も数台借りあげる必要があった。これらも日本のように大きなレンタカー屋があったわけではないので、知り合いのつてを頼って、車を沢山持っているアルゼンチン人やドイツ人などから個人的に借りる交渉をし、車がちゃんと動くのかとか金銭面の交渉とかこまごました準備が続いた。
また、雇用する作業員や運転手などには万一の場合に備えて傷害保険を掛けることとし、こういったことの交渉や金銭の管理や事務続きなど、仕事を動かす上での縁の下的な管理も私が行っていたので、いろいろな面で苦労したが、良い経験であった。
買い物
調査はキャンプが中心になるため日本から10張り程度軽くてコンパクトなテントを持って行ったが、必要数の半分ほどであり、10張り程度はアスンシオンで調達した。パラグアイ製のものは(輸入品かもしれなかったが)昔の日本のテントと同じで、家形の黄色い布で作られ、重いものであった。細かい食器類等はペドロ・ファン・カバジェーロで買った。
逃げたこと
調査は、伐開班は技術者が測量しながら、その先を作業員3名で、斧やマチェーテ(ナタ)で人が歩けるように邪魔になる樹木を伐採しながら、数百mから数km進んで調査プロットにたどりつくのであった。
測樹班がその後に入るのであるが、ある日、伐開班が前日から伐開しており、伐開班後に続いて測樹班も後を追って入っていった。その日私は測樹班で、周辺にある樹木を観察しながら後から進んでいた。森林に入った起点から約2kmほど進んだところに来たところ、ずっと先の方で先頭を伐っていた作業員やらパラグアイの技術者たちが「逃げろ」といいながらこちらに全速力で走って戻って来る。彼らが何を言っているのが詳しくは分からないが「マフィア」と言う言葉が聞きとれ、大声で「逃げろ」という。
訳が分からなかったが、取り敢えず、全速力で一緒に走って逃げた。道路際においてあった車に駆け込み、全員が乗り込んだ。乗り込み終わるのを見届けるや一目散にペドロ・ファン・カバジェーロに戻った。
ペドロ・ファン・カバジェーロに着いて、カウンターパート等に良く聞くと、先頭を伐採していた作業員が、伐開している先に黄色のテントを見たとのことだった。それは麻薬栽培をしているマフィアのものに間違いなく、もし、彼らに見つかれば殺されるのは必定だとおびえながら語った。
それで彼らに発見される前にすぐに逃げ出したとのことであった。その場所は航空写真上では森林として映っていたので、撮影後に伐開されたのだろう。実際に航空写真上には所々であるが、大森林の中にポツンとわずかに切り開かれたような場所がある。私はインディオの家かと思っていたのだが、彼らならばもう少しまとまって住むだろう。麻薬栽培の可能性は高いと思った。非常に恐ろしいことだった。
JICA事務所にも連絡を取り、そのプロットは棄て、航空写真上で、森林内で切り開かれたところは避けることにし、調査を再開したのであった。
つづく
5月の駒ヶ岳
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5月の駒ヶ岳
熊本地震による被害へのお見舞い
平成28年4月14日以降、熊本県・大分県を中心に発生している一連の地震により甚大な被害がでました。
また、今も活発な地震活動が続いている上に、降雨による土砂災害等の危険等もでているとのことです。
被災された皆様に心よりお見舞い申しあげるとともに、
皆さまの安全と一日も早い復興を心よりお祈り申し上げます。
アルプスは黄砂の影響もあるのか、春霞がかったようにみえます。
中央アルプスの残雪は例年に比べて少ないように感じます。
新緑の季節に降る雨を、「緑雨」「青雨」「翠雨」などと言うそうです。
5月に入ってからは、スッキリと晴れる日は少ないですが、
この雨も新緑を鮮やかにしていきます。
[南アルプス]
立てばシャクヤク
お隣さんから頂いたシャクヤクが見事な花を咲かせました。



座ればボタン、歩く姿はユリの花
ボタンとユリは社内にて調達しました(^_^;)
森林紀行No.4 パラグアイ – 北東部編】No.10
森林調査方法の決定
軽飛行機でフライトサーベイ
翌12月10日(水)は、前日よりさらに暑く、また前日の晩、ホテルの部屋のクーラーが壊れ、クーラーが入らず、朝から熱中症気味だった。
しかし、この日は軽飛行機で、調査対象地の上空を3時間も飛んだ。いろいろな発見ができ、面白かった。しかし、森林の伐採は予想以上に激しく、原生林の存在は本当に貴重なものになっているのが良く分かった。

軽飛行機で偵察飛行。
大変な伐採量
どこでも牧場が入り込み、木を伐り出すための道路を勝手に作る。全く伐採量と言ったら凄いものである。国道5号線を20m3ほども大量に丸太を積んだトラックが1時間に20台くらい通る。朝から晩まで通っているが単純に考えて、約半日トラックが通ったとしても1日5,000m3もの木材が伐り出されていることになる。伐採木は優良木で太い木しか伐っていないし、優良木は平均して1haに50m3程度しかないから1日に100haもの森林から抜き伐られていることになる。1年で3万ha近くもの森林が伐採される。これでは100万haの森林があっても30年で無くなってしまう。実際は、そんなことはないだろうと思ったが、3年後の調査終了時に森林管理のガイドラインが完成した頃には、本当に役だてられるか不安に感じたものである。実際には、それよりもっと早いスピードで森林は無くなってしまったのだ。
山が静かだったという印象
日本の山だと鳥の鳴き声をかなり聞いたり、夏であればセミの声に、耳も痛くなるくらいにうるさいところがあるのに、パラグアイでは飛んでいる鷹類は見たが、鳥の声はあまり聞かず、セミの声もほとんど聞かなかった。何か、森林全体が静かだったとの印象がある。
動物
森の中で調査をしていると、人間の声などがうるさいので、動物は逃げてしまう。ピューマやバクがいるということだったが、それらは見なかった。作業員らの話では、ピューマに襲われ、亡くなった人もいるとのことだった。ピューマはペドロ・ファン・カバジェーロに来る前に途中で調べた森林近くに住む人が頭蓋骨を小屋に飾っていたことは既に述べた。アルマジロは良く見た。みつけると作業員がすぐにオノで叩いて捕まえた。家に持って行き食べるとのことだった。
アスンシオンに戻る
予備調査ではその後、アスンシオンに一旦戻り、パラグアイの林野庁の長官などに森林の伐採状況のひどさや調査の状況を報告し、危機感をあおったが、あまり感じていないようであった。
調査方法を打ち合わせる
アスンシオンで森林調査方法の打合せをしたが、この当時、林業分野での日本の国際的技術協力も始まったばかりで、南米の森林状況の情報も少なく、調査方法も手探りな状況であった。そのため森林開発計画のガイドラインを作るといっても、我々の得意な分野、それは航空写真を判読しての土地利用図や林相図(樹種、樹冠測樹密度、樹冠の大小、樹高などにより示される森林の様相)などを作り、森林調査を行って資源量がどれくらいあるかを明らかにするまでは、それほど難しくなかった。
その後、森林調査以外に、土壌調査や林産業調査などの社会関係調査などを行うか行わないか、また行う場合にはどのように行うかは、調査を開始したものの、その方法はまだ検討中だった。
そこでは土壌状況がわからなければ植林樹種もきまらないと、当然ながら次の調査から土壌調査を行うことになった。また、社会関係調査も当然行うべきとなり、後の調査では、林産業調査や関係者や住民へのアンケート調査などを行った。
そして疲れた体にアスンシオンで活力を入れ、体制を立て直し、もう一度ペドロ・ファン・カバジェーロに向かい、森林予備調査の続きを行い、正月前にアスンシオンに再度戻ったのであった。

プロットに到達するため小川を渡る
元日
1981年の元日、調査で疲れた体で、人気のない、アスンシオンの町をぶらぶらと散歩した。軍隊の基地の前を通った時は、番兵が銃を持ち、正面を警護しており、こちらを怪しいものを見るような目で見ている。ここはやばそうだとそっと避けるようにして回り道をした。その後森林局での打合せや報告を行い、1月6日(火)にアスンシオンを発ち、1月8日(木)に日本に一旦、帰国した。
帰国後の森林調査方法の検討
帰国後、予備調査の結果を分析した。森林の状況が分かったので、それに基づいて森林調査方法を決めた。まず、航空写真の判読基準を決めて、土地利用の区分と森林の区分を作った。森林資源に関してはどこにどのようなタイプの森林があり、各タイプにはどのような樹種があり、どれだけの資源量があるかを推定することにした。林相図に対応する森林調査簿も作成するのである。
森林というのは広大で、一本一本全ての木について調べられるわけではないので、一部を調べて全体を推定する統計的な手法を用いた。層化無作為抽出法というものを用いたのである。
ごく簡単に言葉で説明すると次のような方法である。これは航空写真を判読して似たような森林にグループ化し、そのグループの面積割合により、サンプルであるプロット(標本地)を選び、その標本の中にある木を全て調べるという方法である。層とはグループのことで、グループ内の偏差(かたより)を少なくする、つまりできるだけ均一(同じ様)なグループになるようにグループ化し、グループ間の偏差を大きくするのである。つまり層間の偏差を大きくし、できるだけ異なったグループに分けることができれば、より少ない標本で、全体が推定できるのである。層内分散を小さくし、層間分散を大きくするということである。
プロットは地図上にメッシュ(縦横の網目)を描き、行(横方向)と列(縦方向)に番号をつけ、ランダムに必要数を選定した。
森林調査方法の決定
プロットの大きさは500m×20mとし、その中を50m×20mの小さな10の部分(小プロット)に分けて調べることとした。統計的手法で精度と誤差率を推定し、総数で約90点を調査する設計となった。
調査グループは3班に分けることとした。
1班は、偵察部隊で航空写真や地図上に落とした標本までアプローチする道があるか調べ、無い場合にはどこを起点にしてその標本の始点まで行きつくか、所有者への許可取りなどを担当することとした。プロットを調べる場合、その場所が、国の所有になっている場合には森林に入るのに、問題はないのだが、森林の前に牧場が広がっていて所有者がいたり、所有者でなくとも近隣に住民が住んでいる場合には、それらの人の同意を得る必要があった。
第2班は、伐開班で、標本設定グループである。アプローチ起点から標本の始点までと標本内の500mの中心のラインを伐開して、次の測樹班が歩けるようにする。標本は50mおきに杭を打ち、杭には赤の標識テープを付け、分かるようにする。また、その中心ラインから左右に10m離れたところには25m置きに杭を打ち、同様に赤の標識テープを付け、プロットの境界がどこかわかるようにプロットを設定することとした。
第3班は測樹班である。パラグアイの森林局で樹種判定ができるものを配置し、樹種名を判定し、樹高と枝下高はブルーメライスという測高器を用い、胸高直径は直径巻尺、枝下高の直径はペンタプリズマを用いて測ることとした。

測樹
つづく
平成27年度長野県優良技術者表彰および若手技術者等所長表彰
平成27年度 長野県優良技術者表彰および若手技術者等所長表彰において、弊社より5名が受賞いたしました。
関係者の皆様方には、この場をお借りして御礼申し上げます。
今後とも、さらなる技術の向上に努めてまいります。
長野県優良技術者表彰
受賞者:田中洋治
業務名:平成26年度 砂防基礎調査事業に伴う調査業務委託(管内一円(辰野町・中川村))
受賞者:森村浩之
業務名:平成26年度 県営ため池等整備事業 竜西2期地区 久米川工区用地測量業務委託

若手技術者等所長表彰
受賞者:境澤昌志
業務名:平成26年度 県単水防管理事業に伴う氾濫危険水位等改定業務委託
(長野県飯田建設事務所)
受賞者:羽生健志
業務名:平成26年度 防災・安全交付金(道路)事業用地測量調査業務委託
(長野県伊那建設事務所)
受賞者:清水郁
業務名:平成26年度 社会資本整備総合交付金(広域連携)事業に伴う物件調査業務委託
(長野県諏訪建設事務所)
桜満開
会社の前にある公園の桜が、満開となりました。
4月11日。満開は概ね昨年と同じくらいでしょうか。

今年も昨年と同じような方向より、撮ってみました。

遊具も新しくなって、桜と共に色鮮やかです。

イワヤマツツジ(トウゴクミツバツツジ)も咲き始めました。

花咲き誇る季節の到来です。