プラスα
最近、ふとした事から文房具、特に万年筆に放っております!(`・ω・´)ゞ
最初は無理して1000円のを1本…次はちょっと頑張って3000円のを…
気がつけばペンケースの中は筆記具とは思えにない金額に…
ですが、「趣味の世界」の恐ろしいのはここからです。
ペンにこだわるのに飽きたらず、次にノート、万年筆のインク、鉛筆、ボールペン・カッター、マスキングテープ…
自宅の机の上は筆記具がところ狭しと積まれ、いったい何がしたかったのかわからなくなる始末。
ですが、こういった文房具は単に集めておわりではなく、実際に使用して、生活をちょっぴり贅沢にしてくれます。
ただペンをはしらせるのが、ただ線を書くのがこんなにも楽しいものとは…!!
とんでも無い、訳の分からない高価なものを買わなくても、
いつも使っている道具を、ちょっとだけ(意味もなく)グレードを上げてみると
(不必要に)愛着が湧いて来るはずです(希望的観測)。
…最後にちょっとした私物自慢。
1.満寿屋というメーカーのノート。とにかく紙質が良く、万年筆との相性がいい。安くはないデス
2.東京・浅草にあるカキモリというお店でセミオーダーで作れるノート。大体2000円くらいで作れるので、プレゼントなんかにおすすめです。
3.友人が作ってくれたトラベラーズノート。ノート自体がカスタムできて使い勝手もいい。
4.友人が作ってくれたロールペンケースと万年筆。一番高いのは定価5万円を超えるとか…
5.カメラはじめました。
written by 鯉
【森林紀行No.1 10/18】「アマゾン川の踏査」
アマゾン川の支流
思ったより流れの速い源流域
アマゾン川は、本当に大きい。我々は最上流部、源流部にいて標高は約300mである。このあたりから平坦となり、ここから6,000Km下ったところが河口だ。すると平均傾斜は2万分の1だ。つまり、100m下って5mmしか傾いていないのだ。
だから日本で考えていたときは、流れはきっと緩やかだろうと思っていた。しかし、実際に源流域を見ると流れは思っていたよりもずっと早かった。流れが特に早く波立っている場所もあった。水深が浅いのであろう。
以外に早い上流域の流れ(波立っているのは水深が浅いから)
ナポ川を下る
調査地域の支流で一番大きい川はナポ川と呼ばれており、それ以外にアグア・リコ川もあり、どちらも上流域、下流域とも調査した。
船乗り場(小さなボートで川の渡しの商売をしている人も多い)
ナポ川沿いを調査
アマゾン川の支流のナポ川をコカから下りプリマベーラ(Primavera:春という名の集落)まで約30kmを往復した。一番広いところで川幅は約1kmほどもある。
水速は7~8Kmだった。行きに1時間10分ほどかかり、帰りは1時間40分ほどかかった。
また、ラゴ・アグリオからアグア・リコ川周辺は比較的穏やかで水速は4~5kmだった。
アグア・リコ川を行く(少年達の運転で上流へ)
上流部は比較的穏やか。しかし水量は多い。
また、フローテルという遠方から来ている遊覧の船上ホテルもあった。
よくもまあ、こんな奥地まで遊覧に来るなあと思ったものである。アマゾン川がそれだけ大きいということであろう。
フローテル(船上に浮かぶホテル、蚊や虫が多そう)
本格調査開始
輪尺を作る
モリーナは輪尺をみて、直径が1mかそれ以上大きい木を測れる輪尺をラゴ・アグリオの製材所で作らせれば簡単にできるという。mm単位で測っているので正確さが必要で、難しいからだめだろうと言うと、「大丈夫だ。できるから。」と言うので、「じゃあ、試しに作ってみろ。」と言うと実際ラゴ・アグリオの製材所で1m20cmまで測れるものと1mまで測れるものの2本を作ってきた。確かめてみると日本製とまったく同じ正確さを持っているので、これで調査が随分とはかどることになった。
本格的に調査を始める
2班に分かれて調査を始めようということで、1班は増井、I君、カウンターパートがラゴ・アグリオ周辺の営林署にいる、ルナ(Luna)、メディーナ(Medina)、2班がWさん、Y君、モリーナ(Molina)、アロンソ(Alonzo)で始めた。それにそれぞれの班に道案内人と木を伐採するチェンソーマンと作業員を数名雇った。
だいたい、いつも同じ場所に行き、そこで二手に分かれ、樹木を伐採測定し、帰るときは分かれた場所で落ち合い一緒に帰るようにした。
ルナ、メディーナ、アロンソ
彼らは、エクアドル森林局の職員で、この周辺の営林署から集められた技術者で、我々のカウンターパート(共同作業技術者)である。
ルナは、私より少し年配であった。痩せていて体力がなさそうであったが、森の中では逆に強かった。良くものを考える人だった。しかし、交通事故を起こした時、最も重体であり、その後も不幸が続き、一時一般人との付き合いはできなかったが、この調査が終わるころにはまたMAGに復帰していた。
ルナと調査中に胴の厚さを測り遊ぶ
メディーナは中堅どころだった。仕事は良くやったが、仕事に楽しさを感じているかどうかは分からなかった。
伐採木の直径と樹高を測るメディーナ
アロンソは一番若く、いろいろな事に興味を持っていたが、まだものごとを深く考える習慣がついていなかったので、これから経験を積む必要であった。
大木の大きな板根の上に座るアロンソ
プール
梅雨も明け日差しが強く暑い日が続きます。
皆様、熱中症には十分注意しましょう。
連日30度を超し暑くてたまらないですね。こんな時には「プール」です。
子供達を連れて近所の市民プールへ出かけました。
ちょうど、オープン日で無料開放していてラッキー。(通常でも大人150円園児無料なのですが)
しかしこの日は、あいにくの曇り空で気温もさほど高くなくどちらかといえば涼しいくらいでした
しかし子供たちは元気いっぱい二時間ほど泳ぎましたが、さすがに寒くなったらしく、
せっかくお弁当を作って来たのに食べずに帰る事となりました(義母さんすみません)。
次は天気の良い日に行きたいと思います。
oza
【森林紀行No.1 9/18】「陸上の踏査」
ラゴ・アグリオ周辺
樹木を伐採してデータを採取する前に森林全体の状況を調べることにした。ついにアマゾンの森林を直接見ることができるとのかと身が引き締まる思いであった。まずは、ラゴ・アグリオ周辺を見ることにした。
いきなり度肝を抜かれる
早速大蛇のお出ましである。道路の補修の様な作業をしていた人達がボアを捉まえていた。
いきなり出くわした大蛇ボア(力がありそうな胴体)
捉まえたボアは長さが約4m。太さは太いところで15cm以上はあった。これに巻かれたたらひとたまりもないだろう。しかし、毒はないし人間を襲うことはなさそうだ。動きもにぶいし、毒を持っていることではパラグアイに多くいた1-2mのガラガラヘビの方がずっと危なそうだった。
また、人が飼っていたが森で捉えた珍しいサルにも出会い、その後どんな珍しい動植物に出会えるのかワクワクドキドキな思いであった。
その後、ボアには時々出会ったので、相当数のボアがいたのであろう。
珍しいサル。夜行性のヨザル(オマキザル科)
日常的に出会ったボア、4m程度
ラゴ・アグリオで釣る
ラゴ・アグリオというのは酸っぱい湖という意味である。実際その湖があるので、行ってみた。熱帯で暑く雨が多いので、いろいろな微生物が繁殖して冨栄養になるのであろう。水は濃緑茶色で全く透明度がない。どろんとしていて底なし沼のようである。湖のほとりにカヌーが置いてあり、乗ると船べりの上の方まで水がきた。幸い水は中には入らなかったが、今にも沈みそうである。櫂で漕いで少し先まで行ってみた。しかし、見るからに水中から妖怪のようなものが現れそうな不気味な色で、とても沖まで行く気がしなくて、すぐに引き返す。
小さいリール竿を持ってきていたので、釣りをしてみようとエサを捜すと湖のほとりでミミズが捉まえられた。そこで、投げ込んでみた。するとすぐに20cmくらいのアイナメのような形の魚が釣れた。魚が多いのであろう。エクアドルの技術者もかなりいたので、すぐに釣れて鼻高々であった。しかし、知らない魚で見た目が良くないのですぐに放し、別な場所へ踏査に行った。
ラゴ・アグリオとコカ間の偵察、すべる道路
それから数日後まずは、ラゴ・アグリオから道路が通じている南のコカまで行ってみることにした。この間は約90Kmである。この道路には原油から石油を取ったあとの残りカスをアスファルトまで製造しないで、そのままアスファルトの代わりに敷いていた。そのため一見アスファルトの様に見えたが、雨が降ると非常にスリップし易く、車で走る時は相当に気をつけなければならなかった。
また道路に沿って、鉄管の石油のパイプラインが走っており、直径80cmくらいもあるかなり太いパイプが敷設されている場所もあった。細い物では直径10cmくらいであった。
それでも皆車を飛ばすので、本当に危なかった。実際に一度跳ねられて死んだ人を見た。それにバスの転覆事故を2度見た。危ない。更に、少し経った後、我々もカウンターパートが交通事故を起こし、大変な目に会ったが、それは後述する。
むしろ未舗装の道の方の方が安全だった。例えば東のシュシュフィンディに行くには、ラゴ・アグリオから約40kmほど南に行き、それから東に向かう道路があり、それは未舗装だった。交通量は少なかったが、スピードも出せないので安全だった。
雨が降ると滑る道路
(雨が非常に多く、アスファルトにまでしない石油を取った残りかすを敷いた道路。脇に石油のパイプラインが並走する。)
ハシケ
ラゴ・アグリオを出発するとすぐにアグア・リコ川(Agua rico:豊富な水)に出会う。そこはガバラ(Gabarra:ハシケ)で渡らなければならなかった。川幅は50m程だったがこれは交通の障害もはなはだしかった。ハシケの甲板は長方形で、車を数台載せることができた。車が数台のりハシケが満杯になるまでハシケは動かず、乗ってから渡り終えるまではだいたい1時間くらいかかった。場合によっては2時間以上もかかることがあった。回りは何を見ていても珍しいものばかりだったので、退屈するなどということは全くなく、時間の経つ不思議さを感じていた。
ハシケのことをスペイン語でガバラという
この川には1987年に行ったときには橋がかけられていて、大変に便利になったものだと思ったものである。
バスも車も人も運ぶハシケ
試しに伐る
ハシケを降りてからしばらく走って途中の入植者の奥にある山に入ってみる。高さ20mほどで胸高直径(胸の高さ1.3mの位置の木の直径)20cmくらいの細い木を一本チェンソーで倒して、2m置きに直径を測った。
いくらでも木はあるが、伐るのは石油基地や入植地で、すぐに伐られる運命にある木に絞った。
途中にあった入植者の家。カヤ葺きの掘立小屋
周りには直径1mを超える木も沢山あり、日本から持ってきた直径60cmまで測れる輪尺(木の胸高直径を測る道具。大型のノギスのようもの)ではまにあわず、それより大きい木は直径巻尺(樹幹の周囲を回して測り、直径が読みとれるようにしたもの。表面は円周率倍の目盛が付けてあり、裏面は普通の巻尺である。輪尺で測るより時間がかかる。)で測ることにした。
その日はコカに行き、コカに泊まった。しかし、コカの手前にナポ川の支流のコカ川があり、そこも同じように橋が無く、ハシケで渡らなければならなかった。そこでも渡るのに1時間はかかるのであった。
道路際で山から伐ってきた木を製材し、椅子やタンスを作り販売している人もいた
コカにはホテルアウカ(Auca:アウカは先住民の一部族名)というホテルがあった。
このホテルは、以前はテキサコが石油開発のために作業員用に作り、使っていた宿舎だったということでそれを改造し、ホテルにしたとのことだった。
外見はトロピカルな雰囲気で、食堂が道路に面していてきれいそうに見えたが、中の部屋はどこも汚かった。とりあえず偵察で一泊した。
翌日コカのMAGの事務所に行くとアメリカ人の平和部隊(Peace corps、日本が青年海外協力隊として模倣した)の隊員2人とアメリカ人の訪問者が1人いた。しばらく談笑してMAGがアグロフォレストリー用の苗畑を持っているというので見に行った。植栽樹種の育苗方法や期間、植栽時期などを聞き取りして、ラゴ・アグリオに戻った。
外見はトロピカルな雰囲気のホテルアウカ。中身は汚く居心地が悪い。
コカのMAG事務所。きちんとしていた。
つづく
7月の駒ヶ岳
7月の駒ヶ岳
例年より早く梅雨入りした分、早く梅雨明けしたような感じ。
一気に30度越えの真夏の日射しがやってきました (^_^;)
これから気温があがると注意しなければならないのが熱中症。
私たちも屋外の現場では、定期的に休憩をとって水分補給をしたり、塩飴などで塩分を補給したりする、など熱中症の対策をしっかりととって作業にあたっています。
皆さんも、特に屋外の作業の際には体調に十分ご注意ください。
[南アルプス]
さて、ゼンシン菜園でも、いよいよ収穫がはじまりまりました。
まずは、キュウリ。油断してたらいきなりゴーヤみないなキュウリになりました。
これは、浅漬けにしておいしくいただきました。
これから、夏の日射しを一杯浴びた野菜たちがたくさん収穫できるかな。
【森林紀行No.1 8/18】「ラゴ・アグリオにて」
ホテル エル・コファン
ラゴ・アグリオに着いてすぐにホテルエル・コファン(El Cofan:コファンとは先住民の一部族名)にチェック・インした。荷物を部屋に入れてすぐ隣りの電話局へ電話をかけに行った。
当時このホテルはできたばかりで新しかったが、床やドアが歪んでいて建て付けが悪く、また部屋も狭くて居心地は良いとはいえなかった。しかし、ここが最良でここより良いホテルはなく、シャワーもトイレも付いているし、キャンプに比べれば天国と思ったものである。
ホテル エル・コファンの部屋(増井が最初に泊まった部屋。
部屋が狭かったのでベッドにいろいろ広げて整理)
ホテル エル・コファンの経営者の家族達と(長逗留するうちに家族とも親しくなった)
団長に電話
当時ラゴ・アグリオから電話回線はキトーに2回線しかなく、電話局へ行かなければなかった。幸い電話局がホテルの隣だったので、夜は待っている人がいなくて、閉局少し前の夜9時にキトーにいる団長に電話が繋がり、無事ラゴ・アグリオに到着したことを報告した。
印象に残った傲慢なアメリカ人
ホテルエル・コファンに泊まっていたアメリカ人がここの電圧はいくらかと聞いてきた。私は「one hundred ten volt」と言うとアメリカ人は「お前はそんなことの言い方も知らないのか。教えてやる。それはone tenと言うのだ。」と非常に感じ悪く、人が親切に教えてやったのに威張っていて、いかにも普通に傲慢なアメリカ人で、感じが悪かった。
ラゴ・アグリオの町の印象
調査基地とした町はこのラゴ・アグリオとコカの2つであり、どちらも同じくらいの期間滞在したが、コカの方がより生活条件が悪かったので、印象はコカの方が強い。とは言うもののこの当時のラゴ・アグリオも生活条件は相当悪かった。
ラゴ・アグリオは1970年台に石油開発で開かれたということで、まだできて新しい町だった。町は碁盤の目のように道路が通っていたが、まだ舗装もされていなく、砂利道で車が通ると砂ぼこりがひどかった。空き地も相当あり、徐々に建物が建てられつつあった。そのため、まだまだ整った町ではなく、西部劇でみるような荒くれ者が流れて来るような非常にガサツで汚いという印象を持った。治安は悪いといわれていたが、実際に相当悪かったのだろう。
最初に石油が発見された最初の井戸の記録を書いた看板
(1967年2月16日?1967年3月29日)
ラゴ・アグリオの町(未舗装で、建築中の建物も多かった。)
ラゴ・アグリオを走るバス(トラックの荷台に座席を作り改造)
食堂や店屋
ホテル以外にもいくつか食堂があり、よく外の食堂に夕食を食べに行った。印象に残っているのは野外で屋台のような場所があったが、カルド・デ・ガジーナ(Caldo de gallina)といって鶏肉を煮込んだスープがとても美味しかった。しかし、4本指の鶏足が、そのまま入っていて、それもおいしいのだが形を見てしまうと鶏足だけは何となく進んで食べにくかった。中華料理屋も1軒あった。こんな奥地にもさすがに中国人。そして町はずれに韓国人が雑貨屋を開いていた。そこで良く買い物をしたが、そこの主人は私が帰国してまた来る時にいろいろ必要物を買ってきてくれるよう私に頼んだ。適当に生返事で、お茶を濁していたが、だめもとで知らない人にでも頼みごとをするだけ彼らは生命力が強いのだろう。
飲屋
ラゴ・アグリオにも何軒かの飲屋があった。そのうち一番きれいな飲屋にヒメネスとモリーナがよく連れて行ってくれた。ビール以外にはロン(ラム酒)があり、ロン・カスティージョ(Ron Castillo:城のロン)というのが、結構いけた。
左からモリーナ、増井、ヒメネス。彼らは長時間飲むのが好きだった
打合せ
ヒメネスの事務所へ
翌日早速ヒメネスの事務所に行き、調査について打ち合わせた。
最初は改めて何を調査するかについての打合せである。つまり今回の調査の材積表作りのためのデータを集める仕事であり、標本木として150本を伐採するのをどのあたりで行うかが中心であった。この他にペンタプリズマ(簡易に直径を測ることができる器具。器具の中にプリズムが入っていて樹木までの距離に関係なく、カメラのファインダーのようなものを覗くと、樹木の幹の左端と右端を直線で合わせられるようになっていて、それを合わすと、バーが幹の直径と同じ長さにスライドし、幹の直径が測れるもの)で200本ほどのデータを取ることであった。
これは次に述べるように、この周囲でアクセスができる5つの地域から概ね30本ずつ、木の胸高直径(太さ)をバラつかせて取ることにした。
次は日程で、どの辺りをいつ頃調査するか、そして調査の前に全体の概況調査をするなどであった。
そして調査メンバーをどういうグループにするか、作業員と森の案内人、チェンソーマンなど何人くらい必要かなどを打ち合わせた。
必要な作業員達はヒメネスが手配してくれることになった。このことは後述するが、最初に雇った作業員がいろいろ要求してくるので結局クビにしたけれど、この地域の生活の厳しさを感じた。
ヒメネス
ヒメネスは赤ら顔のスペイン系で、非常に調子が良くて、何でもオーケー、オーケーというタイプなので大分迷惑を蒙らされた。ラゴ・アグリオからキトーに仕事に行った時も月曜日に行き、木曜日に戻って来ると言って出かける。3日後に帰ってくるのだなと思っていると、帰ってくるのは必ず1週間後か2週間後の木曜日なのであった。本当にいいかげんであった。
調査地域
標本木を採取するのに、この地域全体に適用できるようにするため、5つの地域から採取することとした。概ね集落がある。ラゴ・アグリオとコカが比較的大きな町で、その他小さな集落で、そこまでアクセスできる道路があった。
ダユマは石油開発のために道路を作設中の最先端で、貧しい作業員だけのいる場所である。
標本木を選んだ地域
上の図に示す所である。
1 ラゴ・アグリオ周辺
2 テテテス周辺
3 シュシュフィンディ周辺
4 パヤミーノ周辺
5 ダユマ周辺
旬の話題
就職して 山梨県で暮らす次男のアパートからは、先日 “世界遺産” に登録された ≪富士山≫ が見える・・・?
・・・見えるはずなのですが、この日はあいにくの曇り空で全然だめでした…。
【社窓】のパクリ『富士山バージョン』を目論んでいたのに、すっかり当てが外れてしまい、話題に窮しています。
仕方なく、何かネタはないか…と探して、無理やりの感がアリアリですが、我が家の「旬の話題」ということで…
・今年収穫した梅。 ・梅ジュース…仕込み中。 ・梅酒…完成品。
梅ジュース : 効能 ⇒ 夏バテ予防に最適!
梅酒 : 効能 ⇒ 疲労回復 ・ ストレス解消 ・ 血行促進 ・ 利尿作用 ・ 美肌・・・etc ( 注:適量の場合に限る )
N.A (^^)v
段ボールは便利
先日、テーブルを購入しました。
テーブルをくださる方がなかなか現れず、
やむをえず購入した次第です。
これです。
実に便利。
今日まで約3ヶ月・・・
段ボールをひっくり返して
テーブル替わりにしていた者にしか分らない感動!
これからの暑い夏に向け
すずやかな「和」を基調とした雰囲気にしてみました。
今や、テーブルのある生活が当たり前になりつつある今日この頃、
段ボールもなかなか便利でした。
掃除の時など移動が楽だし、
耐久性は劣りますが、すぐに新しいのに交換できます。
これで、脱! 段ボールと思いきや・・・
テレビ台は、こんな感じです。
すこし首を傾けてみるのがベスト。
話は変わりますが、食べ物ネタです。
先日、何年ぶりかに、寿司屋の寿司(回転寿司ではない寿司屋の寿司!)を食べに行ってきました。
(正確にはごちそうになったのですが・・・。)
伊那市にある「富久寿司」というお店。
さすがにネタが新鮮!
お店のご主人も従業員の方もとても感じよく
「ネギトロ」と「わさび巻き」はおすすめです。
かなりうまいです!
つづきまして、ここ数日暑い日が続いていますが、そんな日は、
ソフトクリームです。
左から伊那市の「Yoshiko(フランセ板屋のカフェ)」、諏訪の「たまごや工房」、「長門牧場」のソフトクリームです。
つづきまして、箕輪町の「パン茶房窯屋」のカツサンドです。
これはかなり美味しいです。
つづきまして、伊那市の「久良運」のもうもうシチューです。
スパゲティのうえにビーフシチューがかかっています。
これもなかなか美味しいです。
つづきまして、伊那市の「ぱいぷのけむり」のハンバーグカレーです。
これはふつうです。空腹時に食べたので胃がやられました。
さかまさ
【森林紀行No.1 7/18】「アマゾンの町ラゴ・アグリオへ」
ラテン気質の役所MAG
MAGでの出発の打合せ
MAGで先発隊が打合せ、現地ラゴ・アグリオへの出発は7月15日の月曜からと決まっていた。この日に調査団からは、私増井を含めて4名が現地に行き、団長は航空写真の撮影契約の署名などの関係で担当の2名とともにキトーに残ることになり、10日ほど遅れてラゴ・アグリオに入ることになった。
先発隊が打ち合わせていたところによると、MAGから運転手付きで車が2台が提供されることとなっていた。しかも運転手の支払いも燃料の支払いもMAGが行うから調査団は心配しなくとも良いと言うことだった。現地で雇う作業員などの費用だけを持ってくれれば良いということだったので、私はにわかには信じられなかったが、月曜日にMAGで朝7時に待ち合わせて、ラゴ・アグリオに向かうということになった。
またラゴ・アグリオにはヒメネスというナポ県の営林署長がおり、彼が作業員の手配などを全て行うので心配はいらないとのことだった。なんとMAGは良いところだろうと思わされた。
出発が一日遅れる
翌7月15日、月曜日の朝7時にホテルをチェックアウトして荷物を全部車に積んでMAGへ行くとMAGが提供すると言っていた車も運転手も来ていない。カウンターパートも来ていない。1時間ほど待つと運転手とモリーナが来た。運転手の話を聞くと出張旅費などもらってないし、すぐには出発できないと言う。
モリーナにどうなっているのか確かめさせた。車もMAGでは出せないということだ。一体どうなっているのだ。森林局側の言っていたのは体のいい繕いだけだったのか。いずれにせよこれでは今日出発するのは無理だ。
ホテルにすぐ電話しチェックアウトを取り消してもらい予約を1泊延長した。分かったのは、MAGから車も人も出せるものではないことだった。だったらはっきり最初からそう言ってくれと。そうすれば、我々はそのように手配したのに。そこのラテン気質を私はまだ分かっていなかった。
人に後で大迷惑をかけるのであるが、その時は迷惑をかけてはまずいと思うのか、あるいは、人の喜ぶ顔がみたいからだろうか、できないこともできると言いたいのだろうか?ラテン気質の気楽さである。そんなことからやはり先発隊で来るのだったと思うのだった。海外では行き違いのないように、念には念を入れて確認してもなお予定通り行かないことだらけだから人には任せておけないという気持ちだった。怒り心頭に達したが、それは顔に出さずに冷静に、では一日遅れだが、明日の出発を次の手として考え、モリーナとマンティージャを巻き込んだ。
今使っているレンタカー会社に確かめさせると明日ラゴ・アグリオまで送るだけならジープタイプの車は1台確保でき、その後別の車を2台すぐに確保できラゴ・アグリオに送ることができるというので、取り敢えずラゴ・アグリオに行くのに1台はレンタカーを使うことにした。もう1台はMAGの中から手配するようもう一度捜させると、ちょうどラゴ・アグリオから来ているヒメネスがジープタイプのランドクルーザーで帰るので、それに半分のメンバーが分乗すれば明日出発できることが分かった。
そんなことで翌日運転手付きのレンタカー1台とヒメネスの運転するジープと計2台でラゴ・アグリオに出発できることになった。その後は後から来るレンタカーを使い、運転手の給料やガソリン代は我々が出すことにした。言ってみれば、費用は当初の想定通り日本側が全て持つことになったのだが、MAG側の見栄やプライドの高さといったラテン気質が混乱を招いたのだ。
ラゴ・アグリオへ。
1985年7月16日(火)キトーからラゴ・アグリオに向かって2台の車で出発した。レンタカーの1台は大型のジープタイプのシボレー社製の車だ。シボレー(Chevrolet)のことをここではチェブロレットと発音しているのが何となく陽気な響きに聞こえた。
7時20分にキトーを出発する。7時の予定が20分遅れただけなんて、この国では完璧に時間ぴったりだ。一日遅れではあるが。アンデス山脈を越えるのに最初はキトーから山を登って行く。私は何故か緊張していた。たぶんレンタカーの運転手が往復だけではあるが、アマゾン川の流域に行くというので緊張していたのでそれが移ったのだろう。さすがに地元民でもアマゾンに行くと言えば身構えるのであろう。
赤道直下の雪
頂上の少し手前から雪が降り出した。ここは赤道上の熱帯ではないのか?この寒さは何だ。気温は0度以下だろう。長袖や薄手のジャンバーなどを重ね着するが、防寒着でないので震えるほど寒い。とうとう峠の頂上に着く。ここは標高約4,000mだ。キトーが2,800mだから約1,200mも上がったことになる。
アンデス山脈を峠に向い登る。赤道直下の雪
峠。標高約4,000m。薄着で震えあがる。
それから下り出す。下るにつれて今度は段々と暑くなる。寒帯から熱帯へだ。10時半にバエサ(Baeza)に着く。ここは標高は約800mで、もう気温は30度もあろうというくらいで、Tシャツである。
苗畑
バエサには苗畑があり、しばらく苗畑を見学する。マメ科植物の苗木が多かった。
バエサの苗畑
マメ科の木が多い
伐採木の検問所
伐採木の税金を取る検問所もある。1立方当たり25スクレ(約50円)取るとのことだった。
伐採木を積んだトラック
伐採が進んでいるのだろう。バエサで昼飯を食べてから出発。
ドイツの協力プロジェクトを見学
午後3時頃ドイツミッションに出会った。近くでドイツが協力しているプロジェクトがあるという。そこでドイツの協力プロジェクトを見せてもらう。主に製材をしている。木材の加工技術の向上を目指しているのだ。
ドイツの援助で作った製材所
セイケ(Seyke)、カネロ(Canelo)、セドロ(Cedro)という名の樹種から質の良い木材が取れ、長持ちするとの説明を受ける。
ここの名前はAssociacion Carpinteros Lumbaqui:ルンバッキ大工協会と言うそうだ。このプロジェクトスタッフとして働いていたのは、3人のスペイン人だった。ドイツの援助下でスペイン人が働いているのは言葉が通じるから雇ったのであろう。10cm×30cm×2.4mの材が普通材の倍の厚さで、セイケが240ドル(当時の円換算で約5万円)、セドロが400ドル(9万円)で売れると言っていたので、当時のエクアドルの物価水準からすると相当に儲かりそうに思えた。
ヒメネスの車がエンスト
そこを出発して、まもなくしてヒメネスの車がエンストして動かなくなる。直すのに大分時間がかかったがどうやら動くようになった。
エンストしたヒメネスの車
アンデス山脈を下ってなだらかになり始めるあたり。石油のパイプラインが並走している
ラゴ・アグリオの手前にて
ラゴ・アグリオに入る手前にはかなり長い橋がかかっていたが、この橋は2年後に起きた地震で落ちたとのことだった。
ラゴ・アグリオに入る手前の橋
道路の途中にあった食堂に寄るとチョウのコレクションが飾ってあり、その種類の多さに驚いた。また体の大きさだけでも10cm以上はあり、角までいれると20cmもあるカブトムシの標本が飾ってあり、これまたその大きさに驚ろかされた。アマゾン源流域の生物多様性の高さを最初から感じさせられた。同じ種類の昆虫でも体が大きくなるものは、日本のものとはこれほども違うのかと印象深かった。
途中の食堂の壁にかけてあった蝶のコレクション
いろいろあった一日であったが、夜の8時過ぎにようやくラゴ・アグリオに到着した。
つづく
狩人
8時ちょうどの-
あずさ2号で-
の、狩人ではないのですが・・・
先日、狩りに行ってきました。
ちなみにモンスターでもありません。
すこし脚を伸ばして甲州まで
この時期の甲州といえば、
サクランボです!!
まいうーでした。
一年分は食べたかな。
あまりに食べ過ぎて・・・
おなかがこわれちゃいました。
食べ過ぎ注意です!!
A.H